白銀の風 アーク

第七章

第九話 わけありの敵対



どのくらいで出てくるだろうか?

ゆっくり風呂に浸かり、疲れを取ってほしいが、途中で倒れたりしないかと、不安にもなる。

浴室に続くドアを、立ち竦んだままでじっと見つめていたアークは、ため息をつき、窓に歩み寄った。

いつもと変わりない夜景…

空に浮かんでいる三日月を見つめ、彼は無意識に手のひらを開いて前に差し出した。

サエリとの触れ合いで急激に発生した聖なる光…

炎と見まごうほどの聖なる光を目にしたのは、アークもはじめてのことだった。

いつもは、微量も表面に出ないように注意しているのに、あのときは、まったくセーブできなかった。

あれは必要なことだったのだ。そして、サエリに受け入れる意志がなければ、起きなかったこと。

ふたりは永遠の契りを交わした。

まだ婚儀は挙げていないが、すでにサエリは…

胸に苦いものが湧きあがり、アークは顔をしかめた。

なるべくしてなったことだとわかっている。喜びもある。が、やはり素直には喜べない。

サエリの両親は、遠い異国に娘を嫁がせることになるなど、思いもしていない。

なにせ、最悪の場合は、二度と会えなくなるかもしれないのだ。

許してくれるはずがない。となれば、サエリをこのままこの国に留めるしか…

アークは、右手をぐっと握り締めた。

娘が突然行方不明になったら、親はどれだけ辛いことだろう。

サエリの母が口にした言葉も、一字一句、アークの脳に焼きついている。

子どもというのは、親にとって自分の一部。欠けたら自分の一部をなくすということ。それは、自分の手足をもがれるより辛いことなのだ…

強固に反対されるとはっきりしていても、彼女の両親に直接会い、結婚すると告げるべきだ。

もちろん、なんとしても、承諾して貰う。

ふたりの意志が強固なことを知ってもらい…

そこまで考えたアークは、ぎゅっと眉を寄せた。

そうだ…自分ひとりで猛進してどうする。まずはサエリだ。

なによりも、まず彼女と、しっかりと話をし、ふたりの意志を合わせなければ。

すべてはそれからだな。

背後に気配を感じ、アークは後ろを振り返った。

サリスが浴室に続くドアから出てきたところだった。

「母上」

「今夜は月が綺麗でしょう?」

「はい。輝いていますよ」

サリスは微笑み、アークの側にやってきた。

窓の外の月を見上げたサリスは、身体ごとアークに向いた。

「どうしたの? 憂い顔ね」

「これからのことを考えて…」

続きを促すような母の眼差しに、アークは話を続けた。

「彼女の両親に会って、結婚の承諾をいただきたいと…」

「それは難しいわね」

あっさりと言われ、アークは顔をしかめた。

「やはり、難しいと思いますか?」

「ええ。まず間違いなく…大反対されるだろうと思うわ」

「そうですよね」

「でも、話をするのはいいことだと思うし、そうして欲しいと思うわ」

「反対されるとわかっていても?」

「ええそう。反対する権利を与えるべき。そして彼女がどんなところでどんな風に暮らすことになるのか、見てもらうべきよ。娘の住む場所がどんなところかを知れば、賛成しないにしても、安心はできるわ」

「彼女の両親を、ここに招くということですか?」

「それが一番いいと思わない?」

「ですが、父上は、それを許してくれるでしょうか?」

「予知のせいね」

「ええ。時の大波が迫っている。…父上は、サエリとの国の行き来を、近く禁じるつもりです」

「予知というのは本当にやっかいなものね。それがどんな風にいつ訪れるのかはわからないのに、いずれ訪れることだけはわかるのよね」

「私はサエリを巻き込みたくないのです。彼女を危険な目に合わせたくない。サエリが自分の国にいることで安全であるのなら…」

「アーク、それは違うわ」

「母上…違うとは?」

「時が満ちたから、貴方はサエリを探し当てることができたのよ。ふたりは出会う時を迎えたの」

アークは、母親の澄んだ瞳を見つめた。

「ゼノンに話しなさい。彼も貴方に話したいことがあると言っていたわ。サエリは私が待っているから、ゼノンのところに行ってらっしゃい」

正直、サエリが寝るのを見届けるまで、この場から離れたくなかったのだが…

行くよりないようだ。

「では、すぐに戻りますので。彼女をお願いします」

サリスの頷きを見て、アークは父のもとへとテレポした。





書斎のドアをノックし、ゼノンの返事を聞いてアークは中へと入った。

ゼノンはアークがやってくるのを待っていたようで、大机のほうの椅子ではなく、ソファに座っていた。

「父上」

「まあ、座れ」

「はい。父上、サエリの両親のことなのですが…」

アークは椅子に座り、すぐに話を切り出した。

「この国に招いて、彼女が暮らすことになる場所を見てもらいたいと考えているのですが」

「無理だな」

即座に却下され、アークは顔をしかめた。

「父上」

「サエリの国の者たちに、この国の存在を知られるわけにはゆかない」

「サエリの両親なのですよ」

「危ない橋は渡れぬ」

「父上、お願いです。私は祝福されて結婚したいのです。それに、サエリの辛そうな顔を見たくない。いえ、なにより、彼女に嫌われたくありません」

ゼノンが笑みを見せた。

「正直になったな」

「ええ、父上のおかげで…」

「だが、嫌われる覚悟も必要だぞ。アーク、私はこのまま彼女を、この国に留めるつもりでいる」

ゼノンのきっぱりとした発言に、アークは耳を疑った。

「そんな…」

「お前の独断で連れ帰ろうとしても無駄だ。…やりたければ、やってみるがいい」

ゼノンのその言葉は、これまで耳にしたことがないほど、冷酷な響きを持っていた。

父は本気だ!

父親を唖然として見つめていたアークは、真っ青な顔でよろめきながら立ち上がった。

何か父に向けて言おうと思うのに、何も言葉が出てこない。

父に対抗する力が自分にあるのか…?

悔しいが、自信はない。それでも、やるしかないのなら…

アークは怒りに身を震わせ、ゼノンを睨みつけながらその場を後にした。

何も考えずに飛んできたアークは、浴室の中にいた。

湯気の向うに、人の姿が見えた。

サエリだ…

サエリは背を向けて湯船に浸かっている。

おかげで彼が飛び込んできたことに気づいていないようだ。

サエリ…

いますぐ彼女を抱えて飛べば、サエリを自分の国に戻せるかもしれない。

もちろん、父に妨害されるだろうが…

なにより、いまの彼女は裸だ、実行に移せはしない。

アークはもどかしさに囚われ、自分の無能さに憤りながら右手を拳に固めた。

まさか父上が敵になるとは…

くそっ!

「はあっ、気持ちいい」

拳を空間に向けて振り下ろしたアークは、突然のサエリの言葉にはっとした。

彼女は両手で水面のお湯をすくいながら、くるりとこちらに向いてきた。

アークは咄嗟に全身を幻で覆った。

「なんか、このお風呂、泳げちゃいそうだけど…泳いじゃっていいのかしら?」

独り言を言っているサエリは、とても楽しそうだ。その頬はピンクに染まっている。

アークは胸の中に澱んでいるものを吐き出し、その場を後にした。


「アーク」

父親の声を聞き、アークはぎょっとして顔を上げた。

母親に寄り添うようにして父が立っている。

強烈な怒りが突き上げ、アークは敵意を剥き出しにして父親を睨みつけた。

「アーク、わけがあるのよ」

「母上。母上はすでに父の仲間となったわけですか? ほんの少し前、サエリの両親をこの国に招くべきだと…」

「言ったわ。そして、その気持ちはいまも変わってはいないわ」

「ですが、父上は!」

「そうする必要があったのだ。賢者達を安心させるためにな」

父の言葉に戸惑いが湧いた。安心させるため?

「それはどういうことです?」

「賢者達と我らは信頼しあえる仲間であるが、敵になるときもあるということだ。彼らはやっかいなほど出来の良い耳を持っているが…私は、その耳を塞ぐ手段を持っている」

混乱していたアークは、父の言葉を理解するにつれ、全身から力が抜けていった。

怒りと緊張がいちどきに抜け、彼は床にへたり込んだ。

「ああー、信じられない!」

アークは両手で頭を抱え、胸にあるものを吐き出すように叫んだ。

「すまなかったな」

謝罪して頭を下げている父を見て、アークは顔を歪めた。

「私は、父上にお礼を言うべき立場なのでしょうね?」

情けない風情で問いかけた息子に、ゼノンはくっくっと笑う。

「それで、この部屋はいま?」

「ああ、大賢者ポンテルスも干渉してこれぬ特殊な空間になっている」

「特殊な空間? つまり、強力なシールドですか?」

「それとは違う。そのうちお前にもこの技を教えるが…。長くやっていると賢者たちに不審がられる恐れがある。いまはサエリの話をしよう」

「父上、サエリを国に帰らせてくださるのですね?」

「それはまだ先の話だ。アーク、ともかく座って話しをしよう」

「他にどんな話が?」

必要なことだったにしろ、父親にうまく謀られたこと、そして自分が父を疑ってしまったことが、まだ胸にしこっている。

だが、そんなことにぐずぐずとこだわっている暇など、いまは与えられないようだった。

アークは自分を落ち着かせ、両親を前にして椅子に座り込んだ。






   
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