シンデレラになれなくて


その51 ソフトクリームの誘惑



東門へと戻る前に、ふたりは観覧車に乗った。

一番上に到達した時、不破は愛美にキスをした。

キスの回数が増えてゆくごとに、切なさが増してゆく。
そして不破への恋心が、愛美の胸の中で無尽蔵に膨らんでゆくのだ。

恋には切なさが付き物のようだった。

恋を知る多くの人々も…同じ疼きを抱えながら恋をしているのだろうか?
きっとそうなのだろう…

甘さと切なさがいっしょくたになったこの思いは、ありえないほど心を疼かせる。

愛美は彼女の隣を歩いている不破をちらりと見上げた。

…彼も、同じような心の疼きに囚われているのだろうか?

すらりとした長身の身体、ひと目を引き過ぎる容姿と、庶民の雰囲気に馴染まない彼の身体全体を覆う質の高い品性。

愛美と彼を並べて見るひとの目に、ふたりはどんな風に映っているのだろうか?

きっと、不似合いなカップルだと思っているのに違いない。


ふたりはお土産売り場に入って、お揃いの携帯ストラップを買った。
不破には愛美が買い、愛美には不破が買ってくれた。

「ずいぶん可愛いですね」

自分の携帯についたストラップを揺らして、不破がおかしそうに笑った。

この公園のマスコットだ。
頭のてっぺんに大きな花がついている、とても可愛らしいものだ。

「これを見られたら…皆、目を丸くするでしょうね」

「どうしてですか?」

「私のスタイルじゃないからです。私を知っている人間は、これを目にしたら驚くと思いますよ」

不破の笑いが広がった。

愛美は不破とストラップを交互に見つめた。

たしかに、彼には不似合いなものかもしれない…

このストラップを選んだのは、愛美だ。

彼女は気を落として唇を噛んだ。

「それなら…つけるのやめた方が…もっと不破さんらしいシックなものを…」

不破が慌てて手を振った。

「まなさん、違うんです。そういうつもりで言ったのではないんですよ」

「でも…」

「これは私の持ち物の中で、いまや一番価値がある。何よりも大切にしますよ」

彼は本気で言っているようだった。

愛美はほっとして笑みを見せ、門に向けて不破と歩き出した。


「まなさん、ちょっとよろしいですか?」

門まであと少しというところに来て突然不破が足を止め、愛美も立ち止まった。

「はい?」

振り向くと、不破は携帯を揺らしていた。
それが振動音を発しているのに、愛美は気づいた。

電話が掛かってきたらしかった。

通路の端により、不破の電話が終わるのを待っていた愛美の目は、こちらに向かって歩いてくる小学生くらいの女の子の持っているものに釘付けになった。

ソフトクリームだ。

愛美は笑みを浮かべた。

携帯を耳に当て、小声で誰かと会話している不破に、愛美はジェスチャーで、ちょっと行ってくると告げ、すぐに踵を返した。

「まなさん!」

不破が大きな声で叫んだ。

あまりに差し迫った響きの大声に、辺りの人が不破に振り向き、彼はみなの注目を浴びた。

もちろん愛美も驚き、足を止めて彼に振り返っていた。

愛美は走り寄ってきた不破に、力一杯手首を掴まれた。

「どこに行くんです?」

咎めるように不破が言った。

先ほどの電話は終えたのだろうか?

不破の片手はバスケットでふさがり、もう片方の手は愛美の手首を掴んでいて、携帯は持っていない。

どうやら電話は終えたらしかった。

「ソフトクリームを…買って来ようと思っただけなんです。…あの、食べますよね?」

不破は愛美が指さした方向を見つめ、それから大きく吐息をついた。

「一緒に…行きましょう」

そう言った不破が、また顔をしかめた。

「すみません。また電話が…ここで、待っていてくださいね」

不破は強く念を押すように言うと、携帯を取り出し、すばやく耳に当てた。

「もう話すことは何もありませんよ…」

相手が何を言ったのか、不破は疲れた息を吐いた。

「行くつもりはないと申し上げたはずです。…勝手になさったことでしょう」

彼は視線を足元に落とし、電話の相手に語り掛けた。

「今夜は帰りません。それでは」

不破は携帯を操作し、ポケットにしまい込んだ。

ただでさえ人目を惹く不破の姿に、まだ多くのひとが注意を向け、ちらちらと見つめているのに愛美は気づいていた。

「ソフトクリームでしたね。買いに行きましょう」

不破は愛美を促し、歩き出した。

ソフトクリームを買う人の列に並び、愛美の手首を掴んだままの不破は、いまさら自分が注目を浴びていることに気づいたようだった。

「なんとなく、周りのひとに見られているように思うのは気のせいでしょうか?」

不破は困惑した様子で、小声で尋ねて来た。

「優誠さんは目立ちますから」

「目立つ?」

「優誠さんが大きな声を出したから、それで注目を浴びちゃったんです、きっと」

「ああ…そうか」

不破は気まずそうに苦い笑みを浮かべた。

ソフトクリームを食べながら、ふたりは車のところに戻った。

「美味しいものですね」

車に乗り込んだところで、不破が感慨深げに言った。

愛美は彼の言葉に戸惑った。

「まさかと思いますけど、初めて食べたなんてこと…」

「そのまさかです」

苦笑している不破の顔を見つめ、愛美は束の間ぽかんとした。

ソフトクリームを食べたことのない人間がいるとは、信じられなかった。

「ど、どうして?」

「食べたことがないというのは…そんなに驚くことですか?」

不破は苦笑を引っ込め、逆に不思議そうに問い掛けてきた。

「だって、とってもポピュラーなものだし…アイスクリームって…」

「アイスクリームは食べたことがありますよ。ただ、こういう形のものを、ああいう場所で買って食べたのは初めてなんです」

「そうなんですか?」

他に言葉も思いつけず、愛美はそう言って頷いた。

「でも、美味しいでしょう?」

愛美のおずおずとした問いに、不破が微笑んだ。

「ええ。とても」

不破の笑みに愛美はほっとした。

「幸せな気持ちになれる食べ物のひとつですよね」

不破が声をあげてくすくす笑い出した。

「わたし、なにかおかしなこと言いました?」

「華の樹堂のプリンも、そのひとつなわけですね?」

愛美は大きな笑みを浮かべた。

「そのとおりです」

即座に頷いた愛美に不破は吹き出し、間を開けずに顔を近づけてきた。

愛美は驚きに目を丸くして固まった。

不破の舌が、ひどくゆっくりと愛美の唇を舐めたのだ。

「とろけそうなほど甘い…」

不破の瞳が、濡れたような光を帯びた。
愛美は驚きを手放し、彼の瞳に魅入った。

不破はもう一度顔を近づけてきて、愛美の口の端にまだ残っていたクリームも舐め取った。





不破の車の助手席に座り、愛美は周りの景色をちらちらと眺めた。

時刻は三時を過ぎたところだった。

周囲の景色に見覚えはなかった。
彼は愛美に何も告げず車を走らせている。

愛美の家にまっすぐ帰るのだろうと思ったのに…
どこに向かっているのだろうか?

「優誠さん、どこに行くんですか?」

「休日の門限は何時ですか?」

「え? 門限?」

そんなものは決められていない。
門限を定める必要など、これまでなかったからだ。

愛美の戸惑いの表情を、不破は彼なりに悟ったようだった。

「お父上は、何時までなら、許してくださると思いますか?」

もちろん父は今日家にいない。
八時頃に、一度は父から電話が掛かってくるだろうが…

「七時くらい…」

愛美の答えに、不破が眉をしかめた。

「そんなに早く帰らなければならないんですか? ああ、そうでした。夕食の支度をしなければならないんでしたね」

「今日は、夕食の支度はしなくていいんです」

前を向いている不破の口の端に、大きな笑みが浮かんだ。

「それなら、お送りする前に、私と一緒に食べていただけますね」

「あ、はい」


車が停まったのは、見知らぬ建物の駐車場だった。
外観からすると、どうもマンションのようだ。

「優誠さん、ここは?」

「私の…なんていうのか…隠れ家のようなものがあるんです」

愛美は眉をひそめ、二度大きく瞬きした。

「隠れ家?」

「ええ」

不破は車を降り、愛美の側に来て助手席のドアを開け、彼女に降りるように促した。

隠れ家ということは、このビル内に、不破の部屋があるということなのに違いない。

もちろん部屋に入ったら、不破とふたりきり…

「まなさん」

戸惑ったまま車を降りようとしない愛美に、不破が手を差し伸べてきた。

「えっと…」

「貴方の嫌がることは、けしてしません。傷つけるようなことも…」

彼が愛美を傷つけるとは、彼女だって思っていない。
そうではなくて、愛美は自分が信用出来ない気がするのだ。

「貴方と一緒にいる時間を、ただ、持ちたいだけなんです」

愛美は何も言わずに頷き、ためらいと迷いを抱えながら、車から降りた。





  
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