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第五話 事態はさらに複雑に
「えーと、えーと」
沙絵莉は、困惑した顔で、アークと沙絵莉を交互に目を向けてくる俊彦を見つめて、どう切り出そうかと迷った。
まずは俊彦にわかってもらおうと言ったものの、どうすれば、どう話せば信じてもらえるだろう?
たとえば、アークに何かしらの魔法みたいなのやってもらうとか?
そ、そうだ、杖よ!
アークが私にくれると言った杖。
あの杖を持って、私の部屋に行こうとして部屋を出たところで、大賢者たちがいて…
「アーク、あの杖は?」
「うん?」
「どこにやったの? いま、持っていないの?」
向こうの世界に、置いてきてしまったのだろうか?
「いったい、杖をどうするんだい?」
「もちろん、使って見せるのよ。私もびっくりしたし、おじ様も、あれを見たら信じてくれるわ」
マジックだと思い込まれる可能性もあるが…
もし、それで信じてもらえなさそうだったら、さらにハイグレードな姿を消したりとか、身体を浮かしたりとかしてもらえば…
なんだか、アークを見世物にするみたいで、ちょっと嫌だけど…
「だが…あれはガラクタ同様の杖で…」
「何を言うの。ガラクタなんてことないわよ。あれは凄い杖よ」
「凄くなどない。ああ、そうだ…ジェライドが持っているな…あれなら最高に精度がいい」
「ジェライドさんが?」
そう言えば、ジェライドはガラスのような透明な棒を持っていた。
「ああ」
「けど、あれ…魔法の杖っぽくなかったわよ。プラスチックみたいで…」
「あれはまだ杖の素材の状態だからね。これから杖にするんだ。サエリ、ジェライドをここに呼んでもいいかい?」
ジェライドさんを?
「沙絵莉ちゃん」
沙絵莉は、呼びかけてきた俊彦に視線を向けた。
「はい」
「ここはひとつ、彼には、いったん引き取ってもらってはどうかな。亜由子さんもひどく神経質になっているし…」
「おじ様」
「君がいなくなって、心労が重なっている。ようやく、君が帰ってきてくれたんだ。心から安心させてやらないか」
沙絵莉は、唇を噛み締めた。
俊彦は、アークのことを家から追い出して、彼がいなかったことにしたいのだ。
それなら、事態が丸く収まると。
確かに、俊彦の気持ちはわかる。
沙絵莉が彼の立場なら、同じことを思うだろうし、それが当然として、説得したと思う。
けど…アークは沙絵莉の命の恩人であり、彼女の愛するひとなのだ。
それに、アークは彼女を救うために、魔力の受け取りをしてしまった。
それは夫婦とみなされる行為で…もう何があっても取り消すことはできないと、アークの父が言っていた。
つまり、アークの結婚相手は、私に決まってしまったのだ。
私があの世界に戻らなかったら…アークは誰とも結婚できない。
アークは、良かったんだろうか?
結婚相手が、そんないきさつで私に決まっちゃって…
私の命を救うために仕方なくやっちゃったことで、後悔してたりしないだろうか?
「トシヒコ殿、私の存在が、サエリの母上に悪影響を及ぼすとしても、サエリを置いてここから出てゆくことはできません」
アークの言葉に、トシヒコの表情が劇的に変化した。
俊彦は、アークに面と向かい、鋭い目で睨みつけた。
「君、この家は私の家だよ。君にはいますぐ家から出て行ってほしい。もちろん彼女は、絶対に連れてゆかせない!」
激しい口調で言うと、俊彦は沙絵莉を守ろうとするようにアークと沙絵莉の間に左腕を差し込んできた。
思わぬことに、沙絵莉は目を丸くして俊彦を見つめた。
アークはのほうは、俊彦の行動を冷静に受け止め、身動きしない。
「さあ、ともかく今日のところは帰ってくれ」
「おじ様、アークは私のためにここにいてくれてるのに」
「君は黙ってなさい!」
普段、温厚な俊彦の叱責はあまりに意外で、沙絵莉は目を見開いた。
「弱ったな…。サエリ、私は君から離れることはできない。もしこの家を出るのなら、君も連れてゆく」
「君は! 連れてゆかせないぞ」
そう叫んだ瞬間、沙絵莉は俊彦に腕を掴まれていた。
渾身の力で掴まれ、沙絵莉は驚きと痛みで身を竦めた。
「お、おじ様」
「さあ、帰りなさい。おとなしく引き下がらないなら、警察を呼ばせてもらうぞ!」
「おじ様!」
沙絵莉が叫んだ瞬間、目の前にひとが現れた。
「え?」
紫色の髪の小さな男の子だ。
その子は、自分の登場に唖然としている俊彦に、すっと手を差し出した。
突然、俊彦は全身の力が抜けたように、その場にくずおれた。
「ジェライド」
眉を寄せ、叱るようにアークが叫んだ。
「ジェ…ライドって…でも…アーク」
「どうしてそんな姿で……いや、それよりも、出過ぎた真似だぞ」
「ですが…サエリ様に危害を…」
「そうじゃないんだ」
アークはそう口にし、倒れ込んでいる俊彦を抱き起した。
「トシヒコ殿。意識は?」
アークは、俊彦に向けて話しかけた。
俊彦は目を開けているが、指一本動かさない。
「お、おじ様。大丈夫なの?」
「もちろん、大丈夫だ。ジェライド、早く戻せ」
アークの言葉に、紫色の髪の男の子はしばし思慮し、「わかりました」と頷いた。
この男の子が、本当にジェライドなのだろうか?
幻でそう見せてるんだろうか? けど、なぜ男の子の姿に…?
「は、はあっ」
俊彦が大きく喘ぐ声を耳にし、沙絵莉は男の子から俊彦に視線を移した。
俊彦は慌てたように身を起こし、自分を抱きかかえていたアークから距離を取った。
「い、いったい?」
そう呟いた俊彦の瞳には、恐怖が浮いている。
「アーク様と、サエリ様に、何かなされば、容赦はしません」
冷ややかな声でジェライドは俊彦に言う。
「ジェライド。失礼な口を利くな。この方は、サエリの母上の…夫なのだぞ」
「は? …サエリ様のお父上?」
いまいち、ピントがずれたような表情で、男の子は首を捻る。
「俊彦おじ様は、私の義理の父なの」
「義理?」
「ジェライド。この国では、結婚を解消し、再び他の者と結婚できるらしいのだ」
「結婚を解消?」
男の子は、ぽかんとした顔で聞き返す。
「ああ」
「あのっ、アーク、この男の子、本当にジェライドさんなの?」
「うん? あ、ああ。ジェライドだ。ジェライド、お前、どうしてそんな姿でいる?」
アークの問いかけに、ジェライドは眉をひそめ、自分の身体を見下ろした。
「そうでした。こちらから叫び合う声が聞こえたので、このまま飛んできてしまって…失礼致しました」
そう口にした男の子は、次の瞬間大きくなった。
もちろん、いつものジェライドに戻ったわけだが…
沙絵莉だってぎょっとさせられたのだ、俊彦の驚きは、沙絵莉の比ではなかった。
「な、なんだ? き、君…ど、ど、どうして?」
俊彦は泡を吹きそうなほど動転している。
「おじ様、落ち着いて。これが彼の姿で…さっきまでのは……幻?」
「いえ。幻の類ではありません。変身です」
当たり前のように、平然と説明するジェライドに、沙絵莉は頭が痛くなった。
俊彦は、「ヘンシン?」と呟いている。
「い、いったい。どういうことなの?」
その声に、沙絵莉はどきりとして顔を向けた。
布団に寝ていた母が身を起こしていた。
複雑になるばかりの事態に、沙絵莉は心が折れそうになった。
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