白銀の風 アーク

第二章

第九話 困惑の叫び



「ええーっと」

雑誌が並んだ棚を前にした沙絵莉は、並んでいる雑誌を手に取り、一冊一冊丁寧に表紙を眺めた。

銀色の髪に銀の瞳。あの人は、絶対に有名なひとだ。だから絶対雑誌とかに載っているはず。

表紙の顔写真を確認していったが、どの雑誌にも彼はいなかった。

来日しているくらいなのだから、どれか一冊くらいあのひとを取り上げていそうなものなのに…

探し出せぬまま、全部の表紙を見終ってしまい沙絵莉は、首を傾げた。

そんなに有名な人じゃないってことだろうか?

もしかすると、お忍びで日本に遊びに来てたとか?

そう考えた沙絵莉は眉をひそめた。

お忍びできたとしても、有名な俳優が、あんな風にひとりきりで歩道を歩いてたりするだろうか?

それも、あんな変わった舞台衣装みたいな格好で…

ああ、そうか。もしかするとモデルなのかもしれない。それならあの格好も合点がゆくし、あの近くで撮影してて…

沙絵莉は雑誌を何冊か手に取り、水色のソファに座り込んだ。

目の前に、いつもいるおじいさんが座っていて、熱心に新聞に目を通しているが、沙絵莉になど気にもとめない。

かなりの雑誌に目を通した沙絵莉だったが、なにひとつ手掛かりのないまま、最後の雑誌をテーブルの上に置いた。

つまり、あのひとは、モデルか俳優だったとしても、たいして有名なひとではなかったということのようだった。

これから売り出すのかも。
そのうちに、テレビで再会なんてこともあるかもしれないが…

結局は、ただの一般人だったのかな…?

ただの一般人っぽくなかったんだけどなぁ〜

がっかりしたら、お腹が空いてきた。

沙絵莉は納得行かない気分で雑誌を片付けはじめた。

お気に入りのパン屋さんで、パンを買って帰るとしよう。

沙絵莉は空腹と失望を抱えて自転車に跨り、図書館を後にしたのだった。





目を覚ましたアークは、はーっと息を吐き出し、枕に頭をつけたまま両腕を天井に向かって差し上げた。

瞼を閉じ、身体の内部の魔力を感じる。

満足するだけの魔力が戻っている手応えに、アークは安堵しつつ目を開け、ゆっくり起き上がった。

時間を確かめると、ジェライドが目覚めを予告していった時間ぴったりだった。

あまり空腹は感じないが、起き上がって身体を動かせば、食欲が出てくるだろう。

明日は戦に赴かねばならない。

戦はいつでも過酷だ。魔力だけでなく充分な体力が必要となる。

正直、戦を好む気持ちはアークにはない。平和であることがなによりだ。

だが戦いが避けられぬものならば、先陣を切って戦に赴くことは、アークの務め。

立ち上がりながら何気なく首元に手を触れたアークは、そこにあるべきものがないことに気づいて、ぎょっとした。

首飾りがない!

慌てたアークは、思わずどこかに落ちていないか視線を向けたが、すぐに冷静に戻った。

落とすはずがない。

あの首飾りの鎖が切れることはない。なにせ、空っぽの玉で作られているのだ。
とすれば、誰かが外したのだ。

ジェライドの顔が浮かんだ。

もちろんそうなんだろう。

アークは、歯を軋らせた。

首飾りを取り上げたジェライドにたいしてより、衝動に駆られて無茶なテレポをして、意識不明になった自分に腹が立ってならなかった。

これからは用心を怠らないよう、胆に銘じよう。

娘は…彼女は、あれからどうしただろうか?

朝目覚めて…

アークはきゅっと眉を寄せて、顔をしかめた。

そうだった。幻夢をといてくるべきだったのに、ベッドに寝かせてそのまま帰ってきてしまった。

アークはため息をついた。

…このところ、迂闊なことばかりしている。


部屋を出て居間に顔を出すと、父親が帰ってきていた。

書斎にいることの多い父だが、いまこの部屋にいるのは、アークと何か語りたいことがあるか、彼の様子を見たいがためかのどちらかだろう。

それとも、どちらも……か?

「父上」

アークはソファに座ってくつろいでいるゼノンに声を掛け、父の真向かいに座った。

サリスの姿がないのは、厨房で夕食の準備に参加しているのだろう。

「大丈夫なようだな?」

ゼノンの言葉に、アークは顔が赤らんだ。

「心配を掛けました」

「賢者たちに知られずに済んでよかったな。知られていたら大騒ぎになっていただろう」

「すみません。迂闊でした」

「それで?」

聞き返されたアークは、なんと返事をしようか迷った。

「夢の娘と…会いました」

実際は会ったといえるほどの出逢いではなかったし、その後の訪問も、姿を消したまま側にいただけで…批判を浴びるようなことしかしていない。

「うむ。どうだった?」

アークは答えに迷い、「印象深い…女性でした」と口にした。

口元に少し笑みを浮かべたゼノンは、背もたれから身を起こした。

「お前が寝ている間に、騎士館では、ずいぶんな騒ぎが起こったぞ」

騎士館?

アークの脳裏に、ジェライドの顔が浮かんだ。

ジェライドは明日の戦のために、騎士達の移動を行っていたはず。

「騒ぎとは?」

「騎士館の壁に大穴が開いた」

「は?」

アークは眉を寄せた。

だが、冗談を言っている顔ではない。

「いったい、何が起こったんですか?」

「賢者の修行者が誤まって放った電撃で、穴が開いた。騎士館の管理を任されている技師達は、プライドを打ち砕かれて、全員寝込んでいるかもしれぬな」

まったくあり得ない話だ。父から聞いたのでなければ、アークも信じはしなかっただろう。

騎士館の壁はただの壁ではない。最高の技を持つ技師達が、どんな衝撃にも耐えうるように特殊な技を使い作り上げている。

賢者の修行者が、誤まって放った電撃で破壊したなんて…

「そんな力を持ったものが、賢者の修行者の中にいたとは知りませんでした。いったい誰なのですか?」

「明日には分かるだろう。それと、ジェライドの助けに、キラタが来ている」

「大賢者キラタがですか? 彼があの家を離れるとは、珍しいですね」

「彼は自分が必要とされる場に現れる」

ゼノンは考え込むように口にした。

「父上、何か、気になることでも?」

「いや、流れだろう。必要なことが起こっているだけだと思える」

「ですが…」

さらに問いを向けようとしていたアークは、ドアをノックする音を耳にし、言葉を止めた。

ゼノンが返事をし、ドアが開けられた。

「マリアナ様が、アーク様にお会いなさりたいということで、参られました」

マリアナが?

「ここにつれてきてくれるかい」

「承知しました」

数分してマリアナがやって来た。

部屋に入ってきたマリアナは、ゼノンの姿に気づき、少し焦った様子だったが、淑女らしい丁寧なお辞儀をした。

「マリアナ、さあ、こちらに腰掛けるといい」

「はい。ありがとうございます」

ゼノンから声を掛けられ、ひどく恐縮しつつ歩み寄ってきたマリアナは、ゼノンに勧められたアークの隣のソファに座った。

「君がここに来るなんて、珍しいな」

「アーク様から、まったく報告がないものですから。それに、今朝、何かあったように感じられて…」

アークが昏睡状態に陥ったのを感じたのだろう。

もしかしてキラタも…だろうか? それで様子を見に…

「あの…アーク様?」

「アークでいいよ。この場に父がいるからといって、気にしなくていい。いつもポンポン言いたい事を言っているじゃないか」

アークの言葉に、マリアナは顔をほんのり赤くして、責めるように視線を向けてきた。

ゼノンは、ふたりのやりとりを見て、楽しげに微笑んでいる。

「私は、アーク様と違って、礼儀を心得ていますから」

どうやら、風呂場にテレポした事にたいして、皮肉っているらしい。

「それより、何の用で来たんだい? 何かなきゃ、君はこんなところに来ないだろう?」

「忠告に来たのですわ」

「忠告? なんの?」

「大切なものをお忘れではありませんか?」

「意味が分からないな? 君の言う、大切なものってなんなのか、はっきり教えてくれないか?」

「そこまでは私にも分かりません。でも、何かとても大切なものをお忘れだということだけ…」

「予知…幸言か?」

そう口にしたアークは、もどかしさにふっと息を吐いた。

「それが何か、自分で探し出せというわけかい? 私は明日戦に行くんだ。正直、気になることを抱えたくなかったな」

「戦に?」

「ああ」

「そう…ですか」

用事を終えたらしいマリアナは、ゼノンに挨拶し、早々に引き上げていった。


両親とともに夕食を食べたアークは、母親からジェライドの手製である薬湯を受け取り、すぐに飲んで休むと約束して自分の部屋に戻った。

もちろんまったく眠くなどなかったが、薬湯を飲めば、すぐに寝入ってしまうだろう。

たが、まだ寝るつもりはなかった。

アークは寝室に入らず、薬湯をテーブルに置き、彼の気に入りの椅子に座り込んだ。

夢の女性、彼女の父は、彼女の事をサエリと呼んでいた。

アークは知らぬ間に、「サエリ」と口にしていた。

胸にこれまで感じたことのない種類の温度を感じた。

やはり、あの娘は…サエリは…彼にとって特別となる女らしい。

抗いたい気持ちが、確かに胸の中にあるのに…

アークは自分の胸を押さえ、顔をしかめた。

自分がよくわからない…

アークは思い立って立ち上がり、凝った装飾を施された棚の引き出しから空っぽの玉を幾つも取り出し、部屋の中央に直接座り込んだ。

厚みのあるラグが敷いてあるから、座り心地は悪くない。

空っぽの玉を床に転がし、アークはジェライドが聖なる地で、空っぽの玉で首飾りを作っていた技を思い出しつつ、真似てみた。

ジェライドに作り方を聞けば簡単だが、それはしたくない。

たぶん、気の魔力を使っている。

一時間ほど試行錯誤した上で、アークは満足するできばえのものを作り上げ、薬湯を手に持って寝室に入った。

薬湯を口にし、アークはすぐに横になった。

明日から、戦が数日続くとして、また充分なだけ魔力回復をしなければ、彼女のあの風変わりな国にはゆけないだろう。

とすれば、次に逢えるのは…

天井を見上げて、考え込んでいたアークは、すでに眠りの中にいた。





サエリ…

オーブンで軽く焼いたパンを口に頬張っていた沙絵莉は、耳にはっきりと聞こえたその声に、ぎょっとして顔を上げた。

部屋を見回したが、もちろん誰もいない。

空耳?

耳を澄ましてみても、もう何も聞こえない。

沙絵莉は口元を固く強張らせて、恐怖を追い払おうとした。

なんだか、この最近おかしなことばかり起こる。

嘘か本当かわからないが、コスモス街道で人が消えたなんて話は聞くし…

すでに淡く消えかけているものの、まだ頭に花畑みたいな映像が残ってるし…

今朝は寝室のベッドで目覚めたが、昨夜ベッドに寝た記憶がないうえに、ネグリジェにはウーロン茶らしき薄茶色のシミが残っていたし…

それにもうひとつ。一度、ちょっと見ただけの、銀色の髪と瞳の男性のことが、気になってならないのだ。

知らぬ間に、心に住み着いてしまってる。二度と逢うことなどないのに…

まさか、こういうのを一目惚れっていうのだろうか?

好きになっちゃったのだろうか? だから、こんなに彼のことが気になるの?

唇を突き出して食べかけのパンを睨んでいることに気づき、沙絵莉は気を取り直してパンを口に入れた。

名前さえ、知らないのに…

胸に深い寂しさが湧き上がり、自分がまるで理解できないが、頬から涙が伝い落ちていた。

「わけわかんないし!」

沙絵莉は自分の涙に触れ、困惑した声で叫んだ。






   
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