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第八話 不思議なぬくもり
わっ、戻った。
見えている物を頭で確認した瞬間、沙絵莉は驚きとともに心の中で叫んでいた。
ここに戻ってくるのはわかっていたのだから、驚くのもなんだが、あまりにも唐突過ぎだ。
ちょっとした前触れなんてもの、まるでないし……
アークが一言、行くよとかって声をかけてくれればいいのに……なんの前触れもなく場面が切り替わるのって、精神的に負担だったりするのよね。
テレポしている当のアークは、なんてことないのはわかるけど……
そ、それにしても……
あ、暑いっ!
ずっと閉め切ってたから……
「サエリ、この荷物はどこに置けばいい?」
「どこでも……」
まずは窓を開けようと考えていた沙絵莉は、アークの問いに上の空で答えながら、自分が手にしている荷物を床に下ろした。
「うん? そこでいいのか?」
「そうじゃなくて、窓を開けようと思って……暑いでしょう?」
窓を開けたが、外も暑いし風もない。それでも、もあっと密閉されていた部屋の中よりはまだましだ。
「荷物は……そうね、ベッドルームにクローゼットがあるの。そこに置いておけばいいわね」
そう考えつつ口にしながらカーテンを開けて網戸にし、エアコンのリモコンを取り上げてスイッチを入れる。
起動させても、すぐに涼しくなるわけではない。
あー、暑い。
ウーロン茶の缶が、まだ冷蔵庫に入っているはず……
「冷たい風を起こす利器だったな。冷たい風を起こす仕組みが気になるが……」
キッチンに向かっていた沙絵莉は、アークの独り言のような言葉に歩みを止めずに振り返った。
「あなたの世界も、季節があるのよね?」
「ああ、カーリアン国は四季がある。……いまは……春だ」
そう口にしながらアークが眉をひそめる。
どうしたんだろうと思いながらも、沙絵莉は冷蔵庫を開けて中を覗いた。
あ、よかった。入ってる。
「過ごしやすかったものね。……そうすると、ここよりふた月くらい遅い感じかしら?」
両手に一本ずつ缶を取り出し、沙絵莉はアークのところに戻った。
「はい。アーク」
「ああ、ありがとう」
そう口にするが、何か気になることでもあるらしく、アークは考え込んでいる。
「どうしたの?」
アークを気にして問いかけつつ、沙絵莉は窓を閉めた。
あとは、エアコンに頑張ってもらおう。
「うん? いや……」
歯切れの悪い返事をするアークに振り返り、沙絵莉はウーロン茶の缶を開けた。
アークが顔を上げてこちらに向いてきた。
「サエリ」
「はい? ねえ、座らない」
沙絵莉はアークを促し、自分が先にソファに腰かけた。アークも沙絵莉の隣に座ってくる。
「チキュウ……と、君は言ったな。チキュウは日本がある惑星……そう聞いたと思うのだが?」
「ええ。そうだけど……それがどうかしたの?」
アークは気難しい顔をしていて、沙絵莉はわけがわからず首を傾げた。
「位置を確認しようとしたのだ」
「はい? 位置を確認って……なんの?」
「ニホンだ」
「日本の位置? 確認って……ごめんなさい。意味がわからないんだけど……」
「カーリアン国から、どの位置にあるのかということだ」
沙絵莉は眉を寄せて、アークを見つめ、彼の言っていることを理解しようとした。
カーリアン国から、どの位置にあるのか?
彼の言っていることを頭に入れ、沙絵莉は目をパチパチさせた。
「わたし、あなたが何を言っているのか……よくわからないんだけど……」
戸惑って聞くと、アークはひどく真剣な眼差しで沙絵莉を見つめ、そして口を開いた。
「調べた結果から、この地は、カーリアンからほど近い、エイジャデの位置にあることになるんだ」
「エイジャデ?」
「ああ。だが、そんなはずはない。間違いだろうと思ったが……ずっと気にかかっていた」
沙絵莉は困惑してアークを見つめた。
アークの言っていることって……?
まるで、彼はカーリアン国と日本が同じ星に存在していると思っているみたいに聞こえるけど……
「あの、アーク?」
「ジェライドが何を言いたかったのか、いまようやく悟れた気がする。……サエリ」
「は、はい」
「ここは我々の世界とは次元が違うのだな?」
恐いくらいの強い眼差しを向けられ、沙絵莉はドギマギした。
「あ、え、ええ……そうでしょう?」
そう肯定すると、アークは目を見張った。
「君は……まさか、最初から知っていたというのか?」
「最初っていうか……ほら、あなたがテレポしたじゃない。あんなことできる人、この世界にはいないし……着ている服も見たことないデザインだったし……テレポで花の祭りに連れて行ってもらって……そうなんだって確信したけど」
「異次元は、君たちにとって不可思議なものではないのか?」
そんな問いを向けられて、沙絵莉はさらに戸惑った。
「不可思議に決まってるでしょう。あなたがパッと現れたり消えたりして、そのたびにすっごく驚いたわよ」
「テレポは、たいがいの者が驚くんだ。他の国でも、私の国でも馴染みのある技ではないからな」
「そ、そうなの?」
「君はテレポを知っていて、すぐに受け入れた。……まさか、次元の違う惑星だったとは……」
アークは考えるほどに困惑が増したかのように、額を押さえソファにぐったりともたれてしまった。
だが、沙絵莉のほうこそビックリだ。まさか彼が、ここが自分の住んでいる世界とは違う世界だと知らずにいたとは……
「驚いたわ!」
驚いた勢いで叫んだら、アークが不審な目を向けてきた。
「君は知っていたんだろう?」
「だ、だから、わたしはあなたが知っていると思っていたのよ。わかっていて、ここに飛んできてるって」
「異次元を飛び越えていたなんて……わかるわけがない。これまでそんな体験はしたことがない」
その告白に、沙絵莉は目を丸くした。
「そ、そうだったの?」
「ああ」
「わたしは、あなたがいろんな異世界を飛び回っているものだとばかり……」
「そんなはずないだろう」
ありえないというように言われ、沙絵莉は唇をへの字に曲げた。『そんなはずないだろう』なんてアークが口にするなんて、こっちが、なんの冗談だと言いたい。
「しかし……なんてことだ」
いまさら激しく動揺したようで、アークは目を泳がせて呟く。
マジですかと言いたい。
異世界に飛ぶという事態は、アークにもありえない特殊なことだったなんて……
それとわかってひどく動揺しているアークを見て、沙絵莉はだんだん笑いが込み上げてきた。
「ぷっ! あはははは……」
腰を折って笑っていると、アークから「サエリ」と不服そうに呼ばれた。
沙絵莉は顔を上げて、アークと目を合わせた。
「だって……まさか、そんなつもりなかったなんて、思わなかったんですもの」
笑ってしまって、ちょっと反省しつつ沙絵莉はアークに言った。アークは仕方ないと思ってくれたのか、息をつくと、ソファにもたれて腕を組んだ。
「異次元に飛べる利器を、わたしは知らず造ったのか」
「えっ、アークあなた、そんな凄いものを自分で作ったの?」
「ああ」
こともなげに肯定され、サエリは仰天した。
「す、凄いじゃないの! いったいどんな利器なの? 見せて、見せて」
沙絵莉は彼にせっついた。
「君はもう見たことがあるぞ」
「はい? 見たことが……」
戸惑って口にしたら、アークは自分の首元に手を持ってゆく。その瞬間、そこにアークの身につけている首飾りが現れた。
これは、母と連絡を取ろうとして使わせてもらった首飾りだ。
「ま、まさか、それが、異世界を行きできるようになっちゃったアイテムなの?」
「そうだ」
平然と答えるアークに、笑いが込み上げてならない。
「あなたってば、もおっ、いったい何者なのよ?」
くすくす笑いながら言うと、アークが眉をひそめる。そんな反応を予想していなかった沙絵莉は、笑いを引っ込めてアークを見つめた。
「どうしたの?」
「いや……そうなのかと……ようやく実感できた。……君が、異次元の世界の者なのだということも……」
アークは、驚きの表情で沙絵莉を見つめ、まるで感嘆したように首を横に振る。
「ここは異世界なのか?……そして君は、異世界の者……」
さらに自分に納得させるかのように、アークは繰り返す。
彼女は顔をしかめた。
アークときたら、わたしのことを特別なものを見るような目で見つめてくる。
「アーク、あなただって、わたしにしたら、異世界のひとじゃないの」
指摘すると、アークは面食らった様な顔をしたあと、いくぶん納得した表情になった。
「あ、ああ……そうなるな」
そう答えながらも、まだ沙絵莉を見る目は変わらない。
「ねぇ、アーク。そんなことより、異世界に飛べるアイテムなんてもの……ほんとに偶然にできちゃったの? こう、バーンと爆発とかしちゃったりして。ねぇ、どんな感じで出来上がったのか、教えてよ」
沙絵莉は頭の中で、これまで読んだことのあるファンタジーの映画や小説のシーンを思い出しながら尋ねた。
「それはここでは教えられない。秘儀なのだ」
「ヒギ?」
「カーリアン国に戻ったら、教えてあげよう」
戻ったら、か……
「あの……アーク……いつくらいに戻るつもりでいるの?」
「君次第だ」
「わたしが決意したら戻るってこと?」
「そうだ」
「も、もし、わたしが一年も二年も決意できなかったら?」
沙絵莉の問いに、アークは困ったような表情になった。さすがにそれは困るということなのだろう。
「アークの希望は?」
「明日」
即座に言われ、沙絵莉はどきりとした。目を見張ってアークを見つめると、アークはふっと笑って沙絵莉の手をそっと取る。
「私の希望だ。ジェライドは今すぐと言うだろう。そして、もちろん君の希望を最優先する」
明日に、いますぐ……わたしは……
「大丈夫だ。サエリ、落ち着いて」
「えっ?」
取られていた手をぎゅっと握りしめられ、沙絵莉はアークを見つめた。
「あまり動揺しては、魔力が急激に膨張するぞ」
「膨張してた?」
「わからないかい? 手を見てごらん」
「手?」
アークは、沙絵莉の手のひらを開いてみせる。
「私が魔力の通り道を作ったために、魔力が膨張すると、手に放出されるみたいだな」
「そ、そうなの?」
「わからないかい? 自分で感じないか?」
沙絵莉は首を横に振った。そんなもの感じない。ただ……
「熱いかも……腕と手のひらが……」
「確かに熱を発しているな。君の意識か、身体の抵抗があるんだろう」
「抵抗? 魔力が膨張すると、自然に熱を発するとかじゃないの?」
「魔力を制御できない幼子は……そのようだな」
幼子?
そういえば、アークからも、彼の父からもそう言われたんだっけ……
いまの自分は生まれたての赤ん坊と同じ……いや、それ以下なのだと。赤ん坊でも本能でできることすら沙絵莉にはできないのだと。
「でも、アークが秩序を持たせてくれたんでしょう?」
「君の魔力はバラバラだったからね。私の魔力が混じり、いま秩序は持てている。
「秩序は本能とは違うの?」
「もちろん違う。君は魔力を感じられていない。まずは、魔力を種類別に感じられるようにならねばならない」
魔力に種類があるっていうのはわかるけど……種類別に感じるなんて、できるんだろうか?
だって、熱いだけだし……
「大丈夫だ。不安に思うことはない。必要なことは私が教える。少しずつ学んで行けばいい」
アークが手を握り締めてくれているからか、いつの間にか熱いくらいだった腕の熱も引いている。
胸にあった不安も、熱と一緒に引いていった感じがした。
「そうよね。魔力がなくたって、生きるのに困ったりしなかったんだし」
楽観的になった沙絵莉は手にしている缶の存在を思い出し、ごくんと飲んだ。
冷たいウーロン茶が喉を通ってゆくのを心地よく感じながら、沙絵莉はほっと息をついた。
アークが自分を見つめているのに気づき、沙絵莉は彼の顔を見上げた。
「アーク、飲ま……」
そう口にした時、触れているアークの手に不思議なぬくもりを感じた。
えっ、と思って手に視線を向けると、ゆっくりと何かが伝わってくる。
痺れてくるようでもあり……繊細な振動のようにも感じられる。
なんなの? この痺れ……なんだかひどく落ち着かない……
「サエリ」
アークのその呼びかけに、心臓がトクンと跳ねた。
「は、はい」
「こちらに向いて」
視線を逸らしていた沙絵莉は、アークの呼びかけにごくりと唾を呑み込んだ。
いま、アークの目を見たら……何かとんでもないことになる気がする。
「サエリ」
これまで耳にしたことがないほど、アークの声には甘い響きがあり、沙絵莉の意識は、すでにその甘い響きに絡めとられていた。
彼女は無意識にアークに顔を向けた。
ピンポーン。
その音に沙絵莉はびくりと身を震わせ、次の瞬間ハッと我に返った。
目の前にあるアークの顔をじっと見据える。アークも沙絵莉の顔を見つめているが、彼もまたハッと我に返ったばかりという感じだ。
「あ……だ、誰か来たみたい」
誰かって……由美香と泰美に違いないのだが……
沙絵莉は慌てて立ち上がり、玄関に急いだ。
きっと顔は真っ赤になっているだろう。
ぼおっとしてしまってて、よくわからないけど……たぶんキスする直前だったはずで……
ほっとしているのかがっかりしているのか、沙絵莉は自分でもわからなかった。
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