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第四話 成すべき事
「ジェライドは、どうしたの?」
十時のお茶の時間、いつものように顔を出したアークに、母サリスが聞いてきた。
それは彼が聞きたい。
家に居るときは、母の好きなこの部屋でお茶の時間を過ごすのが習慣になっている。
広々とした部屋は天井が高く、落ち着ける家具がいい按配に置いてある。
「来ないのですよ」
アークは椅子に腰掛けながら答えた。
「あら…? 何かあったのかしら?」
彼の好物のキュラのパイを切り分けながら、サリスは不思議そうな顔になった。
「さあ…」
彼が訪問すべき最後の予知者ジェライド。
彼はアークの側近のような存在で、いつでも鬱陶しいほど側にくっついているのだが…
今日に限ってやって来ないことには、きっとなんらかの意味がある。
つまり、アークの方から、彼のところへやって来いということなのだろう。
「父上は?」
「来客が多くて、今日はとても忙しいようなの。昼食には戻るとおっしゃっていたわ」
アークは頷き、母親と差し向かいでお茶を飲んだ。
「アーク、何かあったの?」
カップを手にしたまま彼が思案げに眉を寄せていたからか、母親に問い掛けられてアークは軽く首を左右に振った。
「何もありませんよ」
「そう?」
「母上、…キュラのパイ美味しいですよ」
夢の女性の事を口にしようとしたものの、どうしても口にする気になれず、彼は話を誤魔化した。
どうにも胸の中がすっきりしない。
確かに彼も、目の前にこれまでとは違う何かが迫っている気がする。
それがいいことなのか悪いことなのか、おかしなことにさっぱり分からないのだ。
ただ夢の中の女は、確実に彼の未来に関わってくるだろうことは感じ取れるし、いまの彼を根底から覆す存在になるような気がしてならない。
自室に戻ったアークは、行動を起こすことを渋る自分を叱咤して、手のひらの玉を睨みつけた。
前に進むしかないんだろう。
大賢者ポンテルスもキラタもマリアナも、行動を起こせと彼に言う。
もう土壇場まで来ているのだ。
だから予知者たちは彼に関与してきた。
夢の女をアークが見始めたのはひと月前、気になって女を捜したというのは嘘ではないが、彼は本気で捜してなどいなかった。
見つからなければいいと思っているくらいで…
彼はいまの生活が気に入っている。女になど関わりあいたくない。
アークは顔をしかめてため息をついた。
嫌だろうとなんだろうと、やらなければならないんだろう。
彼は腹立ち紛れに、玉に魔力を込めた。
アークを待っているのだろう、ジェライドの元に…
揺らいでいた視界が少しずつはっきりとしてきた。アークは眉を寄せた。
ここは?
彼は少しばかり狼狽えた。まさかジェライドがこんなところにいるとは…
修練中の若者の指南でもしているんだろうと、見当をつけていたのだが…
「お待ちしておりました、アーク様」
座っていた椅子からすっと立ち上がり、ジェライドは深々と頭を下げてきた。
そんなジェライドに目を向けたものの、アークは周りを見回して顔をしかめた。
シャラティ宮殿の謁見室。
様々な問題を抱えて各地方の大臣や領主、種族の長またはその使者などが王に相談をするためにやってくる。
ここはそのための謁見の場。
この国では、聖賢者と王家は同等。
国の政策は王家の者に任され、魔法に関すること全てを、聖賢者が取り仕切る。
母親が言っていた通り、今日は千客万来、大賑わいのようだった。
謁見室の隣の部屋からは、ざわざわと人声が漏れ聞こえてくる。
彼が突如現れたがために、王に謁見していた者達は隣室に戻されてしまった。
申し訳なく思ったアークは「すまない」と頭を下げたが、悲鳴をあげそうな表情で頭を激しく左右に振りながら、駆け込むように隣の部屋に戻っていった。
噛みついたりなどしないのに…
アークはまず誰よりも先に挨拶と謝罪をすべき相手、ローデス王と妃のミュライ、そして王の隣にいる彼の父ゼノンの前に進み出た。
「無礼を致しました。申し訳ありません」
彼は謝罪を込めて、深く頭を垂れた。
テレポで謁見室に入るなど、無礼どころではない、あってはならない所業だ。
「アーク、謝罪は必要ない。君が来ることはジェライドに、聞いていた」
王の言葉にアークは眉を上げ、ジェライドに振り返った。
「もしかすると、おいでになるかも知れないと…申し上げておきました」
アークはジェライドに睨みの一瞥を向け、顔を戻した。
もう一言、詫びを言い、この場から退散しようと考えているアークの隣に、ジェライドがやって来た。
「始動の時が、いよいよ迫ってまいりましたね」
ジェライドは、たぶんわざとだろうが、部屋にいる者全員に自分の言葉が聞こえるように声を張り上げた。
「なんだ。何を始めるんだ、アーク」
意味ありげな言葉を耳にした王ローデスは、当然そう尋ねてきた。
顔を歪めたアークは、ジェライドに咎める視線を向けた。
夢に出てくる女を捜しに行かなければならなくなったなど、絶対に知られたくない。
父親はと見れば、何を考えているのか推察しようがない相変わらずのポーカーフェイスだ。
アークと目を合わせたゼノンが、何もかも知り尽くしているような眼差しで、微かに頷いたのに応えて、彼も頷き返した。
聖賢者である父親が、どれほどの予知能力を持っているのか、彼には計りようがない。
アークと同程度の予知力しかないのかも知れないが…
彼は父親からジェライドに視線を移した。
「で、ジェライド…君は私に何が言いたい? それも、なんでここなんだ?」
アークは潜めた声に鋭さを込め、早口に問いただした。
「私には、お伝えすることはありません。事は未だ進行致してはおりませんから、アーク様」
いつもは呼び捨てのくせに、何がアーク様だ。
ジェライドはアークとあまり変わらない年齢であり、彼の友人の一人だ。
彼は大賢者と呼ばれる者の中でもひときわ異彩を放つ。
予知力もさることながら魔力にも優れ、二十二歳という若さで、もはや賢者の最高位、大賢者の称号をゼノンより賜っている。
大賢者の、公式の白い衣装を身にまとい、紫色の腰まである長い髪を大きな三つ編みにし、白いリボンで結んでいるこの男を、初対面の誰が男と見分けられるだろう。
「事態を進行させればいいんだろう?」
ジェライドに対して文句が言いたいのを堪え、アークはなるべく冷静に問い返した。
「ええ。もちろんそうです。私もご一緒させていただきましょう」
ジェライドは、その場で、ゼノンと王と王妃に向かってお辞儀をした。
「皆様、私はこれで失礼致します」
もちろんアークはジェライドについてゆくつもりだ。
「それでは、私もこれで」
アークも三人に頭を下げ、ジェライドと肩を並べて部屋を後にした。
謁見室を出た二人は、宮殿の大きな通廊を歩いて出口へと向かった。
時折行き会う聖騎士らが、彼らに出逢う度、腰に下げた剣を後ろ手に回し、片膝ついて深々とお辞儀をする。
肩幅の広いカッチリとした濃紺の衣服には、金と銀の品のいい刺繍が施してあり、白いシャツの襟元には聖騎士の紋章が印されてある。
マントは衣服よりは幾らか明るめの紺だ。
重そうに見えるが、実際はつけているのを感じないほど軽い素材で出来ている。
実はアーク自身も聖騎士団の一員なのだが、聖騎士の衣装を義務化されていないので、今日の彼は生成色のシャツと紺のズボンという軽装だ。
魔法剣を扱え、充分な剣術に長けたものは、聖賢者ゼノンより魔剣士の称号を賜り、さらに秀でた者が聖騎士となる。
聖騎士らは、聖なる力を込めた指輪を聖賢者より賜り、肌身はなさず身につけることになっている。
アークの左手中指にも、その指輪ははまっている。
ジェライドの指には大賢者の地位を示す指輪があった。
ちなみに、王家の血筋を引く者は、王家の紋章入りの指輪を授かっている。
そして賢者となるのは、十種類、全ての魔力を持つ男性に限られている。
もちろん女性でも全ての魔力を持つ者がいるのだが、性差別などからではなく、女性は妊娠して子どもを授かると、なぜか魔力に変化が出て、あった筈の魔力がなくなってしまったり、なかった筈の魔力が増えたりということを、妊娠する毎にくり返すのだ。
それがために女性は賢者とはなれないが、世に希な魔法の使い手はたいがい女性だというのが不思議なところだった。
「私が最後だったね」
そろそろ宮殿の外へと出ようかという辺りで、ジェライドがいつもと同じ口調で話しかけてきた。
「意味があったと言いたいんだろうな?」
アークはジェライドの言葉を無視し、渋い顔で聞いた。
「もちろんだよ」
「で、謁見室はどんな意味があった」
「王様や王妃様には、事の成り行きをお知らせしとくべきだからね」
「あれっぽっちで何が起こっているかなんて、分かるはずもないだろう」
「それはまあね…けど、何かが起こり始めたことは感じられたはずだよ。それはとても大切な事だ。おふたりが君の力になる時がやってくるかもしれない。そのためにも、ちゃんときっかけを与えておかなけりゃ」
「王や王妃に、世話になるようなことが起こるというのか?」
「そんなことまではわからないさ。そうすべきだと感じたから、その感覚に従ったまでだよ」
「大袈裟すぎないか? たかが…」
彼が夢に見た女を捜し出すだけのこと…
「アーク、君は…」
ジェライドは言おうとした言葉を途中で取りやめた。
「なんだ?」
何を言い掛けたのかひどく気になり、アークは尋ねた。
「物事を進めなきゃ」
まるで先ほどの言葉の続きのようにジェライドは言ったが、アークは納得できなかった。
ジェライドは間違いなく言葉をすげ替えた。
だが、本当は何を言いかけたのかと問いただしたところで、ジェライドは絶対に口にはしないだろう。
大賢者は言葉を選ぶ。
いま口にしようとした言葉は、口にすべきではない言葉だったのだろうが…アークとしては、だからこそ気になってならない。
「成すべき事を滞り無くなさねば、我々の存在価値はなくなる。予知者は予知者らしく…そういうことさ」
成すべき事を滞りなく…
ジェライドはジェライドの成すべき事を…そして、彼の成すべき事は、夢の女を捜すこと。そう言いたいのだろう。
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