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第十話 実在の証
彼にとって正体不明の肉を、しばし沈黙して見つめていたアークは、おもむろに一切れ頬張り、じっくりと味わうように口を動かし始めた。
まるで、料理長が弟子の作った味の検分をするような調子だ。
花の祭りでは、沙絵莉もこんな感じだった。
異世界の料理を味わうというのは、それなりに勇気が必要だ。
「どう?」
沙絵莉はアークの盛り上げた野菜の固まりにフォークを刺しつつ、彼に尋ねた。
トマトは変なところで半分に切ってあるし、キュウリも同じようなものだ。
初めて包丁をもたせてもらえた子どもだったら、こんな切り方をするかも…
これまで料理などしたことがないからなのか、それとも彼の世界のサラダは、こういう切り方をして盛り付けるのが普通なのか?
たぶん、前者に違いない。
「ああ、悪くない」
また同じ返事。
沙絵莉は思わず吹いた。
視線を上げたアークは、沙絵莉の瞳を見つめ返しながらもう一切れ口に入れ、笑みを浮かべる。
語らなくても彼の気持ちが伝わってきて、ひどく嬉しさを感じ、沙絵莉も微笑み返した。
ふたりがいま一緒にいられることに、どちらもしあわせに感じている。
どうしてなかなか会いに来てくれなかったのか、もちろん彼女だって知りたい。
けど、話せないのであれば、受け入れるしかないのだ。
こうしてやって来てくれたということは、もう用事は終えたということなのだろうか?
これからは、ちょくちょくやって来てくれるのだろうか?
食べ続けているアークに向けて、沙絵莉が問いかけようと口を開きかけたそのとき、ふと思いついたというようにアークが顔を上げた。
「あの、じてん…何と言ったか。あれは面白い乗り物だな。私も乗れるだろうか?」
「自転車ね。ええ、練習すればきっと乗れるようになるわ」
沙絵莉は、遅ればせながら彼の怪我のことを思い出した。
「そういえば、アーク。足は? 手当しなきゃいけなかったのに…痛むんでしょ?」
「ああ、そうだった。忘れていた」
アークが食事を終えたのを見計らい、沙絵莉は薬箱を取ってきて床に置いた。
「どこ?」
ソファに腰かけたアークがズボンをめくる。
彼の足を見たが、どこにも傷など見当たらない。
「ないじゃない。傷」
「そうか、放っておくと自然治癒するんだな」
納得したように言うアークに、沙絵莉は眉を寄せた。
「自然治癒?」
「癒しが勝手に作用したらしい。傷をそのまま放って置いたことは一度もないんだ」
癒しが勝手に作用?
ともかく、傷が勝手に治ったということらしい。
沙絵莉は驚きにパチパチと瞬きした。
「それじゃ、どんな病気でも治ってしまうの?あなたたちは不死身ってこと?」
アークはおかしそうにくすくす笑い出した。
「いくらなんでも不死身ではないさ。年を取れば当然寿命がつきるし、事故や病気で死ぬ者もいる」
「だって傷が勝手に治るんでしょ? 現に、いまだって、貴方の傷は…」
「それは私が癒しの技を使えるからに過ぎない」
「みんなが使えるわけではないの?」
「ああ。花の祭りでもそうだったろう? 使える魔力は個々で違う」
そうだった。浮遊や幻の魔法をみんなが使えるわけじゃなかった。
みんなそれぞれに、秀でた魔法があるんだった。
「でも、癒しは傷や病気を治せるんでしょ?」
「ああ。そうだな。けど治癒者は多くは少ないし、術の程度によって金額が違う。高度な癒しはとても高価だ」
アークのその説明は、受け入れ難かった。
「それって、かなり不公平じゃないかしら。魔法で傷が治せるんだったら、誰にでも公平に…」
アークは、沙絵莉の言葉は納得がゆかないというように顔をしかめた。
「サエリ。君の国にだって、治癒者はいるだろ? 怪我をしても病気になっても何もしないなんてことはないはずだ」
「治癒者なんて…お医者さんならいるし、病院があるけど」
「つまりそこでは、なんらかの治療を施すのだろう?」
「そうだけど…。だって、魔法で治療できるなら、簡単そうだし、出し惜しみしないでお金のないひとも治してあげればいいんじゃないかなって…」
「そうはいかない。癒しというのは、治癒者の魔力をかなり消耗する技なんだからね。病が重ければ重いほど、治癒者も危険にさらされる。治癒者自身が死に至る場合もあるから…とても難しいものなんだ」
沙絵莉は納得してこくこくと頷いた。
いくら魔法の世界だといっても、物語の中のお話じゃなくて、やはり現実の世界なのだ。
絵本の中の魔法使いのおばあさんみたいに、チチンプイプイなんていかないわけだ。
「なんか残念だわ。…魔法のある世界でも、現実は厳しいのね」
「サエリ、君の国は、魔力をどう定義づけしているんだい?」
アークの問いは、沙絵莉を戸惑わせた。
「定義づけって言われても…。私たちに、魔法は使えないもの」
そう答えたものの、沙絵莉は超能力という言葉を思いついて考え込んだ。
アークの世界の魔法は、つまりは超能力ってことなのだ。
ということは、ないとはいえないわけかしら…
「まあ、魔法らしきことのできるひともいるのかも。…けど貴方の住んでる世界みたいに、浮遊の技なんて使える人はいないと思うし、幻なんてもの、誰も見せられないと思うわ」
「ずいぶん曖昧な答えだな。否定はしないが、肯定もしないというわけかい?」
「そうなの。そういうことなの。つまり、とても曖昧なのよ」
アークは、沙絵莉の言葉を受け入れられないらしい。
沙絵莉とは逆で、魔法が当然という世界で育ったために、それがない世界というのが彼には信じられないのだろう。
「しかし、君たちが利器に使用している電力も火力も魔力のひとつだ。大気中にも満ちている」
沙絵莉は首を傾けて、彼の語った言葉をじっくりと考えた。
「私たちには、その魔力を魔法の力としては扱えないってことなのね」
「そうだな。…そういうことなんだろう」
食事が終わり、ふたりは一緒に後片付けをした。
アークはかなりぎこちない手つきだったが、食べさせてもらったら手伝うのが当たり前と思っているようだった。
紅茶を入れて居間のテーブルに置いた途端、アークの質問責めがまた始まった。
まずはパソコンの説明。
文字が読めないのでは理解も難しいだろうに、沙絵莉の説明を聞きつつ、画面を食い入るように見つめている。
そんなアークが一番気に入ったのはテレビだった。
パソコンをいじりながらも、つけっぱなしのテレビの画面を終始気にしている。
テレビについてもそれなりに説明をしたが、沙絵莉の説明程度では、理解など出来なかったに違いない。
「幻の術に似ているでしょう?」
そう彼女が言うと、あれは人の脳から発する映像で、これとは根本的に違うようだと鋭い指摘をする。
「脳に記録した映像ということね。でも人の記憶はデータのように正確ではないでしょうし、きちんとした記録として残したりはできないわね。やっぱり、文字で書いて本として残すの?」
「それもあるが…それだけでなく保存方法は色々あるさ。それよりサエリ、これだけ幾種類もの映像と音を同時に流し続けて、どうしたって全てを見られはしないだろう?」
「そりゃあ、無理ね」
「もう少し、数を少なくすればいいと思うが…」
「そうね、多すぎるかもしれない。けど…よほど見たいものは録画できるし…」
「録画?」
「ええ、撮って置けるの」
「この映像を取っておけるのか? いったいどうやって?」
アークの問いはキリがなく、その後一時間ほども、沙絵莉は彼のとどまることのない問いと向かい合う羽目になった。
話の流れで、アークはカメラとビデオカメラに強い興味を持ったようだった。
「写真は、これでも撮れるのよ、貴方を撮ってみましょうか?」
沙絵莉は携帯を見せつつ問いかけたが、内心かなりドキドキしていた。
写メでアークの姿を撮れたら、彼がいないときに、いつでも存在を確かめられる。
「私をか?」
「い、嫌?」
「そんなことはない。では、やってみてくれ」
沙絵莉は真剣な顔をしているアークを被写体に、シャッターを切った。
撮ったばかりの画像を確認した沙絵莉は、ちゃんとアークが写っているのをみて、どうにも胸がいっぱいになった。
彼は現実に存在してる。
写真に撮れたことで、そのことをしっかりと実感できて、無性に嬉しかった。
「どう?」
携帯の画面に映っている自分を目にし、アークは感慨深そうに首を振った。そして愉快そうに笑う。
「サエリ、わたしもやってみたいが…いいかい?」
「いいけど。それじゃ、こうして私に向けると、ここのところに私が映るから、ここを押してね」
言われたとおりに携帯を沙絵莉向けたアークは、驚きの叫びを上げた。
「驚いたな、本当に君がここに」
苦笑しつつ首を振ったアークは、楽しげな笑みを浮かべてシャッターを押した。
自分が写した沙絵莉の画像をしばらくの間見つめていたアークだったが、そのあと、ずいぶん思案げな顔になった。
「この国と私の国とで行き来をするのは、やはり危険なことだろうな」
沙絵莉はなんと返事をすればいいのかわからず黙っていた。
「あまりにも違いがありすぎる。君たちの利器は我々には必要ないし、我々の魔力を、君の国の住人はきっと快く思わないだろう。父上の言ったように、このままにしておくのがいいんだろうな」
どうやらアークは、真剣にアークの世界と沙絵莉の世界の行き来を考えていたらしい。
「ア、アーク、行き来とか、もちろんありえないわよ」
沙絵莉の言葉を聞き、アークが頷く。
「私は今まで、さまざまな国をテレポによって発見してきた。どの国も、それぞれに個性があり…中には野蛮民族の住む地域もあって、相容れない場合もあったが、友好的な国も多かった。そういう国とは国交を持つようにしているんだ。互いの珍しい物品などの交換をしたり、利器の交換などしたりね。でも、ここは、あまりに異種すぎる」
異種と言った自分の言葉がよくなかったとでも思ったのか、アークは慌てたように取りなしはじめた。
「サエリ、異種というのは、悪い意味で言ったのではないのだ。違いが大きすぎるということを言いたかっただけで…。誰でも使用できる利器が手に入るとしたら、誰しも欲しがるだろう。そうなれば、自然の法則に波紋を広げ、魔法に危機を招くだろうと思うんだ」
彼女の世界と彼の世界が国交だなんて思いもよらないし、とんでもない事態を招きそうだ。
アークの住む魔法の世界は、沙絵莉の世界では夢の世界だ。誰にも知られないようにしておくべきだろう。
「私も貴方の言うとおりだと思うわ」
意見の一致を見てアークが笑みを浮かべ、彼女もつられて笑い返した。
「貴方は、色んな世界を探すのが仕事なのね?」
「まあ、それもあるが…正式な役職は聖騎士だ。聖賢者の…弟子でもあるかな」
セイキシ? セイケンジャ?
彼女の頭の中で、そのふたつの言葉はまるで意味をなさない。とても不思議な韻を含んで聞こえた。
ただ、弟子という言葉が強く頭に残った。
「つまり…あなたは魔法使いの弟子ってこと?」
その表現が面白かったらしく、アークが声を立てて笑う。
「そうだな」
楽しげに肯定したアークが窓の外に顔を向けた。沙絵莉も目を向けてみると、いつの間にか、外はすっかり暮れなずんでいる。
アークがおもむろに立ち上がり、沙絵莉は胸が詰まった。
彼は帰るつもりだ。
急に周りの景色が色あせた気がした。
「アーク…帰るの?」
「ああ、そろそろ帰らなければ。長いことこちらにいたから、きっと心配しているだろう」
誰が? と思ったが、口には出さなかった。出せなかったのだ。
今度いつ来るの?
その問いも頭の中で空回りする。
アークの眼差しが彼女に注がれ、沙絵莉は彼を見返した。
胸が疼き、苦しくてならない。
「沙絵莉。また…」
その言葉とともに、彼はすっと消えた。
手を伸ばす間もなかった。
アークがいた場所が、ひどく空虚なものに見える。
どうして毎回、こんなにもあっさり消えるのだろう?
もう少し複雑な動きで、そろそろだぞとか思わせるような動作の後で消えればいいのに…
こんなじゃ、まるで現実味がない。
いる間は彼の存在を信じていられるけど、消えてしまった途端、彼女の頭の中の産物でしかないように思える。
彼女はソファにころんと転がった。
ほんのり温かい。
残されていたアークの温もりを感じて、瞳が潤む。
このぬくもりは彼のものだ。アークは存在してる。
沙絵莉はハッとして身を起こした。
そ、そうよ。写メ…
テーブルの上の携帯を焦って取り上げた沙絵莉は、息を詰めてアークの画像を開いた。
いた…ちゃんと…
笑みを浮かべていないアークは、じっと沙絵莉を見つめてくる。
実在の証だ…
安堵と嬉しさが胸いっぱいに広がる。
口元に笑みを浮かべた沙絵莉の頬に、涙が一滴伝った。
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