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第十話 ナイスなカバー
「それで、これから何をするんだ? 私も付き合うことになるのか?」
なんの衝撃もなかったかのように、ルィランが言う。
「踏みつけたんだよ。渾身の力で。痛くなかったとしても、それなりのリアクションをしてくれないと、こっちの気が収まらないんだけどな」
ルィランが痛くなかったのは、ブーツを履いているからだ。騎士の制服は上から下まで、防御力が高い。
「君は、外見的に幼子に見えても、中身は大賢者ジェライドだ。その必要はないと判断したんだ」
「それなら、からかうのはやめてくれ」
「からかってなどいない。見た目は幼子だからな……幼子と触れ合う機会など、俺は滅多にないから……」
「あら……ルィラン」
声が頭上から聞こえ、ジェライドは顔を上に向けた。
声の主は浮遊の技で浮いているのかと思ったら、そうではなかった。
「なんだあれは?」
ルィランが眉をひそめて言う。
蔓で編んだような籠が十メートルくらい上空に浮かんでいる。籠はゆっくりと下降してきていて、籠の縁から身を乗り出しているのはマリアナだ。
「面白いものに乗っているじゃないか?」
笑って声をかけたら、マリアナが眉をひそめる。
「ルィラン、その子は? もちろん貴方の子どもじゃないのでしょうし……親戚の子が遊びに来たの?」
「いや、この子は」
「僕は、トーイって言うんだ」
ジェライドは大きな声を張り上げた。
ルィランが眉をひそめてこちらに向いたが、いまは無視して、さらに話し続ける。
「ポンテルス様のお使いで来たんです」
「ポンテルス様の? ま、まあ、それならすぐに……。ルィラン、貴方、その方を屋敷の私の部屋までお連れしてくださる? この籠、ベランダにしか降りられないから」
「わかった」
ルィランが快く返事をすると、マリアナを乗せた籠はまた上空へと浮き上がり、屋敷に向かう。
「マリアナは、色々と不可思議なものを持っているんだな」
籠を見送りながら、ルィランは感心したように言う。
「マリアナは、変わった物に目がないからね」
しかし、思わずにんまりしてしまう。この身が小さかったことに、感謝したい気持ちだ。
マリアナは、王の姪なのだが、大賢者ポンテルスとは接点がない。マリアナにとってポンテルスは、尊き大賢者様なのだ。
この私も、立場的には、ポンテルスと並ぶ大賢者のはずなのだが、かなり軽く見られている。
まあ、実はそれが嬉しいのだが……
ともかく、そんな尊き大賢者の使いとなれば、マリアナの態度は百八十度変わるだろう。
こうなると、指輪奪還は楽勝といえるかもしれない。
「ジェライド」
少し咎めるようにルィランが呼びかけてきた。マリアナに嘘をついたことを快く思っていないのだろう。
「嘘も方便だよ」
気に入らないというようにルィランは顔をしかめる。
「意味がわからないな。どうして別人になりすます必要がある。だいたい、我々はどうしてここに来たんだ?」
その問いで、指輪を探してびしょ濡れになっていたところに、マリアナとライドがやってきた経緯を、ルィランは知らないのだと気づいた。
そうか、あの直前、ルィランは部屋に戻したんだったな。
「実は、君に指輪探しを協力してもらったあのとき、君を部屋に送り届けた直後に、マリアナとライドがやってきたんだ」
「そうなのか? それで?」
「ふたりは指輪のありかを知っていた」
「ほお。よかったじゃないか。それで、指輪はどこにあったんだ?」
「まだわからない。それを聞くために、いまここにいるんだ」
そう伝えると、ルィランは首を傾げる。
「よくわからないな。三日も過ぎて、聞きに来たのか?」
「色々あったんだよ」
本当に色々あった。あり過ぎて思い出すのが大変なほどだ。
ルィランやアークと、指輪を探して池を攫ったあの出来事が、まだ三日前のことだなんて思えないくらいで……
「そうなんだろうな。……それで、サエリ様は?」
「もちろんアークと一緒にいる」
「ふむ。うまくいっているんだな?」
「そう言っていいだろうな」
「何やら、奥歯に挟まったような物の言い方だな」
「色々あってね」
「そうか。……私も、サエリ様にお会いしたいが……」
そう言われて、ジェライドは思わずルィランをまじまじと見てしまった。
「うん?」
「い、いや……君はまだ、サエリ様に会っていなかったんだなと思ってね」
「会わせてもらっていないからな。できれば、アークの親友として会わせてもらいたいところだ。聖賢者のお妃様と、聖騎士という立場でなく」
「わかった。君の希望は聞き届けたよ」
笑顔で答えたら、ルィランは嬉しそうに微笑み、褒美を与えるようにジェライドの頭を撫でる。
「何をするんだ」
頭の上の大きな手を邪険に払うが、ルィランは楽しそうに笑う。
「まあ、いいじゃないか。さて、マリアナ様を待たせてはいけない。早く行こう」
「わっ!」
あろうことか、ルィランはジェライドを抱え上げ、肩に乗せて歩き出した。
「何をする」
「いいじゃないか。ジェライドであることがバレては困るだろう? 大人しくしておけ」
どうやら、ルィランは幼子を構いたくてならないらしい。
仕方がない。……こちらも付き合ってもらうのだから、彼の楽しみに付き合うとするか。
「ところで、君、名前はなんだったかな?」
「うん?」
問われて、戸惑った。咄嗟に思いついた名を口にしてしまったため、記憶が曖昧だ。
「まずいな。思い出せない」
すでに屋敷の呼び鈴を押してしまったところ、すぐに執事がやってきてしまうだろう。
焦ってしまい、なかなか記憶をはっきりさせられない。
「マリアナのほうも覚えていないかもしれないぞ」
「いや、安易に考えるのは危険だ」
そのとき、玄関ドアが開いた。それと同時に、ルィランはジェライドを肩から降ろした。
マリアナから、ふたりがやってきたことを聞いてでもいたのか、すぐさま屋敷の中に通される。
前を歩く執事の背中を見つめながら、ジェライドは必死にいまの自分の名を思い出そうと頑張った。
隣を歩くルィランも、記憶をさらってくれているようだが……
マリアナのところに行くまでに、どちらかが思い出せるといいのだが。
まったく、私らしくないな。こんな失態を犯すなんて……
そこで気づいた。らしくない? そうなのかもしれない。接着して飛ばしたと言っていたが、それを強引に引き戻されたせいで、元の大きさに戻れなくなっている。
つまり……私はいつもの私ではないということになるのではないか?
もしかすると、魔力が相当減じているのかもしれない。
不安が押し寄せる。
こうなったら、少しでも早く、サエリ様の世界に戻らなければ。
「さあ、座ってください」
マリアナが好意的に、椅子を勧めてくれる。
すると、ルィランに抱え上げられた。
ぎょっとしているうちに、ソファに座らされる。
な、な……
顔を赤らめてルィランを見ると、笑みを浮かべてウインクする。
こ、こいつ!
「まあ、ルィラン。すっかり大賢者ポンテルスの使者様と、仲良くなったのね」
「ああ。素直でとても可愛い方なんだ」
「ふふ。本当に。……ねぇ、その紫の髪、とてもきれいだけど……もしかしたら、貴方は大賢者ジェライドと同じ部族なのではないのかしら?」
「あ、は、はい」
いまだ自分の名乗った名を思い出せないジェライドは、少々テンパりながら答える。
「あら、緊張しているの? すぐにお茶と甘いお菓子が届くから、寛いでくださいね」
「ありがとうございます。マリアナ様」
「ふふ。ほんと、素直で可愛い方ねぇ」
マリアナの言葉に、隣に座っているルィランの身体が小刻みに震えているのが伝わってくる。
肝が冷えた。ルィランときたら、噴き出すのを必死に堪えているのだ。
ルィラン! 君が笑ったりしたら、バレてしまうではないか。
文句を言いたいが、そうはできず、イライラする。
「あの、それで。わたしにどのような用向きで?」
「ああ、はい。アーク様の婚約指輪を、マリアナ様からいただいてくるようにと申し付かっております」
「あら」
一瞬面喰った顔をしたマリアナだが、すぐに納得という顔になる。
「アークとジェライドってば、自分たちが来るのが嫌なものだから……ポンテルス様に泣きついたのね」
泣きついてはいないのだが……まあ、そういうことでもいいか。
「自分たちで取りに来なければ渡さない! と、言いたいところだけど……それでは使者様が困るものね。けど、そこまで考えて、こんな小さな子を使者にしたのだとしたら、あのふたり、許せないわね」
マリアナの怒りが、胸の辺りで沸々と燃えているのが見えるようだ。
「ところで、ルィラン」
「何かな?」
「もうサエリ様とはお会いした?」
「いや、まだお会いしていない」
「あら、貴方もまだなの。……アーク、わたしたちに会わせてくれないのかしら?」
「会わせてくれるだろうと思うぞ」
「そう?」
返事をするマリアナは、嬉しそうだ。
なんだかんだあっても、幼馴染。彼女だって、アークの妃となるサエリ様と親しくなりたいに決まっている。
「アークとサエリ様は、いまは聖なる屋敷にいらっしゃるの? 賢者の塔を訪問されたとか聞いたのだけど……」
「それは私も聞いた。騎士の中に、サエリ様を拝見したという者もいるし……」
「そう。どんな方なのかしら? それも聞いてる?」
ワクワクした顔でマリアナはルィランに問う。
「神々しい方だったそうだ」
こ、神々しい?
「まあっ! 神々しい? そんなに美しい方なの? ……でも、それだと、ちょっと近寄りがたいわね」
その美貌と身分のせいで、たいがい庶民には近寄りがたい存在のマリアナがそれを言うのかと、噴き出したくなる。
「神々しいという表現は……たぶん、その騎士は、畏れ多くて直視できなかったんじゃないのかな?」
ふたりの会話に、つい、いつもの調子で混じってしまった。
ふたりが、パッとこちらに向き、ジェライドはハッとした。
「……まあ、あなたご存じなのね? お会いしているのでしょう? あなたから見て、どんな方だったのかしら?」
バ、バレてない?
ほっとして胸を撫で下ろす。
気を落ち着けてジェライドは口を開いた。
「私などから聞くより、実際お会いになられたほうがよろしいですよ。マリアナ様」
「それもそうね。ふふ、小さいのに、ほんとしっかりしているわねぇ。えーと、あら……お名前を忘れてしまったわ。ごめんなさい。もう一度教えて下さる?」
申し訳なさそうに言われて、顔が引きつる。
忘れたというのは、本当なのだろうか?
まさか、こいつはジェライドではないかと、マリアナは疑いを持ち始めているのでは?
「……」
思いついた名を適当に口にするか、追い詰められていたところに、バタバタと足音が聞こえてきた。
「もう、待ちなさい」
聞えてきた声はライドの妻のミッシェラだ。
どうやら、三歳になる息子のシェイを追い駆け回しているようだ。
「シェイは元気ですね」
名を聞かれたことを誤魔化せると考え、思わず口にする。
「あら……使者様。あの子をご存知なんですの?」
し、しまった!
固まったら、頭をぽんぽんと軽く叩かれた。
ルィランを見上げると、彼は安心させるように微笑んだ。
「実は、ここに来る途中、ここにも君くらいの小さな子がいると、俺が教えたんだ」
「ああ。そうだったの」
ナイスだ。ルィラン!
「ほんと、あまり変わらないようなのに……ほんと落ち着いているわねぇ。あっ、思い出したわ。使者様のお名前は、トーイさんだったわね」
ルィランのナイスなカバー、そしてマリアナのおかげで難を逃れたジェライドは、心の中で盛大に安堵したのだった。
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