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第八話 未知なる玉
「本当に、闇魔法を持っていない私が使えるのか…」
ルィランは苦虫を噛みつぶしたような顔で、疑わしげに言った。
「もちろん」
そうはっきりと請け負っても、ルィランの視線は疑念を込めて玉とアークを行き来する。
「貸してみろ」
アークはルィランの玉を手に取ると、あっさり姿を消し数秒後に姿を現した。
「安心したか、ルィラン。ちゃんとテレポの玉になってる。さあ、今度は君が使ってみろ」
ルィランは手渡された玉を用心深く見つめながら、手の中でそっと転がした。
「風の魔力だけ玉に込めろ、それがエネルギーになって、テレポを使える状態になる。人か、行きたい場所か、強く思い浮かべるんだが…。まあ初めてだし、なるべく近い場所がいいだろうな」
「近い場所ったって。そういえばお前、いま何処へ飛んだんだ」
「母上の所さ。昼食を用意してくれていた」
「お、おい。ここは聖なる地だぞ。聖なる湖や、あの不思議な靄を抜けずに、テレポなどで出て行っていいのか?」
「いいんだ」
気掛かりそうに眉をひそめているルィランにアークはあっさり答えたが、ジェライドが説明を付け加えた。
「聖なる地は、受け入れられるものと受け入れられないものをわかってるんだ」
その説明でも意味が飲み込めないでいるらしいルィランの前に、今度はパンセが進み出た。
「ルィラン殿。聖なる地に受け入れられぬものは、ここに入っては来られぬのですよ。つまりここからテレポで出てゆくことが出来るのは、ここに迎えられたものである証」
「そういうこと。聖なる地は、すべてを分かっているんだよ」
大賢者パンセが言うのだから、間違いはないのだろうと思ったのか、ルィランは眉を寄せつつも頷いた。
「それじゃ、ルィラン、飛んでみたいところはあるか?」
アークの問いに、ルィランは考え込んだ。まだテレポに対する恐れ混じりの躊躇いがあるのだろう。
当然かもしれないが…
「そうだ。ルィラン、キュラのパイ…じゃなくて、サリス様が私達を待ってるんだった。では、大賢者パンセ。昼食後に、また」
ジェライドは、そう言って頭を下げると、ルィランとアークの手をがっちりと掴んだ。
ルィランは呆れ返った。
「三人で飛ぶつもりか? 俺は初めてなんだぞ?」
「いいから、いいから。間違いは万に一つもないって。なにせ、そのテレポの玉は聖なる血筋のアークが特別な手技で作った、希少なテレポの玉。そんじょそこらのテレポの玉とは、ものが違うよ」
「アーク、ほんとうか?」
ルィランは確認するように尋ねてきた。
「ああ。そうだな」
「テレポの玉は、認可されたものしか所持できない特殊な利器で、どんなぽんこつでも途方もない値だけど、これは値などつけられない代物だよ」
ルィランはいまのジェライドの言葉が真実かを、パンセに無言で問い掛けた。
パンセの頷きを目にし、ようやくルィランは納得したようだった。
「いいかい。君が初心者だとか、そんなものこの玉には関係ない。君が飛ぶんじゃない。この玉が君を望むところに連れて行ってくれるよ。はい、ということで、ルィランさっさと風の魔力注入」
ルィランは、この場にいる全員を眺め回し、仕方無さそうに手のひらの玉に意識を向けた。
「サリス様の顔を思い浮かべて。サリス様特製のキュラのパイでもOKだよ」
テレポの玉が深い緑色の光を発し始めた瞬間、アークは馴染みの感覚に身をゆだねていた。
ルィラン初の、テレポ挑戦はなんなく成功を収めたようで、彼ら三人は、サリスと湯気の立つ旨そうな料理とキュラのパイを前にしていた。
ジェライドの懸念のまったく含まれていない言葉は、ルィランの緊張を解くのに役だったに違いない。
しかし、こんなにうまく行くとは…
アーク自身は全ての魔力を使える。持っていない魔力を使う事に対して、多少だが懸念もあったというのが本音だ。
ルィランがうまくやってのけたのか、ジェライドの口にしたように、アークの玉の性能と精度が良かったのかわからないが…ともかくルィランはよくやったと言える。
彼が殆どの魔力に長けた者だからこそ、このテレポも扱えたのだろう。
「ルィラン。お、おい。どうした?」
ルィランが突然がっくりと膝を折ってかがみ込み、口を覆った。
「…気分が悪い」
なんだ。テレポ酔いか…
空間を移動したための、よくある影響だ。
緊張していると、空間の波動に歪みを生じ、身体にこうした影響が出るものなのだ。
「慣れないことをしたからね。繰り返してれば次第に慣れるさ」
ジェライドがルィランの背中に手を当てると、かがみ込んでいたルィランがふうーっと息を吐いて立ち上がった。癒しの技を使ったようだ。
「ルィラン、大丈夫ですか?」
サリスが少し小首を傾げて心配そうに尋ねた。「はい」と答えたルィランにサリスはほっとして、宙に浮かしていたティーポットを傾けてお茶を注いだ。
部屋中にクコティーの香りが漂っている。クコティーは、キュラのパイ同様アークの好むお茶だ。
「父上は、昼も一緒には食べないのですか?」
「ええ」
母親の視線がほんの一瞬ルィランに向き、アークは母の言いたい言葉を悟った。
ルィランが一緒だから、父は遠慮してくれたのだ。
聖賢者であるアークの父を前にしての食事では、緊張して満足に喉を通らないに違いない。
三人はゆっくりと昼食を取った。
その間中、アークは未完成の玉の事ばかり考え、ジェライドはサリスとぺちゃくちゃとお喋りを楽しみ、ルィランはずいぶんと顔をしかめて何か考え込んでいた。
昼食を終えた三人は、サリスに礼を言い、ルィランを真ん中にして、彼のテレポで聖なる島へと戻った。
「いてっ」「ぎゃ」「うっ」
三人は尻餅をつき、三者三様に呻いた。
聖なる地へ無事に着いたものの、身体が斜めの状態ではそれも当然だ。
ルィランは上体を起こしはしたが、片足を立て膝にし、その膝の上に顔を置いた姿勢で口を塞いでいる。アークはすかさずルィランに癒しを施した。
「すまん」
礼を言ったルィランは、肺にため込んでいた空気を全部入れ替える勢いで息を吐いて吸い込んだ。そして、ほっと肩を落とすと、クツクツと声を出して笑い出した。
「いいさ、でも、後の練習は私抜きでやってくれ」
アークの言葉に、ジェライドは不服そうな顔を向けてきた。
「私も抜けたいよ。けど、ルィランは放って置くと、この優れもののテレポの玉を無用の長物にしかねないよ」
痛めたお尻をさすりさすり立ち上がりながら、ジェライドは顔をしかめて言い募った。
「ルィランの指南は、君に任せた」
「友達がいが無さすぎる…と言いたいところだけど…君は忙しいだろうからね」
ジェライドの言葉にアークは肩をすくめたものの、忙しいに当てられている物事が何かを考えると、素直に受け取りたくない。
「テレポなど使えなくても、なんの不都合も無く生きてゆけるぞ」
ルィランの言葉を聞き、今度はジェライドが肩をすくめた。
「君は君が思うより、重要な人物なんだよ。君はテレポを使えるべきだからこそ、こうして秘技を知ることになったとは思わないかい?」
「それは喜ぶべきことか?」
「さあね。君次第だろ。君は僕とアークの友達だ。そのことには深い意味があるんじゃないかと思うよ」
「俺は…いずれ君らの役に立つのであれば本望だ」
「役に立つよ。そのために、テレポをしっかりと習得して欲しいもんだね」
ジェライドはそう言いつつ、ルィランの肩を叩き、敷物の上に座り込んだ。
すぐにパンセが現れ、中断していた玉の融合をアークは再開した。
最大の課題は念の玉のようだ。先ほど、ルィランの風の玉をベースにしたように、念の玉をベースに持ってくればどうだろうか…
アークは試しに念の玉に光の玉を合わせ、次ぎに闇の玉を融合させようとして失敗した。
やはり力のバランスが悪いらしい。
試行錯誤の末、ベースに光と闇、そして念の順にすることによって成功し、なんとか電の玉を除いた九種類の魔力を持つ玉を造り上げた。
これで九種類の魔力を秘めた玉が二つ出来た訳だ。
小さな玉の中で、それぞれの魔力が生き物のように渦を巻いている。
融合させたことでパワーが増大しているのが、はっきりと感じられる。
「一種類違うだけなのに、ずいぶん色合いが違うもんだな」
ふたつの玉をジェライドはほれぼれと見つめて言った。
「後はこの二つを合わせるのか?」
アークはルィランの言葉に首を振った。
「いや、これで終わりだ。この二つを合わせたら両方とも壊れてしまうだろうからな」
「うーん、アーク、ここまできて諦めるつもりかい? 全ての魔力を一つの玉に合成させられたら、凄いぞ」
「ジェライド、君がいい方法を教えてくれるならそうするよ」
「それについて考えるのは君の役目だ。でも…空っぽの玉は役に立たない?」
「空っぽの…?」
空っぽの玉とは魔力の入っていない実のことだ。
色んな使用法があるのだが、たとえば、癒しを使える者が魔力を込めると光、闇、水、風いずれかの癒しの玉となり、それらの魔力を持つ者ならば、癒しの魔法が使えなくても癒しを発動させられる。
聖なる守護神と大切に守られているシャラの木だが、空っぽの玉は生りが早く沢山取れる。悪用される心配もないことから、国の財源確保に一役買っているのが、この空っぽの玉なのである。
「ジェライド、それは何だ?」
アークはジェライドが手にしている透明の紐状のものに興味を惹かれて尋ねた。
「これかい、とっても役に立つものさ。空っぽの玉で作ってるんだ」
「役立つ?何に」
「人の仕事に気を取られていないで、貴方様のやるべき事をやってはどうです。アーク様」
突き放したような言い方をして、ジェライドはアークに背を向けてしまった。
よくよく見れば、ジェライドの周りには空っぽの玉がいくつも転がっている。
その一つを手に取り、アークはしげしげと検分した。
空っぽの玉は癒しの玉の他、彼は使い道を考えたこともなかった。
いくら考えても、いいひらめきが訪れず、壁にぶち当たってしまったアークは、側にいる筈のパンセとルィランを目で捜した。
「大賢者パンセ、何をしているのですか?」
パンセが横になったルィランにかがみ込んでいるのだ。
不審そうに聞いたアークに、ジェライドが振り返り、「自分のことだけに集中するって事が出来ないらしい」と独り言のようにぼそぼそと呟き、また後ろを向いてしまった。
「必要な事をしているのです。お気になさらずに、アーク様」
ここで更にしつこく尋ねたりしたら、またジェライドが何か言うだろうとは思ったが、知らぬままにしておけないのがアークの性分である。
「気になって仕事が手につかないのですよ。教えて頂けませんか?」
「教えられぬのです、大賢者だけの秘技なれば。申しわけございませぬ」
ならば、大人しく引き下がるしかないだろう。
だからと言って、パンセの行っている事が何なのか、考えるのを止めた訳ではない。
パンセも教えられないらしいものの、やっている所を隠すつもりはないようで、アークが見るがままにしている。
ルィランは眠り込んでいるようだった。
聖騎士の彼は、こんな風に隙を見せて人前でうたた寝などけっしてしない、パンセが眠らせたのだろう。
右手に白い壺を持ったパンセは、中身をルィランの全身にふりかけている。
その中身に秘密がありそうなのだが、見たところただの水にしか見えない。
やり終えてしまったらしく、パンセは壺を抱えて姿を消した。
ルィランは眠ったままだ。
そうなれば彼は自分の仕事に戻るしかなかった。
アークは、手の中で転がしていた空っぽの玉を見つめて、おやっと思った。
透明の玉が微かに白みを帯びている。
知らず知らずのうちに聖なる力を込めてしまったらしい。
アークはひらめきを得て、笑みを浮かべた。
聖なる力を媒体とすれば、二つの玉の融合も可能かも知れないぞ。
アークは、空っぽの玉に聖なる力を注意深く注ぎ、空っぽの玉を幾つも合体させて、強度をつけた。
「ジェライド。ちょっと手伝ってくれ」
ジェライドはアークに振り向き、手にしていたものを敷物の上に置き、彼に身体を向けてきた。
「気の魔力で両手をシールドしたら、これをひとつずつ右手と左手で持ってくれ」
アークは九つの魔力を融合させたふたつの玉を、それぞれジェライドの手の上に置いた。
「何をどうやるんだい?」
アークは、聖なる力を注入し、強度をつけた透明の玉を載せた両手を差し出した。
「それで?」
ジェライドにはこの透明の玉は見えない。
アークが意識を集中させると、透明の玉はゆっくりと浮き上がった。
「そこに何がある? アーク」
訝しげに手のひらを見つめ、ジェライドは小さな声でおずおずと尋ねてきた。
ジェライドにしては珍しいことだった。
意識を集中させている者に声を掛けるべきではないと分かっているのに、掛けずにおられなかったのだろう。
「二つの玉を、同時にゆっくり近づけてくれ」
「何に?」
「見えないものにだ。感覚でいい。後は私が合わせる」
動きをほとんど止めた抑揚のないアークの言葉に、ジェライドは困惑を捨てたようだった。
彼はアークの望む通りに、ゆっくりとふたつの玉を近づけてきた。
アークは微妙な差を合わせ、ふたつの玉を、彼だけに見える透明の玉に、同時に吸い込んだ。
融合の直後、玉の魔力は次第に渦の速度を増し続け、最後に凄まじい閃光を放った。
数秒過ぎると、光は極小の粒のようになり、色とりどりの流砂のように玉の中で漂い始めた。
「綺麗だな…未知なる玉」
玉を見つめていたアークは、ジェライドの呟きに無意識に頷いていた。
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