白銀の風 アーク

第十章

                     
第十五話 面目ない気分



「ありえないし、ありえないし、ありえないし」

頭を抱え、三回続けて叫んだ沙絵莉は、ぎゅっと目を瞑った。

夢だと思いたい。夢だと思いたい。

そ、そうよ。夢なんじゃないの?

髪の色が一晩で桃色に変わるなんてありえない。

だいたい、なんで桃色?

桃色になる理由がどこにあるわけ?

金髪ならまだしも。

「サエリ」

アークの声に、沙絵莉は右目だけ開け、アークと目を合わせた。

ものすごく申し訳なさそうな顔をしている。

アークが悪いんじゃないのに……

「これって、魔力の受け渡しの影響って、さっき言ったわね?」

「ああ。私も知らなくて……ジェライドから聞かされたところだった」

「その影響って、髪の色だけで終わるの?」

アークは困ったような表情をするばかりで返事をしない。

まさか、他にも?

「すまない。わからないんだ」

「それって、髪だけで終わるかもしれないってこと?」

「わからない」

どうやら、アークは何も知らないらしい。

「貴方のお母様とかも、変化が出たってことなんでしょう? お母様の変化がどんなものだったか、聞いたりしていないの?」

アークの母サリスの、美しい水色の髪を思い出しながら、沙絵莉は聞いた。

「そういう話は聞いていないんだ」

そうか。そうよね。魔力の受け渡しで変化があるってことも、彼は知らなかったんだもの。

なら、アークの世界に行って、アークの母のサリスさんに聞けば、教えて……

あっ、だけど……

アークの世界に行ったら、もう二度と帰れないかもしれないと『沙絵莉』が言っていた。

不穏なものが影で動いてるとか、なんだかすごく恐いことも言っていたし……

だから、アークの父は、国に悪影響を及ぼす可能性をすべて排除しようとしてるとか……

そこまで考えた沙絵莉は、こっちに戻ってくる直前の、アークとゼノンの緊張をはらんだ敵対するようなやりとりを思い出した。

アークはゼノンの考えに逆らって、沙絵莉を帰らせてくれたのだ。

帰りたいかとアークは聞いてくれて……

そう、私の気持ちを何より優先すると言ってくれた。帰りたければすぐに帰そうと。

父親に向けて、阻止しようとするなら、力の限り抵抗すると。

そして言葉どおり、アークは私を、私の世界に戻してくれた。

「……サエリ」

おずおずとアークが呼びかけてきて、沙絵莉は笑いが込み上げてきた。

アークが現れてから、とんでもないことばかりだ。いまもとんでもないことになっちゃってるし。

でも……

アークは、私の気持ちを優先してくれようとしたのだ。

沙絵莉を救うために、魔力の受け渡しをしてしまって、もう彼女以外の誰とも結婚できなくなってしまっているというのに……それでも……

「サ、サエリ……あの、大丈夫か?」

笑みを浮かべている沙絵莉の顔を覗き込み、アークは不安そうに呼びかけてくる。

「ちょっとだけ……」

「えっ?」

「強引に、帰さないぞっ! って言われたかったかも」

「サエリ?」

困惑しているアークの顔を見て、沙絵莉はくすくす笑ったあと、真顔で彼を見返した。

「アーク」

真剣な顔で呼びかけた沙絵莉に対して、アークも真剣な顔になった。

「着いて行くわ。……二度と帰れないとしても」

沙絵莉の口にした言葉はひどく意外だったようで、アークは瞬きして、沙絵莉を見つめ返してくる。

「どうして?」

「うん?」

「二度と帰れないかもしれないと……知っている……のか?」

その問いかけに沙絵莉は息を止めた。

つまり、夢の中で『沙絵莉』に聞いたことは、真実だということだ。

「ええ」

沙絵莉は心の動揺を見せず、真顔で頷いた。

「ジェライドか? だが、話す機会があったのか……」

「ジェライドさんに聞いたわけじゃないわ。教えてくれたのは、夢の……」

「夢?」

「私」

他に言いようがなくて、それだけ言った。だが、アークは「そうか」と普通に答える。

「私、だけでいいの? それで、何がわかったっていうの?」

文句のように言うと、アークが笑う。

「すでに話してくれたじゃないか。夢の中の君のことを」

「そ、そういえば、そうだったわ。けど、夢なのに」

「サエリ」

納得いかずに唇を突き出していると、アークが真面目な顔で呼びかけてきた。

「はい?」

「着いてきてくれるんだね? 私の国に、君は一緒に来てくれるんだね? たとえ、二度とここに戻れないとしても」

心臓が激しく高鳴った。覚悟を決めたつもりだったが、改めて聞かれると、心が揺らぐ。

「ねぇ、アーク。ひとつだけ聞きたいの」

「何を?」

「貴方に後悔はない? 本当に私でよかったの?」

アークは驚いた表情になり、そのあと、ふっと笑顔になった。

「この場面で、そんな問いをもらうとは思わなかったよ」

「だ、だって……アークは私を助けるために魔力の受け渡しをしてしまって……後悔してるんじゃないかって……」

「それは、私が危惧していたことだ。君を助けるためとはいえ、魔力の受け渡しを勝手にしてしまった。こんな影響が出るものとは知らなかったが……」

アークは、そう言いながら沙絵莉の髪を手に取り、感触を確かめるようにそっと握り締める。

沙絵莉は急に心配になってきた。桃色の髪になんてなってしまって、アークの目に、へんてこりんに見えてるんじゃないだろうか?

「あの、私、こんなになっちゃって……あの、アーク嫌じゃない?」

「どんな色の髪になろうとも、君は君だ。それに、とても綺麗だ。……銀色が混じり込んでいる」

混じり込んでいるという表現は、的を得ている。

「ほんと。不思議な色」

沙絵莉は、髪を握りしめているアークの手にそっと触れて、呟くように言った。

「受け入れてくれるんだね?」

アークが沙絵莉の手を握りしめてきた。手を取られ、動悸がし、頬がほんのり染まる。

「それは……髪のことを言っているの?」

「それもある。そして、私とともに……」

ドタドタドタと大きな足音が聞こえ、沙絵莉は驚いてドアのほうに振り返った。

足音が止まり、激しくノックする音が響き、「沙絵莉!」と叫ぶ声とともに、ドアが開いた。

母の登場にぎょっとした沙絵莉は、アークから手をもぎとるように離した。

「ど、どうしたの?」

「だ、誰?」

沙絵莉を見つめ、怪訝な顔で叫んだ母は、「へっ?」と叫び、目を真ん丸に見開く。

「さ、さ、沙絵莉?」

「ああ、うん」

母の驚きがなかなかピンとこなくて、戸惑いながら返事をした瞬間、気づいた。

この髪だ!

「なんなの? どうしたのよっ? その頭っ!」

責めるように言われ、沙絵莉は面目ない気分で顔を歪めたのだった。






   
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