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第六話 慎重に、かつ迅速に
サエリが注文した料理は、それなりに口にあった。
奇妙な味わいだったりするが、食べていると不思議なもので、一口目で感じた違和感は徐々に消えてゆく。
それでも、あちらこちらの国で色んな料理を口にしてきて、とても受け入れられないものもあった。
口に入れた物を咀嚼しながら、ちらりとサエリを見ると、食べている彼の様子を見ていたのかサエリと目が合った。
「どう? 美味しい?」
「あ、ああ」
先ほど彼を驚かせた店員は、最初に運んできた後、もう姿を見せていない。
「私は…また君に迷惑をかけたのか?」
アークはおずおずと彼女に問いかけた。
他所の国は、色々な面で勝手が違う。
自分の国でなら、なんでもなくやり過ごせることでも、敏感に反応してしまう。
あの反応はサエリの目に大袈裟に映ったのではないだろうか?
彼女は彼に呆れたかもしれない。
「そんなことないわ。それに貴方は何も悪くないわ」
サエリはやさしい笑みを浮かべて言う。
慰めにはなったが、彼女に庇われているようで、男としては気が腐る。
アークはため息をつき、食事を続けた。
空になった皿が下げられ、飲み物の入ったカップが運ばれてきた。
テーブルの真ん中にも何やら置かれた。
白い液体が入った小さな器、そして…
「これは、コーヒー。そしてこれはお砂糖とミルクよ。アークも入れる?」
サエリは彼にそう尋ねながら、砂糖とミルクをこげ茶の飲み物の中に入れた。
「これはミルクなのか?」
「ええ。牛のミルクね。動物のミルクって…アークのところでも飲んだりするの?」
「ああ。もちろん。サエリ、ウシというのは…あの、前に食べさせてもらった肉の動物のことかい?」
「ええそう」
アークは頷き、カップを持ち上げた。
砂糖とミルクを入れる前に、この飲み物を味わってみようと思ったのだ。
口に含んだアークは、ぐっと息を止めた。
うぐっ! な、なんだ。この苦味…
クスクス笑いが耳に入り、アークは顔を歪めたまま視線を上げ、笑っているサエリを見つめた。
「苦いでしょ?」
「これは…本当に飲み物かい?」
「ええ。私もブラックでは飲めないけど…」
「ブラック?」
「男の人は、そのままで飲む人が多いわ。ミルクを入れて試してみる? 味がまろやかになるから」
サエリはそう説明しつつ、アークのカップにミルクを入れた。
正直、もうこの飲み物は口にしたくなかったが、サエリの好意を無にするわけにはゆかず、彼は躊躇しつつ口に含んだ。
「う…なんというか……これはいいかな」
サエリには悪かったが、この飲み物は最低だ。
食事を終え、サエリが支払いをするのをみて、アークは自分の無力と感じてまた気が落ちた。
考えたら、彼はこの国の金銭を持っていないのだ。
どこに行って何をしても、サエリの世話になることになる。
外へ出て歩き始めたところで、アークはサエリに話しかけた。
「サエリ」
「はい」
「この国の金を手に入れるためには、どうすればいい? どこかで、私の持っている品などを金銭に交換することはできないかい?」
「それは…質屋とかあるけど…アーク、そんなこと必要ないわ」
「必要なくはない。そうでなければ、この国にいる間、私は君に金銭的な負担をかけ続けてしまうことになる」
「いいじゃない。だって、今度私が貴方の世界に行ったら、私だって自分の持っているお金は使えなくなるのよ。そうなったら、貴方のお世話になるしかないんだし…私は遠慮せずに貴方のお世話になるつもりだけど」
サエリは思いやりからそう言ってくれているんだろう。だが、確かにサエリの言葉は一理ある。
「そうだな。それでは、君は私の国にきたら、遠慮しないでくれるんだね?」
「ええ。だってそうするしかないもの」
サエリの笑みに、アークの胸の内にあった最後のわだかまりも解けた。
アークと並んで歩きながら、沙絵莉はこの後のことを考えて思い悩んだ。
これから彼女は、母の家に行く予定になっているのだ。彼をどうしたものだろう?
このまま、連れて行くのか?
悩みつつも、他に選択が無く、彼女はバス停へと歩いて行った。
異世界に住んでいるアークさんですなんて、母に紹介できるわけがないし…
かといって、アークと別れるのは嫌だ。
母の家に行くと言ったら、彼は自分の世界に帰ってしまうだろうか?
それとも、ひとりでブラブラするんだろうか?
行くのを止めようか?
家に帰って、そしたらアークはずっといてくれるかも…
いや、これまでのように、唐突に消えて、帰ってしまうんだろう。
それならば、母のところにいった方がいいかも……彼は姿を消せるんだし…
バスがやって来るのに気づいて、沙絵莉はアークにバスに乗ることを急いで説明した。
こちらへと向かってくるバスに目を向けたアークの顔が興奮したようにキラキラと輝いた。
「あれに乗るのかい?」
「ええ」
バスが目の前に来て、ドアが開き、サエリはアークを気にしつつ乗り込んだ。
空いている席を見つけ、後方へと行き、無事ふたりは並んで座席に座り込んだ。
すぐにバスは発進する。
「サエリ、少しおかしな匂いがするようだが?」
彼女の耳に唇を寄せるようにしてアークは囁いてきた。
「バスってこんな匂いがするの。私もこの匂いは好きじゃないわ」
「そうか…良かった」
ふたりの意見が同じで良かったと言いたいらしい。
この匂いのせいで、アークの最初の興奮も、半分以下になったようだ。
それでも、降車ボタンがチャイム音とともに赤いランプを点灯したりすると、子どものような目で、興味津々で見つめていたりする。
バスの乗客の方は、アークそのものに見惚れていたりしていたが…
やはりアークは、めちゃくちゃ目立つ。
彼は自分の出来すぎた容姿が、どれほどひと目を引くか、わかっているのだろうか?
そういえば…アークは自分の世界では帽子は被って姿を隠してしたのよね。
何か悪い事をして警察から逃げているのかと思ったが、彼はちゃんと仕事に就いてるって言ったのだ。
それがまあ、魔法使いの弟子って仕事だったわけだけど…
魔法使いの弟子の言葉を頭に思い浮かべ、吹き出してしまいそうになった沙絵莉はなんとか堪えた。
まともな仕事って感じじゃない。
あの世界の人たち、それぞれちゃんとした仕事をしてるようだったのに…アークときたら異世界を探検しつつ飛び回っている魔法使いの弟子。
なんかなぁ〜、アークってば、ちっともまともじゃないわね。
幻がちょいと使えて、テレポが出来て、姿が消せる。
うん、確かに、魔法使いの弟子っぽい。
とすると、彼のお師匠様の本物の魔法使いさんがいるはずで…いったいどんなひとなんだろう?
考え事を止めて顔を上げて沙絵莉は、外の景色を目にしてハッとした。
すでに降りるバス停の近く。降車ボタンは押されていない。
このままでは素通りしてしまうと、沙絵莉は慌ててボタンを押した。
チャイムが鳴り、停車しますとの車内アナウンスが入り、沙絵莉はやれやれと力を抜いた。
「サエリ」
機嫌の悪い声が飛んできて、沙絵莉はアークに顔を向けた。
「押すのなら、私がやりたかったのに…」
「あ、あら、ごめんなさい」
すぐ近くに座っている乗客が、吹き出したようだった。
アークはそれに気づかなかったのか、それとも自分が笑われたことに気づかなかったのか、「次は押させてくれるね?」と確約を取るように力を込めて言う。
先ほどのお客がまた吹いたが、沙絵莉は耳にしなかったことにして、「ええ。もちろん」と真面目な顔で請け負った。
そんなたわいもないやりとりをしてる間に目的のバス停につき、沙絵莉はアークを急かしてバスから降りた。
「サエリ、ここはどこだい? 君の家に向かっているものと思っていたんだが」
周囲を見回して、まるで見覚えのない風景に戸惑いながらアークはサエリに尋ねた。
「この先に、私の母の家があるの。今日は母の家に来ることになっていて」
「そうだったのか?」
そう平静な声で答えたものの、アークはかなり狼狽えていた。
娘を異国へと連れ去ろうとしているというのに、平気な顔で親に挨拶などできるだろうか?
彼女の同意を得られたとしても、彼女の親は許すはずがない。
二度と帰れなくなる可能性の方が強いのだ。
ならば、黙って連れ去るしかないのだろうか…?
父はどうしたのだろう?
そう考えたアークは首を振った。
母上の承諾さえ得ていないようなのに、両親の承諾などもらっている筈がない。
だが時間を無駄にしてはいられないのだ。早く決断しなければならない。
行き来を繰り返すことで、国に災いを招いてしまっては困る。
ああー、いますぐサエリの手を取って国に飛んでしまおうか?
そして彼女の心が落ち着くまで気長に待つか?
だが、自立した精神を持つ彼女のことだ。無理やり国に連れていったりしたら、母上のように数カ月泣き暮らすなんてしおらしいことはしそうもない。
容易には彼を許さないだろうし、結局は彼の方が根負けして、最後には彼女の国に帰す事になるのでは…。
慎重に、かつ迅速にことを進めねば…
岡本の家に向かって歩きながら、どうしたものかと沙絵莉も頭を痛めていた。
そりゃあ、お母さん、もちろんビックリするわよね。
相手は異国の人に見えるんだし。って、異国人そのものか。
納得がいくまで、詳しく彼の正体を聞きたがるだろうし。
彼の正体? 私だって知らないわよ。魔法使いの弟子ってことくらいしか。
そういえば、アークは兄弟はいるのかしら?
いったいどんな家に住んでいるのだろう?
どうして私のところにやってくるの?
沙絵莉はアークの方をちらりと見た。
深刻な顔で何か考え込んでいる彼の銀色の髪の中で、日の光がまつわりつき戯れているように見える。本当に見惚れるような人だ。
彼はたくさんの国を見つけたと言っていた。そして国交を結んだと。
地球との国交は望めないと言っていたから、ここでの仕事は終えたということなのだろうか?
すぐにも新しい世界を探しにいくつもりだろうか?
そしてまた、違う女の子と親しくなって…
結局私は、彼の通り道でしかないのだろうか?
そう考えると胸が張り裂けそうになる。
彼のことはあまり知らない方がいいのかもしれない。その方が忘れるのに苦労がなさそうだ。
サエリの顔を窺っていたアークは、振り返った彼女と目を合わせた。
こうやって見つめ合っていると、胸にある不安もすっと消えてゆく。
そうだ。ふたりの間には強い絆がある。
その感覚はアークに力を与えた。
目には見えないが、確かに存在している絆。
アークはサエリの手を強く握り締め、「私の国に来ないか?」と囁いた。
「あなたの国に。いつ?」
サエリは急くように聞いてきた。好感触の反応に、アークは嬉しくなった。
「君の決心がつけば、私はいまでもいい」
「いま? いますぐは…無理よ。だけど…」
サエリの眉が問うように寄り、アークは言葉が不的確だったことに気づいた。
ではなんと言えばいいのだ。
ともに暮らそう? 妻となってもらいたい?
結婚して欲しいとストレートに言うべきなのか?
だが、彼女にとってはあまりに早急すぎないだろうか?
驚かせるかも知れない。そうなれば、色よい返事をもらえなくなる可能性が…
「アーク?」
名を呼ばれて彼は沙絵莉に向いた。
「…つまり。その…君は私の国を気に入ったか?」
結婚してくれとはさすがに言えず、アークはそんな問いを向けていた。
「え、ええ。もちろん。素敵な世界だと思うわ。もう一度行ってみたいけど」
もう一度…か。永遠に住まうつもりになってくれないものだろうか?
「あー、沙絵莉お姉ちゃんだ。いらっしゃーい」
その声を耳にした瞬間、アークは姿を消した。
どうやらここが、サエリの母が住む屋敷のようだ。
垣根の向う側にある家の中に、小さな女の子の姿が見えた。
女の子は、こちらに向けて嬉しげに手を振っている。
「亜由子ママー、お姉ちゃん来たよー」
女の子の呼びかけに応えて、女性が姿を見せ、アークは身が強張るほどの緊張を感じた。
どうやら、あれがサエリの母のようだ。
「いらしゃい。どうしたの? そんなところに突っ立ってないで、早く入ってらっしゃいな」
アークは知らず息を止めていた。
サエリの母親を目にして、強烈な罪の意識が突き上げる。
「アーク」
サエリから不安そうな呼びかけられ、アークはサエリの手を握り締めながら、「ここにいる」と囁いた。
帰るしかなさそうだ。
彼女の母親を目にしていたら、膨れ上がりすぎた罪の意識に押しつぶされそうな気がする。
もちろん、いずれは真正面から立ち向かうことになるだろう。
「君はいつ自分の家に戻るんだ?」
「明日。今日はここに泊まるの」
「そうか。それなら私は帰らなければ…」
「帰らなくちゃいけないの? もう少し一緒にいられない?」
先ほどの女の子が嬉しそうな笑顔を浮かべて駆けて来るのを目にしつつ、サエリが早口に言った。
アークはポケットから玉のひとつを取り出し、サエリの手に握らせた。
「お姉ちゃん、早く、早く」
サエリの手を女の子が掴んできて、アークは彼女の手をさっと離した。
女の子は手を引っ張りながらサエリをせき立てる。
アークはサエリの耳元に唇を寄せ、「今夜」と囁き、その場から姿を消した。
アークの気配が消えたのがはっきりと分かった。
沙絵莉は陽奈と手をつないで歩きながら、心の空虚さを味わっていた。
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