白銀の風 アーク

第二章

第七話 違反者の裁き



立ち上がった指揮官ルデルは、スパル隊の魔剣士たちへと視線を向けた。

聖なるアークが従者の大賢者ジェライドとともに部屋を後にし、団員達もバラバラと部屋から出て行くが、スパル隊の魔剣士たちは動く気配がない。

アークがいなくなったことで本来の自分を取り戻したリネドは、ルデルの隣に並んでスパルの連中を横目に見やり、口を開いた。

「行きますか?」

「ええ」

ルデルは頷き、リネドと肩を並べて部屋の外へと向かった。

「まあ、当然でしょうな」

部屋から一歩出たところでリネドが言い、その言葉にルデルは「うむ」と返事をした。

「ルデル隊長」

ルィランが近づいてきて、神妙な顔で声を掛けてきた。

「ああ、ギルに任せて置こう。君はすぐに準備に取り掛かってくれ」

「はい」

隊長ふたりに向けて、すっと姿勢を正したルィランは、厳しい表情で軽く頭を下げ、その場から足早に去って行った。





「えっ」

パウエイはきょときょとと周りを見回した。

いつにもまして凄みのある表情で、魔剣士の精鋭達が周りを取り囲んでしまい、彼女はその輪から出るに出られなくなってしまっていた。

何が起こったか理解出来ないものの、異常な緊迫状態に彼女の鼓動は速まってゆく。

パウエイは助けを求めるように…せめて自分の身に何が起こったか知りたいがために…顔見知りの女性の魔剣士の顔を見つめ、もう一度「えっ」と叫んだ。

スパル隊の魔剣士の長を務めている聖騎士ギルが、彼女の前に仁王立ちになった。

じっと睨まれ、彼女の足は麻痺したように動かなくなった。

この巨漢の男から睨まれて、身が竦まないものはいないだろう。

パウエイはもう一度、親しくしている魔剣士を、縋るような顔で見つめたが、彼女の顔は何も読みとれないほどに無表情だった。

ギルは冷ややかな目を彼女に浴びせたまま、空気を凍らせるような低い声で語り出した。

「スパル隊魔剣士の諸君、只今から、シャラド騎士団の誓書十箇条に違反した、この者に対する裁きを行う。よろしいか?」

輪が同時に固く頷く。

パウエイの身体は、小刻みに震え始めた。

違反項目が何なのか分からないが、違反者とは自分のことを指しているのだ。

「違反内容に関する説明はいらぬだろう。今、我々全員が目撃した通りだ。被告者である魔剣士パウエイは、誉れ高きスパル隊の名に泥を塗った」

ど、泥?

そんな覚えはなかった。

「ここに同席しておいでだった騎士団長始め、賢者の方々、加えてシフル隊全員の前で恥をさらした」

恥という言葉が出たところで、少なからぬ人数がぎりりっと歯を軋ませた音を立て、パウエイは竦み上がった。

まさか! そ、そんなことを私が…?

パウエイは恐れを抱えながら、必死に過去の自分を観客的に見つめ直そうとしたが、強烈な恐れが記憶を掘り起こす邪魔をする。

「我らがスパル隊の隊長ルデル殿、ルィラン副隊長殿、さらに聖騎士の方々にも、我々の手落ちで多大なご迷惑をかけたと言わねばなるまい」

「あ、あの。私が何をしたと…」

彼女はありったけの勇気を奮い起こして、誰にともいえず問いかけた。

「何を…と聞くのか。魔剣士パウエイ。あれだけの醜態をさらしておいて」

ギルの瞳の中で炎が渦を巻いているように見える。

パウエイは血の気が失せて、失神しそうになった。

聖騎士のマントをパッと払ったギルが、魔剣士のリーダーであるサムラに無言の合図を送り、輪の中からサムラがすっと進み出た。

「魔剣士パウエイ。シャラド騎士団、誓書十箇条を暗唱せよ」

パウエイの顔面は蒼白になった。

騎士団に配属になり、魔剣士の指輪とともに誓書を貰いはしたが、そんなもの、まともに見てはいない。

サムラは、目の焦点があっていないパウエイからギルに視線を移した。

ギルは低く抑えた声で、彼女に申し渡した。

「魔剣士パウエイ。よく聞け。三時までに、誓書に目を通し、己の罪状を悟り。また、今後、己がいかな態度を取るべきかを深慮しろ。スパル隊は敬虔さと規律を重んじ、浅はかな者は必要としない。君が直面したこの問題を、自ら解決出来なかった場合、魔剣士の称号は剥奪されるものと思え。以上だ」

パウエイは茫然となった。

…三時。

すでに二時半に近いはず…

彼女に与えられた時間は…さ、三十分?

「諸君。魔剣士パウエイの判決は、三時にスパル隊の集会室にて行う。解散」

朗々として厳しい声が講堂内に響き渡り、全員波が引くように部屋から出て行った。


パウエイは誰もいなくなったただ広い講堂を、ぼんやり見つめた。

いまになって、足元から震えが這い登ってくる。

ガクガクする足に耐えられず、パウエイはしゃがみこんだ。

震えはすぐに全身に広がった。

理性では、こんなことをやっている場合ではないと分かっているのに、精神への打撃が強烈で身体が思うようにならない。

た、立ち上がらなきゃ!

パウエイは手のひらを、力一杯床に叩きつけた。

ジンジンと痺れるような痛みのおかげで、よろめきつつだが、ともかく彼女は立ち上がることが出来た。

懐から時計を取り出して時間を確かめたパウエイは、血が滲み出そうなほど強く唇を噛んだ。

真新しい指輪に視線が吸い付く。

このままでは…このままでは、今までの苦労と努力のすべてが、無に帰してしまう。

魔剣士となるために、どれほどの試練をかいくぐってきたことか。

魔剣士の称号を得、騎士団の一員となった彼女は、同僚達の羨望と賞賛とに浮かれ、有頂天になっていた。

遠目にしか拝顔したことのなかった、この世でもっとも気高いとされる聖賢者の血筋、聖なるアーク様を間近にし…

パウエイは、はっと喘いだ。

そ、そうだ…私…馬鹿丸出しで舞い上がっていたんだ。

パウエイは目を閉じ、あまりの恥ずかしさに顔を両手で覆った。

それに、この髪…

スパル隊の副隊長である聖騎士ルィランから声を掛けられ、髪は括るようにとやさしく諭された。

あの方の口調があまりに柔らかかったために、私はあの言葉を真摯に受け止めなかった…

パウエイ、貴方はなんて馬鹿なの。

彼女は自分に呆れて、ぎこちなく首を横に振っていた。

この髪が彼女の自慢だったから、命令として受け取らず、それどころか、女性の憧れの的である聖騎士ルィラン殿に注目してもらえたと…

パウエイは、死にたいほど後悔した。

なんてみっともないことを…私、最低だ…

涙が浮かびそうになった彼女は、唇をきつく噛んで堪えた。

泣くわけにはゆかない。

泣いている場合でもない。

まだ駄目と決まったわけではないのだ。

パウエイは奥歯を噛み締めつつ、拳を固めた。

諦める前にやらねばならない。

彼女に出来る事を…

パウエイは、風を巻き起こすような勢いで、講堂から飛び出て行った。


「やれやれ。間に合うでしょうか?」

何もない空間からサムラが、続いてギルが現れた。

ギルは駆けて行くパウエイを見つめながら口元を緩めた。

「間に合うさ」





「サリス様、それでは私はこれで失礼致します」

アークの寝室から出てすぐ、ジェライドはサリスに頭をさげた。

「あら、もう帰ってしまうの?」

「はい。これから少しばかり忙しいので。明日の朝、また参ります」

サリスは少し残念そうだったが、柔らかな笑みを浮かべて頷いてくれた。

アークの母サリス、聖なる母の笑みは、誰の笑みよりも心が癒される。

アークは寝室で横になったところだ。

ジェライドの煎じた薬湯を飲んで、すぐに寝入った。

明日戦に参加するのであれば、アークは出来る限り魔力回復に努めなければならない。

必要なほどの回復が認められなければ、アークがなんと言おうと、絶対に参戦させられない。

さすがに無意識にテレポなどしないとは思うが、ジェライドはサリスの了解を得て、テレポに必要不可欠なアイテムである首飾りを取り上げた。

知らぬ間に取り上げられていたと知ったら、アークは機嫌を損ねるだろうが、いまの状態で、間違ってもテレポなどしてはとんでもないことになりかねない。

行ってしまったまま、戻ってこられなくなる可能性だってある。

アークを守護するという責任重大な役目を担っているジェライドとしては、危険な可能性はどんな小さなものでも摘み取らねばならない。

もちろん、アークを見守っているのはジェライドひとりではない。

アークは、大賢者全員に見守られている。

彼が切迫した事態に遭遇すれば、即座に大賢者たちは守りに現れるだろう。

アークの両親であるゼノンとサリスも同様だ。

まあ、いまだかつて、そんな事態に遭遇したことはないのだが…

「アークは夕飯時に起きるはずです。夕食を食べたら、また薬湯を」

「ええ。分かったわ。ありがとう、ジェライド。貴方には世話を掛けますね」

「とんでもない。これも役目ですから。それでは」

ジェライドはサリスの頷きを見つつ、テレポでその場を後にした。


えーっと、どこかな?

周囲がはっきりとし、辺りを見回したジェライドは、セサラサーの後姿を見つけて歩み寄っていった。

セサラサーはジェライドの言葉に従い、自由になる時間は、この書庫に入り浸っているようだった。

それだけ彼が、救いを欲しがっているということの証だろう。

望まぬ道を歩くほど、苦痛なことはない。

聖騎士から一転、彼は望んでもいない賢者の道へと進まざるを得なくなったのだ。

聖騎士の資質があり、まず間違いなく聖騎士として大成できる器なればなおさら、自暴自棄になってもおかしくないのに、彼は良く耐えている。

全ての魔力を持つ者は、本人が望まなかろうが、この国では賢者になることを強制される。

それはもちろん、すべての魔力を持つ者が稀だからなのだが、すべての魔力を持つからといって、全員が賢者となれはしない。

もしジェライドに、セサラサーにとって不必要な魔力を消し去ってやることができるなら、そうしてやりたいくらいだ。

けれどこの世の中に、そんな技はない。

魔力の封印ならできないことはないが、それはこの場合まったく意味がない。

薄暗い書庫の中、大男がしょんぼり肩を落として、読みたくもない本を開いている図というのは、なんとも憐れで、ジェライドは胸が疼いた。

「セザ」

ジェライドの呼びかけに、セサラサーはゆっくりと振り向いてきた。

「お、おお。ジェライド殿」

ジェライドと気づいたセサラサーは、即座に立ち上がり、頭を下げてきた。

精気の感じられなかった顔に、少し精気が戻り、ジェライドは少しほっとして笑みを浮かべた。

「どう、何か報告すべきこととかあったかい?」

「報告…ですか?」

ジェライドの質問は彼を戸惑わせたようで、セサラサーは問いの意味を聞き返すかのように首を傾げた。

「なんでもいいんだよ。気になることがあるかい?気づいたこととかでもいいけど」

「そうですねぇ」

セサラサーは幅の広い肩をひょいと竦め、なんとも哀しげに顔を曇らせた。

「賢者の修業というものには、賢い脳が必要らしいと、しみじみ感じておりますよ」

ジェライドはくすくす笑いながら、セサラサーの手にしている本を取り上げ、書庫の棚に戻し、彼の腕を掴んで歩き出した。

「ジェライド殿?」

「賢者もそう悪くないよ。セザ、それをこれから証明してあげよう」






   
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