白銀の風 アーク

第十二章

                     
第九話 渾身の一撃



「う……もう、朝か……ふあ〜っ」

瞼を薄く開け、ジェライドは大きな欠伸をした。

うーん……。

どうしたんだろう? なんだか、身体が重く感じる……

もう一度瞼を閉じ、意識をはっきりさせる。

昨夜は、サエリ様がテレポの一瞬に手にされた指輪の箱のことが気にかかり、誰がどんな手段でそんなことを可能にしたのか考えていたら、眠れなくなってしまったのだが……いつの間にやら、寝ていたらしい。

……考えても仕方がないのだろうな。

指輪の箱があることを、そのまま現実として受け入れ……

ゆっくりと瞼を開け、天井を見たジェライドは「へっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

な、な……?

この天井、サエリ様の世界のものではない。この独特な造りの天井は……

驚いた勢いでガバッと起き上ったジェライドは、ぽかんとした。なぜか床に、ポンテルスが横になっている。

こ、これはいったい……どうしたことだ?

「大賢者ポンテルス」

呼びかけるが、ピクリとも動かない。ぐっすり寝入っているのか?

だが、なぜ床などに……

困惑が静まるにつれ、寝ているという思い込みが徐々に消え失せていく。

まさか……

飛ぶように立ち上がったその瞬間、ジェライドは自分もまた床に寝転がっていたのだと気づく。

動揺にかられ、彼はポンテルスの身体に手をかけた。

「大賢者ポンテルス! ポンテルス殿!」

大声で呼びかけたら、ポンテルスの瞼がうっすら開いた。少しだけ安堵する。

「ポンテルス殿。いったいどうなされたのですか? 」

心配から、早口で聞く。するとポンテルスは、ジェライドにもたれるようにして、重そうに腕を上げて振る。

「成功したか……」

せ、成功?

いったいなんのことやらわからず始め戸惑ったが、次の瞬間ジェライドは気づいた。

「それは、私をこちらの世界に戻したことを言っているのですか?」

ここは賢者の塔の中にある、ポンテルスの部屋だ。アークが、なんの説明もなくジェライドをこちらの世界に返すはずはない。

となれば、こちらに引き戻したのは……

ジェライドはポンテルスをじっと見つめた。

ポンテルスなのだろう。だが、なんのために?

「……ああ」

辛そうに口にし、ポンテルスは身を起こした。強引に引き戻されたことに腹立ちを感じるが、ポンテルスの身体は心配だ。

「大丈夫なのですか?」

「ああ。おぬしをこちらに引き戻したはいいが、加減がわからず衝撃を喰らった」

「それで倒れておいでだったのですか?」

「そういうことじゃ。やったことのない技は手加減が難しいし、骨が折れるのぉ」

何をのんびりと……心配が消えたことで、ポンテルスへの憤りが湧く。

「いったい、どうして?」

「さて、ジェライド殿」

こちらは絶対に理由を話してもらう気でいるというのに、ポンテルスはさらりと話題を変える。

「まずはセサラサーの旅立ちに立ち会おうかの?」

ゆっくりと立ち上がったポンテルスは、もう普段と変わらぬ様子でドアに向かう。

ジェライドはどっと疲れを感じた。

まさか、ポンテルスは、セサラサーの旅立ちに立ち会わせるのが目的で、私を引き戻したのか?

「いったい、どうやって私を引き戻したのですか? それに、サエリ様が手にされていた指輪の箱は、ポンテルス殿が? いったいどういう手段を使ったのですか?」

大股で歩くポンテルスに急ぎ足で並びながら、ジェライドは尋ねた。

「わしではないな。ただ、それらを可能にする力を持つ知り合いがおるのじゃ」

ジェライドは歯噛みした。
それ以上の情報は与えてもらえないのがわかるからだ。

賢者の塔から徒歩で出て、そのままポンテルスのあとをついてゆく。

この季節、あちこちに咲いている青い小花の咲く小道へと入る。すると、遠目に見慣れた顔を見つけた。

セサラサーだ。まだこちらには気づいていない。

彼と一緒に旅に出ることになっているケンティラもいた。ケンティラの側には、彼の師である植物学者のバグドもいる。

まあ、これから旅に出る弟子を見送るのは……師として当然のことか。

そう考えたジェライドは、前を歩いているポンテルスに改まった声をかけた。

「ポンテルス、ありがとうございました」

「うん?」

ポンテルスは少しだけ首を後ろに回してきた。

「こちらに戻していただけてよかった。弟子の旅立ちだというのに、見送れないところでした」

頭を下げたら、ポンテルスがくすくす笑い出す。

「ポンテルス殿?」

「いやいや、ジェライド殿。礼には及ばぬのぉ。なにせ、おぬしをアーク様とサエリ様に接着して強制的に飛ばしたは、わしだからのぉ」

鷹揚に言われ、ジェライドは眉を寄せた。

そ、そうだった。あれから時間が経ち、すっかり念頭になかった。

それにしても、接着して強制的に飛ばしたとは……?

「接着してとは……? どのような技を使って?」

「いや、思いつきでやったことで……やれるだろうとは思ったが、飛ばしたあと、おぬしが無事とわかるまで、さすがに気を揉んでしもうたのお」

「……」

何をどういっていいかわからない。

結局のところ、私は物凄く危険な目に遭わせられたということではないのか?

「ポンテルス殿……」

「技法を知りたがるより、感じることじゃ。新たな領域を見るためにはの」

危険にさらされたことに対する不満をぶつけたかったのに、大賢者の大先輩から教えをもらい、黙るよりない。

まあ、結局私はこうして無事だったわけだし……

それにしても、何もはっきり教えてもらえないままでは、気がくすぶるばかり。

「ポンテルス様」

驚いたような声が聞こえてきて、ジェライドは視線をそちらに向けた。いまの声はバグドだったようだ。

やってくるジェライドとポンテルスに気づいたらしく、みな驚きの目でこちらを見つめている。

セサラサーの直属の上司であろうと思われる賢者を含めた数人の賢者たち。それから、なんとルィランの姿があり、少し驚いた。

先ほど確認したときにはいなかったはずだが……

気分の悪そうな青白い顔をしているところを見ると、いまテレポしてきたところか?

「ポンテルス殿が、お見えになられるとは……驚きました」

「気が向いての」

微笑んでそれだけ口にする。みんな、それ以上聞き返すような無礼はしない。

さて、では愛弟子に声をかけようか。……そう考え、セサラサーの前に進み出る。

「やぁ、セザ」

呼びかけたら、なぜかぎろりと睨まれた。

うん?

「どうしたんだ、セザ?」

睨まれる意味がわからない。それに、わざわざ旅立ちに見送りにきた師匠に対して取る態度ではない。

「ポンテルス殿、この幼子はいったい?」

幼子?

その言葉を聞いた瞬間、ジェライドはハッと気づいた。

な、な……私ときたら、小さくなったままではないか。

まったく気づかなかった。

いや、そんなわけがない。
ポンテルスを見上げて話していたのだ、気づいて当然……

そう考えたところで、ジェライドはことがわかった。

ポンテルスだ。
私が気づかぬ様に、何やらやったに違いない。

「ポンテルス殿!」

むっとして叫ぶと、「こらっ!」とセサラサーに怒鳴られ、あげく、頭をひっぱたかれた。

もちろん常に攻撃に対して防御しているので、痛くはなかったが、弟子にひっぱたかれたのは面白くない。

「何をする!」

顔をしかめて怒鳴ったら、セサラサーが驚いた顔になる。

「お前……いくら力加減をしたとはいえ、痛くないのか?」

「たとえ、君のその剣で本気で切りつけられても、私は痛くも痒くもないよ。試してみるかい?」

憤ってしまい、立場も弁えず挑戦的に言ってしまう。セサラサーは面食らったようだ。

「こ……この、生意気な! 幼子とはいえ、まったく無礼なやつだな」

「セザ、そのあたりにしておいたほうがいいと、忠告しておくよ」

横合いからルィランが割り込んできて言う。

そして、堪えられないと言うように笑い出した。

どうやらルィランは、幼子の姿をしていても、彼がジェライドであることに気づいたようだ。

もちろん、バグドとケンティラ、そして賢者たちはわかっていない。

「ルィラン殿? それはいったいどういうことですか?」

「この小さな男の子は、大賢者ジェライドだろうと思うからだ」

「は?」

セサラサーは怪訝な顔になり、ほかのみんなもぽかんとしている。

「いま戻るよ」

そう言って元の身体に戻ろうとしたが……

えっ?

小さいままだ。背丈は変わらず……

も、戻らない?

「ほお。無理やり引き戻したのが、枷となっておるのかの?」

少し眉をひそめているものの、ポンテルスはどこか愉快そうだ。

ジェライドはぎょっとした。

「か、枷? 枷とはどういうことですか? 元に戻れなくなるわけではないですよね?」

「向こうに戻れば、ことはすべて収まるだろうと思うがの」

頭が痛くなってきた。

「ほ、ほんとに、このちびっ子は、我が師匠なんですか?」

セサラサーは焦ってルィランに聞く。

ルィランが笑いながら頷くと、セサラサーはごくりと唾を呑み込んで、ジェライドに向いてきた。

視線を合わせようとしてか、膝を折って顔を向き合わせる。

気まずそうな顔だ。頭をひっぱたいたのだから、気まずくもあろう。

「こ、これは……知らぬこととはいえ……し、師匠、ご無礼を」

「目が泳いでるぞ、セザ。君、まだ信じられていないんだろう?」

「ま、まあ……師匠と敬うには、いくらなんでも小さすぎると言いますか……」

その言い草に、ジェライドは自分の意志に反して噴き出してしまったのだった。





元には戻れないままだが、セサラサーとケンティラの出立とあいなった。

「それじゃ、師匠、行ってきますんで」

大男のセサラサーが前屈みになって、自分の膝程度しか背丈のない相手にお辞儀をする。

「ああ、行って来い。ケンティラをしっかりと守るんだぞ」

背丈はどうにもなららないが、ここは師匠らしくと、居丈高に言っておく。

少し離れたところで、ルィランの奴が思い切り笑いを堪えているのが、いまいましい。

「はい」

朗らかに返事をしたセサラサーは、腰の剣を手に取り高々と振り上げた。

「この剣にかけて」

「いや、セザ。……この場合は、杖にしてくれないか」

賢者の上司が諌めるように口にし、セサラサーは頭を掻く。

そのさまに笑いを堪えつつ、ジェライドは杖を取り出す。そして、セサラサーの頭に向けて掲げた。

「セサラサー、頭を垂れよ」

旅の祝福を与えるため、ジェライドは神妙に口にする。

儀礼の雰囲気を察したか、セサラサーは言われた通り、小さなジェライドの前に深々と頭を下げてきた。

ジェライドはセサラサーの頭の上に手のひらをかざした。

「我が弟子、セサラサーの旅の無事を祈る。ル・シャラの恩寵と導きを、賜らん」


「行ってしまったな」

ルィランが、旅立ちの見送りという儀式を完了させるかのようにぼそりと言った。

「では、みなのもの、我らはこれで失礼する」

ポンテルスがそう口にした途端、彼に肩を掴まれ、次の瞬間テレポしていた。

目の前にそびえているのは、マリアナやライドの住む屋敷。

「いったい……」

どうしてこんなところに? と、ポンテルスに質問しようとしたが、姿がない。

一緒にいるのはルィランだけだ。

ルィランは膝を折って、口を押さえている。

聞くまでもなく、テレポで気分が悪くなったのだろう。ジェライドはすぐさま彼の背に手を当てて癒しを施した。

「まったく、大賢者というのは、誰もかれも傍若無人で……ひとの都合など考えもしないんだな」

イライラした口調で、ルィランが愚痴を言う。

「どうしたんだ?」

「どうしただ? 公務に向かっていたところを、突然、あの場に連れてこられたんだぞ」

「そうだったのか。セサラサーは元騎士団の仲間だから、君は進んで旅立ちに立ち会ったのかと……」

「旅立ちそのものを知らされてはいなかったんだ。……まあ、セザが旅に出るなら、見送ることができて嬉しいんだが……」

「仕方がないさ。私だって、君と同じ境遇なんだぞ」

「……そうなのか?」

「ああ。アークと……」

思わず口にしそうになり、パッと口を噤む。

聖賢者アークが、異世界に行っているなど、口にしていいことではなかった。

「アーク? 彼がどうかしたのか? あれきり会っていないんだが……」

あれきりというのは、古の森から出てきたところを、ルィランに出迎えられたときのことだ。

あれは、一昨日のことか……

「まあ、彼のことはいいよ。それより……」

言葉を濁し、ジェライドは再び目の前の館を見つめる。

なぜ、我々はこんなところに飛ばされたのか?
何か考えがあってのことだと思うのだが……

「なあ」

「うん? なんだいルィラン?」

「例の指輪は見つかったのか?」

その一言で、ジェライドは自分がこの場にいる理由に思い至った。

指輪を探していたところにやってきたライドとマリアナ。あのふたりは、アークの指輪のありかを知っているのだ。

ジェライドは、アークとふたりして指輪を取り戻しに行くつもりでいたところだった。

ジェライドは顔を歪めた。

「アークがいないのに……私一人で取り戻さなきゃならないなんて、理不尽だろう」

不平を叫んだジェライドの頭の上に、手が置かれた。

見上げると、ルィランがよしよしとばかりに頭を撫でてくる。

「ルィラン、君、何をしてるんだ?」

「いや、何やら、君がだだをこねてるようだから、ちょっとなだめてやろうかと……」

「だ、誰がだだをこねてるって!」

憤慨して叫んだというのに、ルィランは怒っているジェライドを見て、ぷっと噴き出す。

「い、いやいや、何をしてもかわいらしいなぁ。ジェライド、いっそのこと、ずっとそのままでいたらどうだ?」

怒りが頂点に達した。

ジェライドは思い切り足を振り上げ、世迷言を抜かす友の足に、渾身の一撃を見舞ったのだった。






   
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