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第六話 治癒者の苦労
「まったく、大変な苦労をおさせになるお方だ」
マラドスは肩を落としてベッドの側に据えられた長椅子に腰を落とした。
同じ部屋にいて彼の手伝いをしている治癒者たちが、同様の意味合いをこめた呟きをあちらこちらで洩らす。
マラドスは困惑して、こん睡状態の娘の顔を見つめた。
娘の身体は、いくら癒しの魔法を施しても、なかなか癒しを取り込まず、その大半を放出してしまうのだ。
そのうえ、信じられぬことに、心の臓の位置にあるべき魔力の核が形をなしていない。
核の位置が、心の臓からずれている奇形の者はかなりの数治療してきたが、核そのものが形をなしていない症例など見たことも聞いたこともない。
このまま治療を施しても、意味はないだろう。だが、このお方は特別なおひと。
聖賢者ゼノンに託されたのだ。
彼の命が危うくなろうとも、絶対に死なせるわけにはゆかない。
眉間を寄せたマラドスは、顔をあげ治癒者たちに顔を向けた。
「父上」
弟子のひとりでもある彼の息子、セドルが布を差し出してきた。
「これで汗を」
その言葉で、自分が異常に汗を掻いていることに気づき、彼は受け取った布で汗を拭いながら、皆に向けて口を開いた。
「このお方の身体が作りあげる魔力は、内から外へと漏れ出てゆく。その流れが強すぎて、外からの魔力を押し出してしまうのだろう」
マラドスは娘の全身に視線を這わせ、眉をぎゅっと寄せた。
口惜しいが自分の力だけでは、いかんともし難い。
「ゼノン様にお会いしてこよう」
マラドスがドアへと一歩踏みだした途端にノックの音がし、ドアの一番近くにいた弟子が応えた。
「ゼノン様がお出でですが」
あまりのタイミングの良さに、弟子達は驚いたようだ。が、相手は聖賢者、ここで起こってる一部始終を把握していたとて、驚くこともない。
返事を返すとすぐにドアが開き、偉大なる大賢者ポンテルスを従えたゼノンが入ってくる。
この大賢者は、マラドスが幼い頃からこの風体をしておいでだ。
いったいどれだけの年月を生きておられるのか、見当もつかない。
「ゼノン様、こちらからお伺いしようと思っていたところでございました」
「どうだ?」
「それが、誠に遺憾ながら、芳しくありませぬ」
「うむ」
それでと続きを促すように眼差しに、マラドスは頷いて言葉を続けた。
「このお方は、驚くべきことに、魔力の核が形を成しておらぬのです。そのため、癒しの技もまったく生かされぬのです。核がないため、このお方の魔力はたまることなく、内から外に流れ出ているばかりで…」
「そうか」
そう短く答えたゼノンは、娘に近づき、上体を曲げて娘の身体に覆い被さるような姿勢をとった。
しばしその顔を考え込むように眺め、身体の数センチ上に手をかざし、頭から下へと移動させた。
つま先までゆき、全身を調べると、顔をあげて振り返ってきた。
「封印するのは容易い。が、封じるのはどうかと思う。この娘の身体は特殊なようだ。封じたことで害がないとも限らない。ここは慎重にやらねば、娘に何かあっては一大事だからな」
「封じることはなかろうのお」
ゼノンの言葉を聞き、こんな事態なのにポンテルスは柔和に笑み、和んだ声で答える。
「ポンテルス殿、何か策が?」
ポンテルスが静かに頷き、マラドスは目を見開いた。
まさか、この御仁は、このどうにもならない事態を打開する策を、すでに思いついておられるのか?
「核が形を成しておらぬのならば、形を成してやってはどうかのお。入れ物はシャラの空っぽの玉が最適かと思いまするがの」
あまりに造作なく答を出したポンテルスに、マラドスは感嘆した。
大賢者の口にしたような手法ができるならば、もちろん効果的だろう。けれど、マラドスにはそんな技は考えも及ばないし、やり方を教わったとしても、出来るはずもない。
聖賢者であるゼノンと、大賢者ポンテルスは、そんな常人では思いつきもしない策を、現実にできるのだろう。
畏怖の念が突き上げ、マラドスはふたりを見つめた。
ゼノンが、ポンテルスに向けて口を開いた。
「あなたには、いつまでも驚かされる」
「年の功よのお。永き年月を生きておれば、自然と物知りにもなろうし、知恵もつくというもの」
「おいくつになられました?」
「さあてのう、数えるのをやめてしもうたから、わからんのお」
聖賢者ゼノンがクックッと笑い声を発し、その珍しい現象に、マラドスはなんともドギマギしてならなかった。
ポンテルスをと見ると、節のついた頬を歪めている。どうやらこの大賢者も笑っているようだった。
「マラドス」
遠慮しつつポンテルスの顔を見つめていたマラドスは、ゼノンから名を呼ばれ、慌てて視線を向けた。
「はい」
「核のことは我らふたりに任せてくれ。少しばかり時間がかかるかも知れぬ。その間、治癒者の皆とともに、他の部屋で休んでいてくれ。処置が終わったらまた治療を頼むぞ」
「わかりました。それでは」
マラドスは深々と頭を下げ、全員を連れて部屋から出た。
事態は逼迫している。
手持ちの空っぽの玉を、ゼノンは私室から取ってきて、さっそく仕事にかかった。
ポンテルスの助言と手を借り、娘の魔力をまずはまとめるため、彼女の身体全体にシールドを張り巡らした。そしてシールドを、用心しつつゆっくりと内に向けて縮めていった。
ゼノンが心の臓の位置で適度な大きさまで縮めると、ポンテルスが空っぽの玉をその真上に浮かべた。
ふたりは精神を張り詰めさせたまま目を合わせ、互いにこれからなす事を確認する意味で頷き合った。
浮かんでいた玉は、ポンテルスにより、ゆっくりと降りてゆく。
玉は体内へと吸い込まれていき、目視できなくなったところでゼノンは目をつぶった。
ポンテルスも同様に目をつぶる。
あとは心の目で感知するしかない。
ゼノンがシールドで包み込んで凝縮させた魔力へと玉が近づき、触れそうになる。
微妙な振動が起こり、娘の胸のあたりが小刻みに震えたようだった。
ゼノンは額に汗を滲ませ、震えのために手から逸れてしまいそうな魔力を押さえ込んだ。
ようやく玉が魔力に触れた。あとは、玉の中に魔力を注入しなければならない。
玉の中にすべての魔力を注ぎ入れるという、とんでもなく緊張を強いられる作業を終え、ゼノンはほっと力を抜いて上体を起こした。
娘の様子に異変はないか、しばし見守ったが、大丈夫のようだ。
「うまくいったようですね?」
「うむ。完璧じゃの」
満足そうな返事をもらえ、ゼノンも心からの安堵を感じられた。
「シールドは、いますぐ解かず、徐々に解けるようにしておこうかと思いますが…」
「それがよかろうのう。無理やりに魔力の核を埋め込んだようなもの、馴染むのに時間がかかるじゃろうから」
ゼノンは、治癒者たちを呼び戻し、癒しを再び続行させた。
ポンテルスは、治癒者と入れ替わるように出て行ったが、ゼノンはそれから一時間ほどの間、娘の様子に変化がありはしないかと緊張して見守った。
「ゼノン様、良好です。治癒が効きはじめております」
いつも静かなマラドスが、興奮したように笑顔を浮かべて報告してきた。
どうやら、大丈夫のようだ。
確かに、娘を見ると、血の気のなかった頬にも唇にも赤みがさしてきている。
治癒は、マラドスの言葉通り、充分な効き目を現し始めたようだった。
ゼノンは娘の額に触れて、その体温を感じて笑みを浮かべた。
それにしても変わった種族だ。
魔力を無駄に放出しているばかりとは…
これでは、身体の害にもならないだろうが、得にもなっていない。
身体の作りや、魔力を生み出す源は同じのようなのに…
アークは、娘の住む国の住人は、進化の過程で魔力が退化したのではないかと考えているようだが、退化しているわけではない。ただ、霧のように放出しているだけなのだ。
彼らは自力では魔力を使いこなせないだろうから、魔法も無理だろう。だが、利器は使用できる。
娘は通信の玉を使用できたのだ。
玉は使う者が魔力を込めなければ、使用できない。
なぜだかアークは、まだそのことに気づかないでいるらしいが……
「ゼノン様」
治療の邪魔にならない位置で考え込んでいたゼノンは、マラドスから呼びかけられて顔を上げた。
「治療は終えました。後は回復の助けとして少しずつ癒しを施してゆけばよいかと思います」
「そうか。ご苦労だったな。マラドス、そして皆の者、みなよくやってくれた。礼を言うぞ」
頭を下げたゼノンに、全員、泡を食ったように片膝をつき、頭を下げた。
マラドスと彼の息子を残し、彼らは部屋を後にした。
「目覚めも近いかもしれませぬ」
確かに娘の表情に動きが出てきたようだ。
マラドスは息子の肩に手を当て、ゼノンに向けて口を開いた。
「看護にこのセドルを残して行きましょう。治癒者の認知も頂いておりますゆえ、ご安心めされて、こやつにお任せ下さい」
セドルのことは、もとから知っている。
アークよりひとつかふたつ歳上だったはずだ。
マラドスと同じ若葉色の髪を持ち、治癒者に多い澄んだ青い瞳をしている。
顔形は母親を受け継いだのか繊細だが、いまは緊張のためか口を固く結んでいる。
その顔つきは、確固たる男らしさを感じる。若いが、かなりの人格者のようだ。
「よろしく頼むぞ。セドル」
「はっ」
その短い受け答えに、ゼノンは満足した。
テラの若者特有の、おしゃべりな気質はこの者にはないらしい。
さて、そろそろアークを解放してもらうとしよう。
ポンテルスの気を感じたゼノンは、口許をゆるめた。
どうやらすでに迎えに行ったらしい。
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