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第六話 先行きの不安
サエリは、いったいどうしたというのだろう?
何が悪かったのか?
風呂に入ってうっかり寝てしまって、ジェライドから起こされて…
サエリが目覚めたと聞いて、慌てて風呂から飛び出て…
髪も満足に拭かず、服も羽織ったまま…
無作法な男だと思われてしまったんだろうか?
もっと余裕を持つべきだったかもしれないが、目覚めたサエリの顔をともかく早く見たくて…元気になったのを確認したくて…考えるより先に行動してしまった。
話かけても、彼女は微笑んでくれなかった。そして、自分の家に帰ると言い出して…
そんなにも帰りたかったのだろうか?
怪我を負って、ようやく元気になって…両親に会いたくなったのか?
ベッドから出ようとする彼女を、なんとか説得しようと肩に触れて…
アークは、自分の手のひらを見つめ、ため息をついた。胸が疼く。
どう考えても、あれは拒絶だった。
嫌われていないと思いたいが…
これからどうすればいいのだろう?
再びため息をつきながら、アークは自分の前にいるジェライドに視線を向けた。
ジェライドは、アークをじっと見つめていた。
指輪の箱がふたつ埋め込まれた透明の玉を、ジェライドは手に持っている。
「なんだ?」
アークは、思わず攻撃的に言った。
「気にすることはないんじゃないかい?」
「何が?」
「もちろんサエリ様が君を拒絶したことだよ」
話題にしたくないことを、はっきりと口にしたジェライドを、アークはむっとして睨みつけた。
「サエリ様は回復されて間がないんだよ。精神的に不安定でも仕方がないと思うけど」
「それは…」
本当に、そういうことなんだろうか?
あれは精神が不安定なためだったと思っていいのか?
「これからどうすればいいんだろうな…」
アークは胸にある不安を口にし、ジェライドの持っている透明の玉を見つめた。
「どうだ。指輪の箱は取り出せそうか?」
「分析中だけど…。正直、どうすればいいのかわからない」
「取り出せなかったら…」
「いや、絶対に取り出すさ。取り出せないと諦めるわけには行かないし、無理やり玉を破壊して、指輪をバラバラにしてしまうなんてことも、我々の道にはない」
「そんなことを言ったって…」
「可能性うんぬんじゃない。無事に取り出すよりない」
きっぱりと言い切り、ジェライドは玉を両手で持ち上げたものの、最終的に虚ろな眼差しで指輪の箱を見つめる。
「私の指輪の箱は壊れてもいいんだ。けど君の指輪の箱は…そうだ」
「なんだ、ジェライド、何か妙案が浮かんだのか?」
「ああ。私の指輪の箱の方で、色々とチャレンジしてみればいいよ。あらゆる方法を試してみれば…」
「それは駄目だ」
アークはきっぱり言い、ジェライドから玉を取り上げた。
「ア、アーク」
「君の指輪の箱を、犠牲にできるものか」
「何を言ってるんだ。これ以上いい方法はないよ」
「駄目だと言ったら、駄目だ。それに、もしかすると何か試すことで、両方の箱が粉々になる可能性だってあるはずだぞ」
「それは…まあ。なら、どうするんだい?」
「誰か、こういう知識に長けているものに知恵を借りるしかないだろう」
「それは…いいかもしれないけど…。そうなると、この玉について詳しく説明しなければならなくなるんだよ」
「仕方がないだろう!」
噛み付くようにアークは言った。
アークだって、そんなことはしたくない。ふたりで解決できれば、そうしたい。だが、そうできそうもないのであれば、誰かに頼るしかないではないか。
「それで、ジェライド、誰が一番可能性があるだろうな?」
「相談しやすさで言うと、パンセ殿ですよ、もちろん」
「そうだな。大賢者パンセなら、相談しやすい。…で、可能性で行くと誰だと思う?」
「口にしたくありませんが…キラタ殿」
その名を聞いて、アークは顔をしかめた。
「大賢者キラタか…ポンテルス殿はどう思う?」
「うーん。ポンテルス殿は博識です。案外あっさりと指輪の箱を取り出せるかもしれないけど…」
「けど…なんだ?」
「あの方は…豪胆すぎるというか…粉々にしてしまう危険性も感じる」
アークは、天を仰いだ。
「もし、粉々にしたら、ポンテルス殿はどうすると思う?」
「さあ…あの人に限っては、予想がつかないな」
「指輪が消えてなくなっても、どうにかなるんじゃないのか?」
「指輪がないことを、賢者達がどう考えるかによるけど…君の婚礼がありえないほど先延ばしになる可能性も出てくると思うよ」
「ありえないほど先? どのくらいだ?」
「わからないよ。…けど、十年以上ということも考えられる」
「はあ? そんなに待てるものか。私は三十になってしまうじゃないか」
「賢者は待つことに関しては苦にしないからね。君とサエリ様が無事でありさえすれば、いずれ世継ぎが生まれるわけだし…少々君とサエリ様の婚礼が遅くなっても…」
賢者たちは苦にしないかも知れないが、アークは待ちたくない。
愛するサエリを近くに置いておきながら、十年近く指一本出せないなんて…冗談じゃない。
アークは抱えている玉を敵であるかのように睨んだ。
過去の自分が、いっそう憎らしくなる。
婚約指輪の方も、まだ見つからないでいるし…
進退窮まった気分で、アークは玉の表面を撫でた。
玉を感じてみると、様々な魔力が散り散りになっているのが感じられた。
アークは、不味い気分で顔を歪めた。
魔力は同化しあうもの同士もあるが、その逆もある。
魔力が散り散りという状態では爆弾と同じ…まったく始末が悪いな。
指輪の箱が、どの程度玉と交わっているかにもよるが…
「ジェライド、指輪の箱の中は、透視出来ないのか?」
「出来てたら、そう言ってるよ」
その通りだ。アークは、また肩を落とした。
目の前にしておきながら、取り出せないとは…
結局、パンセかキラタに頼るしか道はないのか?
そのとき、彼の名を呼ぶ母の声がはっきりと聞こえ、アークは反射的にテレポしていた。
目の前に母がいて、アークは母親と目を合わせた瞬間、我に返った。
サリスの笑い声を耳にし、気まずくてならなかった。
「…呼びましたよね?」
気まずさを拭い去りたくて、アークはそう尋ねつつ、サエリに視線を向けた。
「ええ、サエリが話があるそうよ」
話が?
アークは、ごくりと唾を飲み込みながら、サエリに歩み寄った。
「あの、さっきはごめんなさい、アーク」
なんと言葉をかけようか迷っていたアークに、サエリのほうから話しかけてきてくれた。
大きな安堵が湧いた。
嫌われたりはしていないと思っていいのか?
「き、気にしてなどいないさ」
顔を上げたサエリは、アークと目が合っても、逸らしたりしなかった。そのことにアークはさらにほっとした。
「アーク、あの、それはなんなの?」
「えっ?」
サエリの問いに、アークはぎょっとした。
「あ、あっ」
た、玉…
慌てたアークは、急いで玉を背中に隠した。
「アーク? 私も聞きたいわ、それはいったいなんなのです?」
サリスの問いに、アークは焦った。
「い、いえ。別になんでもありませんよ」
「あら、別になんでもないことはないような気がしたけれど…どこかで見たことのある…」
「母上!」
アークは思わず叫んだ。
どうやら、彼の母は、玉の中身が指輪の箱だとわかったらしい。
「大事になさいと、あれほど言って置いたのに…」
「母上…」
言い訳の言葉もない…
母親とサエリの両方に対して気まずくてならない。
「ねえ、アーク。あなたは、いつ怪我をした私のところにやってきたの?」
アークは彼女が玉のことに触れてこなかったことにほっとした。
「いつと言われても…君が地面に倒れていて、君の側にふたりの女が屈み込んでいたから…」
「私の友達のユミカとヤスミよ。彼女たちとは何か話した?」
「いや。何も話してはいない」
「それじゃ、どうやって私をここに?」
「私は君が倒れているのを見て、すぐさま駆け寄った。それで…」
女たちを思い切り突き飛ばしたことを思い出し、アークはサエリの目を直視できず、顔をしかめた。
「まあ、君の友達ふたりは、いささか邪魔で…」
どうにも突き飛ばしたとは言いづらい…
「それで、どうしたの?」
返事を催促されて、アークは困った。だが、これはもう、正直に言うしかないようだ。
「つまり…どいてもらえそうになかったから…突き飛ばした」
そう告げた途端、サエリは驚きを見せ、アークはつい「かもしれない」と付け加えていた。
「まあっ。あなた、ヤスミとユミカを突き飛ばしたの? そ、それで謝ったの?」
事態は逼迫していて、謝る暇などとてもなかったのだが…
「いやそれが、君の状態があまりにひどくて、すぐに癒しを施して、こちらに飛んできた。ただ、騒ぎになってはまずいと思って、直前の記憶は封じてきた」
「あなた、凄いことが出来るのね」
驚きとともに言われ、アークはどんな顔をしていいやらわからなかった。
サエリはいまの話で納得したのか、それ以上追及してくることもなく、しばし考え込んだあと、顔を上げてきた。
「アーク、明日には帰れるかしら? 明日になったら、私の世界に送ってくれる?」
「私の魔力はかなり回復しているから、君を送ることはできると思う。だが…」
「アーク?」
「君に施した癒しの技は、傷を治すのに比例して体力を消耗するんだ。いま、疲労感がないかい?」
アークの問いに、サエリは仕方なさそうに頷いた。
あれほどの治癒を施したばかりだ。これから数日間、彼女はかなり疲れやすいはずだ。
横になっている限り、そんなに疲れを感じないかもしれないが、普通の生活に戻れるのはまだまだ先…
「傷が深ければ深いほど、癒しの反動で体力は著しく低下する。いま元気だと感じても、君はまだ完治しているわけではない。無理をして君の国に帰ったりしたら、癒しが災いに転じる結果になるだろう」
「そ、そうなの?」
「少なくとも三日は安静にしていた方がいい。できれば一週間」
「そ、そんなにはいられないわ。学校もあるし…」
「ともかく今夜のところは、ここで休んでくれるね?」
「ええ、今夜は」
彼女の了解をともかく得られ、アークはほっとした。
「アーク、これは取り出せるのでしょうね?」
母親の言葉に、アークはぎょっとして後ろに振り返った。
サリスときたら、いつの間にやら彼の背後にいて、しかめた顔で玉を見つめている。
アークは玉を母の目から隠そうと身体の向きを変えたが、今度は玉をサエリの目にさらすことになった。
「アーク、その箱はなんなの?」
顔を引きつらせたアークは、瞬時にその場から逃げた。
「お帰り、アーク」
ジェライドのからかうような声に、彼は迎えられた。
アークはさっと片手を伸ばし、何か言おうと口を開きかけたジェライドの口をぐっと押さえ込んだ。
「むっぐぐぐ…」
苦しがってジタバタしているジェライドの胸元に、彼は玉を押しつけ、サエリと母の元に飛んで戻った。
愉快そうな顔をしている母をスルーし、彼はサエリに向いた。
サエリは確実に、玉について質問しようとしている。このまま黙っているわけにはゆかない。
アークは、心を決めた。
「実は、あの玉に入っていた箱は…結婚指輪だ」
「結婚指輪?」
アークは頷いた。
とんでもなくへんてこな指輪なのだ。
そんなものを指に嵌めることになるなんて、サエリは間違いなくがっかりするだろう。
指輪を見た途端、結婚しないと言い出してもおかしくない。
先行きの不安に、アークはがっくりと肩を落とした。
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