|
第十一話 落ち着かない気分
問題はなかったようだ。
そうわかって、ジェライドはほっと息を吐き出し、緊張を解いた。
違う部屋に通され、トシヒコと向かい合って話をしている途中で、サエリの魔力に異変を感じた。
もちろん、ジェライドが飛んでゆくまでもなく、アークが即座に動いた。
ジェライドは眉をひそめて考え込んだ。
何か、自分に知らされてないことがある。それも重大なことをだ。
治癒者によって、回復したはずのサエリだが……完治とまではいっていないようだ。
それが、普通に考えておかしなことなのだ。
我が国で最高の癒しの術者であるマラドスが施術にあたったのだ、完治していないというのはおかしなことだ。
それに怪我は死に瀕するほどのものだったようだが、単純に怪我を負っただけのことであれば、完治は造作もないはず。
なのに……マラドスはじめ、あれだけの人数の治癒者で対処しても、容易にはサエリを治癒させられなかった。
考えられるのは……
呪いの魔力が絡んでいたとかならば、納得できるのだが……そんなこともないようだし……
それとも、彼に話せないような、裏事情があるのか?
さらに、解せないのは、サエリ様の魔力の暴走。
感情が波立つたびに、二度も魔力を暴走させている。
サエリは、たいした魔力を持っていないと感じていたのに……どうして魔力が暴走するようなことになってしまったのだろうか?
もちろんアークは、その理由を知っている。
魔力を制御できないサエリは、とんでもなく危険だ。だから、アークは、サエリから一時たりとも離れようとしないのだ。
アークに聞けば、わけを聞かせてくれるのだろうか?
聞かせてもらえなければ、ポンテルスに聞いてみるとしよう。
ポンテルスはわけを知っているはずだ。知っているからこそ、ジェライドを、無理やりアークたちとともに、ここに飛ばしたのだ。
ジェライドがいまここにいるのは、アークとサエリの守護。そして、ふたりをカーリアン国に必ず連れ帰るため。
「あ、あの……ジェ、ジェライド君」
呼びかけられてすぐ、ジェライドは顔を上げて、トシヒコに目を向けた。
「はい。なんでしょうか?」
「ア、アーク君が、き、消えたんだが……」
トシヒコはひとさし指でジェライドの隣をさして言う。
その指は、震えを帯びている。
そうか。突然目の前にいたアークが消えたのだ。トシヒコにすれば、普通の反応だろう。
「サエリ様の元にゆかれました。少々、危機的状況に陥られていたので」
「危機?」
トシヒコは面食らったように言い、目をパチパチさせる。
「沙絵莉ちゃんはいま、亜由子さんと、台所で洗い物をしているだけのはずだけど……」
危機的状況と言われてもピンとこないらしく、首を捻っていたトシヒコだったが、だんだんその顔に不安が滲み始めた。
「危機って、どんな?」
いまさら慌てたらしく、トシヒコが立ち上がろうとする。
「トシヒコ様、落ち着かれて」
ジェライドは慌てて制止した。
トシヒコの膝に、ヒナがもたれかかって寝ているのだ。
この部屋にやってきて、彼らの会話が退屈だったのか、ヒナはすぐに眠ってしまったのだ。
「あ……ああ」
トシヒコはヒナの存在に気づき、慌てて腰を下ろした。
身体を揺さぶられたヒナは、「う、う……ん」と小さな声を上げて身動きしたが、また眠ってしまったようだった。
トシヒコはそんなヒナの頭をなだめるようにやさしく撫でる。
トシヒコのヒナに対する愛情を目にして心が和み、ジェライドは小さく微笑んだ。
「サエリ様は大丈夫です。アーク様がゆかれましたから」
「沙絵莉ちゃんに、何が? アーク君は……なんで消えて……沙絵莉ちゃんの……その……」
トシヒコはひどく混乱したらしく、言っている言葉が意味をなさない。
「詳しくはわかりませんが……心配なさる必要はなくなったようですので、トシヒコ様、どうかご安心ください」
ジェライドの言葉を聞いて、トシヒコはひどく複雑な表情になった。
顔をしかめ、かなり長い間言う言葉を探しているようだったが、ようやく口を開く。
「君たちは……いったいなんのために、この世界に来たんだい? あちこちの世界に……行ったりしてるのかい?」
簡単には答えられない問いを一度に向けられ、ジェライドは困った。
まずは、君たちという言葉を、訂正しておかなければならないだろうか?
「私がこの国に参りましたのは、今回が初めてのことです。サエリ様との謁見が叶いましたのは、大怪我を負われたサエリ様がご回復なされたあとのことです。この世界に……」
「ちょっと待ってくれ……」
説明を続けようとするジェライドを、トシヒコは慌てて止めてきた。
「はい」
「ジェライド君、君とアーク君の関係は……そういえば……アーク君は、君のことを自分の供の者と紹介したね?」
ジェライドは、言葉を口にするたびに問いを変えられて、苦笑を堪えた。
「はい。私は、アーク様の供人でございます」
「供人っていうのが、よく分わからないんだが……いったいどんな役目なのかな? 仕事なのかい?」
「仕事……と言うよりも、役目でしょうか」
「役目?」
「はい」
「仕事じゃなく、役目……? いまいち、よくわからないな。アーク君は、いったい何者なんだい?」
これは、いい質問をもらえたようだ。アークが、カーリアン国にとって並ぶもののない特別な存在であることを知れば、彼らの態度も軟化するかもしれない。
「アーク様は、聖なる方です」
「うん?」
はっきりと口にしたというのに、トシヒコは、まるで聞こえなかったとでもいうように、聞き返してきた。
「聖なる方なのです」
ジェライドはゆっくりはっきりと言葉にした。
「……なんといっているのかな? わからないんだが……」
困惑したように言われ、ジェライドまで困惑してしまった。
ジェライドは懐の中に入れている、通訳の玉に服の上から手で触れた。
まさか、壊れたわけではないと思うのだが?
言葉に詰まっていると、ドアが開けられ、アユコとアークが入ってきた。
「亜由子さん。あれっ、沙絵莉ちゃんは?」
「ここに向かって歩いてたら、急に意識を失くして……気絶しちゃったと言うか……寝ちゃったというか……」
「き、気絶? 亜由子さん、沙絵莉ちゃんは大丈夫なのかい?」
トシヒコが驚いて叫ぶ。
「大丈夫らしいわ。アークさんが言うにはね。……なんか、魔力を放出しすぎて、疲れて意識を失っただけって……」
「魔力を放出?」
「はい。気づいてすぐに彼女の元に飛んだのですが、すでに一部を放出していて。ですが、大量に放出したわけではありませんし、明日の朝には普通に目覚めるはずです」
「まったく、もおっ、何をどう考えればいいのかわからないわ。アークさん、ともかく座っ……あ、あら、俊彦さん、陽奈ちゃんも、寝てしまったの?」
「そうなんだ。ちょっと寝かせてこよう」
「ええ。お願い」
トシヒコはヒナを抱き上げると、すぐに部屋から出て行った。
アユコがトシヒコのいた隣の席に座り、アークは先ほどと同じようにジェライドの隣に腰かけた。
「ちょっとジェラ君、貴方に聞きたいことがあるんだけど」
「はい。アユコ様、なんでしょうか?」
「貴方の住む世界って、離婚しないってほんと?」
ジェライドは、眉を寄せた。いまアユコはなんと言ったのだろう?
言葉がまったく理解できなかったが……何をしないのかと聞かれたのだろうか?
やはり通訳の玉が壊れたのか?
「すみません。アユコ様、どうも通訳の玉が壊れたのか……言語をきちんと理解できないようです」
「通訳の玉?」
「はい。これなのですが」
ジェライドは懐から通訳の玉を取り出し、アユコに見せた。
「まあっ、綺麗な玉……ああ、それと似た玉だったわね。沙絵莉の声がして、びっくりさせられた玉」
「あれは、通信の玉です」
アークが説明する。
「通信に通訳。貴方がたの世界って、便利なものがあるのねぇ」
「こちらの国にも、さまざまな不思議なものがあります。テレビ、デンシイレンジ、カメラ……それから、ケイタアデンワ、バス、カンヅメ」
「あら、アークさん、良く知ってるじゃないの。沙絵莉に教えてもらったの?」
「はい。この世界のものには、とても興味を引かれて。彼女を困らせるほど質問ばかりしてしまいました」
「あらまあっ」
アユコは楽しげに叫び、くすくす笑い出した。
そのとき、アユコの笑い声に紛れるように、アークが安堵のこもった息を吐いた。
ジェライドは、問うようにアークを見上げたが、彼を見下ろしてきたアークは、顔をしかめて視線を逸らした。
アークが何に安堵したのかも、なぜ顔をしかめているのかもわからない。
さらには通訳の玉もおかしいし……
ジェライドはひどく落ち着かない気分になった。
|
|