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第十六話 お似合いの服
「え、えっと……こ、これは……」
この事態をどう説明したらいいのかと、おろおろしていると、母が両手に腰を当てた迫力のある姿で、部屋の中に踏み込んできた。
「お、お母……」
「もおっ、朝っぱらから」
母の迫力に押されて、両手を差し出したが、母は呆れ顔になってそんなことを言う。
へっ?
「ふたりして、こんなことして遊んでるなんて」
あ、遊んで?
「それにしても、綺麗な色ね。淡い桃色なのに透けてるみたいな……」
母は沙絵莉の髪をひと房手に取り「こんな髪、初めて見たわ」と言う。
沙絵莉だって、こんな色の髪など見たことがない。
いや、そんなことではなく……
この母の態度、合点がゆかない。
「あの、お母さん。この髪」
「いいんじゃない」
笑顔つきの肯定の言葉に、彼女もびっくりしたが、アークも驚いたようだ。
「い、いいの?」
「いいじゃないの。素敵な色よ」
そう言って亜由子は、楽しそうにくすくす笑う。
「陽奈ちゃんが喜びそうだわ。そのままでいらっしゃいな。雅彦さんはギョッとさせちゃうでしょうけど。でも……陽奈ちゃんが、自分もやってほしいって言いそうよねぇ」
「やってほしい?」
アークは意味がわからなかったからだろう、少々困惑気味に口にした。
もちろん、沙絵莉自身も、母が何を言っているのかわからないのだが……
「あの……」
「もうご飯の用意できてるわよ。ジェラちゃんも起きてるし、あんたたちが最後なんだから、早くいらっしゃ〜い」
母は捲し立てるように言い、呼び止める間も与えず部屋を出て行ってしまった。
残された沙絵莉は、アークと顔を見合わせた。
「あの? アーク」
「うむ。どうやら……」
「はい?」
「私が、君の髪の色を変えたのだと思われたのではないかな? 遊んでいると口にされたことからして」
確かに、そのようだった。
「魔法で変わったわけじゃないと知ったら、きっと……」
「動揺させてしまうだろうな」
申し訳なさそうにアークが言い、沙絵莉は苦笑した。
「アーク、もうこうなってしまったのだもの、どうしようもないわ」
「いいのか?」
沙絵莉は肩を竦めて見せた。
これはもう、いいとか、悪いとかではない。髪の色が変わったのは、現実。受け入れるしかない。
「そういえば……」
沙絵莉は改めてアークを見つめた。
アークはパジャマを着ている。グレーのパジャマで、ズボンの丈が短いのをのぞけばいい感じだけど……これって?
「そのパジャマ?」
「ああ。お借りしたんだ。風呂にも入らせていただいた」
そう言われて、彼女はようやく思い出した。
「わたし……昨日の夜……いつの間に寝たの?」
眉を寄せて、ついアークに問いかけてしまう。
「厨房で、君は魔力を使ってしまっただろう? あのあと、みなのところに戻る途中、意識を失ったんだ。それでこの部屋に運んだ」
その言葉に沙絵莉は顔をしかめた。
わたしってば、風呂にも入らず、歯磨きもしていないのだ。
いまさら着ている服が寝間着ではなく昨日着ていた服のままだと気づく。
これは、アークの世界の服だ。アークの母が用意してくれた。
どこかの民族の衣装で、いま人気なのだとかって言っていたっけ。
それにしても……風呂も入っていないし、歯磨きもしていないなんて……。
アークの前で醜態をさらしている気分になり、気まずくなったところでアークがくすくす笑い出した。
自分が笑われているように思え、顔を向けると、彼は笑いながら口を開く。
「君も起きていたら、面色い場面に居合わせられたのに」
「面白い場面って?」
「ジェライドは、ずいぶん可愛い夜着を借りることになってね」
「可愛い?」
そう言葉を繰り返した瞬間、ぴんときた。
ジェライドは子どものサイズになっていた。あのサイズでいたとしたら……借りる服と言えば……
「ま、まさか、陽奈ちゃんの?」
「ああ。着るのをひどく渋っていたから、結局、着なかったかもしれないが」
実際は成人男性だというのに、女の子の服など着たいはずがない。
「そうそう、君に聞こうと思っていたんだ」
「何を?」
「その服の柄だ。果物だと言っていた。この国には、あんな変わった形の果物があるのかい?」
果物の柄? 変わった形ってなんだろう? 陽奈の寝間着の柄と言われても、思いつかない。
「いったい、どんな形をしていたの?」
「うーん。……こう、卵のような形で、黄色くて。ひし形のような模様がついていた。……緑色のものも房のように三つついていたな。名を聞いたんだが……パナッ……プ? いや、パップール?」
「わかったわアーク、きっとパイナップルね」
「ああ、そうだ。そう言っていた。パナップールだ」
「パイナップルよ。それじゃ、わたし、とにかく着替えたいわ」
お風呂にも入りたいけど……。朝食を食べてからにしたほうがいいだろうか?
「そうだ。しばらくはここにいることになりそうなのよね? あなたたちの着替えも必要だし……買いにいかなきゃね」
沙絵莉の言葉を聞いて、アークが顔をしかめる。
「すまない」
「はい? 急にどうしたの?」
「君に迷惑をかけてばかりだ……」
「アーク、気にされたら困るわ。ほら、わたしがいま着ているこの服だって、貴方の国の服をお母様が用意してくださったものなのよ。向こうでは、わたしも迷惑をかけてばかりだったわ。だから、気しないでほしいの」
「サエリ……」
ふっと微笑み、アークは手を上げて沙絵莉の髪に触れてきた。そして、髪を掠めるように撫で下ろす。
親密な感じで、沙絵莉の鼓動が速まる。
彼女は痛いほどに胸をドキドキさせながら、アークの瞳を見つめ返した。
キスの予感だったのに、アークは手を降ろしてしまう。
肩透かしを食らった気分で、彼女はよろけそうになった。そして、そんな自分が気まずく、顔が赤らんだ。
「うん? サエリ、急に顔が赤くなったが……大丈夫かい?」
顔が赤くなったのを、具合が悪くなったのではと、本気で思うとは……
アークって……アークって……アークって……
「サエリ?」
心配そうに顔を覗き込まれ、やつあたりでこっちからキスしてやろうかと思ったが、ぐっと堪えた。
ファーストキスを、そんな自暴自棄的に体験してしまったら、死ぬまで後悔する。
「なんでもないわ」
「気分が悪くなったら、すぐに言うんだよ」
「ええ。わかったわ」
アークの言葉を聞いているうちに、笑いが込み上げてきた。
「パイナップルも、こっちにいるうちに、実物を見せてあげるわね」
「ほんとうかい? 楽しみだな」
「ええ。甘酸っぱくて、美味しいわよ」
沙絵莉が着替えている間、アークには部屋の前で待っていてもらい、ふたりは一緒に階下に降りた。
まず最初に、洗面所に向かう。
洗面所に入った沙絵莉は見慣れたありふれた洗面所に、笑いが込み上げた。
アークの家の洗面所は、とんでもなく不思議だった。特に勝手に洗濯してくれる玉。あれは便利すぎた。あの体験をしてしまうと、この洗濯機では物足りない。母にプレゼントできたらいいのに……
「アーク、先に洗面所を使ってちょうだい。新しいタオルを用意するから」
「ああ。ありがとう」
そう口にするアークの声には笑いがある。
「うん? どうして笑ってるの?」
「昨夜のことを思い出した。このスイドウといったかな……最初、これが水を出す利器だとわからずに、ジェライドが途方に暮れていたんだ。……それに、背丈が足りなくて、このサイズでは不便でしかたがないと、不機嫌になって」
そうか。アークは、すでに沙絵莉のアパートで色々体験して知識も得ていたけど、ジェライドは何もかもが初めてだったのだ。
「それでも、楽しんでいたよ。初めて訪れる国を探索するのは、ジェライドも嫌いではないんだ。ただ、あのサイズでいるのがね」
「わたしから、お母さんに言いましょうか?」
「いや、俊彦殿も言っておられたが、あの姿が、君の母君に受け入れられている。ジェライドには、帰るまであの姿のままでいてもらうつもりだ」
「ジェライドさんはそれでいいって?」
「私がなんですって?」
突然割り込んできた声に振り向くと、洗面所の入り口に、小さな男の子がいた。
その姿を見て、派手に吹きだしそうになり、沙絵莉は必死に堪えた。
なんとジェライドは、陽奈のものだとわかる赤いズボンと黄色いTシャツを着ているのだ。しかも、そのTシャツの柄は、かわいいクマ。クマは小花を手に持ち、愛嬌良く笑っている。
この姿で、先ほどの挨拶をされては、もう笑いを堪えるのも苦しい。
母ときたら、こんな服をジェライドに着せてしまうとは……
「ジェ、ジェライドさん、おはようございます」
笑いを抑え込み、沙絵莉は言葉を返した。
ジェライドは沙絵莉をまじまじと見つめてくる。正確には、ピンクになってしまっている髪をだ。
「これは、サエリ様。失礼をいたしました。こちらからご挨拶すべきところを」
髪について何か言うものと思ったのに、ジェライドは髪のことには触れず、深々と頭を下げて謝罪する。そして腰を折り、片膝をついて頭を下げると、「アーク様、サエリ様、おはようございます」と堅苦しく挨拶をする。
「ジェライド。これまた素敵な服を借りたじゃないか? パナップルの柄の夜着も着たのか?」
楽しげにジェライドをからかうアークに、沙絵莉は顔をしかめた。アークってば。
「アーク様、あの柄は、パナップルではなく、パイナップルというのですよ。そんなことより、これを持ってまいりました。アユコ様が、アーク様の着替えにと」
ジェライドが差し出してきた服をアークが受け取る。
紺色のシャツと、濃紺のズボン。これもパジャマ同様に、俊彦の私服に違いない。
色が地味なくらいで、アークの瞳に安堵の色が浮んでいる。
「うむ。ありがたくお借りしよう」
「ジェライドさん、今日、着替えの服を買いに行きますから」
沙絵莉の言葉に、ジェライドの瞳が輝いた。そしてアーク同様に安堵の色を浮かべた。
「ありがとうございます。そうしていただけますと……」
「似合っているのにな」
「アーク様!」
刺々しくジェライドが呼びかけたが、にやりと笑い返したアークは、さっさと顔を洗い始めた。
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