白銀の風 アーク

第十一章

                     
第三話 楽しくお絵描き



トシヒコが客を迎えるために部屋から出て行き、アークはいささか落ち着きを失くした。

サエリの父と、その妻がやってきたのだろうか?

サエリの父にも、アークを受け入れてもらわなければならないが……

少々不安を感じて眉を寄せたものの、いまは、サエリの母と、その夫も、すでに彼ら受け入れてくれているのだ。心強い。

「ジェ、ジェラ君……あ、あのお」

ドアを見つめていたアークは、そのおずおずとした声に、顔を向けた。

ヒナがまごまごしつつ、ジェライドをチラチラと窺うように見ている。

「ま、また、さっきみたいなの、見せてくれる?」

思わず笑みを浮べてしまう。なんとも、可愛いおねだりだ。

だが、緊張と不安も感じ取れる。

ヒナが必死に勇気を振り絞っているのが、強烈に伝わってくる。

このおねだりに対するジェライドの反応を知りたくて、アークはさっと視線を飛ばした。そして、ふっと笑ってしまう。

このジェライドの嬉しそうな顔といったら……子どもの姿でいるものだからずいぶんと愛らしい。

「もちろんだよ、ヒナ」

ジェライドの喜びの返事に、ヒナがほっとしたように頷く。

ずいぶんとお似合いなふたりだ。

もちろん、ジェライドは成人男性……この姿でいるとき限定だが……

ほのぼのとした気持ちでいると、部屋の空気が微妙に変化していく。

笑顔で頷き合ったふたりだったが、そのあと語る言葉が見つけられないらしく、会話が続かない。静まり返ったことに、ふたりして困っているようだ。

まったく……なんでもいいから、語りたいことを語ればいいのに……

ジェライドなんて、手八丁口八丁……いつもだったら、滞ることなく話し続けられるほどの、話術の持ち主なのに……

「絵でも書いたらどうかな?」

「絵?」

彼の提案に、ふたりは同時にアークに向いて声を揃えた。

「ヒナさん、絵を描くのは好きですか?」

「え……えっと……」

ヒナが緊張しないようにと、ソフトに語りかけたつもりだが、ヒナは小さい身体をさらに小さくして口ごもる。

そんなヒナを見たジェライドは、次に、アークに責めるような目を向けてきた。

やれやれ……

アークはすっと手を上げ、ヒナの目の前の空間に、赤い円を描いた。

「わわ」

ヒナが驚きの声を上げて、うしろに下がる。

アークは赤い円に指で触れて、丸かった円をひしゃげさせた。

ヒナが目を丸くする。

「さ、触れるの?」

「触れますよ。ジェライド、ヒナさんの好きな色を出してあげるといい」

それから小さなふたりは、互いの顔を突き合わせるようにして、空中に絵を描き始めた。

ヒナはこの遊びが気に入ったようで、数分しないうちにキャッキャッと楽しげな笑い声まであげはじめる。

それにしても、ジェライドはヒナのことが気に入ったらしい。

内気な性格のヒナと打ち解けられるのが、なにより嬉しいようだ。

お絵かきに夢中になっているふたりを眺めつつも、アークは玄関のほうに意識を集中していた。

すでにサエリとアユコも揃い、トシヒコとともに客人を迎えているようだ。

その場で話をしているようだが……そろそろこちらに来るに違いない。

そわそわした気持ちでいると、サエリの感情が大きく波立つ。

泣いている?

だが、心配することはないようだ。さらに意識を向けてみると、サエリの気が喜びで満ちてきた。

アークの胸まで喜びに膨らむ。

いったいいま、どんな会話がなされているのか知りたいが、礼儀はわきまえている。他者の会話を盗み聞きするような無礼はしない。

さきほど、厨房にいたときも、サエリは大きく感情が動いた。
ハッとしたその瞬間、「大丈夫よ」と声が聞こえた。

サエリに似た声だった。だが、あれはサエリじゃない。

圧倒的な存在……

眉をひそめて考えていると、視線を感じた。

ジェライドだった。ヒナと遊びながら、アークの様子を窺っている。

まあ、これはいつものことなのだが……

そのとき、微かな足音が近づいてくるのに気づいた。ジェライドも気づいたようだ。

ふたりしてドアに顔を向けていると、「入るわよ」とアユコの声がしてドアが開けられた。

アークはさっと立った。
ジェライドも同時に立ち上がり、アークと並ばないように、ソファの後ろに移動した。

サエリの父と顔を合せるのに、アークと同等の位置にいるべきではないと考えてのことだろう。

ヒナは、ふたりの急な変化に困惑している。

「さあ、どうぞ」

まずトシヒコが入ってきて、ドアに向いて言う。

「わたし、お茶の支度してくるわ。サエリ、あなたふたりを紹介しときなさいね」

「う、うん」

アユコとサエリのそんなやりとりを耳にしていると、男性が入ってきた。サエリの父だ。

シュウゴという名だったな。

続いて女性が入ってくる。こちらはシュウゴの妻、ミツキだろう。

ふたりの姿をさっと確認したあと、アークはシュウゴと顔を合せた。

シュウゴを見て、眉を上げそうになる。

初めて会ったときと、まるで違う。

あのときは、ピリピリと張り詰めた気をしていたのに、別人かと思えるほど気が落ち着いている。

「お父さん、ミツキさん、彼がアーク。それからジェライドさんよ」

サエリが父の横に並び、アークとジェライドを紹介してくれる。

「アーク、父と……ミツキさんです」

「彼は、日本語はわかるのかな?」

シュウゴは、焦りを見せてサエリに聞く。

「ええ。話せるというか……会話できるわ」

微妙な説明に、シュウゴが眉を上げる。

「とにかく、大丈夫。ど、どうぞ座って」

サエリは焦りをみせながら、ふたりに座るように勧めたが、「えっ?」と小さな叫びを上げた。

彼女の目は、さきほどジェライドとヒナが書いていた絵に向けられていた。

「こ、これは……?」

「ああ、すみません」

アークは思わず絵に向けて手を差し出した。

もちろん、せっかくふたりが描いたもの、すぐに消すつもりはなかった。この絵について、説明をしようと思ったのだ。だが、ジェライドは、ひどく慌てたようだった。

「申し訳ございません。消すのを忘れておりました」

ジェライドが謝罪の言葉を口にしたときには、すでに空間の絵は消えていた。

「い、いまのは?」

呆気に取られたようにシュウゴが口にし、ミツキもまた目を丸くしている。

「き、消えちゃった……」

哀しげな小さな声が聞こえた。ヒナだ。見ると、くしゃりと顔を歪めている。

「せ、せっかくジュラちゃんと描いたのに……どうして消しちゃったの?」

アークは戸惑った。ヒナの非難の目は、アークに向いている。どうやらヒナは、絵を消したのはアークだと思い込んだらしい。

「ヒナ様、違うのです。絵を消したのは」

「ジェライド」

アークはジェライドを制止した。

いったん口を閉じたジェライドだったが、否定して首を振る。

「アーク様、私を庇おうとしてくださるのはありがたく思いますが、それではヒナ様に嘘をつくことになります」

せっかくヒナとうまくいっているのだから、この程度の罪、自分がかぶってやっても構わないというのに……

ジェライドはアークに感謝の目を向け、ヒナに向けて頭を下げた。

「ヒナ様、サエリ様のお父上の御前で非礼をしてしまったと慌ててしまい……申し訳ありませんでした」

「どうして、ヒナのこと、ヒナ様って呼ぶの? さっきまでヒナって呼んでたのに」

ヒナから責めるように言われ、ジェライドが顔を歪める。ジェライドとしては、彼の事情であり、大人の事情……だが、ヒナにはそんな事情など理解できないだろう。

「すみません。本来、私の立場では、貴女様のことは、ヒナ様と呼ぶべきなのです」

ジェライドは、このやりとりを黙って見ていた三人に向き直り、深々と頭を下げる。

「皆様、立場もわきまえず、本当に申し訳ございません」

「よく……わからないんだが……」

戸惑いながらシュウゴが口を開く。

「君らは、いったい何者なのかな?」

「魔法使いよ。シュウゴさん」

ドアのほうから明るい声が聞こえた。全員、ドアのところに現れたアユコを見る。

アユコの登場に、アークは思わずほっとしてしまい、そんな自分がおかしくなる。

「そう言ったでしょ。ほらほらみんな、立ってないで座って話しましょう」

アユコはこの場の状況などまるで構わず、テーブルに運んできたトレーを置くと、全員を座らせた。

アークの隣にはサエリが座ってくる。

「ジェラちゃん、なんでそんなところに立ってるのよ。ほらほら、ヒナちゃんの隣がちょうどいいくらい空いてるでしょ、ここに座りなさい」

「で、ですが」

「ですがじゃないの。座りなさいって言ってんの」

反論を受け付けるアユコではない。それがわかったのだろう、ジェライドはヒナの隣におずおずとした仕種で座る。

思わず吹き出しそうになって、アークは必死に堪えた。

カーリアン国では、庶民から讃えられし大賢者だというのに……

いまや子どもの姿で、さらに可愛らしい絵の服を着ているのでは……

ああ、母サリスにこの姿を見せてやりたい。きっと手を叩いて喜ぶに違いない。

帰ったら、幻で見せてやるとしよう。

「それで? サエリが行方不明になったことについては、話した?」

「お母さん、そんな話までは、とてもいってないわ。いま、ヒナちゃんとジェライドさんが空中に描いてた絵が消えちゃって……」

「あら、絵を描いてたの? どんなやつ?」

「アユコさん、野崎さんたちはサエリちゃんが行方不明になった経緯を、まずは聞きたいんじゃないかな。ねぇ、野崎さん?」

「あ……い、いや……」

シュウゴは、困ったように髪を掻き上げて口ごもる。

「行方不明になっていたことについてももちろん聞きたいんだが……魔法使いだということについても……君、アーク君か……その……いまの絵も、魔法なのかい?」

目を合わせてシュウゴに聞かれ、アークは頷いた。

正直、まだヒナが納得してないのがわかり、ジェライドとヒナのことも気になるのだが……

そうだ。もう一度絵を描けばいいのだ。

シュウゴも見て納得するだろうし、ヒナも……

アークはさっきと同じように、空中に赤い円を描いた。

「おっ」

「ま、まあ」

シュウゴとミツキが驚きの声を出す。

「あらま」

アユコは愉快そうだ。

ヒナが笑顔になり、手を出してきた。慣れた様子で円を弄る。

「ま、まあっ、そんなことができるの?」

「ジェライド」

名を呼ぶと、ジェライドは頷いて他の色を出す。

「ちょっとジェラちゃん、わたしにもやらせてちょうだいよ」

アユコが参加し、サエリがアークにキラキラした目を向けてきた。

「アーク、わたしもやりたい」

もちろんアークは、すぐさまサエリ専用に色を出してやった。

「アークさん、貴方もやるじゃないの。ほらほらミツキさん、あなたもやってみたくない?」

アユコは、お絵かきを楽しみながら、うきうきした声でアークにお褒めの言葉をくれ、ミツキまでも誘う。さらに興味津々で眺めていた男性ふたりまでも、照れくさがりながら仲間に加わった。

この場はあっという間に、お絵かきで盛り上がってしまい、いままたアユコの力を見せつけられたアークは、みなの仲間になってはしゃいでいるサエリを楽しみながら、苦笑したのだった。






   
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