|
第二話 池のほとりのひと悶着
修練場での仕事を終えて、片手に昼食の包みを下げたパウエイは、宮殿の庭へとやってきた。
ここで人と落ち合って昼食を取ることになっているのだ。
約束の場であるあずまやに誰もいないのを確認したパウエイは、ほっとしつつ弁当を台に載せ、椅子に腰かけた。
木々の枝葉が風に揺れ、日差しと木陰のあるなんとも癒される風景だ。
ほんとうに、ここは落ち着ける素敵な場所だわ…
パウエイは笑みを浮かべて大きく深呼吸した。
約束の時間までまだ少しある。
あの方がやって来たら、きっとひどく緊張してしまうだろうが…
落ち着かない気分になったパウエイが、もう一度深呼吸したところで、数人の女性の声が耳に入ってきた。
誰かやってきてしまったらしい。
彼女は顔をしかめて声のする方向を窺ってみた。
宮殿の方向から女性の一団が足早にやってくる。
パウエイは表情を曇らせた。
できることなら絶対に会いたくなかった相手に会ってしまったようだ。
一番派手に着飾った女は、パウエイに目を止めた途端、足に絡む長いスカートを苛立たしげにめくり上げ、ずいずいと近づいてきた。
パウエイは胸の中で、疲れたため息をついた。
宮殿に勤務している官僚の息女達だ。
三人の息女には、護衛兵が一人ずつ付き従っている。
高位高官の息女らは、こんな風に出歩くとき護衛兵をつき従わせることができるのだ。
剣士の位だった頃、パウエイは運悪く、この見るからに高慢そうな女、エドニの家の護衛兵を任ぜられていた。
美しい女だが、ひどく傲慢で我が侭なのだ。
口から出る言葉と言えば皮肉ばかりだし…
パウエイも、無理無体なことばかり命じられて、とんでもなく困らされた。
たぶん、気の強いパウエイの態度が気に食わなかったのだろうが、パウエイが窮地に陥る様を眺めては、意地悪くほくそ笑んでいた。
いまもまだ、供を連れて歩き回ることに優越感を感じるという傍迷惑な性分は変わらないらしい。
この国ではみな、何がしかの仕事に従事しなければならないと法で定められている。
もちろん官僚の息女であるエドニも、例外ではない。
仕事を与えられるたびにあれこれ文句をつけては、仕事を変えていたが…いまは何をしているのだろうか?
六人の女性がそれぞれの思いを背負った顔でパウエイの前に居並んだ。
パウエイは思わず同情の視線を護衛兵の三人に当てていた。
彼女達の気苦労は骨身にしみてよく分かる。
「パウエイじゃないの。あなたずいぶんと元気そうね。うちをクビになって、どこか辺鄙な地域にでも派遣されたかと思ったのに…こんなところで会うなんて。それにしても、ずいぶんとのんびりしてるじゃないの」
ずいぶん嫌味たらしく言われたが、パウエイは黙っていた。
エドニの連れの者たちは、ハラハラした様子でふたりを見つめている。
「いったい、いつまで座っているつもり。お立ちなさい!」
キンキンと喚かれ、パウエイは黙って立ち上がった。
従う義理はなかったが、エドニには、ともかくこの場からさっさと消えて欲しかった。
こんな取るに足らない女とやりあっているところに、待ち人がやって来たら恥ずかしい。
「アーク様が、いまここを通られたでしょう?」
エドニはイライラした様子で、早口に聞いてきた。
よく見れば、かなり急いでここまで来たようで、汗を流しハアハアと息を切らせている。
「いいえ、お見かけしておりませんわ」
アーク様の名に驚き、パウエイは無意識に答えていた。
疑ったような視線を向けながらも、一刻も無駄にできないというように、エドニは駆けて行った。
残りの女達はパウエイに緊張した目を向けつつ深く頭を下げると、エドニの後を追っていった。
彼女達を見送っていたパウエイは、どうしたものか迷った。
アーク様が本当にこの先においでだとすると、エドニがどんな迷惑をかけぬとも限らない。
約束の相手は現れないし…
束の間躊躇したが、パウエイは女達の後を追った。
いやしくも騎士と名乗るならば、私事は二の次。
聖なるアーク様を守らねばならない。
身軽く駆けて行くパウエイは、女達にすぐ追いついた。
大きな池の淵に、彼女はアーク様の姿を認めた。
ほ、本当においでだとは…
遠目にも何か物思いに沈んでいらっしゃるご様子が窺える。
アーク様に意識を囚われていたパウエイは、エドニの姿に遅れて気づいた。
なんとエドニは、アーク様の方へと無遠慮に歩み寄ってゆくではないか。
あまりのことに、パウエイは身が竦んだ。
エドニ…い、いったい何を考えて…
「ちょっとお前、ここらでアーク様を見なかった?」
エドニはひどく横柄な態度で、傲慢そうに声を掛けた。
すっと血の気が引き、パウエイは息が止まった。
聖なるアーク様ご本人に対し、信じられぬ暴挙だ。
下々の者は、聖なるアーク様に自ら話しかけることはできない。
あ、あの女は、何を考えているのだ。
当のアーク様に対し、アーク様のことを尋ねてどうするのだ?
エドニの後ろでは、連れの者たちがアーク様とエドニのことを眺めている。
あの様子では、あの者達も、アーク様だと気づいていないとしか思えない。
あまりのことに身動きできないでいたパウエイだが、なんとか息を吐き出し、駆け出した。
これ以上の無礼を働く前に、エドニを止めなければ…
帽子を目深にかぶったアークは、エドニの声に物思いから覚めた。
この女性は…官僚の息女だったか?
名は、なんといったかな?
ちょっとお前。などと、これまで声をかけられたことはない。
どうやら、この帽子のおかげで、彼がアークだとはわからないらしい。
「…私以外、ここには誰もいないようだ」
アークは、無難にそう答えた。
帽子の効果に、つい頬が緩む。
「嘘おっしゃい。たしかにこちらへ来られたはずよ」
唾を飛ばす勢いで詰め寄ってくる。
おやおや…
どうやら自分は淑女だということを、この女性は失念しているようだ。
淑女らしからぬ女性のすぐ後には、五人の女性がいる。
見たところ、その中の誰も、アークに気づいていないようだった。
アークは、池の縁を全速力でこちらへと駆けてくる人物に気づいた。
あれは…魔剣士の…名はなんといったかな?
「いつまで黙っているつもり!」
噛み付くような声に、アークは顔を戻した。
「この先は行き止まり、いらっしゃらないわけがないわ。嘘をつくと仕置きを受けることになるわよ」
「嘘はついたことがない。君は誰だったかな?」
彼のその言動が気に食わなかったらしく、女は見るに堪えないほど醜く顔を歪めた。
両手を脇のところでワナワナと震わせ、両脚は広げて地面を踏ん張っている。
「誰だったか、ですってえ。この私を知らぬと言うの。なんて無礼な。サラ!こいつを捕まえなさい。ミルサァ、男の警備兵を呼んでいらっしゃい。いますぐよっ!」
鼻腔を広げ、毒々しく叫ぶ。
命令された護衛兵が宮殿へと駆けてゆく。
そしてもうひとりの、サラというらしい護衛兵は、困った様子で一歩前に出てきた。
どうやら、アークを捕まえるつもりらしい。
やれやれ…
「おやめなさい、サラ!」
アークがさっさと消えようと思った瞬間、その声は飛んできた。
護衛兵はピタリと動きを止めた。
素早い身のこなしで、魔剣士はサラの動きを封じる程度に軽く押さえつけた。
「何をするのよ、パウエイ」
アークに無遠慮な物言いをしていた女は、顔を真っ赤にし、地団駄を踏んで怒鳴りつけた。
そうだった、彼女の名はパウエイだったな。
「おだまりなさい、エドニ。ケイシュ、エドニを捕まえておきなさい」
護衛兵は戸惑った様子ながらも、騎士であるパウエイの命にすぐに従った。
パウエイはサラの肩をやさしく叩いて後ろに下がらせ、アークの前に片膝をついた。
そして剣を背に回し、深々と頭を垂れた。
「このような無礼を許してしまい、申し訳ありませんでした」
「いいさ。魔剣士パウエイ」
「あ…は、はい」
彼女は、美しい青い髪を、先の戦のために切ったと聞いている。
「…先の戦では、お互い大変だったな。聖騎士ギルが、君の活躍をとても褒めていたぞ」
パウエイは一瞬顔を強張らせ、深々と頭を下げてきた。
「あ、ありがとうございます」
後ろでは、相変わらず先ほどの女が呆れるほどにキャンキャン喚いている。
アークは苦笑した。
困惑顔の護衛兵に押さえつけられ、なんとも無様だ。
着飾っているから、なおさらそう感じるのだろう。
「私の変装を見破るとは、魔剣士パウエイ、どうしてわかったんだい?」
アークは小声で尋ねた。
「わからない者の方がおかしいと、私には思えますが…」
「そうかな」
アークは押さえ込まれているエドニの方に意味ありげに顔を向けた。
「たしかに」
生真面目に答えるパウエイがおかしくてならず、アークは口許をほころばせた。
さて、悩んでばかりいても答えは出ない、いまはともかくサエリの元にゆこう。
「魔剣士パウエイ、君に面倒を残してゆくことになってすまないが…私はこれでゆく。では」
パウエイに向けてそう口にしたアークは、すぐにその場からテレポした。
|
|