白銀の風 アーク

第十一章

                     
第一話 嬉しい願い



むむむ……

目を閉じ、眉をぐっと寄せて、交信を試みるが、なんの手応えもなく、微かな感触も得られない。

気を落としつつジェライドは目を開けた。

この国はいったいぜんたい?

ポンテルスと連絡を取ろうとするのだが、まったく反応がないのだ。他の者ではどうかと幾人も試したが、すべて徒労に終わった。

これまで、交信ができなかったなど一度もなかったため、不安に駆られて仕方がない。

通信の玉があれば、もしかすると交信できるのかもしれないが……これまで通信の玉を使用せずとも交信ができたものだから、いま手元にないのだ。

だが、アークはなんの不都合もなく通信ができるのだ。そしてテレポも……

いまさら、アークという存在に、怖れのようなものを感じる。やはり、彼と、彼の父であるゼノンは異種なるひとなのだ。

ゼノンに対して通信を試みれば、通じる可能性はある。が、聖なるゼノンに通信をするなど、ジェライドには畏れ多くてできない。

この国に飛ぶためには、アークが作り上げた特別な玉がなければ飛べないのはわかっていたが、通信さえもできないとは……もちろん、この国の中であれば、テレポも通信もできるが……

アークがサエリの国に飛ぶたびに、ひどく魔力を消費していたことから、特殊な国なのだろうとは思っていたが……何か、それだけではない気がしている。

たぶん、ここは……アークでなければ……聖賢者のみが持つ、特別な力がなければ辿り着けない場所……

ジェライドは、自分の隣に座っているアークをちらりと窺った。

アークは静かに座っているが、朝食後の片づけのため厨房にいるサエリに、意識を向けているのだ。何事かあれば、すぐに飛んで行けるように。

ジェライドは次に、向い側にいるトシヒコに視線を向けた。トシヒコはいま、シンブンというものを読んでいる。

この国で起きたあらゆる出来事が、その紙には書いてあるのだそうだ。

文字が読めるのであれば、これを読めばこの国の知識をごっそり学べるのかもしれない。

ジェライドは、ドアのほうに気配を感じ取り、そっと見やった。ヒナだ。

中にいるものたちに気づかれないようにと配慮しているようで、音を立てないようにゆっくりとドアが開き、ヒナは入ってきた。

ヒナのために、ジェライドは気づいていない振りをする。

やはり、最初の出会いが悪かったようだ。

おねしょをしてしまったことをジェライドに知られてることが、ヒナにとって心の重荷になっているのだ。
ヒナのためにも、できることなら早く消えてやりたいのだが……

それにしても、淡い桃色の髪が可愛い……

サエリの髪の色にかなり似せているが、サエリの髪の色合いは、さすがのアークでも出せていない。

サエリの髪は淡い銀色がかっているのだが、これはただの銀色ではない。この銀の色は、サリスの髪と同様のものだ。

すでにサエリ様は、聖なるひとへと、変化が始まっている……

コトンと音がし、ジェライドは音のした方に目を向けた。

ヒナがテーブルに本を置いた音だ。
彼女は自分の周りにいる男三人にちらちらと視線を向けつつ、静かに本を開く。

三人と、ほんの少し関わりを持ちたいという気持ちも胸にあるようだが、ためらいがあって、そうできずにいる。

かなり複雑な心境のようだ。

へたに声をかけても、萎縮して逃げていってしまいそうだ。

難しいな……

それでも、ジェライドはヒナと親しくなりたいと望んでいる。

ヒナは、自分に近い精神を持っていると思えるからだ。
たくさんのひとに囲まれながらも、孤立しているような……

しかも、この小さき身体で……

自分に向けて差し出されている手を、不安を捨て去り、握り返していいのかと迷うような……

だが、ヒナにはアユコがいる。

ジェライドはアユコのことを頭に思い浮かべ、思わず微笑んだ。

アユコには愛がある。決して裏切ることのない不動の愛が。

子どもの姿になっているジェライドを、本物の子どものように扱うアユコ。

不思議なことだが、アユコはジェライドが潜在意識で望んでいる思いに呼応して、子どもとして接してくれているように感じるのだ。

彼が求めて得られなかったものを、アユコは造作もなく与えてくれる。

生まれ落ちた瞬間、ジェライドは未来の大賢者として、この世に認識されていた。
周りの者達は、幼いジェライドに対して、国の大賢者として接した。

それは両親も同じだった。
母は、ジェライドを自分の子どもと認識していても、普通の子どものようには扱ってくれなかった。

母とジェライドの間には、常に見えない強固な壁が存在していた。

その壁のために、ジェライドは実母の本当のぬくもりも、母という存在だからこその愛も感じることができなかった。もちろん、いまも……

幼いうちに、彼はパンセの弟子となり、パンセとともに暮らすことになった。

両親の住む部族の集落には好きな時に帰れるし、帰れば盛大に歓迎されるが、あまり帰っていない。

帰るたびに、そこに自分の居場所がないことを痛感するからだ。

彼の親族たちは、ジェライドをジェライドとして迎え入れてくれない。母も……

そして、帰るたびに、幼い時から一度も満たされないでいる心を自覚することになる。

それなのに……アユコは……

ジェライドの心の渇きに呼応して潤いをくれる。
ジェライドをジェライドとして受け入れてくれる。

そんなアユコのもとにいるのだから、いまがどうあろうと、ヒナは大丈夫だ。

ジェライドは無意識に、ヒナが見ている本に視線を向けていた。

本に描かれている絵を意識に入れ、思わず眉が寄る。

翼のある動物……まるでガラトのようだ。それも、希少種の真っ白な毛並みをしている。

どうやらこの国にも、ガラトが生存しているようだ。しかも、カーリアン国のガラトよりも、格段に美しい。

「ヒナ、これはガラトだよね?」

興味を引かれ、思わず指をさして聞いた。

ヒナは、彼の問いが突然だったからか、驚いた様子でジェライドを見つめる。

「ガラト?」

先に反応したのは、アークだった。トシヒコもシンブンを置いて、視線を向けてきている。

「本当だ、ガラトに似ている。だが、美しいな」

「そのガラトという動物は、ペガサスみたいに羽根が生えているというのかい?」

トシヒコが驚きを込めて尋ねてきた。

この国ではガラトのことをペガサスと呼ぶのだろうか?

国が違うのだから、種も違うのだろう。

「ガラトは、普通、ダークブラウンの毛をしています。羽根はもう少し明るいブラウンですが……この白い羽根をもつ……ペガ……サス……でしたか、生息しているところに行けば見ることは叶いますか? できれば見に……」

アークがトシヒコに言ったが、トシヒコは苦笑しながら手を振ってみせる。

「いやいや、ここでは、ペガサスというのは空想上の動物なんだよ」

空想上?

「だが、驚いたよ。君らの世界にはペガサスに似た羽根のある馬がいるとはね」

「ガラトはプライドがとても高いので、馬と呼ぶと、機嫌を損ねますよ」

アークが笑いながらトシヒコに言う。
ジェライドも、確かにと、くすくす笑ってしまう。

「い、いるの!?」

突然、ヒナが大声で叫んできた。

「ペガサス、いるの?」

「これとまったく同じではないが……」

ヒナに答えたアークが、ジェライドに向いてきた。
何を言い出すつもりか、その眼差しだけでわかった。

「ヒナさんに、お前の幻で、ガラトを見せてさしあげるといい」

アークは、ヒナとジェライドの中がぎくしゃくしているのを感じ取っているため、そう言うのだろう。

ジェライドはアークに、「かしこまりました」と頷き、ヒナに視線を向けず、両手のひらを合せて前に差し出した。

こうなると、ただの幻よりも、もっと手の込んだものを見せて、驚かせるばかりでなく、ヒナを楽しませてやりたいと、気合が入る。

ただの幻なら一瞬だが、ジェライドは数秒かけ、手のひらの上に、ガラトを出現させた。

「わっ!」

「おおっ」

ヒナが可愛い声で叫び、トシヒコも目を丸くする。

ジェライドの手のひらの上で、翼を畳んでいたガラトがゆっくりと翼を広げる。

「す、凄いな。まるでほんとにそこにいるみたいだ」

「触れられますよ」

「ふ、触れられる?」

「はい。はばたかせて、飛ばせてみましょうか? 舞い上がるときの風も感じていただけます」

ガラトの幻の演出は、ヒナを心の底から喜ばせたようだった。

ヒナの本来の笑顔をようやく引き出すことができて、ジェライドも満ち足りた気持ちになれた。

縮小されたガラトが部屋を飛び回っているところに、ふいにアークが「ん」と微かな叫びを上げ、ピクリと身体を揺すった。

ジェライドは反射的に意識をアークに向けた。

幻のガラトはパッと消える。

「サエリ様が、何か?」

気を張り詰め、アークに問うと、眉をひそめていたアークの表情が緩み、首を横に振る。

「いや……大丈夫なようだ」

「様子を見に行かなくても?」

「……行かないでくれと言われた」

「はい? あの、アーク、誰に?」

「わからない。だが、声が聞こえた……何も心配はいらないと」

どうやら、誰かがアークに直接話しかけたらしい。
アーク自身もわからないようだし、ジェライドとしては、その正体が物凄く気にかかった。

厨房にいるアユコとサエリのところに様子を見に行きたかったが、アークは止めるだろう。

落ち着かない気分でいると、何やら軽快な音が響いた。

「おっ、来たみたいだ」

そう言いながら、トシヒコが立ち上がる。
そのトシヒコの表情には、少し緊張の色がある。

来たとは、やってくる予定の客である、サエリの父親と、その妻に違いない。

サエリ様も複雑な境遇にあるおひとだ。

両親が別々に暮らし、さらに妻と夫がいるとは……

「君らはここで待っていたほうがいいな」

立ち上がったジェライドとアークをそう言って止め、トシヒコは部屋から出て行った。

ジェライドはアークに振り返った。
閉じたドアを見つめているアークは、トシヒコ以上に表情を硬くしている。

「ジェ、ジェラ君……あ、あのお」

その可愛い声に、ジェライドはヒナに顔を向けた。

「ま、また、さっきみたいなの、見せてくれる?」

頬を染め、もじもじしながらのヒナのお願いに、ジェライドの胸は喜びで膨らんだ。

「もちろんだよ、ヒナ」

即座に応じたジェライドに、ヒナがこくんと頷く。

なぜだか、泣きたいほど嬉しかった。






   
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