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第七話 一緒にため息
サエリの寝顔を見つめていたアークは、ポケットに手を入れ、通信の玉を取り出した。
やはり、父に連絡してみるべきだろう。
向こうがどういうことになっているのか、状況を確認しなければ。
そして、サエリがいつの間にやら手にしていた、指輪の箱のことも……父に聞けば、もっと、事がはっきりするかもしれない。
それから大賢者たちのことも……アークとサエリ、そしてジェライドまでがいなくなり、その事態を、彼らはどのように受け止めているのか?
指輪の箱については、やはりポンテルスが絡んでいるのだろうか?
それにしても、いったいどうやってサエリに持たせたのだろうか?
眉を寄せたアークは、玉を握り締めた。
「アーク」
まるで待ちかまえていたかのように、即座に応答があった。
アークは一拍置いて、「父上」と呼びかけた。
「そちらはどうなっています?」
「まあ、そうだな。賢者たちが、ひどく気を落としているな」
「あ、ああ……」
父の言葉で、賢者たちの様子が手に取るようにわかり、そんな場合じゃないのに、思わず苦笑しそうになる。
「そちらはどうだ?」
「はい。サエリのご両親に御目通りし、彼女の母君の家に滞在させていただいています」
「それで?」
重ねての問いに、思わず口を噤んでしまう。
父が聞きたいのは、サエリをアークたちの世界に連れ帰れるのか、ということでしかない。
サエリが了承してくれたと伝えるべきだろうが……それを言ったら、即座に向こうに引き戻されそうな気がして口にできなかった。
とにかく、聞きたいことをさっさと聞いたほうがよさそうだ。
アークは、テレポの一瞬の間に、サエリが婚約指輪の箱を手にしていたことを、ゼノンに話して聞かせた。
「ほお」
ゼノンは感心した様な声を出す。
「父上は、ご存知ではなかったのですね?」
「私は関与していない。ポンテルスか、キラタか……そのあたりだろう」
「どうやって、そんなことができたんでしょうか?」
「方法は色々あるだろうな。ポンテルスも、キラタも……お前が……いや、お前だけでなく、私ですら、思いもよらぬ手段を持っているのだろうからな」
嬉しくない情報に、アークは顔をしかめた。
不安がむくむくと膨らむ。
「彼らは、いつでも、我々をそちらに引き戻せると思いますか?」
そう質問したら、潜めた笑い声が聞こえてきた。
「父上?」
笑っている父親に苛立ち、むっとして呼びかけると、笑い声が途絶えた。
「答えははっきりしているのに、問う必要があるのか?」
そんなふうに聞き返されて、ひどく苦いものが込み上げる。
「否定してほしい気持ちがあるからですよ」
思わず不服を零す。
「そうか。それならば悪いが、否定はできない」
「……そうですか」
返事をしながら、ずーんと気が重くなる。
黙っていると、ゼノンが口を開いた。
「大賢者たちが、サエリに干渉できないことに、お前は気づいているか?」
アークは言われたことに戸惑い、瞬きした。
「干渉できない?」
「なんだ、気づいていなかったのか?」
「まさか、彼らは彼女を感知できないと、おっしゃるんですか? 本当に?」
「ああ。そちらの世界にいるお前たちを感知できるのは、間違いなく私だけだろう」
「あの……ということは……ジェライドも、サエリを感知できないということですか?」
「もちろんそうだ」
アークは、驚きに目を丸くした。
「大賢者たちは、その事実を隠そうとするのだろうがな」
また潜めた笑い声が耳に届いたが、今度は心地良く響く。
「驚きましたよ。でも、なぜ?」
「それは私にもわからないな。だが……」
ゼノンが思案するように黙り込む。
返事を待つ心の余裕がなく、アークは「父上?」と話をせっついた。
「お前から聞いた婚約指輪のことだが……それは、大賢者の誰かが、サエリに干渉できたという証だろう?」
そ、そうだった。
「では、彼らはすでにサエリを感知する術を手に入れたと?」
「テレポしない限り、干渉できないのかもしれない。……なんにしても、彼らは常に感知できるわけではないのは確かだろう」
「そうですか」
アークは安堵した。
「それと、ポンテルスはジェライドをお前たちと一緒に飛ばしたが、己自身はサエリの世界にテレポできないでいる」
「そうなのでしょうか?」
そうであれば嬉しいのだが……
こちらの世界に乗り込まれ、いつものように鷹揚な態度で、ポンテルスの思うようにされては堪らない。
「もし、できるのであれば、すでにそちらに行っているだろう。そうしていないのは、できないからだと思っていい」
「それを聞いて、安心できましたよ」
「アーク、安心しないほうがいいぞ」
胸を撫で下ろしたところで、苦笑混じりに父が諌めてきた。
「ポンテルスは、のんびり昼寝などしていないだろうからな。頭の中で、休まず策略を巡らしているはずだ。さらに、あの御仁には、目に見えぬ存在も力を貸す」
「目に見えぬ存在? それはいったい?」
「ジェライドを送り込んだのにも、あの御仁ならではの理由があるはずだ」
ゼノンはアークの疑問に答えず、話を進める。つまり、答えられないことなのか、答えを持っていないということなのだろう。
「婚約指輪は、どういう意味があると、父上は思われますか?」
「そうだな。……そちらで婚約の儀を執り行えということじゃないのか。……ポンテルスは、お前を慈しんでいるから……ポンテルス個人として、最大限の譲歩をしてくれるのだろう」
「最大限の譲歩……ですか?」
「大賢者という立場から譲れる範囲でな。それを超えれば、強硬手段に出るだろう。結局、お前たちに与えられている時間は少ないと思ったほうがいい。……ああ、わかっているサリス」
どうやら側に母親もいたらしい。母の声が聞こえ、それに父が応えた。
「アーク、それでだ」
「はい」
「サリスが、婚約の儀をそちらで執り行うのであれば、自分は絶対にそちらに行くと言うんだ。……サリスの安全を、お前は保証できるか?」
ゼノンは、ひどく重々しく問いかけてきた。
だが、アークは、母がこちらに来るという話に驚かされていて、父に答えるどころじゃない。
「は、母上が、こちらに?」
「ああ。私は、残念だがどうあってもいけない。私が行けない以上……ああ、わかっているさ。アークと話をさせてくれ、サリス」
母の騒ぐ声が聞こえ、父がなだめる。
両親のやりとりに、思わず口元が緩んでしまう。
「私としては、私が同行できないのであれば、サリスを行かせたくはない。賢者たちも行かせたがらないだろう。それでも、サリスを止めるのは、すでに不可能だな」
疲れたように父が言うと、「もちろんよ!」と、明るく元気な母の声が聞こえた。
アークは思わず、父と一緒にため息をつきそうになった。
「そういうことだ。それでだ、サリスには、大賢者がひとり同行する形になると思う」
「ち、父上、待ってください。そんな風に勝手に話を進められても、困りますよ」
母が来てくれると言うのは、悪くないことだとは思う。思うが……それはアークの気持ちで、サエリやアユコたちがどう思うかはわからない。
「さっさと話を進めた方がいいんじゃないのか? でなければ、せっかくポンテルスが譲歩してくれようとしているのに、婚約の儀も執り行えないまま、こちらに強制的に引き戻されることになるぞ。お前は、そうなったほうがいいというのか?」
「それは……と、とにかく、明日の朝になったら、このことについて、サエリや彼女の家族と相談しますから……」
「後悔したくなければ、緊急に事を起こせと忠告しておこう。では」
通信は切れた。
眩暈を覚えつつ、アークはすやすやと眠っているサエリを見つめたのだった。
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