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第十二話 魔法温存
「ふう」
足の下に地面を感じ、アークは思わずほっとして息を吐き出し、すぐにその場に座り込んだが、目の前にいる人物に気づいて眉を上げた。
「ジェライド」
「ずっと向こうに行っていらしたんですか? どうして知らせもせず、黙ってゆくんです?」
噛み付くように言われたが、いまはジェライドの相手など出来そうもなかった。
「無事に帰ってきたんだ。いいだろ。…悪いが休ませてくれ」
ジェライドはひとりではなかった。パンセもいて、アークの事を思案げに見つめていたが、すっと歩み寄って彼の頭部に手のひらを当ててきた。
それに習うようにジェライドもアークの胸のあたりに急いで両手を当てた。
どうやら、この大賢者をも心配させたらしいと理解したアークは、ふたりに対してひどく申し訳なさが増した。
今日は花の祭りで…
このふたりだって、祭りを楽しみたかったに違いないのに…
「すま…ない…」
その言葉を無意識に口にしたアークは、深い闇に落ち込むように意識が途絶えた。
目覚めたとき、側にいたのはパンセだけだった。
「パンセ殿」
「ご気分は?」
「いいみたいだ。すみません、また世話を掛けてしまって…」
「致し方ないことです。ですが、アーク様の御身が心配でなりませぬ」
「私のせいで、ジェライドもパンセ殿も、花の祭りに…」
「そんなお気遣いは無用です」
「ですが…」
「これを」
差し出されたのは、いつもの薬湯だった。
アークは感謝をこめて頭を下げ、一気に喉に流し込んだ。
「何か、危険なことなどはございませんでしたか?」
「危険などは何も。ジェライドは? 先に帰ったのですか?」
「はい。帰しました」
パンセのあっさりとした言葉に、アークは笑った。
たとえパンセの言葉だとしても、ジェライドが帰れと言われて素直に帰ったとは思えない。
彼には、アークに言いたいことが山ほどあったはずなのだ。
サエリとともにテレポで飛ぶのは、相当量の魔力を消耗した。
それに加えて、ずっと自分の身体に張り巡らしていたシールドの技が、致命的だったのだろう。
だが、サエリをこの国に連れて来たことをどうしても知られたくなかったし、ふたりで花の祭りを楽しんでいることも絶対に知られたくなかった。
ジェライドを含めた大賢者たちは、サエリがこの国に来た事を察知したら、目の前に現れないにしても、そっとしておいてなどくれなかっただろう。
彼女との親密な時を、誰かに知られているなんて、考えただけでも気分が悪い。
だからアークは、不必要なほど強固な魔法のシールドを自分の身体に張りめぐらし、透視どころか彼の居場所すら分からないようにしておいたのだ。
彼が力を弱めない限り、誰あろうと彼の行動を知るすべはない。
魔力が強大なことをまったくありがたいと思わずにいられなかった。
父ゼノンにはかなわぬかもしれないが、父親は何かを感じたとしても、賢者の誰かに洩らしたりしないと確信できる。
これまで、常にアークの居場所を感知してきたジェライドとしては、イラつきが増して当然というわけだ。
居場所が分からないのは、彼女の国に飛んだに違いないと結論づけて、ジェライドはここにやってきたのに違いない。
それにしても、これからが危ぶまれる。
これからもサエリをこの国に招きたいが、そのためには長時間のシールドとテレポが必須となると、魔力を消耗して、また倒れるようなことになるのではないだろうか?
先ほども、サエリを彼女の国に連れ帰った瞬間、ひどい疲れを感じて一瞬頭がふらつきよろめきそうになった。
彼女に心配を掛けたくなかったし、それで別れの言葉もそこそこに、こちらにさっと引き上げてきたのだが…
サエリはどう思っただろう?
いま、彼女は何をしているのだろうか?
今日はサエリの色々な面を知った。
キュートで、可愛くて、生意気で、優しくて、ピュアで、繊細で、美しい…
いま彼の傍らに彼女がいないのが、なにか理不尽なことにようにさえ思えてならなかった。
「アーク様」
「はい」
目の前に何かを差し出され、アークは思わず受け取った。
アークが被っていた帽子だった。
いつ脱いだのだろう?
「アーク様。我々は、アーク様の敵ではございませぬ」
しんみりとしたパンセの言葉に、アークは思わず目を上げてパンセと目を合わせ、気まずさを感じて、瞳を伏せた。
「わかっています。ですが…」
「アーク様のお気持ちも、わかっておりますゆえ。…もう一時間ほど、ここで休まれてゆかれたほうがよろしいでしょう」
「ええ。そうします」
慈しみのある眼差しをアークに向けて頷き、パンセは歩み去って行った。
宮殿の大会議室、アークはジェライドと並んで席についていた。
バッシラの絶滅という事態は、大きな波紋を呼んだ。普段はあまり使用されない大会議室に、ゼノンをはじめとする賢者の面々と騎士団、そして王をはじめとする王族の主要な面々と大臣、官僚たちが集っている。
一種族が絶滅などという出来事はいまだかつてないのだから、この物々しさも当然といえば当然だろう。
ゼノンと王が最壇上に座している。
今回の戦いに加わっていたアークはもちろん騎士の面々とともに末席に並んでいる。
同行した賢者たちも彼らと同じ席についている。
戦いの詳細が事細かに報告されるのに、長時間を要した。
いまは植物学者が登壇し、名を持たぬ植物について話しているところだ。
柔らかい肉厚の葉を付けた名を持たぬ植物が、透明の箱に密封されてゼノンたちの前に置かれてある。
人の手形をした葉は黒い斑のある緑色をしている。
こうして密封され魔力が封印されている今は、まがまがしいだけの気色の悪い草に見えるのだが、この植物は見る者の食をそそる魔力を備えていた。
魔力に乏しいバッシラ族は、たやすくこの植物の魔法にかかったに違いなかった。
まだすべてが解明されたわけではないが、植物学者らの現在の見解では、この植物は感情を高める効能を持ち、それでバッシラの戦への本能が極限まで駆り立てられ、狂気に囚われた彼らは根こそぎ戦闘に加わり、最後には死ぬまで戦い続ける事態に及んだのだろうと推察している。
騎士団との戦いに至るまでに、すでに同族で殺しあい、バッシラの人数はすでに激減していたこともわかっている。
「…しかし、効能はさほど強いものではないようです。おとなしい質のガメットに与えてみたところ、それほどまでの変化はありませんでしたから。バッシラ族はかなり前々からこの植物を口にしていたのだろうと思われます。また、繁殖地がバッシラの領土とする地域に限定されていたことで、我々にその存在を知るすべがなかったのも、致し方ないことでありましょう」
発言していた植物学者が着席し、隣に座っていた老齢の植物学者が入れ替わって立ち上がった。
「この植物の繁殖度はたいへん高いようです。バッシラが絶滅したいま、採取する者がいなくなったことになる。標本だけを少々残し、なるべく早い時期に、根こそぎ排除した方がよかろうと思われます」
ゼノンが頷き、部屋全体を見回す。
「バグドの申すとおり、排除することにしよう。バグド、その弟子のケンティラご苦労であった。また、引き続き討究してもらいたい。それから名もなき植物に、名を与えるように…。解明されておらぬ植物ゆえ、扱いにはくれぐれも気を付けてな」
バグドとケンティラは感激の面もちでゼノンの言葉を受け止め下がっていった。
彼らが退座したのを見定めて、大臣が立ち上がった。
「では、バッシラの絶滅に対して、戦に加わった者たちに、何らかの責めがあるかどうかにつき、ローデス王、審議のほど、お願い致します」
室内が微妙にざわつきだした。
ローデスがその場に立ち上がり、室内をぐるりと見回したあと、最後に騎士団の方へ視線を向けた。
最大の難問だろう。国の法によって、野蛮民族らも守られている。彼らを威嚇し、その数を戦によって多少減少させたとしても問題にはならないが、やむを得ぬとはいえど、なにせ、絶滅する事態に及んでしまったのだから。
今回のような出来事をどう対処するかは、のちに大きな影響を及ぼす。
そう簡単に、なんら咎めなしともいかぬのではないだろうか?
そう考えて、アークは気を張りつめた。
「今回、戦に加わった者たちに落ち度はない。それどころか、長い戦に苦闘を強いられ、大変な苦行苦難であったな。できることなら、みなのものに休暇を与えたいところなれど、一度に休まれては、わが国が成り立たってゆかぬからの」
騎士団が一度に頭を垂れる。
アークは懸念が消えて、ほっと息をついた。
傷を負った者たちも癒しの技をふんだんに使い、ある程度まで回復している。
戦は尋常ではなかったが、騎士団からも賢者たちにも死者が出なかったのは救いだった。
「あとは、名もなき植物の排除を…せねばな」
ローデスが気むずかしい顔でゼノンに向く。
「そうだな。繁殖の速度が速いとすれば、すぐにでも火魔法の使い手を焼却に差し向けねばならぬな。さらに用意が整い次第、名もなき植物の魔法を消去するとしよう。消去の儀式は私が執り行う。アーク、及び数人の大賢者、さらに賢者たちにも補助を要請することにする。フィゼル騎士団長、火の魔力にすぐれたものを、騎士団のなかからすぐに抜粋してくれぬか」
かなり離れた所からフィゼルが深く礼をし、ゼノンへ了解の返事を返した。
「参加する者には、おって指示がある。それでは解散としよう」
ゼノンのその言葉に、大臣がすっくと立ち、高らかに「閉会」と宣言した。
みんながいっせいにぞろぞろと動き出した。これから騎士団の連中は通常の任務に戻らなければならない。
アークは喜びが胸に湧いた。
すでに彼の心はサエリの元に飛んでいた。
「アーク」
アークは驚いて前に向いた。
ゼノンが壇上から、テレポで彼の傍らにやってきたのだ。
聖賢者その人の間近な出現に、周囲にいた騎士団がさっと腰をかがめて、後ろ手に剣を背後に回す。
壇上から一番の下手の場所で、周りにいた全員がかがみ込んだので、ふたりの存在が部屋の中で強調されて見える。
「なんでしょうか。父上」
「魔法の消去には、莫大な魔力を必要とするだろう。ここしばらくは魔力を温存しておくように。よいな。では」
周りの者達に頭を少し傾げて、ゼノンは消えた。
アークはぐっと奥歯を噛みしめた。
顎の力を緩めたら、吐息が漏れてしまいそうだ。
「あちらの方は、しばらくストップだね」
ジェライドはそう口にし、アークの出方を待つように視線を向けてきた。
例の帽子をかぶったアークは、返事などしなかった。
彼女のところに飛べると喜んでいたのに…なんてことだ。
魔法温存と命じられたせいで、テレポして戻るわけにも行かず、聖なる館に歩いて戻っているところだった。
「昨日、少しは仲良くなれたのかい?」
むっつりとしているアークを見て、何をどう考えたのかジェライドは肩を竦めた。
「しばらく間を置くのもいいんじゃないか? また、いい作戦を練るとしようよ」
アークは、ジェライドの言葉を聞き流し、足を速めた。
こんなことになるなら、朝のうちにでも飛んで、彼女の顔を見てくるんだった。
騎士団にどんな諫めが下るだろうかと心配で、それが終わってからと思ったのが間違いだった。
ぶすっとしている彼の顔から何を思ったか、ジェライドがまた昨日のことを蒸し返す。
「花の祭りの公式行事をすべてすっぽかすなんて…ありえないよ。みんなとんでもなく慌ててたよ。サリス様もひどくがっかりされて…」
すでに母親には、頭を下げて謝罪した。
祭り用の新しい衣装を作っていたらしく、着てもらえなかったとかなりがっかりしていた。
正直、その衣装に袖を通さずにすんでほっとしている。
母親が作る、花の祭り用の衣装は、正直アークの趣味ではない。
もう昨日のことなどどうでもいい。それより…
「なあ、ジェライド、魔法の消去はいつ行われると思う?」
「どうだろう。ゼノン様に直接お尋ねしてみればいいじゃないか。私には見当もつかない」
「二、三日後、くらいかな?」
その僅かな日数でさえ、いまのアークには、永遠なほどに遠く感じられる。
「魔法の消去という秘技が存在することすら、私は知らなかった。ゼノン様というお方は、まったく凄いお方だ」
ジェライドに言われて初めてそのことに気づいた。
そうだった!
封印ではなく、消去と父は言った。
「父上がいまどこにいるか分かるか?」
ジェライドは問うように眉を上げたが、答えをまたずに彼の瞳は金色に光った。
「聖賢者の間においでのようだよ」
「扉の外にテレポしよう。話が聞きたい」
「魔力の温存のこと、忘れてはいないか?」
そうだった。それでこうして、てくてく歩いているのだ。
アークは肩をすくめると、くるりと後ろを向いて後戻りしはじめた。
「今すぐ出向かなくとも、お呼びがあるまで待った方が良くないかな」
怖いもの知らずのジェライドも、聖賢者のゼノンには圧倒されるらしい。
声に微かな困惑の響きがある。
「別についてくる必要もないさ」
アークの言葉を聞いたジェライドは、聞こえよがしにため息をつき、渋々後をついてきた。
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