白銀の風 アーク

第十章

                     
第四話 内緒の訪問



遠ざかってゆくアークとサエリの後姿を見つめ、ジェライドは唇を突き出した。

やれやれ、お呼びがかかるまで、この場でじーっとしていなければならないとは…

肩を竦めて、改めて周りを見回す。

不思議な空間…異なるものばかりだ。

花瓶に挿してある花に気づき、ジェライドは歩み寄った。

見たことのない花だが…花は花なのだな…

これは素朴といえる形をしているが、きっとこの国にも、もっと派手な花もあれば、もっと小さな花もあるのだろうし…

上を見上げてみると、ガラスでできたものが天井にくっついている。

これは、灯りだろうな。

灯りのもとは、なんなのだろうか?

光源の種類は数が多い。実際点灯していないと、特定するのは難しいが…

電の力のようだな。だが、この球体の仕組みは…

球体に手を伸ばしたジェライドは無意識に身体を浮かしていた。

白い球に手を触れた瞬間、ジェライドは嫌な感覚を覚えて動きを止め、眉をひそめた。

なんだ?

ともかくアークとサエリに危険が及ぶ気配はない。

嫌な感覚を感じるのは、アークたちが向かった方向のようだが…

感覚を鋭くして気配を窺うと、ほとんど声になっていない微かな呻きを聞き取った。

…うなされているのか?

だが、いったい誰なのだろうか?

アークに危害を加えようとしているのではないし…放っておくべきかもしれないが…

うなされている相手があまりに辛そうで、ジェライドは、その者の意識に、自分の意識を少しだけシンクロさせた。

「うっ!」

闇と苦悩…悲しみ…

それらがどっと流れ込んできそうになり、彼は繋がりを打ち切った。

うなされている者は、たぶん幼少の者だ。
自分の中にある闇や苦悩を対処できずにいる。

もちろん、この屋敷にいるのだから、サエリ様の縁者だろう。

ご兄弟がおられるなどの情報は得ていないが…サエリ様の弟君か妹君だろうか?

それにしても、いったい何があって、これほどに闇を抱えることになったのか…

ジェライドは眉をひそめた。

呻きは徐々に強くなっている。
なのに、誰も気づかないらしい。

どうにも捨て置けなくなり、ジェライドは悩んだ末に、様子を見に行ってみることにした。

靴を脱ぎ、そっと足を踏み出し、呻きが聞こえるほうへと進む。

部屋の外でためらったが、ドアを使わずに部屋の中に入った。

可愛らしい部屋だった。
独特ではあるが、子どもの部屋とわかる。

風変わりな人形があちこちに置かれているし、ベッドにもいくつか置いてあった。
ジェライドはベッドに歩み寄り、寝ている者を覗き込んだ。

小さな娘だ。
唇をきゅっと噛み締め、苦痛に耐えているような顔をしている。

闇と苦悩を引き起こしている原因に触れて、緩和させることは可能だ。

だが、頼まれてもいないのに、それをしてもいいものだろうか?

異国のものだし…

そう考えるのに、小さな娘の苦痛を目の当たりにしていては、取り除いてやりたくてならない。

幼少時の自分と…重なるからか…?

ジェライドは自分に問いかけ、皮肉な笑みを浮かべた。

そうしながらも、彼の右手は小さな娘へと伸びてゆく。

ほんの少し…ほんの少し…楽になって欲しい…
苦悩の呻きは、耳にするのが辛い…

これほど小さき娘ではなおのこと…

お前に、何があったのか?

ジェライドは、眠っている小さき娘にやさしく問いかけた。

声でない問いかけは、娘の意識に伝わる。

上瞼がぴくぴくと震え、唇が震える。

その瞬間、ジェライドの前に大きな影が迫り、あっと思った瞬間、強い衝撃を感じた。

もちろん、現実ではない。

(ヒナ、ヒナ…ヒナ…ヒナ…)

誰かの声がする。 男? 女?

ヒナというのは、娘の名のようだ。

(わーん、わーん、わーん!)

恐れを含んだ激しい泣き声。

その後の空虚…灰色の世界…

一連のビジョンを体感したあと、ジェライドは柔らかに包み込んだ。

消したわけではないから、記憶には残り続けるが、これでもう、眠っている小さき娘を脅かすことはないだろう。

ふーっと息を吐きながら目を開けると、目の前に、ジェライドを見つめる瞳があった。

いや、見えてはいないはずだ。姿を消している。

その瞳には小さき娘にはあってほしくない、暗い影がさしている。

心の底から笑ったら可愛いだろうに…天真爛漫に笑わせてやりたい。

ベッドから起き上がり、哀しげに小さなため息をつくヒナを見守りながら、ジェライドは、姿を変えた。

小さき娘に、受け入れられそうな姿がいい…

「へっ?」

姿を見せたジェライドを見て、ヒナは素っ頓狂な叫びを上げた。

いまのジェライドは、娘と同じくらいに見えるはずだ。

彼はヒナに向けて、微笑みかけた。

「こんにちは、ヒナ」

自分の名を呼ばれたからか、驚き一杯に目を見開く。

「え…っと…誰なの?」

「僕はジェラだよ。君はヒナだろ?」

「う、うん。…ジェラ君? あの…陽奈のこと、知ってるの?」

「いま知ったところだよ」

「ふ、ふーん」

戸惑ったように答えたヒナだったが、次の瞬間「はっ」と喘ぎ、真っ青になった。

「あ、あ、あ」

ヒナを驚愕させているのは、もちろんジェライドの存在ではない。

いったい?

「どうしたの?」

いぶかしげなジェライドの問いかけに、ヒナは大きく喘ぐ。
その顔からは、さらに血の気が引いてゆく。

彼女の視線は、自分の寝ている布団の中へと、いったりきたりする。

そうか…この反応の原因が掴めた。

「ヒナ、大丈夫だよ」

ジェライドはあっかけらかんと囁きかけた。

彼の言っている意味が分からないヒナは、息をつめて、動揺した瞳をジェライドに向けてくる。

「実は、僕もやっちゃったんだ」

ずっと昔にね。と心の中で付け加える。

「えっ、えっ、や、やっちゃっ…たって?」

息を止めすぎてて、苦しくなったのか、ひどく喘ぎながら言う。

「君がいま、困ってることと同じこと」

ヒナがなるべく恥ずかしがらないように、内緒話のように明るく告げる。

「え……そ、それって」

「けどね。僕はそれをなかったことにできるんだ」

ジェライドは腰に両手を当て、胸を張ると、自慢そうに言った。

「な、なかったこと? できるの? ほんと?」

「うん。いつもなかったことにしてる。だから、君も僕にまかせなよ」

「ほんとに? ほんと?」

必死な形相で、縋るように聞いてくるヒナに、ジェライドは胸がきゅんとした。

「うん。ほんとに、ほんとだよ」

安心させようと、強く応じる。

「で、でも…どうすればいい?」

頬を真っ赤に染めたヒナは、顔をしかめ、恥ずかしそうに問いかけてきた。

「嫌かもしれないけど…布団をはいでもいい?」

「…う、うん」

もちろん、他人に見られたくないのだろう。
かなり考えた末に頷く。

渋々というようなヒナを気にせず、ジェライドは布団をそっとはいだ。そして、テキパキと処理した。

その昔、ヒナと同じ失敗をするたびにやったことだったりするため、自慢できないが、やりなれていて手際はいいのだ。

湿っていたシーツも、パジャマも綺麗に乾き、もちろん匂いもないし、シミも残っていない。

よし、完璧。

「わわわ」

ヒナは素直に驚き、ぱーっと笑顔になった。

「魔法みたい」

その無邪気な言葉が嬉しくて、ジェライドはくすくす笑った。

ヒナの笑顔は、思ったとおり可愛らしい。

「ヒナは、いっぱい笑った方がいいよ。それと、もう君は失敗しないよ」

「ほ、ほんと?」

「うん。僕が強力なおまじないしてあげたからね」

「おまじない?」

小首を傾げて聞いてくる。可愛いったらない。

ジェライドは思わず伸びをして、ヒナの頭をよしよしと撫でた。

「さあ、もう少し寝るといいよ。もう君の所に悪夢はやってこないからね」

そう告げながら、ベッドに横にならせる。

「悪夢?」

目をパチパチさせながら言う。

「そうだよ。これからは、君が楽しい、素敵な夢を見よう」

まだ自分を見つめている瞳に手を差し伸べ、ジェライドは手のひらで覆った。

すっと瞼を撫でた瞬間、ヒナは浅い眠りに落ちた。

これで、次に起きた時、ヒナはすべて夢だったと思うだろう。

やすらかであどけない寝顔をしばし見つめ、ジェライドはその場をあとにした。






   
inserted by FC2 system