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第九話 魔法の首飾り
まったく、男のひとなのに、なんて憂い顔をするのだ。
沙絵莉は深く息を吸い込み、心臓が口から飛び出ていかないように、胸に手を当てて鼓動を静めようとした。
「わ、わかったわ。…まだちょっと、不服だけど。信じてあげるわ」
すでに来てしまっているのだし、あまり深刻に考えても、いまさらだという気がしないでもない。
もちろん、こんな風に、簡単に納得してしまっていいのかわからないけど…
なんにしても、とんでもなく珍しい場所に来ているわけで…
せっかく来たのなら、見物して回らなきゃ、もったいなくないかしら…
「お祭りに連れて行ってくれるんでしょ?」
沙絵莉の言葉に、アークはほっとしたような笑みを浮かべた。
「ああ」
頷きながら、アークはポケットに手を入れて何か取り出した。
彼女が見つめていると、帽子だったらしく、すぐに頭にかぶった。
ずいぶんと変わった形の帽子で、後ろは襟足までの長さがあり、つばも深く垂れ下がっていて、彼の顔は鼻の中ほどまで隠れて見えない。
彼の銀色の髪も、すっかり見えなくなってしまった。
紺色の帽子ですっかり頭部が包まれてしまったアークを見て、彼女は思わず吹き出した。
「そんなにおかしいか?」
少し不安そうに聞かれ、沙絵莉は首を横に振った。
「そうでもないわ。ただ、ちょっと見慣れないデザインだから」
「そうか」
帽子に隠れていないアークの唇を見つめていた沙絵莉は、彼が何か差し出してきたのに気づいて、視線を下に向けた。
いつ取り出したのか、アークの手のひらの上に、丸い玉のついたアクセサリーのようなものが載っていた。
もしや、これも、魔法で取り出したのだろうか?
「どうやって出したの?」
不思議な気分で問いかけた沙絵莉に、アークは首を傾げた。
「どうやってって、ポケットから出したんだが…」
ポ、ポケット?
「あ、な、なんだ、そうなの」
魔法使いだからと、考えすぎてしまったらしい。
思わず笑いが込み上げ、沙絵莉はくすくす笑いながら頬を赤らめた。
この世界のアクセサリーだろうけど…
もしやアークからのプレゼント?
もらえるのだろうか?
透明なビニール製みたいな紐に、透明な玉がついていて、日光を反射して、虹色というか、色が複雑に変化して見える。
ガラス玉とかではないのだろう…たぶん…
「不思議な色合い…あなたの瞳みたい…」
「私の?」
「ええ」
沙絵莉は頷き、つばに隠れて見えないアークの瞳を、つばの下から覗き込んだ。
彼女は思わず息を呑んだ。
帽子の中で、光が遮られているのに、彼の瞳がはっきりと見えたのだ。
まるで、瞳の中で、無数の銀色の星がきらめいているかのようだ。
「あ、あなたの瞳…」
沙絵莉は感嘆して、知らぬ間に言葉を口にしていた。
彼女の瞳を見つめ返していたアークは、沙絵莉の反応に、どう思ったのか目を細めた。
「変わっているからな…私の瞳の色は…」
「変わってるの?」
彼女の問いに、アークはぐっと眉を寄せた。
「変わっていると、君も思ったのだろう?」
「ここのひとは、みんなあなたと同じなんじゃないの?」
「いや…同じではない」
「そうなの。それじゃ、青とか、緑の瞳のひともいるわけね?」
「そうだ」
ここの住人は、みな魔法が使えるひとたちなのだ。青や緑といっても、アークのように、きっと不思議な感じなのに違いない。
「嫌か?」
アークの問いの意味が分からず、沙絵莉は首を捻った。
「何が?」
「いや、私の瞳だが…」
「とても綺麗よ」
沙絵莉の言葉は、アークを戸惑わせたようだった。
男の人なのだし、瞳が綺麗などと女性から真顔で言われたら、戸惑うのも当然かもしれない。
彼女は、アークの手の上に載っているアクセサリーに視線を向けた。
プレゼントを催促するようで、どうかと思ったが、沙絵莉は指をさし「あの…これは?」と尋ねてみた。
「あ、ああ。これは君に。これを身につけておくと、ここの言語が理解できるから」
そう聞いて反射的に頷いたものの、沙絵莉はあることに気づいて、彼に顔を向けた。
「あなたとは会話できてるわ。あなたは日本語が話せるの?」
「ニ・ホンゴ?」
「え、ええ」
思わずそう返事をしたものの、沙絵莉はきゅっと眉を寄せた。
彼は、これを身につけると、ここの言語が理解できると…いま…
あっ、そうか。
「わかったわ。これって、魔法の翻訳機なのね? あなたも、これと同じのをつけてるんでしょ?」
アークは、少し考えてから、首を縦に振った。
「まったく同じものではないが、そうだ」
やはり、これは魔法の首飾りということなのだ。
「これを身につけているだけで、言語を理解し合えるの?」
「ああ」
さもあろう、違う世界ならと納得してしまうあたり、なんだか尋常じゃないが…
「サエリ」
目の前に首飾りを差し出され、手に取った彼女は目の前まで持ってきて、マジマジと見つめた。
「これ、どうやってつければいいの?」
「頭から…」
「けど、これ、輪が小さい…あっ…なんだ伸びるのね」
ゴムのような弾力があるわけでもないのに、輪になった紐の部分を伸ばすと、簡単に伸びた。
「ど、どうしよう。伸ばしすぎちゃったわ」
五十センチほどの幅まで伸びてしまった首飾りを見つめ、沙絵莉は顔を引きつらせた。
「サエリ、大丈夫だ。元に戻る」
その言葉とともに、アークは沙絵莉の両手をぐっと近づけた。
「わわわっ」
確かに、首飾りの紐は元通りになっている。
「ど、どうなってるの、これ?」
驚きに駆られた彼女は、興奮して首飾りの不思議な伸縮ぶりを何度も試した。
くすくす笑う声に気づき、沙絵莉は動きを止めて、笑っているアークに目を向けた。
「だ、だってぇ、不思議なんですもの」
「君の国も、不思議なものだらけだぞ」
「えっ? 不思議なものだらけ? そんなこと…」
「親しんでいるものは、不思議には感じないのさ。さあ、サエリ、ともかくそれを首に下げて。祭りに行こう」
そうだった。これからふたりで、祭りに行くのだ。
異世界の祭り、いったいどんなだろう?
花の祭りだというからには、花がいっぱいなのに違いない。
そしてもちろん、不思議もいっぱいなのに違いない。
「ねぇ、ドラゴンなんてのも、いたりするの?」
「ドラゴン? それはいったいなんだい?」
その反応からみると、どうやらこの世界にドラゴンはいないらしい。
ファンタジーの定番なのに…
まあ、ファンタジーってのは、現実離れしすぎてる。
魔法はあっても、ここは現実の世界なのだ。
アークだって、見たところ普通の人間。
妖精や小人なんて、幻想世界的な存在などは、さすがにいないんだろう。
そんなことを真面目に考えてひとり納得しつつ、沙絵莉は首飾りを首に下げ、玉に指先でそっと触れてみた。
柔らかな温かみを感じる。
「サエリ、その玉は、服の下に隠してくれるかい」
「どうして?」
「人目を引きすぎるんだ。この玉そのものが珍しい品だからね。君も、人からじろじろ見られたくはないだろう?」
へぇ〜。これって、珍しいものなのか?
外から見えないように玉を服の中にしまいこんだところで、アークが手を差し出してきた。
彼の手を握り締めた途端、この世界に突然飛んできたことが頭に浮かび、彼女は手を繋ぐことにためらいを感じて顔を上げた。
「下町の祭りでいいかい?」
そんな風に問われても、沙絵莉には、この世界のことは何ひとつわからないのだ。
「あなたがいいと思うところを、案内してくれればいいわ。…あの、またテレポーテーションをするの?」
「ああ。…目的の場所はかなり遠いからね。テレポは、そんなに嫌かい?」
どうやら、テレポをするしか道はないらしい。
沙絵莉はためらいを捨てて、彼と手を繋いだ。
「サエリ、これから町中へテレポで飛ぶが、そこでは、私の名はけして口にしないで欲しい」
「なぜ?」
「その、ちょっとばかり、まずいんだ」
まずい?
「あなた…もしかして…」
「うん?」
「何か悪いことをして、指名手配とかされてるの? それで、帽子で顔を隠してるんじゃないの? アーク、あなたってば、いったいどんな罪を犯したの?」
もしや、珍しいというこの玉も、どこぞで盗んできたものだったりするのではないだろうか?
そんな疑いを本気で考えて口にしたのに、アークは冗談と取ったらしく、愉快そうに笑い出した。
「そう実は、監獄から昨日脱走したんだ。警備兵の奴らに追われている」
声を潜めてそんなことを囁かれ、沙絵莉は混乱した。
「まあっ、何をやったの?」
「秘密だ」
彼が満面の笑みを浮かべた途端、沙絵莉はまた、表現できない不可思議な感覚に襲われていた。
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