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第四話 強面の騎士
「あの、聖騎士ギル殿。咎人は、いったい…?」
周囲を見まわした警備兵たちは、戸惑い顔で聞き返してきた。
「この女だ」
空中に浮かんだまま、ギルはエドニを指す。
警備兵は、即座に悲鳴を上げるエドニを取り押さえたものの、戸惑い顔だ。
「は、放しなさいっ! 無礼な。この私を誰だと思っているの?」
顔を真っ赤に染め、エドニは喚き続ける。
「この娘は、いったい何を?」
警備兵は、ためらいがちにギルに向けて尋ねてきた。
「騎士に対し、無礼を働いたのだ。いや待て」
ギルは眉を寄せ、パウエイに顔を向けてきた。
「パウエイ殿、大賢者ジェライド殿が直接裁きを与えるほどの罪とは…、いったいこの女は何をしでかしたのです?」
その問いに、パウエイは顔をしかめた。
ギルは状況を知っている筈の女達に目を向けたが、息女たちは茫然としているばかりだし、護衛兵のケイシュとサラも怯えきってしまっている。
パウエイはため息をついた。
彼女の口から事の次第を話すよりないようだった。
「実は…さきほど、アーク様がここにおいでだったのです」
「なんと、アーク様が?」
「はい」
「パ、パウエイは嘘を付いているのよ。あれはアーク様なんかじゃないわ!」
悲鳴のような甲高い声で、エドニが食って掛かるように叫んできた。
あれほどの無礼を働いたのだ、エドニにすれば、アーク様だと認めたくはないだろう。
「警備兵、その女の口を押さえておけ!」
厳しい顔でギルが命じた。
もちろん、警備兵は即座に応じ、場は静かになった。
「パウエイ殿、それで?」
ギルは厳しい顔付きのままで話の続きを促してきた。
「は、はい」
パウエイは顔を強張らせて頷き、話を再開した。
「その…帽子をかぶっておいでで、どうも変装していらっしゃるおつもりのようで…」
「あの帽子か…」
すでに知っていたらしく、ギルはそう呟いて口元を歪めた。
どうやら、笑っているようだ。
「エドニはアーク様と気づかなかったようで、アーク様に……酷い言葉を…。止めようとしたのですが、あまりのことに身体が…」
パウエイは言い訳を口にしようとしている自分に気づき、気まずく言葉を止めた。
「アーク様をお守りする立場の騎士として、私は失格です。ギル殿、申し訳ありませんでした」
パウエイは頭を下げたが、空中で抱かれた格好ではひどくぎこちない。
「アーク様は寛大なお方ゆえ、その場で直々に詫びればすぐにお許し下さっただろうが…。ジェライド殿は礼儀には厳しいお方だ」
そう言葉にしつつ、ギルはエド二の前にすーっと下りていった。
口を押さえつけられたままのエドニは、顔を真っ赤にして抵抗し、首を降り続けている。
「手を離してやれ」
「あ、あれはアーク様などではなかったわよ」
口が自由になった途端、エドニは叫んだ。
「現実から目を逸らしても意味がないぞ」
「私を貶めようとしているんだわ」
「いいか、エドニ!」
現実を受け入れようとしないエドニに、ギルは大声で怒鳴りつけた。
エドニは「ヒッ」と呻き、口を聞くのを止めた。
「そのような無礼をアーク様に働いては、もはや宮殿内にはおられまい。ジェライド殿がどのような処罰をなさるか分からぬが、これからは誰に対しても謙虚に振る舞うよう心がけ、身を慎むことだな」
ようやく頭が冷えてきて自分の状況が理解できたのか、エドニの顔は真っ青になった。
「しかし…聖なるアーク様に対し、とんでもないことをしでかしたものだ。数年投獄されることになるやもしれぬな」
恐ろしい言葉を独り言のように呟き、ギルはエドニを連れて行くように警備兵に命じた。
「警備官舎に連れて行け。ジェライド殿の沙汰を待つ間、小部屋に待機させておくように」
警備兵に連れられてゆくエドニは、あまりに憐れで、パウエイは見ていられなかった。
その唇からは「あれはアーク様ではない」と、ぽそぽそとした呟きが洩れ続けていた。
パウエイは胸が痛んでならなかった。
やってしまったことは救いがたいが、いまのエドニの様子はあまりに見るに忍びない。
この場にいる全員、ギルとパウエイに頭を下げ、引き上げて行く。
サラやケイシャたち護衛兵は、ずいぶん複雑な表情をしていた。
暗い表情でみんなを見送っていたパウエイは、元気づけるように肩を叩かれた。
「大丈夫だ。かなり脅したが、あれも沙汰に対する心構えを付けさるためのもの。あれだけ恐れていれば、どんな沙汰であろうと喜んで受け入れることができるだろうからな。しかし、宮殿内の淑女の中には、とんでもない女もいるのだな」
呆れた口調でギルが呟く。
「エドニには、どのような沙汰が下ると思いますか?」
ギルが背を押して歩みを促してきて、パウエイは彼と並んで歩きはじめた。
「多分、シャラドから出されることになるのではないかな。あの女は位の高い者の息女なのだろう?」
「はい、宮殿の官僚の息女です。以前、私がお仕えしていた家のご息女で…」
「それは大変だったろう」
その声にはたっぷりと同情が込められていて、パウエイは思わず笑みをもらした。
だが、ギルの視線が自分の顔に注がれているのに気づくと、すぐに真面目な顔に戻した。
ギルの細められた眼孔の光は鋭く、パウエイは、笑み浮かべたことを見咎められたように思ったのだ。
「あの方には試練が必要だと私も思います。ご両親の庇護を受けすぎていらしたから」
「そうだな。そう考えれば、あの女にはいい転機となるのだろう。自己の鍛錬を積み、新たな自分に生まれ変わるための…」
パウエイは、ギルを見上げて真剣な目で頷いた。
頷き返してくれたギルは、さらに言葉を続けた。
「ジェライド殿は、先を見通せると聞く。人を苦しめるだけの処置はなさらない。あの女にとって、最良の道を取らせて下さるに違いない」
パウエイは固く頷いた。
彼女自身も転機を経験したばかりだ。
自分の愚かさを大勢の前で暴露されたあの出来事は、まさに彼女にとっての重い試練だった。
そして続く戦いで、様々なことを学んだ。
あのふたつの経験は、浮ついていた彼女の魂の中心に確固たる杭を打ち込んでくれたのだと思う。
パウエイと並んで歩きながら、翳りのある顔を見つめていたギルは、知らぬ間に彼女の頭の上にそっと手を置いていた。
ぎょっとしたようにパウエイが足を止め、ギルは慌てて手を引っ込めた。
「薬は効いているようだな」
ギルはぼそぼそと小声で言った。
彼の言葉に、パウエイはハッとしたように姿勢を正した。
「はい。ギル殿。ありがとうございました。高価な品をいただき…」
パウエイの言葉は上官を前にした部下のものだった。
がっかりしたギルは、胸の内でため息をついた。
礼を言って欲しくて、薬の事を口にしたのではなかったのだが…
「礼はいい。昼飯を食べさせてくれるのだろう? 腹が減った」
思わずぶっきらぼうに言ってしまい、ギルは不味い気分で顔をしかめた。
彼の声は凄みがありすぎるらしく、相手を怯えさせるらしいのに…
いまも、パウエイは顔を強張らせ、気を張り詰めているように見えて、ギルは舌打ちした。
恐れさせる気など毛頭ないのに…俺はどうしてこうなのだろう?
魔法や剣は扱いやすいが、女の扱いは至極難儀だ。
ぎくしゃくした雰囲気のまま、ギルは、ふたりの待ち合わせの場であった、あずまやへとやってきた。
テーブルの上に弁当らしきつつみが置いてある。
パウエイはギルを気にしつつ、弁当を広げてくれた。
いまにも怒号が飛んで来るのではないかとビクビクしている様子のパウエイを見て、ギルはどんどん落ち込んでいった。
これはもう、礼だという弁当を食い、さっさと引き上げるのが良さそうだ。
これ以上、彼女の心の負担になどなりたくない。
急いで食べ終えたギルは、パウエイに目を向けた。
「魔剣士パウエイ」
声を掛けられたパウエイは、手を止めてこわごわと彼を見上げてくる。
彼はとことん落胆した。
昼食を一緒にと言われた時には、僅かばかりの期待を持ったのだが、どうやら恩を返そうとしただけらしい。
気が落ち込みすぎて、胸がムカムカしてならない。
「悪かったな。薬を貰ったことなど気にすることはないのだ。あれは俺が勝手に渡したのだから…」
「あ、いえ…あ、ありがとうございました」
「旨かった。礼を言うぞ」
パウエイは生真面目な顔でこくりと頷く。
ギルは立ち去る前に、彼女の青い髪を見つめた。
「早くもとの長さまで延びるといいが…。魔剣士パウエイ。今度は何があっても切るんじゃないぞ。いいな」
ギルは命じるように言った。
「はい。絶対に」
頷いた彼女の目元に嬉しげな笑みが浮かび、それだけでギルは満ち足りた気持ちになれた。
ギルは「では」と言葉を掛け、悠々とその場から去った。
巨漢のギルを見送るパウエイの口許には、知らぬ間に笑みが浮かんでいた。
「…瞳」
パウエイは知らず呟いていた。
赤茶色の髪をした強面の騎士。その瞳の色は、澄んだ瑠璃色だった。
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