白銀の風 アーク

第十二章

                     
第十一話 話が飛躍



「あの、お母さん」

台所で母が食器を洗い始め、沙絵莉は水音に負けない程度に少しだけ声を大きくして話しかけた。

「なあに?」

「う、うん……あの」

後片付けをするので、台所で母とふたりきりになるまで、話しかけるのを待っていたのだが、いざ話そうとしたら、何から話せばいいやらわからなくなってしまった。

話したいことは、山ほどあるはずなのに……

「沙絵莉?」

「う、うん……」

と返事をするが、言葉は詰まったまま出てこない。

すると、母が……

「今生の別れじゃないわ」

「えっ?」

「わたしはそう思ってる」

「……お母さん」

「正直、まだ信じられない気持ちも残ってるわ。アークさんやジェラちゃんが異世界のひとだとか……あんたも異世界に行くだとか……」

母は、そう語りながらも食器洗いに集中している。

沙絵莉は布巾を手に取り、濡れている皿を拭き始めた。

「けど、それは現実で……あんたはもうすぐアークさんと異世界に行ってしまうのよね」

「うん」

「なら、信じるしかない。……それで行動しなきゃね。そうでないと、ずるずると悪戯に日が過ぎて……ハッと気づいたら……あんたがいなくなってるなんてことに、なりそうだもの」

「お母さん」

小声で呼びかけたら、母は手にしている皿を一心に見つめ、また話を続ける。

「……そんなことには絶対にしたくない。絶対に後悔したくない。なら、できることをしなきゃね」

「うん」

最後の一枚を洗い終えた母が、顔を上げて沙絵莉に向く。

それに気づいて、沙絵莉は皿を拭き続けながら母に目を向けた。

「あんたは二度と戻ってこないわけじゃない。それに……アークさんのお母さんが来るっていうんだもの。必ず里帰りさせて下さいねって、お願いするつもりよ」

その言葉に、沙絵莉はようやく笑みを浮かべられた。

母は、アークの母が来てくれることに、力づけられているようだ。

沙絵莉自身も、サリスのことを思い出すと、不思議なほど安心感を覚える。

母の願いに、サリスならば、力強く「もちろんですわ」と応じてくれるのではないだろうか?

「ねぇ、アークさんのお母さんって、どんなひとなの?」

興味を持って聞かれ、沙絵莉はサリスを頭に思い浮かべる。

美しい水色の髪のサリス……

あの神秘的な容貌は……きっと母を驚かせるに違いない。だけど……

「すごく気さくな人よ。向こうでは、とてもよくしてもらったわ」

「あら、そうなの」

母が安堵を滲ませた笑みを浮かべる。

沙絵莉は、もっと母を安心させようと、笑みを浮かべて頷くとさらに話を続けた。

「そういえば……アークのお母さんも、遠くからお嫁に来たみたい。アークの国の色々なものに、わたしみたいに驚かされたようなことを言っていたから」

「まあ、そうなの? あっ、もしかしたら、アークさんのお母さんも、違う世界から来たってことなんじゃないの?」

その言葉に沙絵莉は面食らったが、確かにその可能性……ないとはいえない。

「う、うん。もしかしたら、そうなのかもね」

「まあっ、それで?」

「そ、それでって?」

戸惑って聞き返したら、母はもどかしそうに地団太を踏む。

「だーかーら、アークさんのお母さん自身は、お里帰りをさせてもらえてるのかってことよ」

「さ、さあ……それについては聞いてないけど」

「そう。それじゃ、早いところ片づけを終えなきゃ。ほら、沙絵莉、さっさと拭き終えなさい」

「う、うん。あの、急に慌てて……どうしたの?」

「決まってるじゃないの。アークさんの母親のことなのよ。彼に聞くのよ」

「あ、ああ」

「それに、色々と相談しなきゃならないしね」

色々と相談か。それはきっと、婚約の儀のことを言っているのだろう。いつまでここにいられるか、まるでわからないのだ。





片づけを終えた沙絵莉と亜由子は、三人のいる応接間に戻った。

アークは一人掛けのソファに座って、なにやら本を見ている。

俊彦に借りたのかもしれない。

俊彦のほうは陽奈と並んで座り、彼女に絵本を読んでやっていたようだ。

なんだかんだで、いまはみんなしてこの部屋ばかりにいる。

どうやらみんな、この部屋が一番寛げるらしい。

畳の部屋では、なんとなく落ち着かない。

西洋人のような風貌のアークがいるせいだろうか?

静かに座っていたアークは、沙絵莉が戻ってきてほっとしたようだった。

沙絵莉がアークの隣に座ると、母も陽奈の隣に座る。

アークがどんな本を見ているのかと覗き込もうとしたら、さっそく母は「ねぇ、アークさん」と彼に呼びかけた。

「はい。なんでしょうか」

「あなたのお母さんは、実家に帰っているの?」

「母ですか。はい、よく帰っていますが」

その返答に、亜由子は嬉しそうな顔になる。

「まあ、そうなの。ところで、あなたのお母さんも、違う世界のひとだったりしないの?」

「いえ。そのようなことはありません」

「なんだそうなの」

予想通りでなく、亜由子はかなりがっかりしたようだ。

「でも、カーリアン国から遠い国なのは確かなんでしょう?」

沙絵莉が確認すると、アークが頷く。

「それなら、頻繁に帰ったりはできないわけね」

残念そうに亜由子が言うと、アークは首を横に振る。

「いえ。いまの母は、テレポが使えますので、好きなときに帰っています」

「まあっ。あなたのお母さんも、瞬間移動ができるの?」

「はい。テレポの玉を持っていますので」

「テ、テレポの玉? もしかして、そ、それさえあれば、誰でも瞬間移動ができるの?」

母はアークに勢い込んで聞く。

「いえ。誰でもは無理です。テレポの玉に、それに応じた魔力を込められなければなりませんし、さらに、利器そのものを使いこなせる能力がなければ飛ぶことはできません」

「なんだ……そうなの」

母はがっかりしたように肩を落とす。だが、俊彦が何やら思いついたようで、アークに問いかける。

「アーク君。それなら、沙絵莉ちゃんはいずれ使えるようになるんじゃないのかな? いまの沙絵莉ちゃんには、魔力があると君は言っていただろう?」

「ああ、そうよね。アークさん、そこのところどうなの?」

期待するように母が聞くと、アークは頷いた。

「はい。彼女も、いずれは使えるようになると思います。ですが……この世界と私の世界を飛ぶことは、そう簡単にはいかないと思いますし、それをやろうとすれば、生死をかけるほどの危険が伴うと思います」

「そ、それじゃ、ダメってことじゃないの」

「ですが、私がいます。必要となれば、私がこの世界に沙絵莉を連れて戻りましょう」

アークは安心させるように言うが、母は物足りない顔をしている。

もし娘が、自由にテレポ出来るのであれば、いつでも会えるようになると、期待したのだろう。

「わかったわ。諦めるよりないみたいね。沙絵莉」

「はい?」

「いま聞いたでしょう。絶対にやっちゃ駄目よ」

母は、先ほどまでとは打って変わり、釘を刺すように言う。

どうやら、ひとりでテレポをするなと言いたいらしい。

アークから、生死をかけるほどの危険が伴うと言われ、怖くなったのだろう。

まったくお母さんったら……わたし、自分にそんなことができるようになるなんて、これっぽっちも思っていないっていうのに……

「それで、わたし、考えたんだけど……あなたたち、アークさんのお母さんがこっちにやってきたら、婚約の儀ってのをやるのよね?」

アークが即座に「はい」と答え、沙絵莉も「う、うん」と返事をした。

「それって、アークさんの世界に行ったら、向こうですぐに結婚式をやるってことなの?」

「それは……すみません。私にもよくわかりません」

「あやふやねぇ。向こうに行ったら、いつ戻れるかわからないっていうのもあやふやだし……それって、数か月? それとも一年? 数年? まさか数十年?」

「わかりません」

アークの答えに、亜由子はひどく不満そうにしている。だが、アークのほうも困ってしまっているようだ。

「お母さん」

「だって……全然はっきりしないんだもの……けど、この子と……沙絵莉と結婚するのよね? アークさん」

「はい」

「それなら、送り出す前にこの子と結婚してくれない。婚約の儀なんてどうでもいいから」

「お、お母さん」

「だって、知らない間にあなたが結婚しちゃうなんて嫌なのよ。アークさんと結婚して、夫婦になって送り出すなら……わたしも心に折り合いを付けられそうだし……。数年後、あんたが孫を連れて帰ってきても、そうショックを受けないですむと思うのよ」

お母さんときたら、なんてところまで話を飛躍させるのだ。

「お、お母さん!」

咎めるように声をかけたら、今度は俊彦が話しかけてきた。

「私も賛成だよ。沙絵莉ちゃん」

「えっ?」

「そうだよ、結婚式を挙げようじゃないか。アーク君の籍はこの世界にはないわけだから、区役所に届けとかは出せないけど……式を挙げよう」

俊彦の意見を受け、母のほうも、さらに勢いがついたようだ。

「そうね。それじゃ、すぐ準備に取りかからないと。準備が整い次第、式を挙げましょう」

えっ、ええーっ!

「そうだね。それじゃ、まずは式場を押さえないと……」

マ、マジで?

お母さんも、俊彦おじさんも本気なの?

「教会とかは急には無理だろうから……あっ、そうだわ。周吾さんにも知らせて、式場の件は彼に任せればいいわ。彼ならきっと、文句のない式場を手配できるはずよ」

俊彦とともに、どんどん話を進めていく母を、沙絵莉は呆気に取られて見つめるばかりだった。






   
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