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第七話 受け入れたもの
「実は、あの玉に入っていた箱は…結婚指輪だ」
「結婚指輪?」
沙絵莉は戸惑いつつ、口にした。
いなくなったと思ったら、すぐに現れたアーク。
彼が先ほど手に持っていた大きな透明の玉。あの中に入っていた箱は…結婚指輪?
けど…いまは持っていないようだ。
自分の部屋に置いてきたのだろうか?
「ちょっとわけあって、玉の中に封じ込めてしまっているが、必ず無事に取り出すから…」
封じ込めて?
どういうことなのかさっぱりわからず、沙絵莉は戸惑いを深めてアークを見つめた。
結婚指輪だなんてもの…なんで、アークは持ってきたのだろう?
それにあの大きな玉は?
この世界には、指輪の箱をああいう入れ物に入れておくものなのか?
つまり、あれは宝箱のようなものだったり?
でも…結婚指輪を持ってるなんて…
あれって…や、やっぱり私に…?
け、けど…まだプロポーズもされてないのに…
まあ…私の部屋で、それらしきことを言われたけど…
愛をあげると言ったら…私と来るかって…
うん?
沙絵莉はきゅっと眉を寄せた。
脳裏に浮かび上がってきた…夢の記憶…
その瞬間、彼女の目は、自分の背中を捉えていた。
そう、私はこんな風に、夢の中でアークを探して森の中を歩き…いえ、飛び回ったのだ。
身体が羽のように軽くて、ぽんと爪先で蹴ると、ふわんと身体が浮かび上がった。
すごく楽しくて気持ちが良くて、森の中を風のように駆け抜けていたら、彼女を呼ぶアークの声が聞こえてきたのだ。
彼女は夢の中の自分と同じように、顔を上げてじっと耳を澄ました。
「いったい君はどこにいるんだい? サエリ、頼むから姿を見せてくれ」
沙絵莉は、夢の中の自分と一緒にくすくす笑った。
「サエリ、笑ってないで…」
「あなたこそ、どこにいるの? 姿を現すのは、あなたの得意じゃない」
笑いながら言う自分に、沙絵莉は同意して頷き、夢の中の自分と声を合わせた。
「あなたは私の居場所がわかるって言ってたでしょ? 私を感じると飛んでこられるって。飛んできてアーク、いますぐに」
夢と同じに、アークがパッと現れた。
眩しいほど銀色に輝いて…
ううん、違う…
沙絵莉はあまりの眩しさに目を細めながら、首を横に振った。
銀色と普通に表現にするには…この輝きを言いえていない。
輝きそのものが生きている。
銀色…純白…虹色…
いいえ、どれも違う…
「サエリ?」
サエリの名を呼び、アークは顔をしかめた。
どうしたというのか、呼びかけてもサエリは応えない。
ベッドに起き上がったまま、目を半開きにしている彼女は、意識をどこか別の場所に飛ばしてしまっているようだった。
不安になったアークは、彼女に手を伸ばそうとしたが、母親に手を掴まれ、止められた。
「母上?」
「きっと必要なことが起きているのよ」
「必要なこと?」
「ええ」
そうなのだろうか?
そのときサエリが微笑んだ。
なんともいえないしあわせそうな笑みを浮かべている。
アークはその笑みに見惚れた。
確かに、この笑顔を見る限り、けして悪い状態ではなさそうだが…
「アーク、サエリはきっと寝る前にお風呂に入りたいと思うでしょうし、私はサエリの着替えを取りに行ってくるわ」
「ああ、はい。母上、お願いします」
サリスはすぐに部屋を出て行った。
アークは、ベッドの端に座り、視線をさまよわせているサエリを見守った。
いったい彼女は何を見つめているのか?
「あなたは私の居場所がわかるって言ってたでしょ?」
数分が経ったとき、サエリが唐突に語り出し、アークは驚いた。
「私を感じると飛んでこられるって。飛んできてアーク、いますぐに」
アークは知らぬ間にサエリの手を握り締めていた。
これは、夢の中の彼女の言葉だ。
彼女は夢を無意識に再現しているのか?
ぎゅっと手を握り締められた感覚に、沙絵莉は思考を停止し、目の前にいるアークを見つめた。
手を握り締めてきたのはもちろんアークだった。
沙絵莉は口をほころばせた。
現実のアークは、夢のように輝いてはいない。
「アーク。夢を見たわ」
「…どんな?」
「あなたを探して、森の中を…」
跳ね回っていた自分を思い浮かべた沙絵莉は、込み上げる笑いでくすくすっと声を上げ、話を続けた。
「とっても身体が軽くって、ふわふわって感じで飛び回ったの。もう楽しくて…」
「私とは逢ったのか?」
沙絵莉は笑みを浮かべたままこくりと頷いた。
「ええ。逢ったわ」
「話をした?」
「話もしたけど…あなたってば、眩しいくらい輝いてたのよ」
「私が?」
「それがね、とっても不思議な色の光…うーん、言葉に出来ないの。表現出来ないのが、すごくもどかしいんだけど…」
「その光は…知っているよ」
アークの発言に驚き、沙絵莉は彼の瞳を見つめた。
「知ってるの? もしかして、あれって、魔法の光とかなの?」
アークにそう問いかけた沙絵莉は、ここにいたはずのアークの母の姿がないことに気づき、驚いた。
「アーク、あなたのお母様は? い、いつ、いなくなっちゃったの?」
「母なら、君が…意識を飛ばしている間に、部屋を出たよ」
沙絵莉は眉をひそめた。
意識を飛ばしていた?
そ、そんな覚え、ないけど…
「それで? サエリ、君と私は、他に何か話をしなかったかい?」
「ほかに?」
アークが頷き、沙絵莉は夢の続きを思い出そうとした。
「えっと…あなたがとっても眩しくて…私の胸が、ぐわんって感じで、ありえないくらい膨らんでくる感じがして…もうすっごく苦しくて。それに熱くて…はーはーって息を吸ったり吐いたりしてみるんだけど、ちっとも楽にならなくて…」
「それで?」
「でも、私、あなたにどうしても言いたいことがあって…」
沙絵莉はそこまで言って、口ごもった。
この先はとても言えない。
あなたを愛してるだなんて…
頬を赤らめてアークを見ると、ひどく真剣な眼差しを向けてくる。
「聞いたよ」
「えっ?」
ぎょっとした沙絵莉は、目を丸くした。
「な、何を?」
「君が口にした言葉だ。サエリ?」
「は、はい?」
「そして、私が君に告げた言葉は…覚えているかい?」
彼がそう言った途端、沙絵莉の頭の中に、アークの声がはっきりと響いた。
「サエリ。私も君を愛している。この世のありとあらゆるすべてのもののなかで、なによりも誰よりも、君を愛している」
いま、アークは口を開いていない。いまの言葉は、私の頭の中で再生されたもの?
不思議な現象に驚き、彼女は空いている手で頭をぎゅっと押さえつけた。
「いま、な、何をしたの?」
「何を? 私は何もしていないよ」
「で、でも、いま、声がしたわ。あなたのよ」
「なんて言った?」
「そ、それは…ち、ちょっと口に出来ないわ」
「どうして?」
「だ、だって…」
「…私の言葉を聞いたあと? 何か起こったかい?」
起こる? それって、夢の中でってことよね?
「光の玉の中にいたわ。さっき言った不思議な銀色の…」
ふわふわと光の中央で浮いている感じだった。
沙絵莉は右手に燃えるほどの熱を感じ、「アツッ」と悲鳴のような叫びを上げて、アークから手を引き抜こうとした。
「サエリ、大丈夫だ」
涼しい顔でアークは言うが、沙絵莉はちっとも大丈夫じゃない。
あろうことか、彼は彼女のもう片方の手も掴んで握り締めてきた。
「だから熱いの。あなたの手、燃えてるみたい。や、火傷しちゃうわ、アーク放してっ!」
熱が次第に増してくるようで、必死に手を抜こうとするのに、アークは凄まじい力で握り締めて放さない。
「そう感じるだけだ。抗わずに受け入れて」
「そ、そんな無理よ…お願い、放して!」
顔を歪めて、アークが握り締めている自分の手に目を向けた沙絵莉は、ぎょっとした。
なんと、繋がったふたりの手から、銀白色の炎が出ている!
「も、燃えてる。は…放して、放して、手が焼けちゃう」
「焼けたりはしない。熱いと感じているのも、君の幻覚だ」
げ、幻覚? これが?
こんなに熱いのに?
戸惑いながらそう考えた沙絵莉は、パチパチと瞬きした。
あれほど熱いと感じてたのに…熱くなくなってる。
「な、なんで? 熱くなくなっちゃったわ」
「君が…受け入れたからだ」
そう言ったアークが、ベッドに片手を突き、ぐっと顔を近づけてきた。
「もう後戻りは出来ない。サエリ、君は私と愛を契った」
「はい?」
いま、アークはなんと言ったの?
愛を契った? 後戻りはできない?
頭の後ろにアークが触れ、沙絵莉はどきりとして彼の目を見つめた。
少し瞼を伏せたアークの眼差しは、ひどくセクシーで、沙絵莉は心臓が跳ねた。
ま、まさかキス…されちゃう?
アークがゆっくりと顔を近づけてくるのを見て、沙絵莉の心臓は、胸を突き破りそうなほどバクバクと収縮を繰り返す。
突然のことでどうしていいかわからなくなり、沙絵莉はきゅっと目を閉じた。
トントンと、軽い音がした。
頭の後ろに当てられたアークの手が、その音に反応してピクリと動いた。
い、いまのって、ドアを叩いた音?
無念そうな吐息が聞こえ、沙絵莉は目を開けた。
すでにアークはドアに顔を向けていて、「はい」と答えた。
ファーストキスが泡と消え、がっかりしている自分を否定できず、沙絵莉は頬を真っ赤に染めた。
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