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第2話 さだめの出会い
スノーが駆けるのをやめたのは、湖のほとりだった。
こんなところにこんなに美しい湖があったとは…
ここにマコを連れて来たスノーも、初めて来たはずだ。
生まれたときからマコと行動をともにしてきたスノーが、この場所を知っていたはずは無いし、きっと好きに駆けていて、たまたまここに辿りついたのだろう。
スノーは湖に近づき、喉を潤した。
マコは景色の美しさに、時を忘れて、ぼおっと見惚れていた。
「なんて綺麗なの。こんなところがあったなんて…えっ?」
マコは目を見開き、あまりのことに言葉を無くした。
信じられないことに、湖の真ん中に人が立っている。
後姿だが、男性だとわかる。
あ、あり得ない。ど、どうして?…幻?
それとも、あの部分だけ、立てるほど浅いのだろうか?
でも、どうやってあんなところに?泳いでいったのだろうか?
その男性が、彼女の視線を感じたように、くるりとマコの方に向いた。
マコの姿が視界に入ったのか、少し小首を傾げ、そのひとは一歩踏み出した。
そして、そのまま、大股で歩いてくる。
彼女は驚きに打たれて、身動きが出来ず、目を見開いてその男性が近づいてくるのを見つめていた。
「やあ」
二メートルほどの距離まで近づいたところで、男性は片手を上げ、いくぶん固い声でマコに挨拶した。
マコは彼に答えられなかった。
この湖はけして浅くないはずだ。歩くなんて出来るはずがない。
なのに彼は水面に立ち…なんでもないことのように、歩いている。
「ど、どうして?」
「え?」
「あ、歩けるの?水の上を…」
「ああ」
男性が笑みを見せた。
マコは彼の笑顔に魅せられて、ふらつきそうになるほど、頭がくらくらした。
「氷らせたんだ」
男性は彼女に教えるように、足元をつま先で蹴ってみせた。
マコは彼の足元をまじまじと見つめた。
「ど、どうして?」
「水面は歩けないだろ、氷らせて道を作った」
「ど、どうして?」
「どうしてとは?…君、名前は?俺はカズマだ」
「カズマ?」
「ああ。それで、君は?」
「ど、どうして、何をしてたの?湖の上で…」
そう質問したが、どうやって氷の道を作ったのかも、不思議でならなかった。
彼は、魔法使いなのだろうか?
トモエ王と同じに、不思議な魔法が使えるのだろうか?
「ああ、ちょっと…用があったんだ」
「な、なんの?」
カズマがくすくす笑い出した。
「質問ばかりだな。君の名は教えてはもらえないのか?」
「私は…マコ…です」
「マコか?」
「は、はい」
「この白馬は?」
「す、スノー」
「良い名だ。君がつけたの?」
マコはこくりと頷いた。
「貴方は、魔法使いなの?」
マコの言葉にカズマはおかしそうに笑った。
「うん?まあ、そうだな」
やはり。
マコは彼の足元を見つめ、改めて水面を見つめた。
彼はまだ水の上だ。
よく見ると、岸からカズマの足元部分まで、確かに透明な橋があるようだった。
これが氷の道?
興味を引かれ、マコは岸に近づき、水面に片足をそっと踏み出してみた。
「ほんとだわ」
薄地の靴の底がひんやりした。足は沈まない。
「おいで」
さりげないその言葉に、マコは勇気を得て、足を一歩二歩と踏み出していた。
氷の道があると分かっていても、水面の上に立っているような感じは抜けない。
「不思議!こんな体験初めてです」
「そうか。喜んでもらえて嬉しいよ」
控えめな笑い声をあげたマコは、愉快な高揚感に駆られて、思わずその場でくるりと一回転した。
氷の橋はつるつるで、マコは足元をつるりとすぺらせ、倒れそうになり手を泳がせた。
「危ない!」
マコは一瞬後、カズマの腕の中にいた。
「ご、ごめんなさい」
「いや」
カズマはそう言ったものの、マコを放そうとはしなかった。
マコは恥ずかしさが湧き、彼から身をほどこうとした。
「じっとして、また転んでしまう」
「で、でも…」
「どうしてだろう?君を見つめていると、胸が苦しい…」
その驚くような告白に、マコは同意を感じていた。
彼女の胸も苦しくてならなかった。
「わ、私も…」
「君も?」
嬉しげに問われてマコは慌てた。
私は何を言っているのだ。
「え?い、いえ…わ、私…」
カズマがマコの手をやさしく掴み、自分の胸に当てた。
「心臓が破裂しそうだ」
彼の言葉通り、手に伝わってくる彼の鼓動は、尋常なものではなかった。
そしてそれは、マコも同じたった。
初対面の男性に触れられて、抱きしめられて…どうして自分は恐れを抱かないのだろう?
それも相手は…妖精ではないひと…
マコの戸惑いは、重なりあった唇の刺激に吹き飛んだ。
とんでもないことになっている。
そう思うのに…
唇に感じている甘い疼きをもっと味わいたいと思っている自分に、マコは混乱した。
初めての口づけが、どれほどの時間続いたのか、マコにはわからなかった。
唇が離れ、顔を上げたカズマの凛々しい顔…
マコは我を忘れて、彼をうっとりと見つめた。
足の裏がジンジンする感覚に、彼女は正気に戻った。
「わ、私…あ、足が冷たい…」
「あ、すまない。夢中になってしまって」
マコはカズマに促されるまま、岸に戻った。
激しい困惑が、いまになって襲ってきた。
マコはカズマからさっと身を離し、困惑したままスノーに駆け寄っていた。
「マコ?」
カズマの呼びかけに、マコは説明できない恐れを感じた。
彼女は、スノーに飛び乗ると、何も考えられずにそのまま駆け出した。
「マコ、どうして?…戻って来い!」
荒々しく命令するような声に怯えが走り、マコは馬上で激しく首を横に振っていた。
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