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第五話 結ばれた心
「これは、どうしたことか!」
激しい怒りに突き上げられた吼えるようなトモエ王の声に、マコは怯えた。
「どうしたこと?」
カズマはマコの怯えを感じ取ったのか、彼女から恐れを取り除こうとするように、手のひらでそっと背を撫でた。
「わざわざ問うような、野暮なことをするのか?見て分かっただろう?」
「カズマ!おのれ!」
「落ち着け、トモエ。取り乱すなど、お前らしくもない」
「これが落ち着いていられるか。この隠れ場にマコを連れ込んで、カズマ、許されると思うのか?」
「連れ込んだ?まあ、半分はそうかもしれない。だが、マコもそれを望んでる」
「そんなわけが…」
「あ、あの。トモエ様」
マコはいきり立っている王に、おずおずと言葉を掛けた。
正直、彼の怒りが恐ろしくて、声など掛けるのはためらわれたのだが…
「誤解がありますわ。わ、私、カズマ様に、連れ込まれたわけではありません。自分の意志でここに来たのです」
「マコ」
カズマはマコの言葉に、満ち足りた笑みを返してきた。
だが、かたや、トモエの顔は、さらに険悪になった。
「君は、どこでカズマに逢った?いつ?」
「に、二週間ほど前、偶然に湖で…お逢いしました」
「…湖?どこのだ?」
「それが分からないのです」
「分からない」
トモエは、平坦な声で呟くように言った。
そのトモエの瞳が揺らいだ。
「トモエ…もう分かっただろう?俺と彼女は出会うさだめだったのさ」
「そんなことはまやかしだ!」
「まやかしでないことは、お前は誰より良く知っているはずじゃないか」
トモエは顎を強張らせ、口を一文字に結んだ。
ぎりぎりと音がしそうなほど、顎に力を入れている。
トモエの怒りが、その顎と、危険な光を発している瞳に集中しているのがわかり、マコは恐れを感じて一歩退いた。
「トモエ、マコを恐れさせるな」
カズマは彼女を守るように横抱きにきつく抱きしめてきた。
「マコは、私のものだ」
カズマの言葉に、トモエが失笑した。
「馬鹿な」
トモエはマコを見つめ、それからカズマに視線を当てた。
冷静な目だった。
その冷静さは、真実のものではなく、王の意志の力でまとったもののように思えた。
瞳の表面には、感情の波一つ立っていないが、瞳の奥には計り知れない憤りが潜んでいるようだ。
「マコは…彼女は妖精族だ。お前達はけして結ばれない。それが真実のさだめだ」
「これまで前例がなかっただけのことだ。誰がなんと言おうとも、私は彼女を妻にする」
マコはその言葉に驚いた。
もちろん、とんでもない量の嬉しさが湧いた。
「お前の知らぬらしい普遍の事実を、ひとつ教えてやろう」
トモエは、ひどく冷淡な声で言った。
「知らぬ事実?」
「妖精族の我らが、この地だけで暮らしているのは理由がある」
「理由?」
「生きられないのだ。この地を満たしている特殊な精気なくしては、我々妖精族は生きられぬさだめなのだ」
カズマの顔が驚きに染まった。
その事実をもともと知っていたマコは、カズマの驚きに哀しい気持ちになった。
彼は知らなかったのだ。
一番知っていなくてはならない事実を…
「それは本当のことか?」
「本当ですわ」
意気消沈したマコは、ぽつりと言った。
カズマが衝撃を受けたように大きく喘いだ。
「わかったろう。何がさだめの出会いだ。お笑い種だ」
トモエのあざけりを含んだ言葉を聞いて、カズマはぐっと胸を逸らした。
「道を見つけるさ」
「道だと?」
「ああ。彼女は必ず私の妻にする。そのために障害となるものはすべて、俺の手で取り除く」
カズマは拳を固めて、トモエに向けて突き出した。
くっくっと、トモエの笑い声が響いた。
顔を上げたトモエは、もう笑っていなかった。
彼はカズマに抱かれているマコを鋭い目で見つめ、カズマに向いた。
「できるものならば、やってみるがいい」
「言われなくともそうするつもりだ」
「だが、彼女を危険な目に遭わせることだけはするな。この国から無理やり連れ出しなぞしたら、彼女は三日ほどしか生きられぬだろう。そのことは肝に銘じておけ」
カズマとトモエは、長いこと睨み合った。
「わかった」
「マコ、わたしと一緒に帰ろう。送って行く」
「ダメだ。彼女はまだ返さない。お前ひとりで帰ればいい」
「マコ」
トモエの呼びかけに、マコはカズマにしがみつくことで答えた。
マコの気持ちはすでに固まっている。
カズマを失ったら、二度と生きる喜びを感じられないだろう。
トモエは怒りを静めるためにか、大きく息を吐き、ブラックに跨った。
そしてそのまま現れた方向へと駆け出し、すぐに姿は消えてしまった。
ブラックのひづめの音だけが、しばらくの間、池のほとりに響き続けた。
「マコ」
マコはカズマの胸に抱かれ、目を閉じた。
彼女はカズマを信じる。
「君に了解を取る前に、あんなことを言ってしまって…ロマンチックじゃなかったな」
そう言ってカズマはため息をついた。
後悔をたっぷり含んだカズマの声に、マコは笑みを浮かべた。
あの言葉を聞いた瞬間、とんでもなく胸が震えた。
ロマンチックなどより、よほど胸に響いたのに…
「いまさらだけど…マコ、俺の妻になってもらえないだろうか?」
カズマの言葉は真実嬉しくてならなかった…だが、素直にはいとは言えない。
「カズマ様。私は妖精族なのです。トモエ王が口にされたとおりなのです。私は人間族の住む地にはゆけません。それでもいいのですか?」
カズマは思案するように眉を寄せた。
「君は、俺がこの地に住むことを望んでいるな」
その言葉に、マコは驚いた。
それでしか、ふたりがともに生きることは出来ないのに…
カズマは何を望んで…
「は、はい。だって、私は…」
「俺はこの地には住めない。この地に住む権利を持たないんだ。トモエ王は、けして許さないだろう」
「で、でも…」
「私は君を人間国に連れてゆく」
「でも、…それは無理です」
「いまは無理だろうな。まだ私はその術をもたない。だが…」
「カズマ様?」
「この世には起こせない奇跡はない。なにより、俺と君は出会うさだめだった。必ず方法は見つかる」
「方法?どんな?」
「君を人間族にする方法だ」
マコはあ然とし、目を丸くしてカズマを見つめた。
「そ、そんなことは不可能です」
「いや。見つけ出す。マコ、そんなことより、君だ」
「わ、私?」
「ああ、君は私に付いて来てきてくれるか?」
「え?」
「君は、親も兄弟も親戚も友達もすべて捨てる覚悟は…あるか?」
マコはカズマを見つめ、ぎこちないながら、深く頷いた。
カズマがほっしたように息を吐いた。
「わ、私、ひとりなんです」
「えっ?」
「私は、ひとりなんです。親も兄弟もいないんです」
「孤児?…だというのか?」
カズマはひどく腑に落ちない顔になった。
マコは、天涯孤独な身の上の自分が恥ずかしくなり、カズマから視線を外した。
「そんなことは聞いたことが…妖精族は…」
カズマは言葉を言いよどみ、黙り込んだ。
妖精国に、孤児など…存在しない。カズマはそう言いたいのだ。
「君は…」
マコはカズマの口から出る言葉を聞くのが恐ろしくなり、彼から身をふりほどこうとした。
「マコ?」
「私…」
「君に親類縁者がいないのなら、私にとっては好都合だ」
「え?」
「妖精国に未練はないのだろう?」
カズマの顔を見つめたマコの脳裏に、仲の良い友の顔が浮かんだ。
だが…
「私はカズマ様とともにいたいです」
カズマは頷いた。
その瞬間、マコは、ふたりの心がひとつになった奇妙な感覚に囚われた。
ふたりの心は、言葉にならない不思議な力で、いま結ばれたのだ。
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