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第六話 ついでの同行者
アークは馴染みの門番に挨拶して門をくぐったが、門番はジェライドとルィランを凄みのある顔で止め、入門の許可証を求めた。
相手が大賢者だろうが、聖騎士だろうが、この門番にとっては関係ないのだ。
まあ、ジェライドが賢者でなく大賢者であることを、この門番が知っているかは疑問だが…
ともかく、許可証を持たない訪問者は誰であろうと、この門を通しはしないというのが、聖賢者ゼノンより仰せつかっている彼の重要な役目。
記録帳を取り出し、ふたりの名前を記帳した門番は、なぜかギロリと、ジェライドだけを睨んだ。
ジェライドはわざとらしいほどの澄まし顔で、確実にこの状況を楽しんでいるようだった。
テレポを使えば、こんな手間など省けるのだから…
この門番を含めた一般庶民は、テレポやそれに使われる玉になどまったく馴染みがない。
朝、屋敷から出て行かなかった筈のアークが、こうして外から帰って来ることに不思議を感じてはいるだろうが、そこは偉大な魔法使いなればこその魔術を持っているのだと自己解釈しているのだろう。
「許可証を」
「ないよ」
ジェライドはあっさりと答えた。
門番は厳格な顔でそんなジェライドを上から見据えた。
「許可なき者は、たとえ、アーク様のお知り合いといえど…」
声を荒げる門番に、アークはため息をつきつつ「父上の許しをもらった」と、あたりさわりのない嘘をついた。
門番はアークを疑わない。
自分をからかったらしいと、ジェライドを嫌な目つきで睨むと、記録帳に書き付け終わり、二人を通してくれた。
「もう少し、彼で遊びたかったのに…」
不謹慎にも残念そうに呟き、ジェライドは更にこう付け加えた。
「ジョジョールは、とっても愉快な人だよ。私の人生に張りを与えてくれる」
その言葉から推察するに、ジェライドはアークの知らないところでかなり、あの勤勉実直を絵に描いたようなジョジョールを弄んでいるのだろう。
ジェライドは胸のポケットから書状らしい紙を取り出し、歩きながら丁寧に三角に畳んだ。
何をするのかと見ていると、さっと振り返りざま、門番のジョジョールに向けて紙を飛ばした。
風魔法がかけられているらしい三角の紙は、意志があるかのようにジョジョールのところまで飛び、彼の頭の上にそっととまった。
「あれはなんだ? ジェライド」
ルィランの問いに、ジェライドは機嫌よく、悪戯っぽい目をふたりに向けてきた。
「もちろん入門の許可証だよ」
「ジェライド!」
アークはこれから起きるだろう事を予知し、咎めるようにジェライドに呼びかけた。
ジョジョールは、頭の上に止まっている紙になどまるで気づかず、重い門を閉じているところだった。
ポンという、そこそこ大きな破裂音がし、音に驚いたジョジョールは、腰を抜かして地べたに尻をついた。
彼は書状を手にし、ぽかんとした顔で書状を眺めている。
ジェライドはけらけら笑い出した。
その笑い声を耳にしたジョジョールは、さっと立ち上がり、顔を歪めてジェライドを睨みつけてきた。
「ジェライド、いくらなんでも悪さが過ぎたぞ」
花と若木の美しい庭園の中を進みながら、ルィランがジェライドをいさめた。
聖賢者の館は左手の方向だ。
ジェライドの瞳に冷たい光がさした。
「おぬし、聖騎士の分際でありながら、大賢者の私に向かってそのような口を聞くとは…ふとどき者が…」
そう、静かに口にしつつ、ジェライドはルィランに向けて、すっと手のひらを上へとさし上げた。
ルィランはジェライドをまっすぐに見つめ、腰に下げた剣の柄に手を当てると、物も言わずに剣を引き抜いた。
切れ味の良さそうな剣が、日の光を受けてきらりと光る。
アークは次の事態に備えて、ふたりから数歩後ろへ下がった。
「愚かな聖騎士め、成敗する」
「むざむざやられるものか!」
言うが早いか、ルィランは光る剣を振り上げ、平然としたジェライドめがけて振り下ろした。
ザクッ!
背筋が凍るような肉を切る音。ジェライドの身体から赤い血が飛沫のように噴き上がった。
「ギャアー!」
断末魔の叫びを上げて、ジェライドが後ろ向きにどうっと倒れた。
アークは腕を組み、呆れ顔で惨状を見ていた。
血塗られた死体そのものだったジェライドが、ぴょこんと起き上がって立ち、ルィランは何事もなかったかのように、血で汚れたままの剣を鞘に収めた。
ジェライドの身体にべったりとついていた血のりが消えてゆく。
「どう。かなり真に迫った幻だったろう?」
「ああ、血の匂いまでしたよ。しかし悪趣味だな。二人とも」
「俺まで一緒にするな。言っておくが、俺はいつでも本気だ」
ルィランがムッとして怒鳴った。
それはそれで問題だと思うが…
「こいつの防御魔法の高さときたら…おまけにあんな幻まで作り上げてる。…まったく。まあいずれ、かすり傷くらいはつけてやるさ」
「君のつつがなき成長を、楽しみにしているよ。ルィラン」
「その憎ったらしい自信を、木っ端微塵にできない己がまったくいまいましいよ。お前とやりあうと、自分の技量の底が見えるようで、聖騎士と名乗るのが恥ずかしくなる」
「聖騎士と賢者は種類が違う。賢者は防御に長けていなければならない。けど…正直なところ、君の剣をかわすのは、この最近骨が折れるよ」
「ほんとか?」
ルィランはまるきり本気と取らずに、眉を寄せて聞き返した。
「ああ。もちろんだよ。…ところで、アーク」
「なんだ?」
「サリス様、キュラのパイは作らないのかな? ここ数日食べてないんだけど…」
サリスの焼いたキュラのパイは、アーク以上に、ジェライドの好物。
「ああ。それなら十時のお茶の時間に出たぞ。ひさしぶりでうまかっ…うわっ」
アークは、ジェライドから体当たりのように飛びつかれて、よろめいた。
「な、なんで…私が居ないときに…」
情けない顔で泣きそうな顔をしているジェライドを見て、アークは噴き出すのを堪えた。
「君らしくないな。お得意の予知はどうした?」
ジェライドは悔しげな顔をして、頬を膨らませ、にやついているルィランを睨み返した。
「そちらに気を回せないほど、私の内面は忙しかったんだよっ! …アーク、まだ残ってた?」
縋るように見上げてくるジェライドの眼差しに、アークは思案げな顔で口を開いた
「うーん。どうだろうな。厨房を探ってみたらどうだ?」
冗談のつもりだったのだが、ジェライドは実行したようだった。パッと明るい笑顔になった友を見て、アークは噴き出した。
「サリス様、ちゃんと私の分のキュラのパイを残してくれてるようだよ。さすがサリス様だ。後でお邪魔しなくっちゃな」
ジェライドは晴れ晴れとした顔で、館の裏に続いている小道へと歩いて行く。
彼らは心地の良い木陰の続く森林の中へと入った。じきに白い靄が見えてきた。
この靄の手前にも門が設置されていて、門番が常駐している。
今度はジェライドもすんなり書状を見せ、彼らは靄の奥へと入っていった。
ひんやりとした靄を頬に受けながら、三人とも黙々と進む。
この靄の中には独自の魔力が存在しているらしく、言葉を口にできなくなるのだ。
靄が突然晴れ、彼らの前に湖が現れた。
湖のほぼ中央に島が浮かんでいる。
あの島が、カーリアン国でもっとも神聖な場所。聖なる地だ。
アークとジェライドには馴染みの場所だか、ルィランが来たのは二度目で、ずいぶんと懐かしそうな目をして島を眺めている。
賢者の弟子である修練中の若者数人が彼らを丁寧に迎えてくれ、三人のために島へと渡る専用の小船を用意してくれた。
彼らが乗り込むと、小船はゆっくりと島に向かって進み始めた。
ジェライドは小舟の舳先に寝転がり、目を瞑った。
「ジェライド、私たちはここに何の用で来たんだ?」
「事を起こすため」
目を閉じたまま、ジェライドは答えた。
「アークが夢で見る女を捜すのがやはり目的か…。なあ、ジェライド、私は役に立つのか?」
「君は…まあ、今回はついでのようなものだよ」
「はぁ? ついで?」
「色々あるんだ。これ以上聞かれても、答えないよ」
ジェライドは右手を差し伸べ、何をするつもりかとふたりが見ていると、そのまま小船の縁から手を下ろし、湖の水に指を浸した。
ジェライドの指が触れた水面に、すーっと、一本の線が延びてゆく。
「お、おい、ジェライド、水に触れていいのか?」
ルィランはこの湖の神聖な水に触れることは、冒とくだと思っていたらしかった。
「いまはね。…ひとと、時と場合によるんだけど…君らもやったら」
ジェライドは何気なく勧めてきたが、たぶんそれは必要なことなのだろう。
アークは片手ずつ湖の水面から差し入れ、手のひら全部を浸した。
「気持ちがいいぞ。ルィラン」
顔をしかめたルィランは、なぜか陸と島に視線を向け、渋々の様子で左手を水の中に入れた。
「なんとも…手のひらがチリチリする」
「そうか?」
アークはあたたかくて重量のあるものがどっと自分に流れ込んでくるのを感じるのだが、感じるものはひとそれぞれらしい。
「ルィランは初めてだからね」
「この感覚は、繰り返すと変わるというのか?」
いぶかしげな顔をして、ルィランはジェライドに尋ねた。
「変わるよ」
「へえーっ? なぜ?」
「君が変わるからさ」
眉をきゅっと寄せたルィランは、触れている水が突然熱湯になったかのように、さっと手を引き抜いた。
「この水は、人を変えるというのか?」
ルィランの行動に、ジェライドはくすくす笑った。
「違うよ。ああでも…うーん、感化は受けるよ。でもそれは…君の意志を無視して強制的に変えるということではない」
「感化?」
「うん。癒しを促進する魔力に触れると傷が癒える。傷があったときより、いい状態になったりするだろ?そういうことだと思えばいい」
ルィランは湖の水で濡れている手のひらを見つめ、右手で手のひらを撫でた。
「ほら、右手も」
ジェライドに催促されたルィランは、口元を引き伸ばしながらも、右手を水に浸した。
そんなふたりのやりとりをアークは黙って見ていた。
ことは始まっている。そう強い思いが湧いてくる。
彼が夢に見る女を捜すことを目的に、ジェライドはふたりを此処へ連れて来たはずだ。それは間違いない。
ルィランは、夢の女は彼の愛する人だと言った。だが、ジェライドもマリアナもキラタも、そんなことは口にしていない。
ただ、アーク自身も、そうなのではないかと感じて…
正直、それが嫌で堪らなかった。
あんな女、求めてもいないのに、なぜ彼がわざわざ捜さねばならない?
アークは、昨夜も夢の中に現れた女の顔を、思い出そうとして目を閉じて眉を寄せた。
暗い闇の中に女の影のような輪郭が浮き上がる。
黒髪には輝きなど無く、彼を見つめる瞳にも輝きは見えない。
彼が求める気が無いから、はっきりと思い出すことが出来ないのか、ぼんやりとした輪郭は、闇の中へすーっと消えていった。
「アーク、着いたよ」
ジェライドの声に、アークは目を開けた。
「どうしたのさ?」
苦い顔をしているアークに、ジェライドは面白そうに尋ねてきた。
「さあな」
アークは吐き捨てるように言うと、小船から降り、聖なる地に足を踏み入れた。
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