|
1 魔女の執着
「蘭子、ほら、あれ渡すの忘れてるよ」
百代は、いつもと変わりない明るい声で、自分の隣に座っている蘭子に声をかけた。
だが蘭子はまだ、三次が愛美の叔父だという爆弾発言から立ち直れてはいないようだ。
「真実は真実なんだからさ」
蘭子はにやついている百代を睨み、愛美の横に座っている三次に、問うような視線を向けてきた。
なかなか信じようとしない蘭子がおかしいらしく、三次は含んだ笑いを口許に浮かべている。
「真実ですよ」
百代の言葉を証明するように、三次は蘭子に向けて、強調して繰り返した。
「そうなんでしょうけど…でも…」
蘭子はずいぶんと不服そうに唇を突き出し、もごもごと言う。
「まあいいよ。蘭子もそのうち、この事実に慣れるって…」
そう口にした百代は、自分に向けられた蘭子の睨みを笑いで受け止め、立ち上がった。
「桂崎さん、何か用事があるのでしたら、私が代わりに…」
「ああ、蔵元さん、わたしが。百代、あんたは座ってらっしゃい。その足じゃ、もたついてどれだけ時間がかかるかわからないわ」
いっいたなんなのだろうと愛美が傍観していると、蘭子がさっと立ち上がり、入口まで歩いてゆき、すぐに中に取り上げて戻ってきた。
「病室の入口までだよ。そんなにかかるわけないじゃん」
「いまのわたしの五倍はかかったわよ」
ぴしゃりと言い返し、蘭子は手にした袋を愛美に差し出してきた。
「愛美、これ。わたしと百代からのお見舞い」
紙袋を受け取る前から、すでに愛美はそれがなんなのか気づいていた。
この紙袋は…
「華の樹堂ね」
大好きなプリンが頭に浮かび、愛美は思わず叫ぶように言っていた。
あのプリンが食べられると、嬉しさに笑みを浮かべた愛美だったが、蘭子が面白くなさそうに口を尖らせたのを見て眉を上げた。
「蘭ちゃん、どうかしたの?」
「これはケーキなの。もちろんプリンを買いに行ったんだけど、もう売り切れてたのよ。冬休みだからかしら」
プリンでなかったことに、少々がっかりはしたが、あそこのケーキももちろん大好きだ。
「やっぱり、人気あるのね」
「仕方がないからケーキにしたの」
「ケーキで充分よ。ふたりともありがとう」
愛美は感謝を込めて、蘭子と百代にお礼を言った。
「いま、食べる?」
「ううん。お昼も近いし、三時のおやつにいただこうかな」
そう言った愛美は、問いかけるようにふたりを見つめた。
「今日、何時までいられる?」
「予定なんかないよ。愛美と不破優誠の邪魔でなけりゃ、いつまででもいるよ」
百代が笑いながら答えた。
邪魔なんかじゃもちろんない。ひさしぶりに三人揃ったのだ。
「それじゃ、三時のおやつでいいわね」
「冷蔵庫に入れておくわ」
ケーキの箱を冷蔵庫に入れた百代が、ウキウキと振り返ってきた。
「それじゃあさあ、お昼買ってこないとね」
「売店があったじゃない。あそこで何か買ってくればいいわ」
蘭子の言葉に百代はうんうんと頷く。
「あそこ、けっこうなんでもあったよね。お弁当もあったんじゃないかな?」
百代の脳裏には、売店の商品がずらりと並んでいるようだった。
「百代ってば、通りすがっただけなのに、しっかり確認したわけ?」
「確認するつもりなんかなかったよ。目に入ったんだよ」
蘭子は百代の言葉を鼻であしらった。
そんなふたりのやりとりを、三次は苦笑して見つめている。
「それじゃあ、速攻買いに行ってこようよ。蔵元さんも買うでしょ?」
三次に向けて早口に問いかけた百代に、蘭子は呆れた顔をした。
「百代ってば、お昼はまだ先よ」
「だって、もう品は揃ってるわけじゃない。だったら、早めに買っておかないと、いいのはどんどん売れてって、ろくなのが残ってないってことになるじゃん」
「まったく、そういうことには頭の回転、速いんだから」
「こういうことに限らず、速いけどね」
にやついた顔で訂正した百代に、蘭子は顔をしかめ、バッグを取り上げた。
それを見た百代は、松葉杖を手に取ろうと手を伸ばす。
「百代、連れてかないわよ」
きっぱりと宣言した蘭子に、百代は「えーっ!」と、不平の声を張り上げた。
「一緒に行くに決まってるじゃん」
「松葉杖ついてるくせに、ついてきたって、役には立たないし、それどころか足手まといよ」
百代の鼻先に向けて、蘭子はぴしゃりと言う。
「ええーっ!」
百代は、鼻先に何かが当たったかのように鼻を押さえ、不満そうに叫んだ。
「私が買ってきましょう」
三次がおもむろに立ち上がりながら申し出た。
「蔵元さん、いいですよぉ。だって、どんなお弁当があるか見たいし。自分のは自分で選びたいし」
百代は駄々をこねるように、身体を揺らす。
蘭子は呆れたようにそんな百代を見つめ、三次のほうは笑いを堪えてか、ひどく顔をしかめている。
「なら、みんなで行きましょうか?」
愛美の提案に、三人が振り返ってきた。
「あんた、ベッドから出て、売店なんかに行っていいの?」
「うん、無理しない程度に、運動したほうがいいって言われてるし。気晴らしになるし一緒に行く」
「そうしよ、そうしよ」
いつの間にやら松葉杖を取り上げたらしく、百代は片足立ちになり、器用にぴょんぴょん跳ねる。
「桂崎さん、危ないですよ。転んだら、また…」
心配した三次に叱責されたが、百代はどこ吹く風だ。
コミカルな顔をしてみせている百代をみて笑いながら、愛美は蘭子に合意を求めるように視線を向けた。
蘭子は、不機嫌そうに目を細め、半病人と怪我人を品定めしてくる。
「まあいいわ。行って来ましょう」
蘭子の許しをもらった愛美と百代は、彼女の気が変わらぬうちにと、急いで病室から出た。
不破につきそってもらって歩いたのは、部屋がある階だけだ。
だから、エレベーターを使って一階まで降りた所は、意識不明で救急車で運ばれた愛美にとって、目新しい初めての場所だった。
売店は、想像していたよりスケールが大きかった。
コンビニくらいの広さくらいありそうだ。
愛美は蘭子の手を借りているものの、傷のある足を庇いながら歩いてきたせいで、やはりかなり疲れてしまった。
入口で足を止めた愛美に付き合い、蘭子も立ち止まった。
百代のほうは、松葉杖初心者なはずなのに、なんともうまいこと松葉杖を使いこなし、売店の奥へと向かっていく。
そんな百代に苦笑しつつ、三次もついていった。
お弁当の並べられた棚の前で、百代は弁当を指さしながら三次に一生懸命話しかけている。
そんな百代の言葉に、いちいち頷いている三次を見て、愛美は笑みを浮かべた。
あのふたり、カップルになる日も近いだろうか?
三次の思いははっきりしたが…百代は?
彼女は三次を悪く思っていないようだが、まだ愛美にははっきりとわからない。
もしや、三次の片思いで終わってしまうのだろうか?
愛美としては、百代と三次がうまくいってくれれば、これ以上嬉しいことはないのだが…
なにせ、このふたりが結婚したら、百代は愛美の叔母になるのだ。
「ねぇ、愛美?」
蘭子が呼びかけてきて、愛美は振り返った。
なぜだか、ずいぶんとためらいがちな呼びかけだった。
「なあに?」
「優兄様、お昼までに帰ってくるって言ってたけど…どれか買っておく?」
どうやら、蘭子のためらいは、ことが不破のことだったかららしい。
愛美と不破のことを、理性では認められても、心ではまだ認められずにいるのかもしれない。
それも仕方のないことだろう。
「あの…ゆ、優誠さんは、病院に食事を頼んであるの」
蘭子に向けて、不破のことを優誠さんと呼ぶのは、口にしづらくてならない。
耳にしている蘭子も、違和感のようなものを感じているらしく、ふたりの間で、なんともいたたまれない空気が流れた。
「…そう、病院に」
「う、うん」
ぎこちなく返事をしつつ、愛美は蘭子と目を合わせたが、蘭子は瞳を揺らし、すぐに視線を逸らしてしまった。
どうやら、不破を間に挟んでしまうと、蘭子との関係はひどくぎくしゃくしてしまう。
しばらくは仕方がないのだろうが…
必要なものを手に入れ、四人は病室に引き返した。
買い物したものは、五体満足な蘭子と三次が持ってくれた。
2 氷解
ドアをノックする音が響き、ソファに座っていた愛美は「はい」と返事をした。
そろそろ昼になる。昼食が運ばれてきたのだろうかと思ったが、開いたドアに姿を見せたのは不破だった。
「優誠さん!」
彼が戻った嬉しさに、愛美は思わず声を張り上げてしまった。
「ただいま帰りました」
不破はすぐに愛美の側に来た。
「やあ、蔵元君」
愛美の隣には三次が座っていて、不破は挨拶したものの、少し面白くなさそうだ。
不破の表情を見た三次は、「どうも」と返事をしつつ、さっと立ち上がって彼に場を譲った。
「まな、これを」
不破が愛美の前に差し出してきたのは…
「プリン!」
華の樹堂のだ…間違いない。
「まあ、どうして? 売り切れてたのに」
不満と不審を混ぜて言う蘭子を見て、不破が眉を上げた。
「そうなのですか?」
「優兄様、それ、どこで手に入れたの?」
「華の樹堂ですよ。…予約しておいたんです」
「予約! …さすが優兄様…ぬかりがないわね。負けたわ」
ずいぶんと口惜しそうな蘭子に、百代が吹き出した。三次も吹き出すのを堪えているようだ。
「優誠さん、嬉しいです。どうもありがとうございます」
愛美は不破を見つめて、嬉しさに瞳を潤ませた。
彼の用事というのは、これを買いにゆくことだったのだ。
不破は彼女と同じくらい嬉しげな笑みを返してきた。
「食べますか?」
「はい。あの、たくさんあります? みんなの分も…」
「ええ、ありますよ。みなさんにわけても、まだ、まなのぶんは、いっぱい残るくらいに…」
真面目に答えているものの、その瞳にははっきりとからかいがあり、愛美は顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんな意味じゃ…優誠さんってば…」
頬を膨らませて文句を言いながら、愛美は不破の腕を叩いた。まるでそれが嬉しいとでもいうように、不破はさらに顔をほころばせる。
プリンを受け取り、愛美はしあわせの吐息をついた。プリンは全員に配られ、不破もプリンを手にして、彼女の隣に座ってきた。
「まな」
プリンの蓋を開けようとしていた愛美は、不破からの呼びかけに顔を向けた。
目の前にスプーンにすくったプリンが差し出され、愛美は戸惑った。
「ゆ、優誠さん?」
不破は愛美を見つめ、催促するようにプリンをちょっと揺らす。
どうやら食べろということらしいと気づき、愛美は考えるより先に、プリンをぱくりと頬張った。
「おいしいですか?」
不破は愛美に向けて、微笑みながら問いかけてきた。
もちろん、言うまでもない。
「はい。とっても」
「よかった」
不破は嬉しげに言い、またプリンをすくって差し出してくる。
「あの、優誠さんは食べないんですか?」
「貴方が食べているのを、見ていたいんですよ」
その不破の言葉は、華の樹堂のプリンより、甘かった。
そのあまりの甘さに、愛美の頬が燃えた。
視線を感じた愛美は、ギコギコと首を回して、真正面の蘭子に目を向けた。
蘭子は身を固めて、愛美と不破を凝視していた。
愛美と目が会った途端、蘭子はさっと視線を外し、味わう様子もなくプリンを食べ始めた。
百代のほうは、ずいぶんとにたついている。ひとりがけの椅子に座った三次の視線も、愛美に向いているように感じられる。
たまらないほど恥ずかしさが湧いた。だが、不破は気づかないのか、気づかないふりをしているだけなのか、ひたすらプリンを愛美の口元に運んでくる。
愛美はそのたびに選択を迫られ、結局はプリンを頬張った。
「ほんとに…優兄様なの?」
引きつったような声で、蘭子が不破に言う。そんな蘭子に、不破は首を傾げた。
「蘭子さん? …おかしなことを言いますね?」
「だ、だって…」
蘭子は困ったようにもごもごと言った。
急に不破がくすくす笑い出した。
「優兄様、何がおかしいの?」
自分が笑われていると思ったらしい蘭子は、むっとしたように言う。
「私自身が…」
そう口にした不破は、口許に笑みをたたえて愛美を見つめてきた。
「氷の王子様…つまり、氷が解けたってことなんじゃない?」
百代がひどく愉快そうに言った。
3 叱られた王子
昼食が運ばれてきたのと同時に、徳治が帰ってきた。
「賑やかだな」
病室の中を見回し父が言う。
「三次、来てたのか?」
三次に声をかけながら病室に入ってきた徳治は、不破の近くにやって来ると、どうしたのか、腰に手を当てて彼を睨んだ。
「優誠君」
「はい。何かありましたか?」
徳治の態度に不破は戸惑いをみせ、丁寧に聞き返した。
父は、いったいどうしたというのだろう?
「君の贈り物は、手がかかってならんぞ。あの花の量はなんだね?」
小言のように言われ、不破は気まずげに顔をしかめた。
どうやら、父は、家に帰り、不破が彼女に送ってくれた花の世話をしてきてくれたらしい。
「すみません」
不破は申し訳なさを込めて、謝りの言葉を口にした。
「あんなにたくさんの花屋に頼むとは…まったく君は呆れた奴だぞ」
「インターネットで、手当たり次第に頼んだので、はっきりと覚えていませんが…たぶん五軒ほどの店に…」
「七軒だったぞ」
不破が一瞬押し黙った。
「そう…でしたか?」
不破は本気で驚いたようだった。
「贈り物もそうだ。これからは、限度というものを考えろ」
徳治に叱責された不破は、ひどく顔を赤らめた。
そんな彼の様子を、蘭子は呆気に取られて見つめている。
父に叱られて顔を赤らめている不破は、愛美にとってはとても好ましい。
満ち足りた思いで彼を見つめていた愛美は、天使の置物のことを思い出して父に顔を向けた。
ポケットに入れていた天使…まさかなくしていないだろうか?
「お父さん、あの、クリスタルの天使だけど、ポケットに入れておいたの、知らない?」
「天使? …ああ、あるぞ」
徳治は引き出しから取り出したものを、愛美に渡してくれた。
無事だったのだ…良かった。
キラキラと輝く天使…愛らしい笑みを浮かべている。
愛美は不破に顔を向け、彼の瞳を見つめた。
「優誠さん、ありがとう」
笑みを返してくれる不破の眼差しを見つめていた愛美の胸は、急激に胸が熱くなった。
彼女は顔を伏せて涙を堪えながら、手にした天使を見つめた。
不破が、いま、ここにいてくれているのだ。
彼女の隣に…
たまらないほどの至福が胸に湧き出す。
込み上げてくるものを押さえきれず、唇が震える。
「これも…お花も…どれも嬉しくて…」
「喜んでもらえて嬉しいですよ」
不破の手が愛美の手に重ねられた。
愛美は顔を上げ、瞳を潤ませながら不破に頷いた。
「まったくもって、お熱いねー。この部屋、ちょいと暖房効きすぎじゃない」
百代のひやかしの言葉に、愛美ははっと我に返った。
みんながいるというのに、彼女ときたら、不破とふたりきりの世界に入り込んでしまっていたらしい。
愛美は父に三次、そして蘭子に目を向け、歪めた笑みを浮かべてしまった。
「クックッ…」
不破の押さえ込んだ笑い声を耳にし、愛美は彼に視線を戻した。
「さて、昼飯にするとしようか?」
「わーい、お弁当、お弁当」
徳治の言葉に、はしゃいだ声を上げた百代は、さっそくお弁当の包みに手をかけた。
昼食の準備が進められる中、愛美は自分に苦笑しつつ、ずっと彼女の手を包み込んでいる、不破の手の愛しいぬくもりに浸った。
End
|
|