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第七話 やっかいな存在
シャラの木の下には、パンセとジェライドがいた。
「アーク様」
パンセは安堵を見せて表情を緩め、頭を下げてきた。
ジェライドの方も、アークと目を合わせ、ほっとした様子で小さく頷く。
「さあ、アーク様、横になられた方がいい」
「ええ。ありがとう」
パンセの勧めに従い、アークは敷物の上に横になり、頭の後ろで手を組んだ。
全身、けだるい疲れを感じる…
明日、またサエリのもとに飛ぶために、魔力を充分に回復しておかなければならない。
ジェライドとパンセも、アークの側に座り込んで、ふたりとも彼の身体の上に両手をかざしてきた。
アークの状態をチェックしようということらしい。
このふたりには心配ばかり掛けていて、申し訳なく思うが…
アークは、真上で輝いているシャラの木を眺めながら考え込んだ。
これからいったいどうすればいいのだろう?
サエリに結婚の申し込みをすることにためらいはないが、まだ出逢ったばかり、求婚などしたらサエリは呆気に取られるのではないだろうか?
しかも、彼女にはカーリアン国に来て、そのままこの地に住んでもらわなければならないのだ。
君の国とこの国とはあまりにも異なり過ぎるため国交は望めない。すぐにでも繋がりを絶つ必要があるから、君はもう国には帰れなくなる。
それが偽りないいまのアーク側の事情だが、そんな勝手な言い分、彼女が首を縦に振るはずがない。
アークは目の先にぶら下っている輝くシャラの玉を見つめ、渋い顔をした。
彼に対して思いを寄せてくれているとしても、そんな話をすんなり受け入れてくれる確立は…
ゼロだな…まず間違いなく…
ならば、彼女をこの国に連れてくるために、他に何か良策があるだろうか?
ないな…
アークは即座に自分の問いに答えた。
父上と話して、彼女ともっと親しくなるための猶予をもらえないだろうか?
一ヶ月? …無理か…
では、せめて十日。それくらいなら、なんとか…
十日後、結婚の申し込みをし、あとは彼女の決断しだい。
断られたら…諦めるよりないのか?
「アーク様、どうなさいました? 何か悩みでも?」
拳を固め、唇を痛いほど噛み締めていたアークは、パンセの問いにはっとして顔を向けた。
「い、いえ。何も…」
すべてを見通すようなふたりの賢者の目を見て、アークは思わずうろたえ、さっと顔を背けてしまった。
まずいな…
こんな動揺を見せてしまっては、何かあると口にしたようなものだ。
「すみませんが、ひとりにしてくれませんか?」
顔をしかめて口にしたアークに、大賢者のふたりはさっと立ち上がった。
「それでは」
かしこまって頭を下げ、拍子抜けするほどあっさりとこの場から立ち去った。
ひとりになったアークは、ほっと気を抜き、またシャラの木を見つめた。
賢者達は、申し訳ないが、アークにとってやっかいな存在だ。
彼らは、何事か起これば、私情を殺して賢者であることに徹する。
サエリの国との行き来を最小限にとどめ、できればいますぐにでも繋がりを絶つべきと聖賢者ゼノンがアークに命じたと知れば、彼らの行動はおのずと決まってくる。
サエリが、アークの求婚を断ったら…彼女の意志を無視してさらってでも、この国に連れてくるに違いない。
祖父の時、そうだったように…
交錯する思いに心を乱しながらも、アークは賢者という立場の者達に同情を感じてならない。
まさしく賢者とは、己を殺して使命に徹する生き方を強制された者達。
アークは手のひらを目の前にかざし、幻を出現させた。
彼が創り上げたサエリの幻は、彼を見つめてやさしく微笑み、その次の瞬間、むっとした顔で彼を睨んできた。
「サエリ…」
笑みを浮かべ、アークは幻に囁いた。
彼女は彼の国に遊びに来たいと言ってくれた。
明日、彼女を正式にこの国に招こう。
ともかく、サエリにこの国を知ってもらうのだ。
彼の親しい者達と知り合いになってもらって…
そうだ。女同士、マリアナと親しくなってくれたら、彼女もここに住もうという気持ちになるかも…
そう考えたアークは、光を見た気分で微笑んだ。
それがいい。
「サエリ、マリアナは少し気が強いが、いいやつだ。きっと君も気に入るよ」
そう幻に話しかけたアークは、顔をしかめた。
あまり気に入りすぎると困るが…
幻をそっと消したアークは、立ち上がってシャラの実に手を掛けた。
パンセに断りを言っていないが、まあいいだろう。
アークは実を丁寧にちぎり、手のひらで転がしたあと、いま欲しい数だけポケットにしまいこんだ。
船着場に行くと、パンセだけでなくジェライドもいた。
「ジェライド、まだいたのか?」
「ええ。一緒に帰ろうと思って」
「パンセ殿、シャラの実をいただきました」
「はい」
パンセはそれ以上聞いてこなかった。
何か作るのかと聞いてきそうなものなのに、ジェライドも何も言わない。
彼が作りたいと思っているものを、このふたり、すでに感じているのかもしれない。
まったく大賢者はしまつが悪い…
「ねぇアーク、サエリ様も、そろそろこちらの国に来てもらってはどうかな? 私たちも会わせて欲しいと思っているんだけど…」
すでに一度来ているのだが…
花の祭りでのことを、この聡い大賢者にも気取られていないという事実に、アークは気をよくした。
「明日…彼女を連れて来るつもりだ」
話を聞いていたパンセの表情がパッと晴れやかなものになった。
「これはこれは。喜ばしいことです。アーク様、確かに承りました」
深々と頭を下げたパンセは、彼らしくないウキウキとした足の運びで下がっていく。
「さあ、これから忙しくなるね」
楽しげな笑みを浮かべて言うジェライドに、アークは怪訝な顔を向けた。
「なぜ?」
「君の妃がやってくるんだよ。もちろん盛大に歓迎の宴を開くに決まっているさ」
アークは顔を歪めた。
「そんなつもりはないぞ」
「アーク?」
「宴など不要だと言っているんだ。ジェライド、大賢者パンセを止めてこい」
ジェライドは首を横に振る。
「どちらにしろ、歓迎の宴は開かなくちゃならないんだよ」
「それじゃあ、できるだけ質素にするようにと言ってくれ」
「わかった。伝えておこう」
参ったな。
アークは小船に乗り込みながらため息をついた。
歓迎の宴か…サエリは喜ぶだろうか?
質素にと頼んだし、三時間ほどの昼食を兼ねた宴を催してもらうくらいなら悪くはないか。
アークは何を考えているのか、口許に笑みを浮かべて水面に視線を向けているジェライドを見つめた。
「ジェライド。君は…サエリの国に飛べるのか?」
突然の問いにジェライドは戸惑った表情を見せたあと肩をすくめた。
「正直に言うよ。私は飛べない。けど…」
言葉を止めたジェライドは、アークの首もとさしてきた。
そこには幻で見えなくしてある首飾りがある。
「それがあれば、単独でも飛べるのかもしれない」
アークは顔をしかめた。
必要とあらば、この首飾りを取り上げてでも彼は飛ぶだろうか?
自分の胸の内に向けたその問いは、すぐに答えを伴って跳ね返ってきた。
間違いなくそうするだろうと。
「アーク?」
ジェライドは彼の名を呼んだだけだったが、その響きは、あらゆる質問を彼に投げかけているように聞こえた。
アークは返事をしなかった。
大賢者はやはり、やっかいな存在なようだ。
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