白銀の風 アーク

第十章 

                     
第九話 わけのわからない恐れ



まったく、この娘ときたらお話にならない。

自分の手のひらを光らせていた当人のくせに、その事実に気づいていないだなんて……

このけったいふたりと一緒にいたせいで、おかしな影響を受けてしまったんじゃないだろうか?

ウイルスみたいに、おかしなものが感染しちゃったとか?

このふたりは普通ではありえない、特殊なことがいっぱいできる人種のようだし……

普通ではありえないようなものをいくつも見せつけられて、受け入れるしかなかった。

この目で見たのだから、信じるしかない。そう理性的に思うものの、彼女の中の常識がもだえ苦しみながら抵抗する。

ともかく落ち着こうと考えて、食事の支度をし、こうしてご飯を食べているところだが……

頭の中で、思考がいくつにも分割し、おのおのが取り留めもなく考えを進めているような感じだ。

つまり、いまの彼女は、パニックに陥っているのだろう。強烈に……

見た目では落ち着いているのは、このパニック状態に素直に反応する感覚が麻痺しているためなんじゃないだろうか?

亜由子は、先ほど見せられた、様々な不思議を思い返した。

どう考えても、マジックみたいよねぇ。

今どきは、とんでもないマジックをやってみせるマジシャンなんて、巷にいっぱいいるようだし……

それとも、沙絵莉の言ったように、本当に異世界の住人なんだろうか?

いやいや、色々見せてもらったけど、さすがに異世界はないわよ、異世界は。

けど、子どものジェラ君は大人になって見せたものね。

催眠術にかけられて、そう思い込まされたってのが、常識的には一番しっくりくるけど……

亜由子は、ジェライドを見つめた。

純真無垢な子どもにしか見えない。

もともと子どもで、大きくなって見せたのが、トリック?

彼女的には、その逆じゃない方が、好ましいし嬉しい。

「あの……いまのは、なんだったのかな?」

俊彦が怪訝そうに問いかけた。

思考があっちに飛び、こっちに飛びして、まるでまとまらずにいた亜由子は、俊彦の言葉に頼ろうとするように意識を向けた。

「……サエリの身体は、いま、とても不安定なのです」

だいぶん間をおいて、アークが俊彦に答えた。

かなり返事に迷った様子だ。

「身体が不安定? 沙絵莉ちゃんの手のひらが光るなんて……」

そう言った俊彦は、突然ハッとした顔をする。

見ていた亜由子は、思わずビクッと反応してしまう。

「まさか君たち、彼女の身体に何かしたのか?」

「えっ?」

これは聞き捨てならない。

「な、何かって、何を?」

娘が、おかしな世界でおかしな身体にされてしまったとか?

亜由子は恐怖に駆られた。

「な、何をしたの? この子に。ちょっと、おかしなことになって、死んじゃったりしないでしょうね?」

アークとジェライドに向けて言った亜由子は、アークのほうが顔をしかめたのに気づいた。

こ、この反応って?

ま、まさか、まさかなの?

「この子の身体に、マジで、おかしなことをしたっていうの?」

「お、お母さん。落ち着いて」

アークに食ってかかった亜由子は、問題になっている当の娘に、責めるように宥められ、むっとした。

「あんたね」

「アユコ様」

沙絵莉に向けて文句を言いかけていた亜由子は、ジェライドに呼びかけられて、顔を向けた。

「サエリ様は、こちらの国で、生死にかかわる大怪我をなされ、アーク様はサエリ様の命を救うため、我々の国にお連れになられたのです」

よどみなく語るジェライドに、亜由子は思わず眉を寄せた。

「さらに、アーク様ご自身も、サエリ様を救おうと限界を超えた癒しの技を施され、意識不明の状態にまで陥られたほどで……」

幼子に不似合な凛々しい態度で、ジェライドは語る。

一応、言われた言葉は理解したが、なんとも違和感を覚える。

この子ったら、ちっちゃいくせに、まるで成人した大人のようだ。

亜由子の脳裏に、大きくなったジェライドが浮かんだが、亜由子は反射的に意識を背けた。

しかし、大怪我?

そう言えば、戻ってきてすぐ、沙絵莉がそんなことを口にした気がしないでもない。

あのときは、沙絵莉が戻ってきた安堵やら、知らない男……それも異国のひとを連れてきたことに困惑してしまい……まともに話を聞ける状態ではなくて……

「怪我をしたって……いま、元気そうだけど……ほんとに?」

亜由子は眉を寄せ、娘の身体の様子を窺いながら尋ねた。

「うん。実は……昨日、アークと、彼の世界に遊びに行くって約束してて……」

頬を赤らめた沙絵莉は、言い難そうに言う。

遊びにって簡単に言うが、それって異世界なわけだ。

亜由子は、娘に呆れた。

異世界に行く約束って、あんた……

現実味がなさすぎて、娘の頭がなおさら心配になってきた。

「それで……」

「ちょっと、沙絵莉、あんたいつからこの人たちと知り合いになってたのよ?」

話を続けようとする娘を制し、亜由子は尋ねた。

「えっ? ……ええっと、一ヶ月くらい前……かな」

日数を数えていたのか、考え込んだあと、自信なさそうに言う。

しかし、ひと月とは、驚きだ。

「まあっ、あんたってば、一か月も前から、お母さんに内緒で、異世界とやらへ、ひょいひょい遊びに行ってたっていうの?」

いまや、異世界ってのは、半信半疑だが……

「そ、そんなことない」

沙絵莉は両手を振って否定する。

「アークの世界に行ったのは、そんな何回もじゃないわ。今回のを入れても、二回だけよ。いつもアークがこっちに来てたの」

いつも?

こいつは聞き捨てならない話じゃないか。

「まさか……あんたのアパートに、気安く泊まらせてたなんてことじゃないわね?」

自分は異世界人だなどと、真顔で騙る男なのに?

「と、泊まってない」

亜由子は、焦りまくって否定する娘から、アークに標的を変えた。

「アークさん、本当に泊まっていないのね?」

「はい。そのような事実はもちろんありません」

きっぱりと答える彼の言葉は、信じていいと思えた。

だが、これだけの美男子、さぞかし女にもてるだろうに……なんでまた、娘の沙絵莉と親しくなったのだろう?

なにやら、きっかけがあったんだろうが……

それにしても、このふたり、ずいぶんと親しくなっちゃってるけど……この先、どうするつもりでいるのだろうか?

遊びで付き合ってもらっちゃ困るけど……将来一緒になりたいなんて馬鹿なこと、言い出したりしないわよね?

もしも、異世界ってのがほんとなら、娘の沙絵莉の嫁入り先は、現実感のないファンタジーな世界ってことになってしまう。

馬鹿馬鹿しさに、笑いが込み上げる。

ありえないわね。

どんな世界か知らないけど、危険な目にばかり遭いそうじゃないか。

嫁にやるには最悪の場所だ。

「ねぇ、アークさん」

「はい」

「もし、うちの娘が気に入ったとしても、異世界なんかに、嫁にやらないわよ」

本音だが、冗談めかして告げた言葉に対して、彼らはそれぞれ違う反応を見せた。

ぎょっとしたように目を見開いた沙絵莉。一瞬にして無表情になったアーク。

ジェライドだけは口元に微かな笑みを浮かべたが、その笑みは、亜由子にわけのわからない恐れを感じさせた。






   
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