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第二話 聖賢者の任
ジェライドは、少し前を歩いているアークの後ろ姿を見つめて、きゅっと唇を突き出した。
昨日はまったくひやひやさせられた。
いくら透視しても、丸一日中、アークの居所はまったくつかめなかったのだ。
つまり、アークが心を寄せている娘のところに行っていたのは間違いないことで、無事に戻って来てくれるまで、彼は祭りどころではなかった。
さんざん肝を冷やしていたところに、ようやくアークは戻ってきたが、何を尋ねても何も教えてくれない。
少しでも彼女との仲が進展したのか、どんな按配なのか、少しは教えてくれればいいものを…
ライドもそうだったが、恋をしている男というものはやっかいだ。
騒ぎ立てるかと思えば、無闇に自分の殻に閉じこもりたがるし…
サエリという娘を探し出す前のアークは、無茶なテレポに夢中になっていて、あの頃からずっとジェライドは気を揉み続けているというのに…
どうやら安寧な日々など、訪れてはくれないらしい。
賢者の塔の入り口が見えたところで、ジェライドは歩を止めて騎士館を見上げた。
セサラサーが破壊した壁は、すでに綺麗に修復されている。
あのときの顛末が思い出され、ジェライドは笑いが込み上げてきた。
「そこか?」
アークから声を掛けられ、ジェライドは前に向いて眉を上げた。
立ち止まったアークは、騎士館を見つめている。
「セサラサーが電撃でぶち壊したというのは、どこら辺だい?」
「あの辺りだ。かなりやってくれたよ」
「さすがの君も、ぎょっとさせられたんだろうな?」
「まあね。セサラサーにそんなことをしようとする意志がまるでなかったからだろうけど…まったく予知できていなかったからね」
「セサラサーは、力を持ってるからな」
「うん。電の魔力については、トップクラスだね。でも、それを賢者として使いこなすには、相当の修練が必要だな」
「騎士と賢者はまるで畑違いだからな…セサラサーも苦労だな」
「まあね、でも一つの人生でふたつの道を究められるということでもあるからね。騎士として鍛錬してきた腕は、そのまま生きるだろうし…」
ジェライドは騎士館の壁から視線を外し、アークと目を合わせた。
「アーク、君と同じに…」
そう言ったものの、現実はセサラサーに厳しい。
セサラサーとアークでは、資質が違いすぎる。アークはこの世の特別なのだ。
ジェライドが娘のことを透視出来ないこと、そしてアークのように飛んでゆけないのは、まず間違いなく必要な魔力が足りないからだろう。
娘の国にいるアークをまったく感じることが出来ないのはそのためだし、アークを感じることが出来なければジェライドは飛べない。
恐ろしいのは、他の大賢者の誰もジェライドと同じだということ…
それが分かっているというのに、なぜか他の大賢者たちは、ジェライドのようには恐れを感じていないようなのだ。
それは何故なのだろう?
大賢者の一員としての面子なのか、昨日、長い時間パンセとともにいたのに、彼はその問いを口に出来なかった。
彼が未熟なために、大賢者であれば容易に理解できて当然のことが、理解できないのかもしれない。
私は、まだまだということなのだろうか?
「ジェライド」
アークの呼びかけに、ジェライドは顔を向けた。
すでにアークは昇降柱の中にいる。
開いている口から中へと入りながら、ジェライドはセサラサーが初めてこいつに乗り込むときのことを思い出してしまい、思わず吹き出した。
「ジェライド?」
「いや。セサラサーがこいつを怖がって、ずいぶん面白かったんだよ」
「は? これを? 怖いか?」
不思議そうにアークは言う。
物心ついたころから乗っていたのじゃ、アークにはセサラサーの気持ちは微塵もわからないだろう。
そう言えば、ずいぶん昔のことだが…ジェライドが初めてこいつに乗った時、セサラサーほどではなかったが、かなりびくついていたかもしれない。
「普通ではないからね。初めての者には気味が悪いと思うよ」
「そんなものか? なんてことないけどな…」
扉が閉じ、ほんの少し浮遊感を感じたあと扉が開いた。
聖賢者の間は、賢者の塔の最上階にある。
大賢者のみしか入れない場所だ。
ああ、もうひとりいた。
ジェライドは、目の前にいる人物を見て、笑みを浮かべた。
アークの母サリスが、彼らの登場を知っていたかのように微笑んでいた。
「母上。こちらにおいででしたか?」
母親の姿を見て、アークは声を掛けながら歩み寄って行った。
サリスはアークを見つめて笑みを消し、少し咎める表情になった。
父親のゼノンは窓の側にいて、外を眺めていたようだが、ゆっくりと振り返ってきた。
「来たな」
頷きながら言い、ゼノンは小さく笑う。
「ゼノン様」
姿勢を正したジェライドは緊張を見せて、ゼノンに向かって頭を下げた。
「また、食事をすっぽかすつもりですか? アーク」
アークは額の片側を手のひらで軽く叩いた。
「すみません」
母と息子のやりとりに、ゼノンはおかしそうに口を覆った。
そしてサリスの肩に手を置き、許してやれというように、そっと叩いた。
どうも、それだけで夫婦の会話は成り立ったらしい。
「仕方がないわね」
すでに、テーブルの上には四人分の昼食の用意が整っていた。
キュラのパイを目にして、アークはサエリに思いを馳せた。
下町の庶民が作ったキュラのパイもおいしかったが、母親の作ったこのパイは格別美味い。
このキュラのパイを彼女に食べてもらえる日は、いつになるだろう?
聖なる館に彼女を迎える日が、早ければ早いほどいいのに…
ふと気づくと、ジェライドがじっとこちらを見ていた。
アークは眉をきゅっと寄せた。
彼の気が緩んだ瞬間、ジェライドは彼の思いをいくらか感じ取っただろうか?
四人での昼食が終わると、サリスが帰ってゆき、五人の大賢者が入れ替わるようにやって来た。
アークはジェライドと並んで、椅子に座り込んだ。
キワトにショーモ、フゲム、ドーズ、それからムスト。アークも久しぶりに顔を見る面々ばかりだ。
今回の儀式のために、ゼノンが呼び集めたのだろう。
会議はゼノンの進行で、すぐに始まった。
「…魔法の消去には、かなりな危険を伴う、至難の技だ。使わずにすめば一番良いのだが…」
ゼノンは低い声で淡々と説明を進めてゆく。
「バッシラ草をすべて焼却してしまえば、それで良いかも知れぬ。が、いくばくかの危惧が残る。魔法を秘めた植物は知っての通り、強い生命力を持つものだからな。すべて消去したと油断していると、とんでもない事態になりかねない。だからといって、あのバッシラの広大な領地を、四六時中見張っているわけにもいかぬ。消去の技を使うのも、致し方なかろう」
名もなき植物は、どうやらバッシラ草と名付けられたらしい。
「消去魔法とは、いったいどんなものなのですか?」
アークはゼノンに問いかけた。
早くそれが知りたい。
ゼノンはアークに向けて頷き、すぐに口を開いた。
「詳しく語る前に、みなに言って置くことがある。…私は戦乱の時に…。数回この技を使ったことがある。…まったく、怖い者知らずだったものだな、私は…」
そう口にしたゼノンは、自嘲的な笑みを浮かべた。
「この秘技は、よほどのことがない限り使わないほうがよい類のものだ。理由は三つある。一つには、いったん消去した魔法を復活させることは、もはや誰にもできないから。二つには、消去の時には、多大な魔力が十分にあることが必須で、もしも、魔力が足りなかった場合、どんな事態になるか私にも見当がつかない。消去に必要な魔力の量を推し量ることはできないのだ。三つには、予測不可能な危険が伴うということだ。それらのことをよく承知して置いて貰いたい。…とにかく、僅かなりとも誤謬があってはならん、細心の注意を怠らずに行うこととしよう」
部屋が極度の緊張に張りつめたようだ。
アークも無意識に、ぎゅっと顎に力を入れていた。
「では、消去の技について説明するとしよう」
アークとジェライドが出て行き、充分な間をおいてから、ゼノンは聖賢者の間の壁全体にシールドを発した。
これで一切外部からの接触を絶てる。
五人の大賢者が身動きもせず、ゼノンの言葉をじっと待っている。
彼らが思い煩っていることは察していた。
聖なる血筋のふたりが、今回の秘技で危ういことに巻き込まれでもしたら…と懸念しているのだ。
「みなの言いたいことは解っておる。できれば私もアークを外したい。だが、この秘技には、あやつにも立ち会わせておきたいのだ。それは分かってくれるな」
ゼノンは一同を見まわした。
それぞれが丁重に頷きを返す。
「何が起きようとも、アークを守らねばならぬ」
ゼノンの言葉に、全員が強く頷いた。
「誰かに何事かあれば、あやつは自分の身を省みることもせず、助けようとするだろう」
ゼノンは困ったように言ったが、その口調は微妙に誇りが混じっていた。
「言わずと知れたことと思うが。私とアークの双方に何事か起きたら、躊躇することなく、アークを救う事だけに力を注げ」
ゼノンは厳しく命じるように言った。
居合わせた大賢者の表情が、目に見えて固く強ばった。
ゼノンはそんなことに頓着せず、この場のシールドを解き、宙に目を据えた。
一瞬後、ゼノンが呼んだ大賢者バイラとムドク、そしてエルドムの三人が姿を現した。
三人は折り目正しく深々と礼をした。
「今回の秘技の事はおぬし達もすでに聞き及んでいることと思う。魔力多き若者の加勢を頼みたいのだ。必要なのは魔力。賢者でなくとも修練中の弟子達でもよい。突出した魔力を持つ者を大勢選抜してもらいたい。日時はまだはっきりと定められぬ。焼却の具合を見定めてということになると思う。それまで、選抜した者達には魔力の温存を厳重に命じておくように」
ゼノンの話が終わったのを見定めて、大賢者バイラが一歩進み出てきた。
「ゼノン様、どうか私めにも、手伝わせてはもらえませぬか?」
「大賢者バイラ、そなたには今回の秘技は難儀ではないかな」
バイラは無念そうに肩を落とした。
ムドクは八十六、エルドムは九十を過ぎているが、バイラはこの春で七十二になったところだ。
「ゼノン様がそうお考えであれば、お言葉に従いましょう。ですが、できますれば、秘技の場には居させていただきとうございます」
「居るだけと申すならば、大賢者バイラ、そなたの好きにするがよかろう」
大賢者バイラは謙虚な笑みを見せ、深々とお辞儀をした。
その瞬間、ゼノンは微かながら嫌な予感を感じた。
ゼノンはさりげなく、この場にいる全員を見回したが、秘儀にたいして、みな深く思いに浸り、彼と同じ予感を感じたものがいるようには見受けられなかった。
全員が聖賢者の間から去り、ゼノンは無意識に窓に歩み寄り、外に目を向けた。
平和な世が、目の前に広がっている。
それを守るべく、彼はここに存在しているのだ。
どうやら今回の秘儀、何事もなく終えるというわけにはゆかないようだ。
それでも秘儀を中止するわけにはゆかない。
それをすれば、とてつもなく大きな災いを受け入れねばならなくなるだろう。
ゼノンは壁に手を当ててきつく目をつぶると、長い長い息を吐き出した。
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