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第十六話 心の中の誓い
「いま着ているその衣裳、どうにも女性っぽいのよ」
亜由子はジェライドの着ている服を見て感想を述べる。
あ、ああ……なんだ、そういうことか。
お母さん、ジェライドさんが女性に見えると思っていたわけではなかったんだ。
確かにジェライドさんのまとっている服って、女物っぽいのだ。
大賢者さんたちの服自体が、そのようなものみたいなんだけど……
あのポンテルスさんも同じような雰囲気のものを着ていたし、あの賢者の塔で会った他の大賢者さんたちも、だいたいこんな感じだった。
デザインはぜんぜん同じじゃないんだけど……
もしかすると、使っている生地が同じものなのかも。
「かなり風変わりだし……目立つから、こっちの世界の服に着替えた方がいいでしょうけど……俊彦さん、あなたの服を借してもらってもいいかしら」
「ああ、もちろん」
「それじゃ、なるべくジェライドさんに似合いそうな服を探してくるわね」
亜由子はすぐに応接間を出て行った。
それにしても、お母さん、小さいジェライドさんのことはジェラちゃんと呼んでいたけど、この大きさの彼は、ジェライドさんって呼ぶのね。
意識してそうしているのか、無自覚なのか?
どちらにしろ、はっきり分けているところが面白い。
ジェライドは、陽奈に対してどう振る舞おうか迷っていたようだったが、微笑みを浮かべ、陽奈に歩み寄った。
そして床に膝をついて屈み込み、陽奈と目の高さを合わせる。
「私はジェラの兄で、ジェライドと申します。ヒナ殿、以後お見知りおきを」
ジェライドさん、ジェラ君の兄ということで通すことにしたのか。
まあ、陽奈は、いまの彼が小さなジェラ君と同一人物だと本当のことを教えられても、混乱するばかりだろう。
それに、陽奈にとっては、小さなジェラ君は、小さなままでいてほしいに決まっている。
陽奈はコクンと頷き、それからしばし迷うような表情をしてから口を開いた。
「ジェラちゃんは……もう来ないの?」
その声には、不安と寂しさが入り混じっていた。
「……会いたいですか?」
ジェライドのやさしい問いかけに、陽奈は恥ずかしそうに目を伏せ、こくりと頷く。
そのやりとりを見ていた沙絵莉は、なんだか胸がジンとしてしまった。
「では、あとで……少しだけ交代するとしましょう。夕食の後にでも……それでよろしいですか? ヒナ様」
「少しだけ?」
物足りなそうに陽奈は聞く。
陽奈ちゃん、小さなジェラちゃんに、ずっと側にいて欲しいんだろうな。
「ええ。私と、少しだけ入れ替わることならできますので……」
言われたことがよくわからないのだろう、陽奈は首を捻ったが、それでもいいというように最後には首を縦に振った。
アークが沙絵莉の側にやってきて、耳元に囁きかけてきた。
「彼は、いま魔力を減じているから、すぐには小さくなれないんだ」
「そうなの?」
「ああ。できれば、魔力回復に勤しまなければならないんだが……」
アークは心配そうで、沙絵莉も不安になる。
つまり、いまのジェライドは、小さくなろうにもなれないでいるのだ。
陽奈との約束で、あとで小さくなることにしたようだけど……本当はそれをしないほうがいいってことなのよね?
「小さくならないほうがいいってことなら、やめさせたほうがいいんじゃないの?」
「それはそうなんだが……ジェライドはヒナさんと約束を交わした。私が何を言っても、彼はそれを守るだろう」
ひどく心配になり、顔をしかめたら、アークが安心させるように微笑んだ。
「心配するな、彼のことは私が監視しておく。まあ、彼はこれから大賢者の任として、婚約の儀を執り行うことになっているから、そんなにヒナさんの相手はしていられないと思うが……」
そうか。ジェライドさん、これから大変なんだ。
わたしたちはわたしたちで、こちらの結婚式に向けて忙しいけど……それと並行してジェライドさんは向こうの世界のしきたりにのっとった婚約の儀を行うための、準備をしなきゃならないのね。
「あの……婚約の儀って……いつやるつもりなの?」
「そちらは、ポンテルスの指示待ちということではないかと思う」
「結婚式のあとってことになるのかしら?」
「わからない。ポンテルスは、私もまるで予想がつかない。これからすぐという可能性もあるし、明日ということもあるだろう」
「そうなの」
婚約の儀とかって、きっちり予定を立ててやりそうなのに……
だいたいあれだけの荷物を送り届けてきておいて……適当にやるつもりはないんじゃないかって、思えるんだけど?
「そうだ。アーク、あなたのお母様は? こっちの世界にお出でになるんでしょう?」
「ああ。やってくる気満々だからな。……たぶん、私が迎えに行くことになるだろうが……」
「えっ、そうなの?」
つまり、アークは向こうの世界に、ひとりで帰ることになるの?
そのままこちらに戻って来られないなんてことは……ないわよね?
不安を打ち消すように沙絵莉は自分に言い聞かせる。
「まだその件について、確かな話は聞いていないんだ」
「アーク君、君の母さん、今日というのは無理なのかい? 亜由子さんは、少しでも親しくなっておきたいようなんだが」
俊彦が頼むように言う。
亜由子がそう思う気持ちは、沙絵莉もわかる。
わたしもそうできたらいいなと思うし。
けど……アークの母のサリスさんが、こっちの世界にいる現実って、どうにも想像できないのよね。
「では、これから連絡を取ってみましょう」
そう言ったアークは、すぐに連絡を取り始めたようだった。
黙り込んでいるが、すでに会話中のようだ。
彼って、声に出さずに会話ができるのか? それって、テレパシーってやつよね?
俯いていたアークが顔を上げ、俊彦を見る。
「すみません。母にもわからないそうです。ポンテルスという大賢者がいるのですが……ポンテルス次第のようで……俊彦殿、はっきりお伝えできず、申し訳ありません」
「まあ、わからないんじゃ仕方がないさ。謝らなくてもいい。それにしても、そのポンテルスとかいうひとは、ずいぶん実権を持っているようだけど……君たちのなんなの?」
「ポンテルス殿は大賢者です。なんらかの実権を持っているというわけではないのです」
「でも……その人次第なんだろう?」
「それは……ポンテルス殿の性格であって……ああ、ですが、ポンテルス殿は類まれな力をお持ちです」
「類まれな力? ……だから、それが実権ってことになるんじゃないのかい?」
「いえ。実権というようなものは持っておられません。私が申しましたのは、魔力のことです」
「魔力? それって、そのポンテルスというひとは、君たちよりも凄い魔力を持つのかい?」
「どうでしょうか……秀でたものが違うということもありますので……一概には言えません」
「よくわからないな」
俊彦が首を捻っているところに、亜由子が服を手にして戻ってきた。
「ジェライドさん、これでどうかしら?」
亜由子はジェライドに歩み寄り、服を手渡しながら聞く。
「亜由子様、お手間をかけて申し訳ございません。どうもありがとうございます。俊彦様、ありがたく、お借りいたします」
「ああ、ジェラ君、こちらこそ、僕の服で申し訳ないね」
「そんなことはございません」
俊彦とジェライドの両者ともに、恐縮しているのを見て笑っていたら、陽奈が俊彦の服の裾をくいくいっと引っ張りながら、声をかけた。
「俊彦パパ」
「陽奈、なんだい?」
「このひとは、ジェラちゃんじゃないよ。ジェラちゃんのお兄ちゃんだよ」
陽奈の言葉に、俊彦が慌てる。
「あ……ああ、そ、そうだったね。似ているから、間違えてしまったよ」
「似てる? お兄ちゃんは、こんなに大きいよ」
怪訝そうな顔で陽奈は指摘する。
俊彦には悪いが、ずいぶんと狼狽えている俊彦が愉快で、沙絵莉は隠れて笑ってしまった。
普段静かな紳士というような義父が、小さな陽奈の指摘にタジタジとなっている姿に、沙絵莉はなんだか胸が熱くなってきてしまった。
「そ、そうだったよ。間違えるなんて、僕もおっちょこちょいだな」
吹き出す汗を拭いながら、顔を赤らめている俊彦。そんなふたりを楽しそうに見ていた亜由子は、ようやく俊彦に救いの手を差し伸べた。
「あっ、そうだわ。そろそろ夕食の準備に取りかからないとね。陽奈ちゃん、何か食べたいものある?」
「陽奈、コーンスープが食べたい」
「それじゃ、コーンスープにしましょうね。陽奈ちゃんも、お手伝いしてくれる?」
陽奈は嬉しそうに「うん」と大きく頷く。
亜由子は陽奈を連れて応接間から出て行った。
「いや、参ったな」
ドアが閉まった途端、照れくさそうに俊彦が言う。
アークとジェライドはそろって俊彦に笑いかけ、沙絵莉は声を上げて笑った。
ほんと、いい家族だな。
わたしも……もっと早く歩み寄れていれば……
またも、過去の自分を残念に思い、ため息をつきそうになる。
それでも、こんなふうに考えられるようになった自分が嬉しくもある。
アークの世界に行ってしまったら、すぐには帰って来られないとしても……いずれ帰って来られるかもしれない。
そのときは、いっぱいいっぱい親孝行しよう。
いや、先の話でなく、まずはいまだよね。
アークの世界に行くぎりぎりまで、精一杯、家族との思い出を作るんだ。
沙絵莉は、俊彦と楽しそうに話しているアークやジェライドを見つめながら心の中で強く誓ったのだった。
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