|
第十話 少々でない頭痛
友達の由美香を前にし、沙絵莉の焦りはマックスまで上り詰めていた。
由美香がやってくる前に、この部屋の真下に住んでいるおしゃべり好きの奥さんがやってきたのだ。
間違いなく由美香だと思っていたものだから、人違いにそりゃあもう、焦ってしまって……
ここにも警察が来たとのことで、沙絵莉の身を案じくれていたらしい。
上から足音がしたから、戻って来たのかと思って……と言っていた。
アークなんて、奥さんのことを、わたしの友達だと思い込んで接するし、まるきりトンチンカンなやりとりになっちゃって……
いまになって、不審に思っていないといいけど……
だいたい、あの奥さんが、コスモス街道で人が消えたとか、宇宙人じゃないかとかの、うさん臭い情報をわたしの耳に流しこんでくれたひと。
で……まさに、それがアークだったのよね。
あの宇宙人が、このアークじゃないかなんて、ぴんときたりしていないわよね?
まさかよね?
いまのアークは、カジュアルな現代の服を着ているのだ。
日本人には見えなくても……宇宙人やら異世界人だなんて、現実離れした発想に至るわけがない。
たとえそれが真実だとしても……
頭の中でそれらの思考を一気に駆け巡らせ、沙絵莉は強張ってしまっている自分の顔に手を触れた。
「え、えーっと、由、由美香……いらっしゃい」
そう挨拶してしまい、激しく後悔する。
なに言ってんだか……違うし……
この場合、心配させたお詫びをまず……
「う、うん。こ、こんにちは、沙絵莉」
は?
見当違いの言葉を繰り出して気まずく思っていたのに、この友ときたら、沙絵莉の言葉に素直に返す。
よく見れば、由美香の瞳は、動揺たっぷりに泳ぎ回っていた。
沙絵莉を見ているが、その視線は、ちらっ、ちらっと、アークに向けられていて……
これって……
そ、そうか、アークが誰だかわからずに、困惑してるんだ?
いやだもおっ、誰より動揺しているのは、この自分だ。
「あ、あの、このひとは……ア、アーク……さん、です」
敬称に迷い、さんと口にする。
そういえば……アークって、苗字は? あれっ? ないんだろうか?
そ、そういえば……ジェライドさんも名前だけしかきいてないし……つまりそれって?
「ア、アークさん? ……あ、あ、あのっ、初めまして」
由美香は勢いよく頭を下げたが、何を考えているのか、アークはそんな由美香を無言で見つめる。
その無言で由美香をさらに動揺させてから、彼は軽く頭を下げた。
「あ、ああっ、そ、そ、そうか。そうよね。ナ、ナ、ナイスミミミ、チュー……あ、あ、ち、ちが……ハ、ハウ……デュ、デュ、ユ……ディュー」
英語は得意なはずの由美香なのに、声が裏返り、せっかくの英会話は無残なものだった。
その様はあまりに痛く、沙絵莉は思わず片手で顔を覆ってしまう。
アークは普通に会話ができるのだと教えようとしたが、アークが「こんにちは」と口にし、さらに話を続ける。
「ですが……初めましてでは、ないのですよ」
思案しつつアークが言う。
その様子には焦りはなく、落ち着き払っている。
それにしても……初めましてではないって……?
それはそうなんだけど……まさか、あのときのことを話そうと思ってる?
でも、アークは由美香たちの記憶を封印したんだし、いまさら真実を話す必要は……
「アーク」
焦って声をかけたが、「まあっ」と由美香が叫び、沙絵莉は友に視線を戻した。
「日本語、話せたんですか?」
「……話せます」
少し言葉に詰まったあと、アークが答え、由美香は何をどう思ったのか、顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい。話せないと思ったから……」
ああそうか。さきほどのちょっと無様な英会話のことで、恥をかいたと思ったらしい。
だが、アークの耳には……たぶんだけど……あの翻訳してくれる魔法の首飾りのおかげで、英語としてじゃなく、自分の言語として聞き取ったはず……よね?
それなら、わたしだって首飾りをつけてるわけで……でも、いまのは英語として聞き取ったけど?
……この首飾り、異世界用? いや、そんなわけないか?
なんか無性に興味が湧いてきた。英語にフランス語、ドイツ語、どこの言語も聞き取れるとすれば、わたし、傍から見たら完璧なスーパーバイリンガルってことに……
いやいや、そんなことを嬉しがっている場合ではなかった。
「サエリ?」
アークから呼びかけられていることに気づき、沙絵莉はハッとして彼に振り返った。
「は、はい」
「とにかく、この方に入っていただいてはどうだろう?」
「そ、そうよね」
そのとおりだ。わたしときたら……
「ごめんなさい。ぼーっとしちゃって」
顔を赤らめてアークに小さく頭を下げ、沙絵莉は由美香に目を戻した。
「ごめん。由美香、さあ、あがって」
「う、うん。……お邪魔する」
もごもごと言い、由美香は靴を脱いで上がってきた。
アークはそれを確認し、先に居間に戻って行く。
由美香を気にしつつも、アークに続こうとした沙絵莉は、ぐいっと腕を掴まれ、振り向かされた。
「ちょっと、どういうこと?」
少し正気に戻れたのか、由美香が噛みつくように詰め寄ってきた。
当然だ。
「それが……い、色々とあって……」
「なにが色々あったのよ?」
早口に問い質してくる。
アークのいないところで、情報を得たいのだろう。
「そう簡単に話せないの」
そう言って由美香の背を押すが、彼女ときたら、足を踏ん張って抵抗する。
「由美香」
「いったいどこで、あんなひとと?」
由美香はアークのいる方向に指をさして、困惑顔で聞いてくる。
「戸惑うのはわかるけど、順序立てて話すから」
アークが異世界のひとというのは、由美香には内緒にするとしよう。
急いで駆けあがったために、階段から足を踏み外して落ちたと話して、たまたま通りすがったアークに助けられた。
そして意識が戻るまで介抱してもらっていたと……
うんうん、これで辻褄は合うんじゃないだろうか?
由美香たちも納得してくれそうだ。
異世界だの異世界人云々の話を持ち出したら、また説明が大変だし、納得してもらうまで相当時間がかかってしまって大変だ。
「そんな悠長……あっ、そうだ。あんた、いったいどこに雲隠れしてたのよ。本当に事件性とかじゃなかったの?」
「だから説明するから」
「サエリ」
玄関先で揉めていると、不審に思ったのだろうアークが戻ってきてしまった。
由美香はぎょっとしたように身を竦め、その次の瞬間、無理やりに愛想笑いを顔に張りつけ、「さ、沙絵莉」と彼女の腕を引っ張って、アークのほうに歩いてゆく。
やれやれ……
沙絵莉は疲れを感じつつ、由美香に腕を引っ張られながら居間に入った。
「ふたりとも、座って話しましょう。由美香、喉は乾いていない?」
「そんなのあとでいいわ。とにかく話を聞かせて」
ラグの上に座りながら、由美香は固い表情で促してきた。
アークは由美香とテーブルを挟んで座ったのを見て、沙絵莉は迷った末に向かい合っているふたりの横の位置についた。
アークと並んで座るのは、由美香の手前、ちょっと恥ずかしい。
「封印した記憶を戻そうか?」
アークが沙絵莉に顔を向けていい、唐突な発言に彼女はびっくりした。
「ええっ?」
「封印は一時的に施したもので、永遠ではない」
「あ、アークってば、そんな話を彼女の前でしちゃ……」
沙絵莉は慌てて由美香の様子を窺った。だが……
「え?」
「大丈夫だ。少し意識を霞ませている」
い、意識を?
確かに由美香は、ぼうっとした表情で、前方を見つめている。
「アーク、こんなことして。大丈夫なの?」
「ああ。なんら害はない。どうするか決めたら、すぐに解く」
「もおっ!」
戸惑わされたむかつきで、沙絵莉はアークの胸を叩いた。
「いけなかったか。すまない」
申し訳なさそうな表情で、頭を下げるアークを見て、今度は笑いが込み上げてくる。
「もおっ」
今度は笑い交じりに言い、改めて由美香を見つめて考える。
「貴方が異世界のひとだということは、彼女には内緒にしておこうかって思ったんだけど……封印はそのうちに解けちゃうの?」
「完璧な封印を成してはならないんだ。脳と精神になんらかの害を及ぼすからね」
そうなのか?
「それじゃ、結局、話すよりないのね?」
いずれひょっこり思い出してしまうのでは、由美香を混乱させてしまうことになる。
いま話さないわけにはゆかないということだ。
ならば、仕方がない……
「それじゃ、どうするの? この状態で、封印を解くの? それとも説明してから?」
「説明してからのほうがいいだろう。このまま思い出してしまったら……たぶん、パニックになる」
「そ、そうなの?」
「では」
アークは頷いて言い、由美香に向いた。
その次の瞬間、ふっと由美香の表情が変化する。
パチパチと二度瞬きし、沙絵莉を見る。
その眼差しに、次に自分はどうすればいいのかわかず、沙絵莉は戸惑って口ごもった。
「沙絵莉」
眉を寄せて、由美香から名を呼ばれ、「う、うん」と返事をしたものの、何をどうはなせばいいのかわからない。
沙絵莉は救いを求めてアークに向いた。
アークは沙絵莉を見つめ、小さく頷くと、由美香に向く。
「では、私からお話しさせていただきましょう」
アークに言われ、由美香が顔を赤らめて頷く。
「私は、この世界の者ではないのです」
「えっ?」
あまりにストレートな告白に、由美香がぽかんとして叫んだが、沙絵莉も叫びをもらしかけた。
アークってば……
「私自身、そのことを知ったばかりで、困惑しているのですが……」
異世界から、自ら飛んできておいて、困惑してるとか……彼が言うことじゃないと思うが……
突っ込みたいが、ぐっと我慢する。
「ええっと……あの」
由美香は怯え顔で、ぎこちなく沙絵莉に視線を向けてきた。
このひと、大丈夫なの? と、その目が語りかけてくる。
少々でない頭痛がしてきた。
|
|