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第五話 受け入れたくない答え
前屈みになっているサエリの背に手を当てて癒しを施したアークは、心配しつつ彼女の顔を覗き込んだ。
「サエリ?」
アークは眉を寄せた。
サエリが何やら手にしている。だが……こんなもの、彼女は持っていなかったはず?
「えっ?」
それはなんなのかと問おうとしたら、サエリが当惑した叫びを上げた。
小箱を見つめ、面食らっている。
「な、何?」
困惑した叫びを上げ、サエリは小箱を放った。
アークは思わず手を伸ばし、落ちる小箱を手で受け止めた。
「そ、それ、なんなの? なんでわたしが……?」
サエリは自分の手のひらを見つめ、それからアークが手に持っている小箱を見る。
ひどく気味悪そうにしている。
「わたし……無意識に泰美のところから持ってきちゃった。……なんてこと……。う、ううん! そんなことしてないし!」
当惑顔のまま、サエリは自分を疑う言葉を口にしていたが、ハッとしたように強く首を横に振って完全否定する。
「サエリ、落ち着いて」
他に言葉のかけようがなく、サエリをなだめる。
「あら、戻ったのね」
家の奥からアユコが姿を見せた。そのまま急ぎ足でやってくる。
戻ってきた場所は玄関先だった。
「ほら、ご飯の支度できてるわよ。上がりなさい……うん? 沙絵莉、あなたどうしたの?」
娘の表情がおかしいことに気づいたらしい。アユコは首を傾げてサエリに問う。
「う、ううん、なんでも……た、ただいま」
正体の知れない小箱のことを話題にするのを避け、サエリは靴を脱いで家に上がる。
サエリが靴を脱ぐのを見て、アークはそうだったと思い出した。この世界では靴を脱いで家に入るのだった。すでに何度か経験したのに、まだ馴染めていない。
ジェライドにテレポを任せてよかった。自分がテレポしていたら、家の中に戻ってしまっただろう。
「アーク様」
アユコやサエリに続いて家の奥に向かい始めたところで、後ろについて来ていたジェライドが小声で呼びかけてきた。緊張したように、その声は張り詰めている。
そっと振り返ると、意味深な目を、小箱を持っているアークの手に向ける。そして手を伸ばしてきた。この小箱を渡してくれというのだろう。
アークは小箱を顔の前に持ってきて観察しようとしたが、目にも止まらぬ速さで小箱はジェライドに奪われていた。
「ジェライド」
責めるように呼んだが、ジェライドは「危険です!」と声を潜めて叫ぶ。
「あ、あの?」
前を歩いていたサエリが、ふたりのやり取りに気づき、振り返って声をかけてきた。見ると、アユコも眉を上げてこちらを見ている。
「どうしたの?」
戸惑った様にアユコに聞かれる。
小箱について、これ以上ジェライドとやり合えない。
「いえ、なんでもありません」
アークがそう言った時、前方の扉が開けられ、ヒナがひょこっと顔を出した。
「あっ、陽奈ちゃん、ただいま」
「お、おかえりなさい」
恥ずかしそうに返事をした陽奈の視線は、控えめにジェライドに向く。それにいち早く気付いたジェライドは、にっこりと微笑みかけた。
「ヒナ、ただいま帰りました」
「お、おかえりなさい」
顔を赤らめ、ヒナはぼそぼそとジェライドに言葉を返す。だが、とても嬉しそうだ。
ジェライドの手に、すでに小箱はない。いつの間にやら自分の懐にしまい込んだらしい。
気になってならないが……後でということになるだろう。
「アーク、あの? わたし……」
困惑を見せて、サエリが話しかけてきた。
「心配はいらない」
実のところ、その言葉にはなんの根拠もなかったが、サエリを安心させるために言っておく。
それでも、あの小箱に嫌な感じはなかった。それよりも、落ち着かない気分でいる。
あの小箱……似ている。だが、あれは私のものではない。
そのあと、そのまま夕食ということになり、小箱のことは置き去りとなったまま、夜中になった。
湯浴みをさせてもらい、トシヒコとアユコに挨拶をして、サエリとともに彼女の部屋に向かう。
「アーク、あの小箱はどうしたの?」
ふたりきりになった途端、サエリが聞いてきた。
「ジェライドが持っている」
ジェライドはずっとヒナと遊んでやっていたが、三十分ほど前、寝ることになった彼女について行った。
「あれって……どうしてわたしがあんなものを持ってたのか? さっぱり意味がわかんないんだけど……」
サエリは、まるでアークに問うように言う。だが、彼にだってわからない。わからないが……
「わたし、泰美のところにあったものを、知らない間に掴んで持ってきちゃったんだと思う?」
不安そうに話すサエリに、アークは笑みを返した。
「心配いらない。そういうことではないだろう」
きっぱり言うと、サエリはほっとした表情を見せたが、今度は恐れるように顔を歪める。
「な、なら……どこから?」
「サエリ、とにかく小箱を見てみよう。ジェライド」
宙に向けて呼びかけると、目の前にジェライドが姿を見せた。
「ヒナ殿は?」
「はい。お休みになられました」
返事をしつつ、ジェライドは手を軽く上げた。すると小箱が現れた。
小箱は、宙で静止している。
「問題はなさそうなのですが……無闇に触れないほうがよろしいかと」
ジェライドが提案してきて、アークは頷いた。サエリも異論はないようで、同じように頷く。
小箱は宙に浮かされたまま、三人は小箱を囲うようにして床に座り込んだ。
「これ……何か入ってるんですよね?」
「空……ではなさそうだな」
小箱を見つめ、透視しようとしたができなかった。その事実にジェライドに向くと、理解を見せて微かに頷く。
これはアークたちの世界のものだろう。これとよく似たものを良く知っている。だが、それこそが罠ということもありえる。
だが、このような巧妙な罠をしかけてくる敵が、果たしているのだろうか? しかも、彼らはいま、サエリの世界にいる。
だが、テレポは異次元を移動する。つまり、テレポ中は、アークたちの世界に通じることも可能なはずだ。
その瞬間をつかれたということなのではないだろうか?
だが、何者が?
そして、この小箱は?
「害がなさそうなら、開けてみよう」
サエリを怖がらせないようにアークはことさら軽い調子で提案した。アークの考えを察したジェライドは、頷くと宙に浮いたままの小箱を手に取った。
ジェライドは、中から何が出てきたとしても対処できるよう、万全の構えをしている。
ジェライドはアークに向いてから、小箱を開けようとしたが、開く様子はなかった。
サエリにはわからないだろうが、ジェライドは様々な手段を用いている。
これは無理だな……
「鍵がかかっているんじゃないかしら?」
サエリがおずおずと言う。
「そうだな。簡単には開けられないように封印してあるようだ」
「封印?」
「まじないがかけられているのでしょう。……色々と試みましたが、開きません。たぶん、どんな手段を用いても無駄でしょう」
「そ、そうなの? あの、これって……普通のものじゃないの? アークたちの世界のものだったりするの?」
「ええ。そのようです」
「……」
ジェライドが言明すると、サエリはしばし黙り込んだが、欲しい答えを求めるようにアークに向いてきた。
「どうしてわたしが……?」
「はっきりとはわからないが……ただ、これを君が手にしていたことには意味がある。解明する道もあるようだ。だから、この小箱のことは、私とジェライド任せてくれないか?」
「え、ええ……わたしじゃ、何もわかりようがないし……。でも、あの、これがなんなのかわかったら、教えてね」
「ああ、約束しよう。それじゃ、君は先に休むといい。私はジェライドと、彼の部屋でこの小箱の正体を探ってみようと思う」
「そ、そう……わたしも一緒にって言いたいけど……なんの役にも立てないものね」
「我々でも、無理かもしれないからな」
苦笑しつつ言うと、サエリも笑顔を見せる。
「それではサエリ、ちょっと行ってくる。この小箱のことは気にせずに、君は先に休んでいるんだよ」
「わかったわ」
アークはジェライドを促し、歩いて部屋の外に出た。
テレポで移動すれば簡単だが、それは控えた。
ジェライドの部屋に入り、思わずふたりして見つめ合ってしまう。
間違いなく、ジェライドは自分と同じ答えに辿り着いている。
「いったいどういう手段で……と考えるのは、時間の無駄な気がするぞ、ジェライド」
「そう言われても、気になるよ。……だが、そう言うということは、君はこれが例の物だと思うわけかい?」
「君も疑っていないだろう?」
「まあ、そうだ」
渋々のように同意したジェライドは、疲れたようにため息をつく。
「渡してくれ」
手を差し出すと、ジェライドはためらいを見せたものの小箱をアークに渡してきた。
「これが、我々の思っているものだとすれば……どちらなんだろうな?」
「悩むこともないだろう。もちろん婚約指輪だと思うよ」
「サエリの?」
「もちろんだ。サエリ様は、我々がテレポで飛んだ一瞬の間に、それを手に入れた」
「誰が絡んでいると思う?」
「……ポンテルス様……かな。それ以外を考えつけない」
やはり、ポンテルスか?
思わず顔が歪んだ。
そうあって欲しくない相手だ。
確かにあの大賢者なら、どんなことでもやらかせそうだが……
「これは警告だと思うよ」
思わぬ言葉に、アークは目を見開いた。
「警告?」
「早く戻ってこいという意思表示じゃないかと思う。ポンテルスには、私達を元の世界に強制的に引き戻す手段があるのかもしれない。そして……」
「そして……なんだ?」
「あの方は、必要と思えば、ためらわない」
そのジェライドの言葉に、アークはポンテルスに金縛りの技を受けたことを思い出した。
確かに、ポンテルスは必要とあれば、どんなこともためらわないし、容赦ない。
「いますぐにだって、引き戻される可能性はあるんじゃないかと思う。この指輪の箱は、そのことを私たちに認識させるために……」
「強制的に引き戻されるのが嫌なら、早く戻って来いというわけか?」
「まあ、そういうことでしょう。ただ、そういう手段にポンテルスが出るということは、我々は戻るべき必要があるということなのだと思う」
戻るべき必要……
アークは顔をしかめた。
危険な事態にサエリを巻き込みたくなかったのに……
それに、アークの世界に来るか、彼女に選択させるつもりでいたのに……
ポンテルスはきっと、サエリを強制的にアークたちの世界に引き戻すつもりでいる。
そして、ここにいる時間すら、もうほとんどないということなのだ。
「サエリがここに残りたいと言ったら……私は彼女の選択を尊重するつもりでいる。ポンテルスは、サエリを強引に引き戻せると思うか?」
ここはアークの作り出した特別な首飾りがなければこられない世界なのだ。そんなところにいるサエリを、強引に引き戻すことができるとは……
「できる……と思う」
ジェライドの言葉に、アークは顔を強張らせた。ジェライドはアークを見つめ、彼の手にしている小箱を指さす。
「その指輪の箱が、そのことを証明している」
受け入れたくない答えに、アークはぎゅっと目を瞑った。
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