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第九話 落胆
「完成だね」
「ああ。どんなことが出来るものか、私にも予測がつかない」
「ちょっと、貸して」
ついにやり遂げた感動と充足感をじんわりと味わっていたアークの手のひらから、偉業の結晶をかっさらい、ジェライドは玉を両手に包んだ。
「お、おい」
「ちょっと使うよ」
軽く言うジェライドに、アークは顔をしかめた。
いったいなんなんだ?
「ジェライド、何に使うつもりだ?」
そう聞いてみたが、ジェライドは「必要なことなんだ」と答えただけだった。
玉を包んでいた手のひらから光がほとばしり、ジェライドはようやく顔を上げた。
「うん、うまくいった。アーク、玉はむやみに使わないで欲しいんだ」
玉を使うなとは、利器として加工するなということらしい。
「なぜ?」
「後で、きっと必要になるから」
その程度の説明では、納得できかねる。
「自分で作った物なのに、私の自由にはならないというのか?」
「自由にしたければ、違うのを作ればいいさ、けどこれは駄目だ」
アークは、ジェライドを睨んだ。
「これ以上、玉を使うと言ったら、大賢者パンセが卒倒しかねないぞ」
ジェライドはおかしそうにくすくす笑いながら、玉に添えて、自分が作っていた紐をアークに手渡してきた。
紐には空っぽの玉が取り付けてある。
「これをどうするんだ?」
「その玉を、空っぽの玉と合体させて首飾りにするんだよ」
く、首飾りだ…?
アークは開いた口が塞がらなかった。
「冗談じゃない!」
アークは憤慨して怒鳴った。
首飾りは女の装飾品で、男は指輪以外の装飾品を身につけないものだ。
「必要なんだよ。絶対につけて貰うよ。失くされでもしたらと思うと、ぞっとするよ」
「君にそんな心配されなくても、絶対に失くしはしない。私にとってこれは、最高の作品なんだからな」
「つけてくれよアーク、頼むから」
ジェライドは、彼の気をくじくほど、哀願口調で言った。
「何故、こんなことにそこまでこだわる?」
「必要だって言ったろ。君には必要でなくても、私にはとても必要なんだ」
アークは呆れて物が言えなかった。
それでもジェライドの意向に従って紐をつけることにした。
首飾りにしたところで、首に下げなければいいだろうと考え直したからだ。
「ルィランはいつまで眠らせておくんだ?」
「自然に起きるまでかな。さあ、ついにこの時が来た。アーク、首に下げて」
「首に下げる。男の私が…」
「下げるんだ」
強い口調で言われ、アークはジェライドと睨み合った。
「嫌だ。絶対にだ!」
「アーク、君は自分がどれほどの危険に近づこうとしているか分かっていない。失くしたら二度と戻って来られないんだよ。…まあ、一度で行き着くかどうか、私にも分からないけど」
「行き着く、何処に?」
「何処にだって、馬鹿だな、未知の世界だろ。君がそう望んでるんじゃないか」
「馬鹿だと、この…。未知の…?」
怒り顔から、アークは一転して興奮した口調になった。
未知の世界を発見することは、アークが熱望していること。
確かに、この全ての魔力を秘めし玉ならば、なんの不可能もないのかもしれない。
「ジェライド、行けると思うか?」
「始めなければ、何も起こらないさ」
「未知の世界…」
「ほら、玉を首に下げて。惚けていちゃ駄目だよ、アーク。しゃんとして。いいかい、辺りを窺って、未知の場所だと分かっても、長居せずにすぐに戻ってくるんだ。いいね」
アークの首に首飾りを下げながら、ジェライドは手の掛かる子どもに対するように、口を酸っぱくして言って聞かせた。
心がすでに未知の世界に飛んでしまっていたアークは、そんなジェライドの様子などほとんど気に留めていなかった。
アークは首に下げた玉を握りしめて頭を空っぽにし、魔力に加えて聖なる力を微かに発した。
パッときらめく光の中に身を委ね、いつもより長く不安定な空間を漂ったあと、アークの周辺は徐々に現実となった。
強烈な熱を感じたが、咄嗟に身についたシールドが作動し、アークは熱から解放された。
辺りを見回すと、周囲は灼熱の砂漠だった。
熱風が吹き荒んでいるのか、砂塵が空高くまで舞い上がっている。
当然生き物の反応などまるで感じないし、見たいものもない。
そこが何処だか知りようもなく、アークはジェライドの待つ聖なる地へと戻った。
「どうだった?」
「砂漠だ。熱と砂の他には何もなかった」
あれはもしかすると未知の世界だったかもしれないが、似たような砂漠はすでに経験済みだ。
「アーク、君?」
「ジェライド、なんだ?」
「…顔を思い浮かべたんだよね? 夢の女の…」
「夢の…?」
そう答えたアークは、思い切り大きなあくびをした。
全身にひどい疲れを感じた。
どうやら、いまのテレポで彼は相当量の魔力を使ったようだ。
「…ああ、疲れたな。余程遠くまで飛んだのかな?」
「少し休まなきゃならないみたいだな」
アークはすでに瞼を半分閉じた状態で頷き、両手を枕にして、まだ寝ているルィランの隣にごろんと寝転がった。
「魔力を回復するのに、三十分くらい必要かな?」
「三十分…」
アークはジェライドの言葉を頭で理解しようとして繰り返した。
「次は夢の女性を思い浮かべるんだよ、アーク、いいね?」
ジェライドはアークの魔力回復を早めようとしてか、彼の胸の上に右手で触れてきた。
「でもな、ジェライド。女の顔ははっきりとしないんだ。思いだそうとすると消えてしまうくせに、考えるのを止めるとおぼろげに見えてくる」
「逢えば分かると君が言っていたじゃないか? 心配いらないよ」
安心させるように言われ、アークはむっとした。
そのおかげか、眠気が飛んでいった。
「心配なんて、私はこれっぽっちもしていない。はっきり言って、私は未知の世界を求めているだけで、夢の女なんてどうでもいいんだからな。それも…闇魔法の女なんだぞ」
「闇魔法の何処がいけないんだい?」
「いけないってわけじゃない。ただ…私にだって…その…理想がある」
「ふーん、理想ね」
「ジェライド、君にだって…」
「理想…か。私には理想など必要ないさ」
「どうして?」
「さあ、どうしてかな」
話をはぐらかすジェライドの言葉を聞いているうちに、アークは眠りの中へと入り込んでいった。
アークは、パチンとスイッチが入ったかのように、唐突に目覚めた。
頭には一点の曇りもない。
彼は辺りを見回し、ジェライドが自分を見つめているのに気づいた。
「やあ、アーク」
「私はどのくらい寝ていた?」
「そうだね、正味二十分というところかな」
「そうか…」
思ったよりは、寝ていなかったようだ。
なのに、頭はこれ以上ないほどすっきりとしていて、魔力が満タンまで回復しているのがひしひしと分かる。
この聖なる地にいるためだろう。
なにせここは、魔力が地の底から湧き出しているような場所だ。
「ぼんやりとでいい、女の顔を念頭に置いて飛ぶんだ。今度は大丈夫だよ、必ず成功する。そして始まるんだ」
始まるという言葉は、受け入れ難かった。
ジェライドが、アークと闇の女を同等に並べているのも腹が立つ。
あんな闇魔法の女など、願い下げだ。
アークは女を頭に思い浮かべつつも、ひたすら女を拒みながら飛んだ。
黒い髪と瞳の、闇の女など…私には必要ない。
ざわざわと騒がしかった。
アークがその場に馴染むまでに、周囲に人が大勢いるのが分かった。
固い地面は馴染みのない感触だった。前方から人が歩いてくる。
黒髪と黒い瞳に一瞬ドキリとしたが、相手の女は一人ではない。女の二人連れだ。
どちらか一方が彼の捜しにきた女の筈だ。が…
アークは混乱を極めた。
一人の方はそこそこの顔形だが、もう一人は一見しただけで意地が悪そうな顔付きをしている。
ふたりとも上瞼を赤や青に染め、信じられぬことに、唇もどす黒い赤…。
顔にけばけばしい顔料を塗り込めているなど、野蛮で知的さのかけらもないバッシラ族のようではないか。
アークは知らぬ間に、歯をガチッと噛み合わせ、音が鳴るほどきしませていた。
体中が持って行き場のない怒りで震えるようだった。
母サリスを愛する女の理想としてきた彼を、誰かがどこかであざ笑っているのではないかと、神までも呪いたい気がした。
染料でべたつく唇をだらしなく弛ませて、ぺちゃくちゃと喋りつつこちらへ向かってきたふたりの女は、凄まじい顔で睨んでいるアークに気付いたらしい。
三メートルほど手前で、一人がもう一人の肘を突き、ふたりは同時に彼に目を向けてきた。
吐き気がする。
そんなアークの思いなどつゆ知らぬ二人は、彼に触れんばかりに近づいてきた。
そして何か言葉を発したが、アークは女達が口にしている言語をまったく理解できなかった。
そうかとアークは気づいた。
使用している玉が、いつもテレポをしているときとは違うからだ。
普段使用しているテレポの玉は、聖騎士となった時に、父親から祝いとしてもらったものだ。
あれには通訳の魔法が施されていて、どんな異国の言語でも理解できる。
いままでかなりの国々を行き来したことのあるアークは、通訳の玉など無くても、幾種類もの言語を覚えているし、初めての国の言語でも、近隣国のどこかの言葉に似通っていて、多少なりと理解できたものなのだが…
やはりこの地域は、カーリアン国からとんでもなく隔たった場所にあるのかもしれない。
女に突然腕を掴まれて、アークは反射的に手を払った。
心にある嫌悪のためか、かなり強く払ったらしく、女が横によろけた。
もう一人が手を差し出して助け、アークに何か怒鳴る。
ふと見ると、幾人かが立ち止まり、こちらを見つめていた。
アークは精神を落ち着かせ、その場所や人間たちを仔細に調べた。
石らしきものの床、固いもので出来ているらしき使用目的の分からない棒があちこちに立ち並んでいる。
そして風変わりな家々、人々の服装もかなり変わっている。
この世界は確かに不思議で満ちている。だが…
怒鳴り散らしていた女が詰め寄ってきたところで、彼は落胆とともにこの世界に見切りをつけた。
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