白銀の風 アーク

第五章

第三話 騎士参上



感無量だった。

思わず目尻に涙が浮かび、パウエイは一度息をついて自分を落ち着かせ、後ろに振り返った。

押さえつけられているエドニも他の四人も、アーク様が消えたことに驚いたようだ。

目を見開き、キョロキョロと辺りを見回している。

この五人ときたらまったく呆れてしまう。

未だ、いまここにおいでだったのがアーク様だと気づいていないのだ。もし気づいていたなら、こんな風に落ち着いてなどいられないだろう。

どのような帽子で顔を隠しておられようとも、その姿も物腰も、聖なるアーク様を隠せはしない。
気づかないほうがどうかしているとパウエイには思える。

それにしても、いったいエドニには、どんな咎めが下ることだろう?

このような無礼を働いた人間がいたなど、これまで耳にしたことがないのだ。

エドニの命令に従い、サラはアーク様に向かっていったが、まさかサラに咎めが下ったりは…

パウエイはゆっくりとエドニたちに歩み寄っていった。

なにがなんでも、サラに咎めを受けさせはしない。

「パウエイ、いまの男、いったいどこに行ったの?」

さて、まだ自分の置かれた状況が理解出来ていないエドニを、どうしたものか?

「もう離してあげなさい。ケイシュ」

ケイシュはためらいがちに手を離した。その顔は青ざめきっている。

エドニの仕打ちを恐れているのだろう。

自由になったエドニは、怒りに歪めた顔でパウエイに掴みかかってきた。

パウエイは仕方なくエドニを押さえ込んだ。

激情にかられて我を無くしているエドニは、パウエイの顔を爪で引っ掻くつもりか癇癪を起こした幼児のように無茶苦茶に腕を振り回してくる。

そのとき、のんびりした声が聞こえてきた。

「お取り込み中、すみませんが」

声の方に振り返ったパウエイは、思わず喘いだ。

だ、大賢者ジェライド様ではないか。

アーク様付きのこの大賢者は、そこらの美しいと噂される女達よりも格段美しい容貌をしている。

すらりと延びた上背の高さと、肩幅の広さが男であることをうかがわせはするが、彼女も初めて目にした時には女性と決めてかかっていた。

アーク様の側近を、こんなに見目麗しい女が務めているとは…と嫉妬めいた気持ちを抱いたものだ。

いまとなれば、そんな浅はかだった自分を思い出すたび恥じいってしまうが…

もちろん、この大賢者が男であることはすぐに判明した。

そしてアーク様に続く、女性たちの憧れの対象となっていることも知り、それも当然と納得した。

まず目を奪われる美しい紫の長い髪。凛とした表情、異彩な青い瞳。

聖なるアーク様の不思議な輝きを放つ、銀の髪、銀の瞳とはかなり異なっているが、容易に近づけない近寄り難さを感じさせる点では同じだ。

驚きに固まっていたパウエイだが、ハッと我に返り、慌てて腰をかがめた。

エドニはというと、さっとパウエイの手から逃れ、パッパッとスカートの埃を払い、乱れた髪に手をかけた。

その豹変ぶりは呆気にとられるほどだった。

憎悪に歪められていた顔も、いまはゆったりとした微笑みへと変化している。

エドニはしずしずと、ジェライド様の側へと近寄ってゆく。

そんなエドニの顔を見て、大賢者ジェライドがくすくすと笑い出し、エドニのゆったりとした笑顔がやや引きつった。

エドニの横を素通り、大賢者ジェライドはパウエイの前に来て立ち止まった。

「魔剣士パウエイ。ねえ、アーク様はどの位置で消えました」

パウエイはごくりと唾を飲みこみ「このあたりでしょうか」と指先で示した。

大賢者ジェライドはその場に立って瞑目し、数秒して目を開けた。

そして、またパウエイに視線を向けてきた。

「エドニのことは、どうするつもりですか?」

すべて見通しているらしい大賢者に、畏怖の念が湧き起こる。

「どうすべきか…私にも」

「ならば、私に任せてもらえませんか?」

パウエイは一も二もなく承諾した。

美しい顔でにっこりと微笑んだ大賢者ジェライドだったが、エドニに向けた目は鋭かった。

「知らなかったこととはいえ、とんでもない無礼をしてしまったようですね。目に余りますよ、エドニ。いろんな意味でね。あなたは少し甘やかされ過ぎたようだ。それにあなたは、与えられる仕事を我が儘からころころ変えている。それを許していたあなたの両親も良くありませんが、それも娘かわいさからでしょうからね。今回のことで、あなたの父上に咎めはありませんが、あなたはそうはいかない」

「わ、私が何をしたというのですか。咎めがあるのはこのパウエイですわ。私の命に背いたばかりか、彼女は私に乱暴を働いたのです。この女にこそ、仕置きを与えられるべきですわ」

可憐に身を捩るエドニのその目には涙が溢れている。

パウエイは開いた口が塞がらなかった。

「あきれたものだ、察しが悪すぎる。エドニ、まだ解っていないようだからはっきりと教えて上げましょう。あなたが無礼を働いた男は、アーク様その人だったのですよ。あなたには追って沙汰があるでしょう」

うんざりした口調で言い、右手を振った大賢者ジェライドは、動きを止めてパウエイに顔を向けてきた。

「パウエイ、ギルが必死で探し回った薬の効き目はどうでしたか?」

く、薬のことをまで知って…?

「あ、あのとても…」

「うん、効き目があったようだ。その美しい髪を大切になさい。ギルは君のその髪が、とても好きらしいから」

意味深な言葉に、パウエイは頬を染めた。

大賢者ジェライドは愉快そうに微笑み、パッと消えた。

「パウエイ、どういうことよっ?」

怒りに歪んだエドニの顔にパウエイは振り返った。

エドニの袖を、遠慮がちに護衛兵のエイシャが引っ張る。

「何をするのよ。エイシャ、無礼なっ」

エイシャに振り返ったエドニは唖然としたようだった。

全員、屈み込んでパウエイに頭を下げているからだ。

「エドニ様も、お、お早く」

遠慮しつつサラが促す。

「何をやっているのよ。相手はパウエイじゃないのっ。みんなも聞いていたでしょう。この女は、この私に罪をなすりつけたのよ。お父様に言って、絶対に厳罰に処してもらうわ」

ほとほと呆れるほど、血の巡りの悪い女だ。

パウエイは思わず吹き出していた。

それを見咎めてカッきたエドニが手を上げたが、パウエイはあっさりとそれをかわし、手が空を切ったエドニは前かがみに倒れ込んだ。

「エドニ。冷静になりなさい。感情的になっていたら見えるものも見えないのよ」

パウエイのたしなめる言葉がさらに怒りを煽ったらしい。

エドニがわっとばかりに掴みかかってきた。

ふいにパウエイの身体は硬い腕に掴まれて宙に浮かんでいた。

周りにいた全員が茫然としている。

当のパウエイも呆気にとられていた。

眼下では、掴みかかる相手を失ってどうっと地面に倒れ込んだエドニが、咳き込みながら立ち上がろうとしている。
高価な服は泥で汚れ、見るも無惨な有り様だ。

「何事だ。淑女の行いとは思えぬぞ」

パウエイの頭の上で怒号が飛んだ。

たくましい腕の持ち主は、大切な物のようにやさしくパウエイの身体を空中で抱き直した。

角度が変わり、パウエイの目にも男の顔が見えた。

エドニが肩を上下させ、パウエイを睨んで怒鳴った。

「この女は立場をわきまえず、私に無礼なことをしたのよ」

ギルの腕に抱かれたパウエイは、困った顔で俯いた。

エドニの言葉に、ギルの表情は、肝が凍りそうなほど凄まじい形相へと一変した。

「スパーク騎士団の騎士である魔剣士パウエイ殿に向けて、この女とは何事だ!」

エドニの供のサラは泣きそうな顔をして、本来は警護すべきあるじのエドニを押さえつけている。

「いいのです。エドニは私が騎士であることを知らなかったようなので…」

「騎士の制服を着ているのに…か?」

呆れたようにギルはエドニの顔を見た。

エドニもいまは困惑し、怒りと恐れが同量混じり合った表情をしている。

「このような無礼を騎士に働くとは、恐れを知らぬ女だな。この女の名はなんと言う名です。パウエイ殿。追って処罰を与えねばならぬ」

「それが、大賢者ジェライド様から、沙汰が与えられることになっています」

ギルの眉が寄る。その仕草に、厳めしい顔に鋭さが増す。

「ジェライド殿が?」

ギルの声に、どやどやという靴音に足音が重なった。

男の警備兵が五、六人やってきたのだ。その遙か後ろに、息を切らせたミルサァが駆けてくる。

「咎人を引っ捕らえろ」

ギルの声に警備兵達が、二人を見上げてきた。

驚きに目を見張った警備兵達は、ギルと彼に抱かれているパウエイを興味津々の目で見つめてくる。

パウエイは真っ赤になった。






   
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