白銀の風 アーク


第一章
第三話 至極もっともな意見



「そろそろだと思ったわ」

きっちりと身支度を整えて椅子に座ったマリアナが、目の前にいた。

アークは疲れた息を吐き出した。

キラタのもろもろの言葉。そして、指一本で追い出された事実に、我が未熟さを痛感させられる。

けれど、相手は多くの知識と力を備えた、この国の特異な存在、大賢者なのだ。

ようやく成人となったばかりのアークが、赤子の手を捻るように転がされたとしても、それは当然のことだった。

…と、認めはするが…嬉しくはない。

「さっきはすまなかった」

「座って」

まだ怒りをくすぶらせているのか、ずいぶんと冷たい声だった。

怒りを煽らないように、アークはそれ以上、先ほどのことを話題にしなかった。

「それじゃ、夢のことを話して」

「どうして…?」

「話さなければならないからよ!」

きつい口調で言われ、アークはマリアナと睨み合った。

「もう夜も遅いわ。あなたに時間を割くのは、せいぜい半時よ」

「私の夢のことだ。自分で対処できる。君らに干渉されたくない」

「探したの?」

その言葉を聞いて、アークは意識に集中した。

どうやら苛立ちに駆られ、意識のシールドが弱まっていたようだった。
そのせいで、マリアナに色々と読み取られたらしい。

アークがシールドを強固させたことを悟り、マリアナが細く美しいカーブを描いた眉を微かにひそめた。

「私は、礼儀を知っているわ、アーク。そんなに触れていないわ」

アークは諭すようなマリアナの声に再度苛立ち、銀色に輝く髪を乱暴に掻きむしった。

「あなたが自分で思うより、あなたは動揺してるわ。分かってる?」

「ああ、動揺してるのかもしれないな!」

アークは彼のために用意された椅子の周りを一周し、背もたれを憤るままバンと叩いた。

「その理由が分からないなら教えてやろう。受け入れたくないからだ。ただでさえ自由は少ない。夢にまで強制されるなんてまっぴらだ」

「アーク、冷静になって。強制だと思うのは貴方のうがった見方よ。貴方はいつだって、誰よりも自由だわ」

マリアナの言葉は受け入れられない。

アークはマリアナを鋭い目で見据えた。

「ならば、聖賢者であることをやめられるか? 僕がどこか好きな土地に住み着いて、好きに生きても構わないか?」

「アーク、私の言う自由はそういうことではないわ」

「僕の言う自由は、そういうことだ!」

彼はポケットの中に手を突っ込み、テレポの玉を指先で探った。

「意見の食い違いは埋められないようだな」

「落ち着いて頂戴、アーク」

マリアナは何か魔術を使ったに違いない。

彼女の唇が微かに動いたのを見た直後、爽やかな香りが微かにアークの鼻腔を刺激し、彼の思考の熱は急激に静まった。

「どうも」

嬉しくなさそうにアークは言うと、マリアナの向かい側に座り込んだ。

「それで?」

「冷静になったところで、夢の女の話をしろと命じるわけか?」

「アーク、必要なことなのよ。話して頂戴」

「読み取れば良いだろ! 好きなだけ君の能力で! 僕の頭の中をさらえば…」

マリアナの術で熱を冷まされたせいだろう、アークの頭は語気を荒げても再燃せず、くすぶっているだけだった。

彼は虚しさを感じて口を閉じた。

内面に影響を与える魔術は、彼よりもマリアナの方が上だ。

アークは無念さを飲み込んで、これ以上の抵抗をやめた。

「あの女を探せばいいんだろう?」

「どんな方なの?」

「君が代わりに探しに行ってくれるのかい?」

「アーク、皮肉はもう充分よ。探す方法を考える手伝いが出来ればと思っただけ」

彼はため息をつくと、自分に取り付いているやっかいな感情を放棄した。

「黒に近い褐色の髪と瞳。イターニティーの者かと思ったが、違った」

イターニティーの部族は、黒髪に黒い瞳を持つ部族だ。

夢に急かされるまま、アークはそこに飛び、その女がいるか探した。

全員の顔を見て歩いたわけではないが、女がそこに存在していないということは、はっきりと感じ取れた。

「そう、探したのね」

「気になるに決まってるだろ。毎晩現れるんだからな」

マリアナが、見通すような視線をアークの額に向けてきた。

これをやられると、額の辺りがひどくムズムズする。

アークは抵抗するように、手のひらで額を擦った。

「はっきりと、顔が見えてるということなのね?」

「その時はな。…だが、目覚めるとほとんど思い出せない」

マリアナが小さく頷いた。

真実は分からないが、その思慮深い眼差しは、何もかも判っているとでもいいたげだ。

「実際に彼女を見たら、彼女だと分かると思う?」

「ああ。分かるだろうな!」

アークは半ば捨て鉢になって言った。

「それならいいわ」

マリアナが安心したように息をついた途端、ドアがノックされた。

その音を聞きながら、マリアナが口を開いた。

「お茶はいかが?」

「いただくよ」

喉を潤し、マリアナに(いとま)を告げると、彼はまっすぐ家へと帰る気にもなれず、寄り道をすることにした。

そのままもう一人の予知者、彼のもっとも親しい友のひとりであるジェライドのところに飛んでも良かったが、予知者二人との接触はすでに内的な疲れを、彼に大量にもたらしていて、そんな気分にはなれなかったし、気力もなかった。

アークは先ほどの失敗を思って、慎重に出現場所を特定し、ジェライドと並んで親しい友であるルィランの部屋の前に姿を現した。

「珍しいな」

ドアを開けてアークを見たルィランは、嬉しげに迎えてくれた。

すらりとした長身のルィランは、アークと同じく聖騎士の一員で、魔力も突出しているが、限界まで鍛えられた身体は、しなる鞭のように流動的な動きを見せる。

アークはルィランに唐突に抱きついた。

「な、なんだいったい」

「お前を見てると、安らぐ」

「なんだそりゃ」

アークはルィランの肩を意味もなくポンと叩いた。

「大賢者のポンテルスとキラタ、マリアナと、立て続けに面談しなきゃならなかった」

彼はルィランから離れ、深々とため息をついた。

「彼らは容赦なく僕の内面に突き入って来る。精神が…疲れるんだ」

「ほう?」

アークの苦しい心の訴えに対し、ルィランはぽかんとした相槌を打った。

それがどんな影響を精神に与えるか、まだ経験したことが無いらしいルィランには理解出来ないのだろう。

「まあ、いいんだ。お前はそれでいい」

アークの言葉にルィランがむっとした。

「見下したようなものの言い方をされて、気分のいいものじゃないぞ、アーク」

「見下してなんかいないさ。内的な力なんて、無い方がいい…」

そう口にしたアークは、顔をしかめた。

賢者達も、マリアナも、内的な力を保有するからこそ、他人には理解してもらえない苦悩がある。

アークは、マリアナに取った態度を思い出して、口元を固くした。

「座ったらどうだ。何か飲むか?」

「ああ、ありがとう」

ルィランは騎士専用の住居に住んでいる。

こざっぱりした部屋だが、ルィランの遠い故郷から持ち込んだものが数多くあるせいで、独特な雰囲気を漂わせている。

飾られた木彫りの置物などを手にすると、大きさや形、重量とは関係なく、物自体が持つ、深い思慮を感じさせるものが多い。

アークは温かみのある細工の施された棚に近付くと、小さな花の置物を目にして手に持とうとした。

置物は大きさの割りに重みがあった。

アークは力を入れてそれを持ち上げたが、驚いたことにズボッという何かが抜けるような音がした。

彼は手にした置物をしげしげと眺めて眉をひそめた。

遅れて、笑いが込み上げた。

持ち上げた花の置物には、根っこがぶら下がっていたのだ。

「興味を持つだろうとは思っていたが…さっそく引き抜いたのか…」

カップを両手にしたルィランが、戸口に立って呆れていた。

「これは?」

「早く戻してやれ、枯れてしまうぞ」

「ほんとうか?」

アークは置物を元の場所に戻した。

根っこは、棚の板にぎこちない動作で根を沈み込ませていった。

最後に、アークから開放されて安堵したかのように、少し揺れた。

彼は謝罪の意味で、指先で花びらにちょこんと触れた。

「おもしろいな」

どんな魔力をどのように使っているのか知りたかったが、それをすれば、この置物を根本から破壊してしまいかねないだろう。

「お前なら、魔力とお前独自の発想で似たようなものを作れるさ」

たしかにそれは可能だろう。だが、いまは…

「そんな暇はないんだ」

アークはため息混じりに答えた。

「何か…あったのか?」

ルィランの青い瞳を、アークは黙って見つめ返した。

もとからルィランは、それが聞きたかったのに違いない。

アークが予知者の元を次々に訪問したということは、何かが起こっていると口にしたようなものだ。

「夢を、な…」

アークは友に、これまでのことをかいつまんで話した。

「お前は愛する者を見つけに行くべきだ」

アークが語り終えると、ルィランはなんの含みもなくさらりとそう言った。

彼は瞬時に怒りが湧いた。

「いったいなんの戯言だ。愛する者だって…いったい誰の? 私のか? 馬鹿を言うな」

アークの剣幕に、ルィランは押し黙った。

その眼差しの澄んだ聡明さは、憤ったアークを辟易させた。

「何も言う必要はないのに…つい口にしてしまった」

ルィランはひとり言のようにそう呟いた。

そのせいで、アークはさらにムカムカした。

「黒っぽい髪に黒っぽい瞳。そんな女が聖なる后になれると、お前は本気で思うのか? 闇魔法ばかり突出している者に、そんな大役が担えると思うのか?」

「アーク…口にせずとも分かっているんだろうが…。ひとは見目や保持する魔力では語れない。だろう? それに闇の力は、聖なる力と対の魔力だと、そう習ったじゃないか」

たしかに魔力の本にはそう記述されている。

だが、結局のところ、それは説得力のない言い伝え程度のもので、実際は、闇の力は普通の魔力と同じでしかない。

聖なる力のように特出したものなど、あるとしても、いまだ解明されていない。

闇の力を多く所持するイターニティー族も、個性はあれど一般的な一部族に過ぎないのだ。

「だが、探さなければならないんだろう?文句を言うのは、女を探し出してからにしてはどうだ」

その至極もっともな意見をアークは不承不承受け入れた。

ルィランの言うとおりだった。

アーク自身もわかってはいるのだ。

けれど、湧き上がる憤りは、噴かなければ始末に困る。

アークはルィランからカップのひとつを受け取ると、カップのぬくもりが足りないのを感じてほどよく温め、爽やかな香りのするお茶を、数度繰り返し啜った。

今日はもう…疲れた。

三人目の予知者、ジェライドのところに飛ぶのは明日にするとしよう。






   
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