白銀の風 アーク

第十二章

                     
第五話 受け入れたくない答え



前屈みになっているサエリの背に手を当てて癒しを施したアークは、心配しつつ彼女の顔を覗き込んだ。

「サエリ?」

アークは眉を寄せた。

サエリが何やら手にしている。だが……こんなもの、彼女は持っていなかったはず?

「えっ?」

それはなんなのかと問おうとしたら、サエリが当惑した叫びを上げた。

小箱を見つめ、面食らっている。

「な、何?」

困惑した叫びを上げ、サエリは小箱を放った。

アークは思わず手を伸ばし、落ちる小箱を手で受け止めた。

「そ、それ、なんなの? なんでわたしが……?」

サエリは自分の手のひらを見つめ、それからアークが手に持っている小箱を見る。

ひどく気味悪そうにしている。

「わたし……無意識に泰美のところから持ってきちゃった。……なんてこと……。う、ううん! そんなことしてないし!」

当惑顔のまま、サエリは自分を疑う言葉を口にしていたが、ハッとしたように強く首を横に振って完全否定する。

「サエリ、落ち着いて」

他に言葉のかけようがなく、サエリをなだめる。

「あら、戻ったのね」

家の奥からアユコが姿を見せた。そのまま急ぎ足でやってくる。

戻ってきた場所は玄関先だった。

「ほら、ご飯の支度できてるわよ。上がりなさい……うん? 沙絵莉、あなたどうしたの?」

娘の表情がおかしいことに気づいたらしい。アユコは首を傾げてサエリに問う。

「う、ううん、なんでも……た、ただいま」

正体の知れない小箱のことを話題にするのを避け、サエリは靴を脱いで家に上がる。

サエリが靴を脱ぐのを見て、アークはそうだったと思い出した。この世界では靴を脱いで家に入るのだった。すでに何度か経験したのに、まだ馴染めていない。

ジェライドにテレポを任せてよかった。自分がテレポしていたら、家の中に戻ってしまっただろう。

「アーク様」

アユコやサエリに続いて家の奥に向かい始めたところで、後ろについて来ていたジェライドが小声で呼びかけてきた。緊張したように、その声は張り詰めている。

そっと振り返ると、意味深な目を、小箱を持っているアークの手に向ける。そして手を伸ばしてきた。この小箱を渡してくれというのだろう。

アークは小箱を顔の前に持ってきて観察しようとしたが、目にも止まらぬ速さで小箱はジェライドに奪われていた。

「ジェライド」

責めるように呼んだが、ジェライドは「危険です!」と声を潜めて叫ぶ。

「あ、あの?」

前を歩いていたサエリが、ふたりのやり取りに気づき、振り返って声をかけてきた。見ると、アユコも眉を上げてこちらを見ている。

「どうしたの?」

戸惑った様にアユコに聞かれる。

小箱について、これ以上ジェライドとやり合えない。

「いえ、なんでもありません」

アークがそう言った時、前方の扉が開けられ、ヒナがひょこっと顔を出した。

「あっ、陽奈ちゃん、ただいま」

「お、おかえりなさい」

恥ずかしそうに返事をした陽奈の視線は、控えめにジェライドに向く。それにいち早く気付いたジェライドは、にっこりと微笑みかけた。

「ヒナ、ただいま帰りました」

「お、おかえりなさい」

顔を赤らめ、ヒナはぼそぼそとジェライドに言葉を返す。だが、とても嬉しそうだ。

ジェライドの手に、すでに小箱はない。いつの間にやら自分の懐にしまい込んだらしい。

気になってならないが……後でということになるだろう。

「アーク、あの? わたし……」

困惑を見せて、サエリが話しかけてきた。

「心配はいらない」

実のところ、その言葉にはなんの根拠もなかったが、サエリを安心させるために言っておく。

それでも、あの小箱に嫌な感じはなかった。それよりも、落ち着かない気分でいる。

あの小箱……似ている。だが、あれは私のものではない。

そのあと、そのまま夕食ということになり、小箱のことは置き去りとなったまま、夜中になった。

湯浴みをさせてもらい、トシヒコとアユコに挨拶をして、サエリとともに彼女の部屋に向かう。

「アーク、あの小箱はどうしたの?」

ふたりきりになった途端、サエリが聞いてきた。

「ジェライドが持っている」

ジェライドはずっとヒナと遊んでやっていたが、三十分ほど前、寝ることになった彼女について行った。

「あれって……どうしてわたしがあんなものを持ってたのか? さっぱり意味がわかんないんだけど……」

サエリは、まるでアークに問うように言う。だが、彼にだってわからない。わからないが……

「わたし、泰美のところにあったものを、知らない間に掴んで持ってきちゃったんだと思う?」

不安そうに話すサエリに、アークは笑みを返した。

「心配いらない。そういうことではないだろう」

きっぱり言うと、サエリはほっとした表情を見せたが、今度は恐れるように顔を歪める。

「な、なら……どこから?」

「サエリ、とにかく小箱を見てみよう。ジェライド」

宙に向けて呼びかけると、目の前にジェライドが姿を見せた。

「ヒナ殿は?」

「はい。お休みになられました」

返事をしつつ、ジェライドは手を軽く上げた。すると小箱が現れた。

小箱は、宙で静止している。

「問題はなさそうなのですが……無闇に触れないほうがよろしいかと」

ジェライドが提案してきて、アークは頷いた。サエリも異論はないようで、同じように頷く。

小箱は宙に浮かされたまま、三人は小箱を囲うようにして床に座り込んだ。

「これ……何か入ってるんですよね?」

「空……ではなさそうだな」

小箱を見つめ、透視しようとしたができなかった。その事実にジェライドに向くと、理解を見せて微かに頷く。

これはアークたちの世界のものだろう。これとよく似たものを良く知っている。だが、それこそが罠ということもありえる。

だが、このような巧妙な罠をしかけてくる敵が、果たしているのだろうか? しかも、彼らはいま、サエリの世界にいる。

だが、テレポは異次元を移動する。つまり、テレポ中は、アークたちの世界に通じることも可能なはずだ。

その瞬間をつかれたということなのではないだろうか?

だが、何者が?

そして、この小箱は?

「害がなさそうなら、開けてみよう」

サエリを怖がらせないようにアークはことさら軽い調子で提案した。アークの考えを察したジェライドは、頷くと宙に浮いたままの小箱を手に取った。

ジェライドは、中から何が出てきたとしても対処できるよう、万全の構えをしている。

ジェライドはアークに向いてから、小箱を開けようとしたが、開く様子はなかった。

サエリにはわからないだろうが、ジェライドは様々な手段を用いている。

これは無理だな……

「鍵がかかっているんじゃないかしら?」

サエリがおずおずと言う。

「そうだな。簡単には開けられないように封印してあるようだ」

「封印?」

「まじないがかけられているのでしょう。……色々と試みましたが、開きません。たぶん、どんな手段を用いても無駄でしょう」

「そ、そうなの? あの、これって……普通のものじゃないの? アークたちの世界のものだったりするの?」

「ええ。そのようです」

「……」

ジェライドが言明すると、サエリはしばし黙り込んだが、欲しい答えを求めるようにアークに向いてきた。

「どうしてわたしが……?」

「はっきりとはわからないが……ただ、これを君が手にしていたことには意味がある。解明する道もあるようだ。だから、この小箱のことは、私とジェライド任せてくれないか?」

「え、ええ……わたしじゃ、何もわかりようがないし……。でも、あの、これがなんなのかわかったら、教えてね」

「ああ、約束しよう。それじゃ、君は先に休むといい。私はジェライドと、彼の部屋でこの小箱の正体を探ってみようと思う」

「そ、そう……わたしも一緒にって言いたいけど……なんの役にも立てないものね」

「我々でも、無理かもしれないからな」

苦笑しつつ言うと、サエリも笑顔を見せる。

「それではサエリ、ちょっと行ってくる。この小箱のことは気にせずに、君は先に休んでいるんだよ」

「わかったわ」

アークはジェライドを促し、歩いて部屋の外に出た。

テレポで移動すれば簡単だが、それは控えた。

ジェライドの部屋に入り、思わずふたりして見つめ合ってしまう。

間違いなく、ジェライドは自分と同じ答えに辿り着いている。

「いったいどういう手段で……と考えるのは、時間の無駄な気がするぞ、ジェライド」

「そう言われても、気になるよ。……だが、そう言うということは、君はこれが例の物だと思うわけかい?」

「君も疑っていないだろう?」

「まあ、そうだ」

渋々のように同意したジェライドは、疲れたようにため息をつく。

「渡してくれ」

手を差し出すと、ジェライドはためらいを見せたものの小箱をアークに渡してきた。

「これが、我々の思っているものだとすれば……どちらなんだろうな?」

「悩むこともないだろう。もちろん婚約指輪だと思うよ」

「サエリの?」

「もちろんだ。サエリ様は、我々がテレポで飛んだ一瞬の間に、それを手に入れた」

「誰が絡んでいると思う?」

「……ポンテルス様……かな。それ以外を考えつけない」

やはり、ポンテルスか?

思わず顔が歪んだ。

そうあって欲しくない相手だ。

確かにあの大賢者なら、どんなことでもやらかせそうだが……

「これは警告だと思うよ」

思わぬ言葉に、アークは目を見開いた。

「警告?」

「早く戻ってこいという意思表示じゃないかと思う。ポンテルスには、私達を元の世界に強制的に引き戻す手段があるのかもしれない。そして……」

「そして……なんだ?」

「あの方は、必要と思えば、ためらわない」

そのジェライドの言葉に、アークはポンテルスに金縛りの技を受けたことを思い出した。

確かに、ポンテルスは必要とあれば、どんなこともためらわないし、容赦ない。

「いますぐにだって、引き戻される可能性はあるんじゃないかと思う。この指輪の箱は、そのことを私たちに認識させるために……」

「強制的に引き戻されるのが嫌なら、早く戻って来いというわけか?」

「まあ、そういうことでしょう。ただ、そういう手段にポンテルスが出るということは、我々は戻るべき必要があるということなのだと思う」

戻るべき必要……

アークは顔をしかめた。

危険な事態にサエリを巻き込みたくなかったのに……

それに、アークの世界に来るか、彼女に選択させるつもりでいたのに……

ポンテルスはきっと、サエリを強制的にアークたちの世界に引き戻すつもりでいる。

そして、ここにいる時間すら、もうほとんどないということなのだ。

「サエリがここに残りたいと言ったら……私は彼女の選択を尊重するつもりでいる。ポンテルスは、サエリを強引に引き戻せると思うか?」

ここはアークの作り出した特別な首飾りがなければこられない世界なのだ。そんなところにいるサエリを、強引に引き戻すことができるとは……

「できる……と思う」

ジェライドの言葉に、アークは顔を強張らせた。ジェライドはアークを見つめ、彼の手にしている小箱を指さす。

「その指輪の箱が、そのことを証明している」

受け入れたくない答えに、アークはぎゅっと目を瞑った。






   
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