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第二話 予感
「何を探してるの? 一緒に探してあげましょうか?」
床に這いつくばって、玉の行方を焦りいっぱいで捜していた沙絵莉は、苦笑の混じった母の声に顔を上げて振り返った。
「あ…だ、大丈夫。すぐ見つかると思うから」
ごそごそ這い回っている姿がよほど面白いのか、母はずいぶんと楽しげだ。
それにしても、玉はどこに行ってしまったのだ?
「お母さん、掃除機とか、まだかけていないわよね?」
「かけてないわよ」
母の返事にほっとしつつ、沙絵莉は四つん這いになって頭を下げ、ベッドの下を覗きこんでみた。
おかしい。ないなー。
何処に行っちゃったんだろう?
布団に中に違いないと思って、一番最初に布団を捲ってみたけど、見つからなかったのだが…
「ほら、沙絵莉、いったい何を捜してるのか教えなさい。一緒に捜してあげるわよ」
娘の様子を見かねたのか、母が部屋に入ってきて、そんな風に催促され、沙絵莉は弱った。
異世界のものである通信の玉ってのを捜してるの…な〜んて言えっこない。
「ええっと…小さなので…丸くて…」
水晶の玉のようなのと言おうとして止めた。
石のように硬くはないのだ。なんとも表現しようのない感触で…
あの玉の素材は、いったいなんなのだろう?
り、竜の目玉とかだったり…まさかね…
だが、そのまさかがありそうだ。なんたって、異世界なんだし…
「小さくて丸いの? いったい何に使うものなの?」
異世界との通信…とは当然言えぬ。
「もらいものでね…」
捜すのに夢中というところを見せて、沙絵莉は曖昧に答えつつ、もう一度ベッドの方を捜し始めた。
母の方は、タンスの引き出しを開けてみたり、ソファの辺りを見ている。
良かった。その辺りならあるはずがない。母はこのままにしておこう。
それにしても、充分余裕があったというのに…私ってばなんて間抜けなのだ。
このままでは、アークと約束した十時までにアパートに帰るのが精一杯ということになりそうだ。
予定していたシャワーどころか、着替えさえも叶わないのではないだろうか。
ベッドの上に手のひらを当て、撫でるようにしながら玉を捜しつつ、沙絵莉はため息をついた。
それなりのおしゃれな服も着たかったし、髪形も少しは手を加えたかったのに…
けど、通信の玉をここに置いて行くわけにはゆかない。
壁とベッドの境目に目を向けた沙絵莉は、パッと笑みを浮かべた。
あ、あった!
こんなところに隠れていたとは…シーツがよれて、玉を隠してしまっていたらしい。
玉を無事手に握り締めた沙絵莉は、おおいに安堵した。
「お母さん、見つかったわ」
母に告げながら、急いで立ち上がった沙絵莉は、玉を握り締めたままバッグを拾い上げ、ドアに歩み寄った。
「それじゃ、お母さん、また電話でね」
すでに部屋を出ながら、沙絵莉は後からついてくる母に声をかけた。
「まあ、まったく余裕のない子ねぇ。いったいなんだったの?」
「もう時間ないから、ごめん」
これ以上の追求を免れようと、沙絵莉はせかせかと玄関に急いだ。
「沙絵莉、何かあったらすぐに電話しなさいよ。独り暮らしの娘を抱えている親の心情も察しなさいな。お母さん、あんたが心配で…このままじゃ、心配のしすぎて早く老けちゃうわ」
再度、見送るために玄関まで後をついてきながら、母親はぶつぶつ言い続けている。
「そんなに心配しなくても大丈夫だから」
心配性の母がおかしいものの、こんなにも気にかけてもらえていることを嬉しく感じる。
靴を履きながら沙絵莉は言った。
「何を根拠に言ってるのよ?」
まあ、根拠など無いのだが…
靴を履いて母に振り返った沙絵莉は、眉を寄せている母の顔をじっと見つめた。
もし、アークの誘いを受けて彼の世界で生活することになったら…好きなときに行ったり来たりできるのだろうか?
それとも、そんなには戻って来られないのだろうか?
そう言えば、アークは両親を捨ててと…言った。それって…
「もし…私がいなくなっちゃったら…お母さん、悲しむ?」
その言葉は、思わず口から転がり出た。
亜由子は一瞬ぽかんとした顔を沙絵莉に向けてきたが、次の瞬間、これ以上ないほど顔を強ばらせた。
「な、何言ってんの! 縁起でもないこと言って! 家を出る時に言う言葉じゃないわよ、沙絵莉っ!」
母の凄まじい怒りの叫びに、沙絵莉は首を竦めた。
「ご、ごめん」
家の奥から駆けてくる足音が聞こえ、俊彦が飛んできた。そのすぐ後に陽奈もやってきた。
沙絵莉は、気まずくふたりに目を向けた。
「あんたってば、ちっとも親の気持ちを分かってないんだから。子どもってものはねー、親にとって自分の一部なのよ。欠けたら自分の一部を無くすって事なの。それはね、自分の手足をもがれるより辛いことなのよ!」
憤りは、口にするほどに膨れ上がってゆくようだった。
これまでにない亜由子の剣幕に狼狽えて、沙絵莉はうんうんと頷き続けた。
陽奈はどうしていいのか分からない様子で、おろおろして大人三人を見回している。
沙絵莉の失言のせいで、とんだ騒ぎを引き起こし、申し訳なくてならなかった。
「まあまあ、亜由子さん落ち着いて」
やんわりと取りなした俊彦に、「私は落ち着いてますっ」と亜由子が噛みついたが、その瞬間、母は唐突に我に返ったようだった。
俊彦の顔をいまさらじっと見て、ボッと頬を染める。
夫の顔を見て正気に返り、喚いていたのが恥ずかしくなったらしい。
「ごめんなさい。お、思わずカッときちゃって…。だって、沙絵莉があんまり深刻な顔して、縁起でもないこと言い出すから、ゾッとしちゃって…」
今度は一転して涙声になった。
「いったいどんなことを言ったんですか?」
俊彦は、亜由子と沙絵莉を交互に見ながら問いかけてきた。
「自分がいなくなったら悲しむか…なんて言ったのよ。マジな顔して」
顔を見て、責めるように言われ、沙絵莉は顔を引きつらせた。
「だって…その…」
俊彦の視線も受けて、どうにも顔が赤らむ。
「ふっと頭に浮かんで、そしたら口から、ポロリと出ちゃって…」
「それが怖いんじゃないのっ!」
また余計な事を言ったらしい。
母に怒鳴られて、沙絵莉はぎゅっと目を瞑った。
「何か暗示してるみたいで……ああーもおっ」
一言一言に、恐怖にかられた怒りが込められているようだった。
せっかく鎮火したようだったのに、わざわざ煽って火をつけてしまったらしい。
事態の収拾がつかずに困っていると、手を触られて、沙絵莉は陽奈に顔を向け、ぎょっとした。
「沙絵莉お姉ちゃん。手が光ってるよ。何を持ってるの?」
拳は内側から光を放ち、金色に輝いている。
どう言葉を返せばいいのか思いつけず、沙絵莉は一歩後じさり、玄関のドアに背中をぶつけた。
彼女は咄嗟に光ったままの玉をバッグに放り込んだ。
そして、この場を取り繕えるような答えを搾り出そうとした。
「し、新発売の…そ、そう、ライトなの。人の体温を関知して光る。…つまり、そういう玉なのね」
咄嗟の、口から出たでまかせにしては良くできてる。と、自分のことながら、頭の片隅の冷静な部分で感心してしまう。
「ふーん。わたしも欲しいなぁ」
「こ、これは人からプレゼントされたものだから、あげられないの。陽奈ちゃん、ごめんね」
あっ、そうだ。
沙絵莉はバッグをもう一度開けた。
玉の輝きが消えているのをちらりと確認しつつ、彼女はティースプーンの箱を取りだした。
この小さな箱は、沙絵莉にずっと忘れられたままだったのだ。
「その代わりにこれをあげるわ。かわいいのよ。はい」
箱を開けた陽奈は、スプーンが気に入ったらしく、おおはしゃぎだ。
無邪気な愛らしい陽奈の笑顔に、亜由子もようやく気持ちが落ち着いたのか、機嫌を直してくれたらしい。
三人に見送られて、沙絵莉はやっとこさ家を出た。
門を抜けた途端、沙絵莉はバス停に向かって猛然とダッシュした。
アークとゼノンは沈黙の中にいた。
いましがたまで、サエリと彼女の母の声が、この部屋に響いていた。
部屋中の空気が棘を持ち、アークの身体をチクチクと刺してくるようだ。
「あまり考え込まぬ方がいい。サエリを手にしたいならば…な」
アークは父の言葉に頷けなかった。
彼の頭の中では、いまだサエリの母の叫びが響き続けている。
「自分の手足をもがれるより辛いもの…ですか? 父上」
厳しい顔つきのゼノンが、ゆっくりと頷く。
「親とはそういうものだ」
アークは前髪をかき上げて、大きく息を吐いた。
肺が呼吸することを拒んでいるような気がする。ひどく息苦しい。
アークはテーブルに肘をつき、頭を抱えた。
沈黙が部屋を支配する。
「諦める…か?」
長い沈黙を破ってゼノンがぽつりと言った。
諦める?
「賢者たちが黙っていません」
大きく動揺している胸の内を無理に押さえ込み、アークはもっともらしい発言をした。
「だろうな。だが、道を絶てば…彼らとて手出しできぬだろう」
「道?」
ゼノンが『道』なるものを指でさし示す。アークははっとして首飾りを掴んだ。
彼の表情に、ゼノンがそうだというように頷く。
これを破壊するのか?
確かにこれがなければ、大賢者たちといえど、サエリの国に飛ぶことはできなくなるはず。
だが、この首飾りがなくなってしまったら、アークもまた…
「他者に責任をなすりつけぬ事だ。すべてを受けとめ、自ら決断しろ」
その声はひどく静かでそっけないものだった。
アークは、頭をガツンとしたたか殴られた気がした。
顔に火がついたように熱くなり、アークは顔を歪めた。
できることなら恥辱にまみれたこの身を穴に埋めたい。
自分への憤りで身体が震えそうになるのを、両手を拳に固めて彼はぐっと堪えた。
サエリが欲しい。だが彼女に憎まれたくはない。それが彼の本音だ。
憎まれずに彼女を手に入れる方法を、自分は無意識に画策していたのだ。
すべて賢者のせいにし、彼らを悪者に仕立て上げ、彼女の憎しみを彼らに…向けようと…
アークはまだ赤みの残る顔を上げると、父親の視線をまっすぐに受けとめた。
「自分のあまりの浅ましさに恥じ入りました…。しかし、父上に暴露してもらってよかった。おかげで見えていなかったものが、いまはっきりと見えました」
アークは深々と頭を下げた。
頭を上げたアークは、父に笑顔を向け、姿を消した。
息子の消えた空間を見つめ、ゼノンは首を軽く左右に振った。
なにやら、嫌な予感が頭をよぎる。
…これは?
ゼノンは、口許に手を押し当て、眉間に皺を寄せると、険しい表情で考え込んだ。
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