白銀の風 アーク

第九章

                     
第九話 只事ではない何か



なんだったの? なんだったの? なんだったの?

アークに痛いほど両手を掴まれたまま、沙絵莉は呆然として天井を見上げていた。

簡単には自分の世界に帰れそうにないとわかって、そしたら、ひどく感情が乱れて。

突然アークが、彼女の手を掴んだのだ。そしたら…

ドーーンと凄まじい爆音がして。

「サエリ」

落ち着かせようとするようにアークが呼びかけてくる。

驚かされたせいで、高ぶった感情が静まってしまっている。

どうしてあんなに激情にかられたのか?

いや、そんなことより、いまの爆音はいったいなんだったのだ?

「アーク、貴方ってば、いま何をしたの?」

沙絵莉は、アークの背後にいる彼の父の耳に気にしつつ、自分をびっくりさせたアークに小声で文句を言った。

いまのは、アークが何かやったのだ。

「えっ?」

沙絵莉の言葉に、アークが驚いたように叫ぶ。

「いまのは、どんな魔法なの? 私が泣いたから、泣き止ませようとして、何かやったんでしょう?」

「サエリ、いまのは君の魔力が噴き出したものだ」

沙絵莉は、アークの言葉に、きゅっと眉を寄せた。

私の魔力が…噴き出した?

「私?」

「ああ」

真面目な顔で頷かれても、困る。

「貴方が手を掴んだのよ」

「サエリ、君が泣いたから、感情の乱れのせいで魔力が噴出したんだ」

泣いたら魔力が噴出?

「あの、アーク、貴方、何か勘違いしてると思うわ」

「サエリ…」

アークは、困窮したような目で沙絵莉を見つめてくる。

「アーク」

ゼノンが息子に呼びかけてきた。アークは、背筋を伸ばして後ろを向く。

「はい」

「あとでいい。事態は逼迫している。私から話したい」

「は、はい」

アークが頷くと、ゼノンが前に出てきた。

「サエリ」

「はい」

「君は異国の者だ。この国の婚礼の儀について知るはずもないだろう」

婚礼の…儀?

「はい。知りませんけど…」

「この国では、婚礼の儀を終えてのち、身の契りとともに、互いの核による魔力の交わりを行うのだよ」

ゼノンの口にしている言葉をまるで理解できず、沙絵莉は眉をひそめた。

声はちゃんと聞こえているのに、意味として捉えられないのだ。

「あの…言葉が…どんなことをおっしゃっているのか、まるでわからないんですけど…」

「ふむ。無知識からくる言葉の無変換が起きているようだな…」

無知識からくる…無…何?

「サエリ、君は、すでにアークと婚礼の儀を終えた」

「ち、父上」

「伝えなければならん。サエリは、自分がいまどういう状況にあるか、はっきりと知っておく必要がある」

「ですが…」

父と息子のやりとりを聞きながら、沙絵莉は眉を寄せた。

いま、結婚の儀を終えたとかって…アークのお父様、言った気がしたけど…。

「言葉を変えてみよう。沙絵莉、君とアークは互いに魔力の受け取りをした」

ゆっくり口にされたそのゼノンの言葉は、ちゃんと意味のある言葉として伝わってきた。

「魔力の受け取り?」

「理解できたかな?」

「私とアークが、魔力の受け取りをしたんですか?」

口にしていても、何か絵空事のようにしか聞こえない。

だって、自分に魔力なんてものがあるとは、どうしても思えない。

「そうだ。急激に膨張した魔力に秩序を学ばせるには、それしか方法がなかったのだ」

そういえば、さっき、そのようなことを言っていた。

考えに捉われた沙絵莉は、反射的に頷いていた。

魔力の受け取りというのを、本当にしたのだろうか…

アークも彼のお父様もそう思い込んでいるようだけど、意識を失っていたから、それがどんなものなのか、本当にそんなことをしたのか、さっぱりわからない。

「この国では…魔力を受け取りあった男女は…夫婦とみなされる。それはもうなにがあっても取り消すことはできない」

沙絵莉はきょとんとしてゼノンを見つめた。

「はい?」

い、いま…アークのお父様、夫婦とかって…

「夫婦ぅ〜?」

沙絵莉は素っ頓狂な声を上げた。

はいーーーっ?

取り消せない? 何があってもって…?

「夫婦? 私とアークが?」

沙絵莉は目を丸くして、自分を見つめているアークに目を向けた。

彼がひどく顔をしかめているのを見て、沙絵莉はハッとした。

まさか、私を助けるために、魔力の受け取りってのをしちゃって…結果、夫婦になっちゃって…

アーク、ひどく困ってるの?

沙絵莉は血の気が引いた。

ど、どうしよう。私、どうしたらいいの?

「と…取り消せないんですか?」

沙絵莉はすがるように聞いた。

「ああ、そうだ」

「ど、どうしてもですか?」

アークに申し訳なくてならず、沙絵莉は泣きそうになりながら聞いた。

「そうだ」

あっさりとゼノンは答える。

沙絵莉はアークと顔を合わせていられず、彼の視線を避けるように顔を伏せた。

どうしよう。アーク、私のために…

で、でも、アークは、私のことを好きでいてくれてるんじゃなかったの?

けど、いまのアークは、ひどく顔をしかめてる。

それは嫌だからなのだ。でなきゃ、あんな風に顔をしかめたりしない。

「ご、ごめんなさい。アーク」

思わず謝罪した沙絵莉に、アークは床に膝をつけるようにして彼女の顔を覗き込んできた。

沙絵莉はぎゅっと目を瞑った。

「帰りたいんだね?」

「えっ?」

「私は君の気持ちを何よりも優先する。帰りたければ、いますぐ君の国に返そう」

「アーク!」

父親の鋭い呼びかけに、アークはすっくと立ち、ゼノンと対峙した。

わけがわからず、沙絵莉は困惑して敵対しているようにしか見えないふたりを見つめた。

急に、ふたりはどうしたというのだ?

帰りたいのかとアークが聞いてきて…

それって、早く私を、私の世界に返してしまいたいという気持ちの表れだったり…?

いえ、待って。

アークは私の気持ちを、何より優先するって言ってくれた…

彼は私といたいの? それともいたくないの?

「父上。阻止なさろうとするならば、力の限り抵抗させていだたく」

「いまの沙絵莉をひとり帰しては、暴走する魔力をどうにもできぬぞ」

アークの瞳が動揺したように揺らいだが、彼は口元を引き締めた。

彼に質問したいのに、そんな雰囲気じゃない。

「ならば、残る道はひとつ」

アークが父に向けて手を差し出した瞬間、沙絵莉は彼に抱きしめられていた。

い、いったい、何?

バンと音がしたが、沙絵莉は何が起こったのかわからなかった。

ぐうんと身体におかしな感覚を覚え、吐き気に襲われた沙絵莉は口元を押さえた。

「サエリ、大丈夫か?」

少し息を切らしているアークの声に、サエリは顔を上げた。

「ア、アーク、何が起こった…えっ?」

周りの風景を見て、沙絵莉は驚いた。ここ…私の部屋じゃないの。

「戻ってきたの?」

「ああ」

返事をしたアークは、膝を折るようにしてしゃがみこんでしまった。

「苦しいの? アーク、大丈夫? 無理しちゃったんじゃないの?」

正直、沙絵莉自身も気分が悪かったが、彼女は我慢しつつ、アークの背に手を当てて撫でた。

「心配ない。少し休めば…あの、サエリ」

「な、何?」

「これから…」

前屈みになっていたアークが、大きく息をつきながら上体を起こし、沙絵莉に向いてきた。

「サエリ、私は…」

そう言ったアークが、愕然としたように言葉を止めた。

アークの視線は沙絵莉に向いていない。

そして、彼の表情は、只事ではない何かを目にした者のそれだ。

ドキリとした沙絵莉は、彼の視線を追って首を回した。

「えっ? な、なんで?」

彼女の部屋の床に、ひとが倒れている。

それは、間違えようもなく、ジェライドそのひとだった。






   
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