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第十四話 十分後の驚愕
うん?
目覚めて、その瞬間、ぱかっと瞼を開けた泰美は、戸惑った。
なんじゃ?
何か知らないが、見知らぬ場所で寝ている。
これって夢?
そう思って、両手を顔に持っていこうとしたが、腕になにやら違和感がある。
な、なんじゃこりゃ?
管? なんでこんなもん? と思ったところで、ようやく気づいた。
ここって病院じゃん?
そういえば、今朝、頭がふらふらしちゃって……
今日も沙絵莉を探しに、思いつく場所に行ってみようと思って、玄関で靴を履いてたら、目の前が急に真っ暗になって……
ははーん、あのときわたし、倒れたのか?
それでいま、病院にいると。
……で?
いま何時で、わたしの家族らは、いないのか?
見回すあたりにひとはたくさんおれども、患者やら看護師ばかり。
部屋はだだっ広く、ベッドがいっぱい並んでいる。
どうすりゃいいんだ。まずは看護師さんに、目覚めたので帰ってもいいですかと、聞いてみるとするかな?
「あのぉ〜?」
一番身近にいる看護師さんに、ちょい声を張り上げて呼びながら身を起こす。
別に眩暈もせず、そこそこ元気だなとほっとする。
たっぷり睡眠を取れたようで、頭も身体もすっきりしてる。
「あ、あら、急に起きちゃ駄目ですよ」
話かけた看護師はすぐに気づき、急いで歩み寄ってくる。
「すみません。でも、もう大丈夫みたいです。あの、わたしの家族とか……は?」
「お母さんがついてらしたんだけど……ああ、戻っていらしたわ」
看護師さんの言葉どおり、母が姿を見せた。目を合せて、手を振る。
「ママ」
「目が覚めたのね……どうもすみません」
母親が看護師に頭を下げると、看護師は「いいえ」と職務に戻って行った。
そこから五分、泰美はみっちり説教を食らうことになった。
「と、ところでさぁ。電話かけたいんだけど」
「由美香ちゃん?」
「うん。わたしの携帯何処かな?」
「バッグの中よ。でも、ここじゃ駄目よ。点滴終わるまで待ちなさい」
点滴か……確かに。
点滴の容器を見ると、まだ半分ほど残っている。
「どのくらいで終わるのかな?」
「一時間……くらいじゃない」
「そ、そっか……あのさ、ママ悪いけど、携帯確認してみてくれない? 由美香から連絡きてるかもしれないから……もしかすると、沙絵莉が見つかったって連絡あったかもしれないし」
「……わかったわ。確認して、わたしから由美香ちゃんに電話してみるわね」
娘の気持ちを理解したうえで、気遣ってくれる母に、感謝が湧く。
「うん……助かる」
「こんなことで泣きなさんな。沙絵莉ちゃん、きっと見つかるわよ」
「う、うん」
母はすぐに出て行った。
後姿を見送り、少しだけほっとし、滲んだ涙を手の甲で拭う。
沙絵莉ちゃん、由美香ちゃんと親しげに呼ぶものの、母はまだふたりに会ったことはない。
すっかり知り合いのような気持ちでいてくれる母が、実は大好きで自慢だったりする。
母が戻るのを首を長くして待っていると、案外早く戻ってきた。
「どうだった?」
「ええ。見つかったみたいよ」
「ええっ? ほ、ほんとに? そ、それで沙絵莉は?」
「ちょっと待ってよ」
母は近くに置いている丸椅子を引っ張ってきて座り、母愛用のメモ帳を取り出して開く。
なんだ?
「えーっとね、(沙絵莉、無事帰還。あんた何やってんのよ。馬鹿! 先に沙絵莉のところに行っとくからね。携帯の電源は常に充電しなっ。お馬鹿なんだからっ!)とのことよ」
「はいーっ?」
いや、由美香らしいのだが……
「ママってば、こんなところでそんなメール、律儀に全部読み上げなくなったって」
「あら、だって全文正しく読まないと、勝手に省略したり、つけ足したりしちゃ、由美香ちゃんの思いを正しく受け取れないでしょ?」
「もおっ、わかったよ。いいよ、もう」
自分に集まっている周囲の視線を避けつつ、泰美は頬を膨らませた。
「それでママ、メールで安否がわかったから、もう由美香には電話しなかったの?」
「したわよ。メールのその後も気になるし、由美香ちゃんに直接聞かなきゃ、事態がわからなくて、あんたも気になるでしょ?」
「それはそうなんだけど……なら、メールの内容暴露する必要なかったじゃん。由美香から聞いたこと話してくれれば」
「出なかったのよ」
「うん? 由美香が?」
「そう。呼び出しはするんだけど……どれだけ待っても出なかったの」
「……それって、電車かバスに乗ってるってことかな?」
沙絵莉のところに向かっているところだったかもしれない。
「ねぇ、最初のメールが届いてたのって、何時くらいかわかる?」
「一時間くらい前だったと思うわよ。たぶんだけど」
泰美は眉をひそめた。
それだと変だ。由美香のところから沙絵莉のアパートまで、三十分もあれば着ける。
「もう沙絵莉のアパートについていなきゃおかしいのに……」
「沙絵莉ちゃん、実家にいるんじゃないの? そりゃあもう、ご両親も心配されてただろうし。戻るとすれば……」
「あ、ああ。そっか。きっとそうだよ」
沙絵莉の実家は、残念ながら泰美は知らない。アパートより遠いことは確かだ。
「それじゃ、由美香は実家に行ったんだね。……ねぇ、わたしまだ病院を出られないのかな?」
苛立ちながら、自分をここに縛りつけている点滴の管を睨んでしまう。
「点滴が終わってからの話じゃないの。ほら、あと十五分もあれば終わりそうよ」
確かに、さっき確認したときより、半分くらい減っている。
それからあと、泰美は、ひたすらじりじりしながら、点滴が終わるのを待つことになった。
「あー、出られたぁ。良かったぁ」
病院の玄関を出て、泰美は大きく腕を伸ばした。
「あんたってば、ひとを心配させて」
「あっ、そうだった。ママ、ごめんね。迷惑かけちゃって……ありがと」
改まって頭を下げる。
「いいわよ。沙絵莉ちゃんのことが気になってるでしょ? ほら、さっさと電話かけなさい」
「うん」
手にしていた携帯の電源を入れ、由美香にかける。
呼び出し音を聞きながら眉を寄せて待つ。三回のコールで由美香は出た。
「泰美。あんた病院って、どういうこと!」
開口一番、噛みつくように由美香が言う。
「い、いや……なんで知って……ああ、ママ?」
駐車場に停めてある車に向って、肩を並べて歩いている母親に問う。
「ええ。もちろん、あんたの現状もメールで知らせといたわよ。気が利くでしょ?」
「まあ、ありがとう」
母に頭を下げ、由美香に話しかける。
「ごめん。心配かけて」
「大丈夫なの?」
「点滴受けたからね。それに寝不足のせいだし、病院で充分寝たから」
「そう。よかったわ」
「それより、沙絵莉は? 無事帰還って話だけど……大丈夫だったの? 色々な意味でさ」
「うん。……心配するようなことはなかった」
その由美香の言葉は、なぜかひどく疲れを帯びて聞こえた。
「沙絵莉は? 話せる?」
「話せるけど……電話より、もう直接会って話すって。うん?……」
小さな話し声が聞こえる。由美香と沙絵莉の声だと思える。それに……もう一人……
これって、男のひとの声だよね?
いったい誰が……? あ、ああ、笹野かな。彼も必死で探してたからなぁ。
ちょっと胸がちくんとし、痛みには気づかなかったことにする。
「いま、どこにいるの? 家?」
「えっ? ああ、いま病院の駐車場。これからママの車に乗り込むところ」
「そっか。なら……どうする?」
また向こう側で相談を始めたようだ。
「家まで、どのくらいかかるの?」
「近いよ。十分くらい?」
「わかった。……沙絵莉によれば、十分したら、あんたんちに行くって」
「十分? えっ、ふたりはいまどこにいるの? 沙絵莉の実家じゃないの?」
「いまは沙絵莉のアパート。ふっ」
うん? 由美香の最後の笑い、ずいぶんとシニカルな響きだったけど……?
「あ、あのさあ。十分じゃ来れないよね?」
「正しい突込みありがとう」
さらにシニカルな声で礼を言う。
由美香、あんた、いったいなんなんだ?
「いや、正しいとか、突込みって、意味わかんないんだけど……」
「これから、あんたは驚愕することになるよ。たーっぷり驚愕するといいよ。ほんじゃ、十分後ね」
それで電話は切れた。
助手席に座っていた泰美は、運転席にいる母に顔を向けた。
「どうしたのよ? 変な顔して」
「い……いや、なんか、さっぱりわけわかんなくて……うちに来るって。十分したら」
「あら、ああ、そういうこと」
納得したように母が言い、泰美は「へっ」と声を上げた。
「あんたが倒れて病院にいるって知ったから、心配して来てくれてるんでしょう。そういうことなら、もう安心していいんじゃないの。沙絵莉ちゃん失踪の理由はまだわからないけど、そんなふうに動けるってことは、何も問題がない証拠だもの」
それはそうだ……だが……
「けどね。なーんか、よくわかんないんだけどさ……驚愕しろとかって言われちゃって、なんのこっちゃか、意味がわかんなくてさ」
「あら……それは興味を引かれるわ。何があるのかしらね?」
聞き返されても困る。
「あっ、いけない。とにかく帰らなきゃ。ふたりが来るより先に帰りついて、部屋をそれなりに片づけないと、まずいわっ!」
急に真顔になった母は、エンジンをかけるとすぐさま駐車場を出てアクセルを踏み込んだのだった。
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