白銀の風 アーク

第十章

                     
第十一話 落ち着かない気分



問題はなかったようだ。

そうわかって、ジェライドはほっと息を吐き出し、緊張を解いた。

違う部屋に通され、トシヒコと向かい合って話をしている途中で、サエリの魔力に異変を感じた。

もちろん、ジェライドが飛んでゆくまでもなく、アークが即座に動いた。

ジェライドは眉をひそめて考え込んだ。

何か、自分に知らされてないことがある。それも重大なことをだ。

治癒者によって、回復したはずのサエリだが……完治とまではいっていないようだ。

それが、普通に考えておかしなことなのだ。

我が国で最高の癒しの術者であるマラドスが施術にあたったのだ、完治していないというのはおかしなことだ。

それに怪我は死に瀕するほどのものだったようだが、単純に怪我を負っただけのことであれば、完治は造作もないはず。

なのに……マラドスはじめ、あれだけの人数の治癒者で対処しても、容易にはサエリを治癒させられなかった。

考えられるのは……

呪いの魔力が絡んでいたとかならば、納得できるのだが……そんなこともないようだし……

それとも、彼に話せないような、裏事情があるのか?

さらに、解せないのは、サエリ様の魔力の暴走。

感情が波立つたびに、二度も魔力を暴走させている。

サエリは、たいした魔力を持っていないと感じていたのに……どうして魔力が暴走するようなことになってしまったのだろうか?

もちろんアークは、その理由を知っている。

魔力を制御できないサエリは、とんでもなく危険だ。だから、アークは、サエリから一時たりとも離れようとしないのだ。

アークに聞けば、わけを聞かせてくれるのだろうか?

聞かせてもらえなければ、ポンテルスに聞いてみるとしよう。

ポンテルスはわけを知っているはずだ。知っているからこそ、ジェライドを、無理やりアークたちとともに、ここに飛ばしたのだ。

ジェライドがいまここにいるのは、アークとサエリの守護。そして、ふたりをカーリアン国に必ず連れ帰るため。

「あ、あの……ジェ、ジェライド君」

呼びかけられてすぐ、ジェライドは顔を上げて、トシヒコに目を向けた。

「はい。なんでしょうか?」

「ア、アーク君が、き、消えたんだが……」

トシヒコはひとさし指でジェライドの隣をさして言う。

その指は、震えを帯びている。

そうか。突然目の前にいたアークが消えたのだ。トシヒコにすれば、普通の反応だろう。

「サエリ様の元にゆかれました。少々、危機的状況に陥られていたので」

「危機?」

トシヒコは面食らったように言い、目をパチパチさせる。

「沙絵莉ちゃんはいま、亜由子さんと、台所で洗い物をしているだけのはずだけど……」

危機的状況と言われてもピンとこないらしく、首を捻っていたトシヒコだったが、だんだんその顔に不安が滲み始めた。

「危機って、どんな?」

いまさら慌てたらしく、トシヒコが立ち上がろうとする。

「トシヒコ様、落ち着かれて」

ジェライドは慌てて制止した。

トシヒコの膝に、ヒナがもたれかかって寝ているのだ。
この部屋にやってきて、彼らの会話が退屈だったのか、ヒナはすぐに眠ってしまったのだ。

「あ……ああ」

トシヒコはヒナの存在に気づき、慌てて腰を下ろした。

身体を揺さぶられたヒナは、「う、う……ん」と小さな声を上げて身動きしたが、また眠ってしまったようだった。

トシヒコはそんなヒナの頭をなだめるようにやさしく撫でる。
トシヒコのヒナに対する愛情を目にして心が和み、ジェライドは小さく微笑んだ。

「サエリ様は大丈夫です。アーク様がゆかれましたから」

「沙絵莉ちゃんに、何が? アーク君は……なんで消えて……沙絵莉ちゃんの……その……」

トシヒコはひどく混乱したらしく、言っている言葉が意味をなさない。

「詳しくはわかりませんが……心配なさる必要はなくなったようですので、トシヒコ様、どうかご安心ください」

ジェライドの言葉を聞いて、トシヒコはひどく複雑な表情になった。

顔をしかめ、かなり長い間言う言葉を探しているようだったが、ようやく口を開く。

「君たちは……いったいなんのために、この世界に来たんだい? あちこちの世界に……行ったりしてるのかい?」

簡単には答えられない問いを一度に向けられ、ジェライドは困った。

まずは、君たちという言葉を、訂正しておかなければならないだろうか?

「私がこの国に参りましたのは、今回が初めてのことです。サエリ様との謁見が叶いましたのは、大怪我を負われたサエリ様がご回復なされたあとのことです。この世界に……」

「ちょっと待ってくれ……」

説明を続けようとするジェライドを、トシヒコは慌てて止めてきた。

「はい」

「ジェライド君、君とアーク君の関係は……そういえば……アーク君は、君のことを自分の供の者と紹介したね?」

ジェライドは、言葉を口にするたびに問いを変えられて、苦笑を堪えた。

「はい。私は、アーク様の供人でございます」

「供人っていうのが、よく分わからないんだが……いったいどんな役目なのかな? 仕事なのかい?」

「仕事……と言うよりも、役目でしょうか」

「役目?」

「はい」

「仕事じゃなく、役目……? いまいち、よくわからないな。アーク君は、いったい何者なんだい?」

これは、いい質問をもらえたようだ。アークが、カーリアン国にとって並ぶもののない特別な存在であることを知れば、彼らの態度も軟化するかもしれない。

「アーク様は、聖なる方です」

「うん?」

はっきりと口にしたというのに、トシヒコは、まるで聞こえなかったとでもいうように、聞き返してきた。

「聖なる方なのです」

ジェライドはゆっくりはっきりと言葉にした。

「……なんといっているのかな? わからないんだが……」

困惑したように言われ、ジェライドまで困惑してしまった。

ジェライドは懐の中に入れている、通訳の玉に服の上から手で触れた。

まさか、壊れたわけではないと思うのだが?

言葉に詰まっていると、ドアが開けられ、アユコとアークが入ってきた。

「亜由子さん。あれっ、沙絵莉ちゃんは?」

「ここに向かって歩いてたら、急に意識を失くして……気絶しちゃったと言うか……寝ちゃったというか……」

「き、気絶? 亜由子さん、沙絵莉ちゃんは大丈夫なのかい?」

トシヒコが驚いて叫ぶ。

「大丈夫らしいわ。アークさんが言うにはね。……なんか、魔力を放出しすぎて、疲れて意識を失っただけって……」

「魔力を放出?」

「はい。気づいてすぐに彼女の元に飛んだのですが、すでに一部を放出していて。ですが、大量に放出したわけではありませんし、明日の朝には普通に目覚めるはずです」

「まったく、もおっ、何をどう考えればいいのかわからないわ。アークさん、ともかく座っ……あ、あら、俊彦さん、陽奈ちゃんも、寝てしまったの?」

「そうなんだ。ちょっと寝かせてこよう」

「ええ。お願い」

トシヒコはヒナを抱き上げると、すぐに部屋から出て行った。

アユコがトシヒコのいた隣の席に座り、アークは先ほどと同じようにジェライドの隣に腰かけた。

「ちょっとジェラ君、貴方に聞きたいことがあるんだけど」

「はい。アユコ様、なんでしょうか?」

「貴方の住む世界って、離婚しないってほんと?」

ジェライドは、眉を寄せた。いまアユコはなんと言ったのだろう?

言葉がまったく理解できなかったが……何をしないのかと聞かれたのだろうか?
やはり通訳の玉が壊れたのか?

「すみません。アユコ様、どうも通訳の玉が壊れたのか……言語をきちんと理解できないようです」

「通訳の玉?」

「はい。これなのですが」

ジェライドは懐から通訳の玉を取り出し、アユコに見せた。

「まあっ、綺麗な玉……ああ、それと似た玉だったわね。沙絵莉の声がして、びっくりさせられた玉」

「あれは、通信の玉です」

アークが説明する。

「通信に通訳。貴方がたの世界って、便利なものがあるのねぇ」

「こちらの国にも、さまざまな不思議なものがあります。テレビ、デンシイレンジ、カメラ……それから、ケイタアデンワ、バス、カンヅメ」

「あら、アークさん、良く知ってるじゃないの。沙絵莉に教えてもらったの?」

「はい。この世界のものには、とても興味を引かれて。彼女を困らせるほど質問ばかりしてしまいました」

「あらまあっ」

アユコは楽しげに叫び、くすくす笑い出した。

そのとき、アユコの笑い声に紛れるように、アークが安堵のこもった息を吐いた。

ジェライドは、問うようにアークを見上げたが、彼を見下ろしてきたアークは、顔をしかめて視線を逸らした。

アークが何に安堵したのかも、なぜ顔をしかめているのかもわからない。

さらには通訳の玉もおかしいし……

ジェライドはひどく落ち着かない気分になった。







   
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