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第十一話 すべてが夢
「どうだ? サエリ、美味しいか?」
アークの少し心配そうな問いかけに、沙絵莉は口に入っているものを飲み込んでから、笑みを浮かべて頷いた。
キュラのパイだというアークお勧めの一品だ。ほどよい甘味と、なんともいえない風味があって、深い味わいだった。
「とっても美味しかったわ」
初めて口にした食べものだが、異世界のものというような違和感はなかった。
キュラのパイはこげ茶色で見た目普通だが、他のテーブルのひとたちが食べているものに目を向けてみると、ちょっとぎょっとさせられる色合いのものや、原料がなんなのかまるで分からない、ドロドロとした見た目不味そうなものもある。
食べてみたら案外美味しいのかもしれないが…
キュラのパイの材料ってなんなの?
そうアークに尋ねてみたかったが、すでに食した後だし、材料がとんでもないものだった場合、おおいに後悔することになりそうだ。
沙絵莉はアークがプラスチックのようなコップに入ったものを飲んでいるのを見てから、自分のぶんのコップを手に取り、中身を確認してみた。黄色い澄んだ色をしてる。
「クコのお茶だ」
「クコ?」
「ああ。木の実を煎じてる。香ばしくて少し甘味がある」
「木の実なのね」
思わず念を押すように言いながら、沙絵莉はほんの少し口に含んでみた。
「あら、ほんと香ばしくて甘いわ。後味も爽やかな感じだし…これ、美味しいわ」
「ああ」
頷いたアークだったが、どうも笑いを噛み殺しているようだった。
「なあに?」
「いや、異国のものに口をつけるのは勇気がいるだろうと思ってね」
沙絵莉の心を読んだようなアークの言葉に、彼女は思わず頬が赤らんだ。
「私も、異国のものを口にするときは、やはり少し緊張する。原料はなんだろうかとか、どんな調味料が使ってあるのかと」
「もしかして、後悔するようなものを口にしたことがあるの?」
アークが笑みを広げた。
「ああ。聞かなきゃ良かったと思ったが、あまりにも不思議な味で、この味を生み出したものがなんなのか知らずにおれなかったんだ」
顔をしかめてそんな説明をするアークに、沙絵莉は思わず吹き出した。
「それがなんだったのか、私も聞かないほうがいいみたいね?」
「ああ、そのほうがいい。私もできることなら、この記憶を消し去りたいくらいだ」
どうやらよっぽどのものを口にしてしまったらしい。
「そのことがあってからは、あらかじめ材料を聞いてからに口に入れることにしてる」
「この国には、私が警戒したほうがよさそうな食べ物とかってあるの?」
「それは…私はこの国の生まれだからな…」
肩を竦めるアークを見て、沙絵莉は納得した。
それはそうだ。
「キュラのパイ以外にも、お勧めのものってあるの?」
「色々あるが…お菓子を買いにゆくかい?」
お菓子という言葉に、思わず沙絵莉は顔をほころばせた。
「お菓子って、どんなのがあるの?」
「探しに行こう」
さっと立ち上がったアークが、沙絵莉に手を差し伸べてきた。
彼女はためらいなく、アークの手を握り返した。
色々な店を覗いて、塩味のカラフルなお豆のようなお菓子を買った後、沙絵莉とアークは手に入れたお菓子をぽりぽり食べながら、一キロほど町中をてくてく歩き、幻の魔術を見せてくれるという館内に辿り着いた。
ここはとんでもなく長蛇の列が並んでいて、かなり待たされるのだろうかと危ぶんだが、出し物の時間が決められていたらしく、十五分くらい待てば中に入れるだろうとアークが説明してくれた。
ここの雰囲気は、まるきり遊園地のアトラクションと同じだった。
ひどく異質なんだけど、それだからこそのアトラクションという感じだ。
「ここって、これまでのところとはずいぶん違うのね?」
「ああ。ここは警備兵の分所なんだ」
「警備兵?」
「町の治安を守ってる兵士の詰所といったらわかるかい?」
「ええ、おまわりさんね」
「そうだ」
あっさりと認めたアークに、沙絵莉は眉をひそめた。
「サエリ、どうした?」
「おまわりさんがわかるみたいだから…警察もわかる?」
見えているアークの唇に視線を当てていたサエリは、その口元がきゅっと引き延ばされたのを見て、彼の目があるだろう位置に視線を向けた。
「君と私は、別々の言語を使って話している。通訳の玉は言語そのものではなく君の意識と通じているんだ。君にとって言葉が違っていても、私には同じ言葉に聞こえたりする」
「なんとなく…理解できる気がする」
「それと、どうしても言葉が理解できないときは、その音声のまま耳に届くはずだ。私の口にした言葉の意味が分からなかったら、聞き返してくれれば、伝わるように言葉を変えよう」
「わかったわ…ほんとうのところ、ほんとにはわかってないんだろうと思うけど…」
言葉を言い直した沙絵莉に、アークはくすくす笑い出した。
ざわめく人の波とともに館内へと入ってゆき、彼らは広々とした部屋に入った。
誘導しているひとが、大きな声で奥の方まで進み、床に直接座れと言う。
誘導係のひとは、あちこちに配置されている人と同じ服を着ている。
きっとこれが警備兵の制服なのだろう。
黒と渋い赤で構成されていて、へんてこりんな感じは微塵もなく、かなり決まっていて凛々しい感じだ。
この国のひとたちのファッションは、奇抜なものばかりで、沙絵莉の服もそんな奇抜なデザインの衣服と同等扱いされているらしく、彼女を奇異な目で見る人もいない。
それよりも、この世界の特殊な風体の種族のひとの方が、好奇心の詰まった視線を向けられていた。
あまりに色んなひとたちがいて、歩いている間に沙絵莉の驚きも薄くなってしまった。
そういうものだと思ってしまうと、驚くという感情も湧かなくなるものらしい。
ショーの始まる前の前口上のようなものを口にしていた司会者らしきひとが、ひときわ大声を張り上げたあと、館内がパッと暗くなった。
「あれがほんとに、すべて幻なの?」
幻のショーが終わり、館内から外に出るまで興奮して言葉すらでなかった沙絵莉だったが、外の空気に触れてようやくその言葉を口に出来た。
「ここの幻のショーは、これまでのものとは違うからね。質が高いんだ」
「そうなの?」
「幻の術は特別に認可された者しか使ってはいけない技なんだ。こういう祭りの時には、特別な場所でのみショーが行われる」
「それであんなにお客さんが並んでいたのね。けど、幻ってどうして認可が必要なの?」
「幻の術はひとの精神を惑わせる。暗示よりは厳しく取り締まってはいないが、認可をもらっていない者が使うと、罪になる」
「罪に…そうか、わかったわ」
「なにがわかったんだい?」
「あなたの罪よ。幻の術、使ったでしょう? …ほら、わたしの頭の中に幻の花を…」
沙絵莉はアークの耳元に唇を近づけ、周りに聞こえないように小さな声で話しかけた。
「ああ、そうだった。あれは、まあ、すまなかったと思ってる。が…罪にはとわれない」
「どうして? だって認可が…」
彼女は眉をぎゅっと寄せ、アークを疑わしげに見つめた。
「まさか、あなたも認可してもらってるっていうの?」
「使ったからといって、咎めは受けないな」
「まあっ」
どうやら彼は、幻の術とやらを使える手合いらしい。
しかし、まさか先ほどのような、グレードの高い幻はできないんだろうが…
あんなことができたら、こんなところでフラフラしてなどいないだろう。
それほどの術が使いこなせれば、どこぞでショーをやらせてもらっているだろうし、なにかしら仕事をもらえるに違いない。
「ねぇ」
「なんだい?」
「あなた、仕事してるの?」
「ああ。もちろんだ」
あっさり認めたアークに、沙絵莉はびっくりした。
「て、定職に就いてたの? いったいどんな仕事をしてるの?」
「すまないが、いまは口にできない」
口に出来ないような仕事か…
…泥棒しか思いつけない。
沙絵莉は周囲を見回して顔をしかめた。
そろそろ夕暮れてきている。
「ねぇ、わたし、そろそろ帰らないと、いま何時かしら?」
沙絵莉はポケットの中から携帯を取り出して見た。
この世界から沙絵莉の世界に携帯が繋がるなんてことは絶対にないだろうが、ちゃんと時計は表示されている。もう五時半だ。
「サエリ、それはなんだい?」
「これは携帯電話よ」
「ケイタイ…デンワ?」
この世界には、電話とかの通信手段はないのだろうか?
「違う場所にいるひとと、これで話が出来るの。他の機能もいろいろあるんだけど…」
「なんだ、これは通信の利器なのか。まったく、変わった形状のものだな。君の世界の物は、どれも不可思議なものばかりだが…」
「あなたの世界の通信の利器って、どんななの?」
「様々だが…」
「見せて?」
「ここでは…少し場所を変えよう。サエリ、ほんとうにもう帰らなければならないのか?」
ひどく残念そうなアークの表情に、沙絵莉は嬉しさが湧いた。
彼も、彼女と同じように、もっと一緒にいたいと思ってくれている。
「ここと私の世界って、時間のずれとかないの?」
異世界というと、時間軸が違ってて、戻ったら数週間経ってたとかよくあるし…
そう考えた沙絵莉は、すっと血の気が失せた。
ま、まさか、すでに何日も過ぎてるなんてこと…
「すぐに帰らなきゃ。何日も経ってたりしたら両親や友達が心配して…」
「サエリ、何を慌ててる? 時間のずれなどあるはずがないだろ? 君がここで過ごした時間が経過してるだけさ」
「そ、そうなの? 戻ったら、私のところも夕方くらい?」
その沙絵莉の言葉に、どうしたのか今度はアークが戸惑い顔を見せ、きゅっと眉を寄せて考え込んだ。
「ど、どうしたの?」
「いや…なんでもないんだ」
なんでもないという顔ではなかった。
沙絵莉が不安を感じていることに気づいたのか、アークは慌てて笑みを浮かべた。
「君が心配するようなことは何もないんだ。そういうことじゃなくて、地理的なことで…」
「地理的って?」
「ともかく、君の国に戻るとしよう。戻ってみれば君も安心できるだろ?」
それはそうだが…
彼の決断と行動は早かった。
はっと気づいたときには、沙絵莉は彼女の部屋にいた。
「び、びっくりだわ。私の部屋に…。図書館に戻るのかと思ってて…」
「一度来たことのある場所は、飛んでこられるんだ」
「そうな…」
沙絵莉はきゅっと眉を寄せて、アークを見つめた。
「サエリ、どうした?」
「ここに来たことがあるのよね?」
「あ…ああ、ある」
ひどく気まずそうにアークは認めた。
すでにパソコンの起動やリモコンが宙に浮いていたこと、そして沙絵莉の頭の中に刻み込まれた幻などで、彼がこの部屋に来たことはわかっているが…
どうしたって咎めたくなる。
「あなた、姿を消して、この部屋にずっといたのよね?」
「サエリ、落ち着いて話をしよう。まず、君の部屋に姿を消して上がりこんでいたことについては、もちろんやっていいことではなかったと反省している、この通り謝る」
アークは早口に弁明し、深々と頭を下げた。そしてなかなか頭を上げない。
そんなアークを見ていて、沙絵莉はひどく笑いが込み上げてきた。
彼の世界でも、謝罪するときは頭を下げるらしい。
「ねぇ、いったいどうやって姿を消すなんてことができるの?」
興味津々の瞳で沙絵莉はアークを見つめた。
「それはまた、今度にしよう」
少し疲れを滲ませた表情でそう言ったアークは「また、来る」と口にした途端、パッと消えた。
「あっ」
あまりにも突然だった。
アークの消えた空間を沙絵莉は唖然として見つめていたが、両手を突き出し、彼のいた空間を探った。
あまりにも唐突だったし、もしや姿を消したアークがいるのではないかと思ったのだ。
だが、アークは本当に消えたようだった。
「アーク!」
呼びかけに答える声はなく、沙絵莉は足元から力が抜け、その場所に座り込んでいた。
「あっ、お花…」
自分の右手を見つめ、呟いた沙絵莉の瞳から涙が零れ落ちた。
手に入れた花、どうやら彼とあちこち回って遊んでいる間に失くしてしまったらしい。
今頃気づくなんて…
彼が買ってくれたお菓子も、歩きながら全部食べてしまって手元に残っていない。
沙絵莉は、はっとして自分の首元に両手で触れてみた。
な、ない?
彼がくれた魔法の首飾り…
どうして?
沙絵莉は自分の部屋に視線を向け、顔をくしゃりと歪めた。
涙が後から後から零れてきた。
いまはもう、すべてが夢だったとしか、思えなかった。
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