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第八話 愉快な空想の危険性
笑いで和んでいるこの場に、沙絵莉は不思議な気分を味わっていた。
先ほどまで、魔法なんてものを信じていなかった俊彦なのに、いまこうして、現実として魔法を受け入れ、ジェライドとアークの愉快なやりとりに声を上げて笑っている。
こんな楽しそうでリラックスした俊彦は、これまで沙絵莉は見たことがなかった。
沙絵莉と俊彦の間には、いつも遠慮と緊張があって……
なんか、私、色々なこと……間違っていたんじゃないだろうか?
それは、両親についても言えることで……特に父に対する私の態度は、今考えると……
胸がずくんと痛み、沙絵莉は顔を伏せて唇を噛み締めた。
私……これまで、自己中心的に物事を見て感じてたんだ。
こうあってほしいのに、なんでそうじゃないのって……自分の思いどおりでないことに、憤って。
そんな現実は、全部父のせいにしてた。いや、違う……父だけじゃない。
認めるのは辛いし、恥ずかしいけど……美月さんに対して……そう……あのひとを、私、憎くんでた。
あのひとさえいなければって……
そして、美月さんが、いいひとであればあるほど、自分の醜さを実感してしまって、けど、無理に気づかないふりをしてた。
自分に与えられているものを、ただ素直に感じることで、私の心は充分満たされたのに……自分で、自分を不幸にしてたんだ。
ようやくいまになって、気づくなんて……
「サエリ、これはどんな味なんだい?」
ふいにアークから話しかけられ、沙絵莉はハッとして顔を上げた。
アークは、竜田揚げを指さしている。母の得意料理だ。
沙絵莉は、アークを見つめて微笑んだ。
「それは、竜田揚げよ」
「タッターゲ?」
アークの発音に、沙絵莉は笑みを零した。
「ええ。鶏のお肉なんだけど……そうね、味は甘辛い感じ。ともかく食べてみて」
沙絵莉はアークに勧めた。
母の得意料理だし、彼に気に入ってもらえると嬉しいのだが……
アークは言葉の意味をちゃんと受け取れたのか、「アマガライ?」と呟きながら、竜田揚げを箸で摘まもうとした。だが、なかなかうまく箸に挟めない。
二度、三度とトライし、ようやく挟んで持ち上げる。
アークが自分の取り皿に置いたのを見て頷いた沙絵莉は、アークの行動を観察しているジェライドに気づいた。
「ジェライドさんも、食べてみてください」
「は、はい」
返事をして頷くものの、まずはアークの感想を聞いてからとでも考えているのか、アークを見据えたままだ。
アークが、再び箸と竜田揚げと格闘しようとしたところで、襖が開く音がし、沙絵莉はくるりと首を回した。
もちろん、やってきたのは母と陽奈だ。
陽奈は、ひどくもじもじした様子で、母の服を両手で掴んでいる。知らないお客が来ていると母に聞いて、恥かしいのだろう。
「アークさん、ジェラちゃん、陽奈よ。ほらほら陽奈ちゃん、このおふたりは、沙絵莉お姉ちゃんのお友達よ。お姉ちゃんの隣に座っているひとがアークさん。それからこっちの僕ちゃんがジェラちゃんよ。ジェラちゃんは、陽奈ちゃんと同じ歳くらいだと思うし、これから仲良しになれるといいわねぇ」
母の言葉に、沙絵莉は思わずアークと目を見合わせた。
彼の口元には当然のように笑いがある。
ジェライドはと見ると、幼い顔を引きつらせているようだ。
お母さんったら……
そう思いつつも、笑いが込み上げてならない。
「さあ、陽奈ちゃんもご飯食べましょう。そうだわ、陽奈ちゃんは、ジェラちゃんの隣に座ったらいいんじゃない?」
「ひ、陽奈、俊彦パパと亜由子ママの隣りがいい」
陽奈はひどく顔赤らめ、ぼそぼそと言いながら、言葉どおりふたりの間に座り込んでしまった。
「あらぁ、そんな恥ずかしがらなくても」
「まあいいじゃないか。だんだん遠慮がなくなれば、遊べるようになるよ」
俊彦の言葉に、亜由子は「それもそうね」と笑い、陽奈の世話を始めた。
三人を見つめる沙絵莉の胸に、これまで抱かなかったほのぼのとした感情が湧く。
自然と三人を見つめていられる自分が嬉しくもあり、どうしてこれまでもこうでなかったのかという悔いも感じる。
私がアークの世界に行っても、俊彦と陽奈という家族に囲まれ、きっとお母さんはしあわせでいてくれる。
そして、お父さんも、美月さんとしあわせでいてくれる。
もちろん、それは沙絵莉の中でのこと、母も父も、沙絵莉が異世界に行くことを、笑って許してはくれないだろう。
それでも、私は異世界に行く。
だって、寝てる間とはいえ、アークと魔力の受け取りをして、それは夫婦になったってことで、もう取り消せないのだ。
もちろん、取り消せないから、仕方なく彼の世界に行くわけじゃない。
私は、アークとずっと一緒にいたい。だから、彼の世界に行くのだ。
ただ……気になってならないのは……そのことを聞いた時のアークの表情……
彼は嬉しがってはいなかった。ひどく顔をしかめてて……
沙絵莉の命を救うために、それしか方法がなくて、彼は沙絵莉と魔力の受け取りをしたのだ。
望んでとかではなく……
確かにアークは彼女のことを好きでいてくれるようだが、結婚はまた別なんだと思う。
一生のこと……
特にアークの世界では、一度結婚したら、もう絶対に取り消せないらしいし。
アークの中に、離婚という概念がなかったくらいに……
暗い気分に憑りつかれそうになった沙絵莉は、気分を取り直し、前向きに考えることにした。
いくら考えても、もうどうしようもないことなのだ。
アークが沙絵莉といることで、少しでもしあわせであるように、頑張るしかない。
アークは、彼の世界のあちこちに、観光とか連れてってくれたりするだろうか?
それと、お里帰りとかはどうだろう? 頻繁にさせてもらえるだろうか?
あっ、そういえば……
こっちに戻ってくるのに、アークはお父様と、なにやら不穏な雰囲気になっていた。
あれって、どういうことだったんだろう?
阻止とか、抵抗するとか、アークは父に敵意すら見せて、口にしていた。
「ジェラちゃん、竜田揚げが気に入ったみたいね」
楽しげな母の声がはっきりと頭に入ってきて、考え事をしつつ食事を続けていた沙絵莉は顔を上げて周りを見回した。
彼女を気にして見つめていたのか、アークと目が合う。
「アーク」
「気分は悪くないかい?」
みんなに聞かれないようにか、アークは潜めた声で聞いてくる。
「ええ。大丈夫」
「そうか。少しでも疲労感を感じたり、胸のあたりが苦しい感じがしたら、すぐ私に言うんだぞ」
「わかったわ」
気遣ってくれるアークに、沙絵莉はしあわせな気分になった。
彼は私を好きでいてくれてるよね?
アークの気持ちを確かめたいが、ふたりきりにならなければ話せない。
今夜にでも、ふたりきりになる機会を得られるといいのだが。
それと、たぶん、私、これから魔力を取り出す練習ってのをしなきゃならないのよね?
もちろん、アークが教えてくれるだろうけど……私って、アークの世界の赤ん坊以下なのよね。
いずれは、アニメみたいに、手のひらからエネルギーのボールみたいなの出して、ハーッ!って、敵にぶつけたりできるように……
「サエリ!」
「サエリ様!」
愉快な空想に夢中になり、無意識に手のひらを上に向けて笑みを浮かべていた沙絵莉は、ふたりの鋭い呼びかけに目をぱちくりさせた。
間をおかず、アークに手首を掴まれ、手のひらをぎゅっと包まれる。
「な、何?」
「い、いまのなんなの、沙絵莉?」
状況がわからず戸惑っている沙絵莉に、なぜか沙絵莉以上に目を丸くした母が聞いてくる。
「なんなのって、何が?」
「なにって、いま、あんたの手のひら、光ってたじゃない」
ひ、光ってた?
沙絵莉は、パチパチと二度大きく瞬きし、自分を見つめている全員と目を見合わせたのだった。
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