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第十話 花の祭り
反射的にキュッと目を閉じていた沙絵莉は、二度目となるテレポでの浮遊感を体験した直後、町中の喧騒が耳に飛び込んできて、パッと目を開けた。
「わ…」
思わず一声発したまま、沙絵莉は言葉なく周りを見つめた。
想像以上、いや想像を絶した景色が広がっている。
ここが異世界なのだという情報が、ダイレクトに飛び込んでくるが、どうにも受け止め切れなかった。
「どうだ? サエリ、身体は大丈夫か?」
アークの問いかけに、沙絵莉は右手を上げて彼の言葉を制し、辺りを眺め回した。
風変わりな建物、風変わりな人々…
沙絵莉は戸惑いをあらわに、淡い緑色をした地面に視線を落としていた。
土のような軟らかな感触なのに…この緑色って…土じゃないのよね?
沙絵莉のすぐ側を人が行き交い、彼女は顔を上げて歩いている人を見つめた。
みんな変わってる。
それがこの世界の人々に対する、沙絵莉の印象だった。
いまのアークと同じような服を着ているひともいないし、色もカラフルだったり地味だったり…
ただ、連れだとわかるほど姿形が似通っているひとは、同じようなデザインの服を着ていたりしてる。
背の高さもやっぱり様々…
アークの髪や瞳の色は、この世界の人々の特徴かと思ったのに、彼と同じ雰囲気のひとはひとりもいない。
濃い青色の髪をした、体格のいい男性がすぐ側を通り過ぎてゆき、沙絵莉は思わずその髪を目で追っていた。
「サエリ!」
アークの少し鋭い呼びかけに、沙絵莉は我に返って彼に振り向いた。
「あれって、染めてるのかしら?」
いや、異世界のひとなのだし、元々の色なのかも。
眉をひそめて考え込んでいた沙絵莉は、手首をぎゅっと掴まれて、アークに視線を向けた。
「凄いわ。やっぱり。まるで映画の世界に迷い込んだみた…」
沙絵莉は自分の表現に、笑いがこみ上げた。
「映画の世界とかじゃなくて…ここは本物なんですものね」
私が、実のところ夢を見ているのでなければ…
「サエリ、祭りを見て回らないのか?」
少しいらだったようにアークが言ったが、この世界に魅了されていた沙絵莉は気づかなかった。
「髪の色って、あんなに色んな色のひとがいるの? みんな違うみたい」
「髪? ああ、君の国の者は、黒やこげ茶色の髪の者が多いようだったな」
アークの言葉に頷きながら、沙絵莉は周囲を歩く人々を眺めた。
みんなあまりに色々で、見慣れるまで時間が掛かりそうだ。
「あっ」
前方から歩いてくる集団に気づき、沙絵莉は思わず声を上げていた。
赤やピンクや黄色の花が歩いてくる。
全身、大きな花をあしらったコスチュームを着ている感じだ。
赤い花を模した衣装を着た若い女性は、頭に真っ赤な花を幾つもさし、花びらのように軽そうな布が肩の辺りを覆っていて、ドレスの裾もなんとも可愛らしかった。
それは他の女性達の衣装も同じで…
「素敵…」
「花の祭りだからな。若い娘はみな、花を模した衣装を身につけるんだ」
見慣れているからか、アークはあっさりと説明して歩き出した。
アークに手を握られている沙絵莉も、彼に合わせて歩いていった。
「ここに入ってみるかい?」
大きなテント小屋のようなところをさして、アークが聞いてきた。
外観だけでは、ここがなにやら分からなかった。
入り口の上のところに看板が掛けてあったが、その文字は当たり前だが沙絵莉には読めない。
「アー…うっ」
突然口が、パクンと閉じた。
「サエリ、駄目だ」
一瞬なんのことやら分からなかった。
「何が?」
そう問いかけた沙絵莉は、きゅっと眉を寄せた。どうやったかわからないが、彼は沙絵莉の口を無理やり閉じたに違いない。
「いまのあなたがやったの?」
眉をひそめて責めるように尋ねる沙絵莉に、アークは気まずそうに口を開いた。
「君が、名を口にしそうになったから…サエリ、怒らないでくれ、本当に困るんだ」
申し訳無さそうに言うアークに、沙絵莉は彼のいまの仕業について責めるのを止めた。
名前を口にされるのは、彼にとって、よほど困ることらしい。
やっぱり彼は、何か悪事をしでかして、指名手配されているのだろうか?
けど、悪い人だとは思えない。
もしや、テレポーテーションで、誤まって、どこか入ってはいけないところに入り込んじゃったとか…
それで見つかって、泥棒だと疑われたとか?
うんうん、それくらいならありそうだ。
「分かったわ。でも…なら、なんて呼べば…」
それにしても、彼はどうやって、沙絵莉の口を閉じるなんて、あんなことが出来るのだろう?
つまりは、魔法ってこと?
「どうする? ここに入ってみるか?」
「ここはなんなの?」
改めて聞かれ、沙絵莉は考え事を止めてアークに問いかけた。
「浮遊の技が主らしい。色々演出されてるだろうから…見ごたえはどれくらいのものか分からないが、そこそこ面白いんじゃないかな」
あまり期待は持てないような言い方だったが、浮遊という言葉に沙絵莉の心が躍った。
「浮遊の技? 浮遊って、もしかして、ふわふわって物が浮かんだりするの?」
沙絵莉は瞳をきらめかせて、アークに尋ねた。
「まあ、そうだな」
「入りましょうよ。見てみたいわ」
急かすようにアークの手を引っ張りながら、沙絵莉は列に並んだ。
テントの中は円形で、舞台は中央にあり、囲むように座席が作られていた。
舞台の上では、つねに出し物をやっているらしく、沙絵莉は舞台に視線を向けながら、アークの探し出した空いている席に並んで座った。
舞台の上から一メートルくらいのところに浮かんだ幾人もの男女が、くるくる回りながらダンスを披露していた。沙絵莉の目はまん丸になったままで、なかなか元に戻せなかった。
「面白かったわね」
独特の音楽に乗ってぷかぷか浮かんでの滑稽なパフォーマンスなどは、極上のマジックショーのようだった。
沙絵莉が一番気に入った出し物は、花の舞だ。たくさんの花が空中を縦横無尽に飛びまわり、最後には客席に飛び散った。
夢のような現象をまともに目にし、沙絵莉は観客とともに拍手喝采した。
ここの世界の人々と一体感を感じられ、それがひどく嬉しかった。
世界は違っても、人は同じだ。感動するところは同じに感動できる。
魔法のある世界だけど、人々の感動ぶりからして、誰もが同じように魔法を使えるわけではないらしいことがわかった。
膝の上に落ちてきた花は、いま沙絵莉の手にある。
本当に綺麗な花だ。
もっと見ていたかったのだが、アークから他のところを見に行けなくなるぞと言われ、彼女は渋々出てきた。
確かに、他にもいっぱいあるのに、一ヶ所だけの見物ではもったいないかもしれない。
「ねぇ…」
アークと呼びかけようとした沙絵莉は、それと気づいて口を閉じ、帽子に隠れているアークの顔に視線を向けた。
「その帽子、前が見づらくて不便じゃないの?」
「見える」
「えっ?」
「見えるんだ。視界は遮られていない」
沙絵莉は目を丸くした。
どう見ても、布地が透けてるなんてことはなさそうなのに…
「そ、そうなの?」
「ああ」
まったく、この世界は不思議な物だらけだ。
「便利ね」
けど、顔を隠さなくちゃならないようなことをしなかったら、そんな特殊な帽子を被る必要もないわけで…
「ねぇ、いったい何をやっちゃったの?」
「心配いらない。私は悪いことなどしていないさ。それより、次はどこに行く?」
悪いことはしていないのだろうが、顔を隠す必要があるそのわけは、教えてくれないわけだ。
「サエリ…私は君と祭りを心から楽しみたいんだ」
彼女の心にある不信感を感じ取ったかのように、アークが言った。
「いつか…話してくれる?」
沙絵莉の言葉に、アークは頷いた。
「ああ。もちろんだ」
口元にほっとしたような笑みが浮かんでいるのを見て、沙絵莉はこれ以上追求するのを止めることにした。
次に入った見世物小屋は、しょっぱなから沙絵莉の度肝を抜いた。
舞台に立っていた女性が手のひらを前に向けてかざすと、一メートルほど前に置いてあったものが、凄まじい勢いで吹っ飛んだのだ。
ここでも拍手喝采。もちろん沙絵莉も驚き覚めやらず痛いほど手を叩いていた。
いったい、女性の手のひらから、何が出ているのか?
派手な舞台衣装を着ているものの、女性はひどく小柄で、そんな力を秘めているようには見えない。
「いったい、どんな風にして、あんなことができるのかしら?」
見世物小屋を出て、アークと歩きながら沙絵莉は独り言のように口にしていた。
「衝撃波は、気の魔力によるものだ。気の魔力を手のひらに集中させて放つのさ」
不思議を込めて口にしただけなのに、アークはすらすらと説明する。
まさか、アークも先ほどのようなことが出来るというのだろうか?
「けど、みんなが出来るわけじゃないんでしょう?」
沙絵莉の言葉に、アークは愉快そうに笑い出した。
「もちろんそうだ。そうでなければ、わざわざ金を払ってまで、誰も見に来ないだろ?」
確かにその通りだ。
彼女はアークと笑いあった。
「それじゃ、みんなが魔法使いというわけではないのね?」
アークが突然黙り込み、沙絵莉は彼に目を向けた。
帽子のせいで表情が見えず、戸惑った沙絵莉は「どうしたの?」と問いかけた。
「いや、君の口にした言葉が…。魔力は誰しも使うだろ?」
いくぶん不思議そうに問われて、沙絵莉は眉を寄せた。
彼女にそんなことを聞かれても困る。沙絵莉はここの住人ではないのだから。
「能力の差や個性はあるものだが…」
なんとなく歯切れの悪いアークの言葉だったが、彼の言っている意味は理解できた。
「それぞれ得意なものが違うわけね?」
「この国では、種族ごとに使える魔力が決まっていたりする場合もあるな。君の…」
「種族?」
「ああ、火の魔力に秀でた種族もいれば、水の魔力に秀でた種族もいる」
「へえーっ、火とか水とか、種類があるの?」
驚きの顔で感心したように言った沙絵莉にたいして、アークはまた黙り込んだ。
「ア…っと、あの、どうかした?」
「君はなんの…」
「あら、なんかとってもいい匂いがする」
甘くてなんとも惹きつけられる匂いだった。
沙絵莉は匂いの元を必死に探した。
「きっと、あれだわ!」
沙絵莉は我を忘れて、その匂いの元に駆け寄った。
「これ、食べたい!」
「お嬢さん、いらっしゃい。さあさあ、いくらほどいりようかね?」
「これ…」
全部と口にしようとしていた沙絵莉は、突然、目の前の食品に対する熱が醒めた。
「お嬢さん、どうしたね?」
「行こう」
いつの間にか、肩にアークの手が当てられていた。
彼の促しで沙絵莉はくるりと後ろに向き、彼とともにその場から離れた。
「私ってば、いったいどうしたのかしら?」
「いまのは、あの店員の技だ」
「技?」
「匂いのね。あの匂いには、どうしてもあの品を手に入れたいと思わせる魔力が込められていたのさ」
沙絵莉はぴたりと足を止め、顔をしかめて先ほどの店に振り返った。
店先に数人のお客がいて、ひどく嬉しげに品物を買っている。
「つまり、あのひとたちは?」
「ああ、喜んで買ったはいいが、食べて、思ったほどじゃなかったことにがっかりするだろうな」
「そんなぁ、ひどいわ」
「販売の戦略というやつだ。しかたのないことさ」
「でも、私は…なんで急に…目が覚めたみたいに、唐突に食べたくなくなったわ」
「私が、君を支配していたあの魔力を消し去ったからさ」
沙絵莉は、アークをまじまじと見つめた。
「すごいんじゃない、それって」
「そうでもない。君は…正直赤ん坊並だったな」
「赤ん坊?」
沙絵莉は、むっとして唇を突き出した。
まんまと騙されそうになったのは確かだが…
不服そうな沙絵莉に、アークは楽しげに笑いながら、彼女を促して歩き出した。
「何か食べないか?」
「美味しいものがあるの?」
お祭りといえば、みたらしとか、たこ焼きが定番だが、この世界にも似たようなものがあったりするのだろうか?
「実は、私もこの辺りはそんなに詳しくないんだ。ふたりで美味しそうなものを探そう」
その提案に沙絵莉は大きく頷き、顔の見えないアークに、微笑みかけた。
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