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第十一話 辿り着けぬ世界
ルィランがヨーグともども姿を消し、当たりは大きくどよめいた。
パーン!
脳天を突くような音が響き、辺りは一瞬にして静まり返った。
キラタが杖で地面を突いたのだ。
地面は土だから、杖で突いたところで、本来いまのような音は発しない。
「さあ並べ。三十人だ」
「さ、三十人ですか。あの、大賢者キラタ、馬も一緒で、大丈夫ですか?」
「むろん。フィゼル。さっさと並ばせろ」
「わかりました。ルデル」
キラタに向けて頷いたフィゼルは、ルデルに向かって手を上げた。
「はっ」
頭を下げたルデルは、隊員たちに顔を向け、「第一団隊、三十名。集合」と大声で命じた。
キラタの前に、愛馬を従え三十人の騎士が整列してゆく。
杖を取り出したジェライドは、整列している者たちの周りを、杖で結界を張りながら一周した。
「いいか。全員よく聞け。飛んでいった先は広々とした平原だが、各所に次々に飛んでくることになる。ルデルとリネドを最後に飛ばすから、ふたりがやってくるまで、うろうろと動き回るなよ。じっとしてろ」
キラタは隊員たちに睨むような目を向けて、彼らの頷きを見て、杖を高々と振り上げた。
ジェライドが張った結界の中は、一瞬で空になった。
同じ作業が休みなく行われ、騎士達のテレポでの移動は予定していた半分ほどの時間で終了した。
ジェライドは結界を張るだけの作業で、テレポはキラタひとりが行った。
ただ、物資を飛ばすのだけは、ジェライドがやらされた。
ひとを飛ばすのとは違い、物資の方は簡単だ。
意志がないから抵抗がないのだ。
ひとの意志というのは、どんな技においてもだが、邪魔になる。
最後の物資を飛ばし終えたジェライドはキラタに歩み寄ろうとして眉を上げた。
いつの間にやらやって来ていた大賢者ポンテルスと、キラタは頭を寄せるようにして、なにやら話し込んでいた。
少しためらったものの、ジェライドはキラタとポンテルスに歩み寄っていった。
「ポンテルス殿。おひさしぶりです」
ジェライドの言葉に、ポンテルスはにっこり微笑んでくれた。
ポンテルスの笑みには癒されるし、ほっとする。
十二人いる大賢者の最長老であり、キラタもポンテルスには従順だ。
「キラタ殿、助かりました」
キラタは無言でジェライドを見つめ、わずかに頭を動かした。
今回のテレポは、そうとうに大規模なものだった。
テレポを引き受けたのはジェライドだが、もちろん彼は一人でやるつもりなどなかった。
テレポに秀でた賢者を召集して作業するつもりだったのだが、キラタの登場でその必要もなくなった。
明日の戦のために、ジェライドも魔力は温存して置けるほうがありがたかったし、キラタには大いに感謝しなければなるまい。
「ポンテルス殿?」
「明日は、賢者を三十人ほど連れておいきなされ」
「三十人?」
「うむ。乗馬の経験のあるものばかり、すでに選抜しておるゆえ」
「そんなにも必要なのですか?」
「きっと役に立つじゃろう」
頷いたジェライドに、ポンテルスは表情を真剣なものに変えた。
その変化は、ジェライドを緊張させた。
今回の戦…何か…ただ事ではないということか?
「ジェライド殿、アーク様に無茶をさせぬようにの?」
「は、はい。…申し訳ありませんでした」
ジェライドは恐縮して頭を下げた。
テレポしすぎて、アークがこん睡状態になったことを、このふたりは知っているのだ。
ポンテルスが彼の肩に手を回してきて、次の瞬間、ジェライドは賢者の塔の前に、ポンテルスとキラタとともにいた。
ふたりに従い、ジェライドは賢者の塔の中へと入り、ポンテルスの個室に招かれた。
座りごこちのいい椅子に勧められて座ると、温かなお茶まで出てきた。
「事態はおもわしくないのぉ。キラタ殿」
鷹揚なのんびりした言葉だったが、言われたキラタは、ジェライドがこれまで見たことのないほど、緊張の色を帯びていた。
キラタの緊張は、ジェライドの精神にストレートに伝わってきた。
「はっ。まことに。アーク様は我々の関知できぬ場所に飛んでゆかれる」
そのやりとりにジェライドは目を見張って驚いた。
「お、おふたりとも…?」
「うむ」
ジェライドは唖然とした。
彼もテレポ後のアークをまったく感じることができず、気を揉んでいたのだが…まさか、キラタやポンテルスまでもとは思っていなかった。
こ、これは、とんでもない事態じゃないか…
「うむ。飛んでゆかれるたびに、ご無事であるよう祈ることしかできぬのは…なんとものぉ」
「ゼノン様は、その事実をご存知なのですか?」
ジェライドは、思わず大先輩の大賢者ふたりに向けて尋ねていた。
「知っておられる。ゼノン様は、心配するなとおっしゃっておいでだがの」
「我々大賢者とすれば、立場上そうもゆかぬわ」
キラタは苦い顔をして吐き捨てるように言った。
大賢者は、聖なるゼノンとアークを守護するために存在している。
「ですが、テレポを止めるわけには…」
「むろん。アーク様は愛する者を見つけられた。…しばし時が必要だろうし、テレポも避けられん」
表情を歪めながら、キラタは苦々しそうに言う。
「そうじゃ、テレポは避けられぬ。我々は待つことしか出来ぬのじゃ」
「それでしたら、アーク様を説得して、これからは私もついてゆくようにしましょう」
「いや。ジェライド、我々は行けぬのじゃ」
ポンテルスから首を振りながら言われ、ジェライドは眉を寄せた。
「は?」
「我々には必要なものがない」
そういまいましそうに言ったのはキラタだった。
ジェライドはキリキリとした怒りの気を発しているキラタに顔を向けた。
「必要なもの?」
「ああ、あの小僧、世話を焼かせおる」
キラタは、苛立ちながらアークを小僧呼ばわりした。
「いったい必要なものとは? 何がないとおっしゃるのですか?」
椅子に深々ともたれたポンテルスは、大きく両腕を広げながら口を開いた。
「聖なる力だ」
ジェライドは眉を寄せて、大賢者ふたりを見つめた。
聖なる力?
「聖なる力とは…魔力の一種なのですか?」
「さあのぉ」
ポンテルスは首を傾げ、暢気な声を出した。
「ポンテルス殿。あの…」
「我等には知りようもないことじゃ」
大賢者ですら知りようもない力…
「聖なるひとのみが持つ、特殊な魔力があるということですか? 聞いたことがありませんでした」
「それも当然のことよ。ジェライド殿、実際そんなものがあるのか、我等も知らぬのじゃ」
「は? それはどういう…」
「あると想定するしかない現実が、過去にあるからに決まっておる」
「それでは、そのあるに違いない魔力を持っていなければ、アーク様とともにテレポは出来ぬということなわけですか? ならば、ゼノン様ならば…」
くっくっと、キラタが笑い出した。
「キラタ殿?」
「まったく、大賢者と名乗る者が…。もっと見極めてものを言え」
「い、いえ。ただ私は、ゼノン様ならば行けるのだなと…」
「それはことの解決になっておらぬわ。たわけ者」
ジェライドは顔を赤らめて、俯いた。
言われたことが正しいために、なんの反論も出来ない。
「キラタ殿」
たしなめるようにポンテルスがキラタに呼びかけ、キラタは何も言わずに立ち上がった。
「では、わしは帰らせてもらう」
キラタはそれだけ口にし、部屋から退出していった。
「あれは口が悪い。ジェライド殿、気になさることはない」
「は、はい」
「ともかく、我々にとっては、脅威。戦が終われば、アーク様はまた我等の監視できぬ世界へとテレポをなさるだろう」
頷いたジェライドの中では、大きな不安が湧き上がっていた。
アークが女性のもとへ飛ぶたび、彼は手をこまねいて、無事に帰ってくることを祈り、待つしかないのだ。
いま、未来は揺らいでいる。
「アーク様は無鉄砲なところがおありじゃ。戦では常に守りを怠らずにの」
「はっ」
ジェライドは固く返事をし、ここらで暇を告げようと立ち上がった。
「ジェライド殿」
「なんでしょうか?」
「聖なる者の供人であるというのは、言葉にできぬ苦労があるものじゃ。だが、おぬしはひとりではない」
やさしい温もりのあるポンテルスの言葉は、ジェライドの心の奥にまでぬくもりを与えてくれた。
彼はひとりではない。
ポンテルスに感謝を込めて頭を下げ、ジェライドは部屋を後にした。
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