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第十八話 らしからぬ
「アーク、どうしたんだい?」
ジェライドが、アークに歩み寄ってきながら聞いてくる。
そんなジェライドと一緒に、ヒナも後戻りしてくる。
いまだ何も気づいていないらしい友に、アークはどうにも笑いが込み上げてしまう。
「アーク? 何がおかしいんだい?」
ジェライドから訝しげな目を向けられ、このいつもひょうひょうとした友が、どんな驚きを見せてくれるだろうかなどと、不届きな期待をしてしまう。
「いや。もうやって来たらしいんだ」
あっさり口にすると、ジェライドは一瞬、時を止めた。
だが、すぐに面食らったように「えっ?」と叫んだ。
「来た? ど、どういうことだ? だって……何も……」
ジェライドのテンパった様子に、どうにも笑いが膨らんでしまう。
「アーク!」
アークの笑いにカチンときたようで、ジェライドが鋭く叫ぶ。
そんなジェライドを見て、ヒナはおろおろしている。
すると、サエリがフォローに回ってくれた。
「陽奈ちゃん大丈夫よ。ふたりは仲良しさんだし、ただお話ししてるだけだから」
「う、うん」
ジェライドも、動揺したヒナに気遣わしげな目を向ける。
「あの、ヒナ、大きな声を出してしまってびっくりさせたね。ごめんよ」
「アーク、なんなら、わたしと陽奈ちゃんは、先に応接間に戻ってましょうか?」
「いや、我々も早く母とポンテルスに会いたい。ジェライド行こう」
ジェライドを促がしたアークは、先頭を切って応接間に向かった。
応接間のドアは開いていた。
近づいていくと、確かに、アークの母サリスとポンテルスの声が聞こえてくる。
本当に来ているとは……
だが、それでもふたりの気は感じられない。
その理由が何より気になる。
入り口に立ち、部屋の中を確認する。
「失礼します」
礼儀正しく声をかけ、アークは一歩中に入った。
部屋にいる者たちがアークに向く。
「あら、アーク」
サリスがにこやかに声をかけてきた。
ポンテルスもすっと立ち上がり、重々しく「アーク様」と口にし、頭を下げてくる。
「アークさん。ほら、あなたも座っ……あ、あら、ジュラちゃん!」
ソファに座っていたアユコは、アークのあとから入ってきたジェライドを見て、嬉しさを滲ませた驚きとともに立ち上がった。
「まあまあ。ジェラちゃんが来てくれてよかったわね、陽奈ちゃん」
ジェライドの隣にいるヒナを見て、アユコが嬉しそうに声をかける。
頬を桃色に染めたヒナは、照れくさそうにこくんと頷く。
そのあと、アユコとヒナとジェライドがおしゃべりを始め、トシヒコもその輪に混じる。
さらにサリスが沙絵莉に話しかけ、こちらもおしゃべりを始めた。
アークは、まだ立ち上がったままのポンテルスに歩み寄り、彼の隣に座り込んだ。
ポンテルスはアークに一礼し、「アーク様、お隣に失礼いたします」と仰々しく断りを言い、アークの隣にゆっくりとした動作で腰かけてきた。
ポンテルスが座るのをじれながら待っていたアークは、さっそく小声で彼に話しかけた。
「ポンテルス殿……いったいどういった方法で、ここに?」
ポンテルスもサリスも、普通ではない。
なにしろ、ここに実在していないのだ。
だが、サエリたちは、そのことに気づいていないらしい。
「方法は教えられませぬの」
ポンテルスは、にっこり笑って言う。
そういう答えを返されるだろうと、予想してはいたが……
「秘技ですか?」
「まあ……色々とのお」
のんびり口調で話をかわされる。
「では、実体はどこに?」
「すみませぬが、それも教えられぬのです」
まったく、こののらりくらりとした返事に苛立たされる。
だが、この大賢者が答えられぬというのであれば、諦めるしかないのだ。
「危険はないのですね?」
そこだけは押さえておきたい。
「うーむ、ゼロではないのぉ」
「ポンテルス!」
ポンテルスに顔を寄せ、潜めた声で咎めるように呼びかけたら、ポンテルスはくすくす笑う。
「この世のことは、どんなことも完全とはいえませぬの。そうではありませんかの? アーク様」
「それは……」
アークは一呼吸置き、自分をなだめて、また口を開いた。
「それで、おふたりは、その姿のまま、こちらの世界の婚儀に参加なさるおつもりなのですか?」
そう聞くと、ポンテルスが頷く。
「ジェライド殿を媒体にすれば、私とサリス様もこちらの世界にこられたのじゃが……さすがにジェライド殿の身体が危険だと判断しましての」
「媒体? ジェライドが、いま極端に魔力を消費しているのは、やはりそのせいだったのですね?」
ポンテルスは肯定して頷く。
「こちらに、たくさんの荷を送ってしまいましたからの」
やはりそういうことだったか。
まったく、ポンテルスときたら……
「ポンテルス。あれらの荷物は、ジェライドに多大な負担をかけてまで送りつけてくるほど、必要なものなのですか?」
アークの問いかけに、なんとポンテルスは首を横に振る。
「は? それはどういうことです?」
「ほとんどのものは、さして必要ではありませぬの」
のほほんとした答えに、アークは一瞬唖然とし、ポンテルスをキッと睨みつけた。
「必要でないのなら」
「ですが、あれはすべて、サリス様の望まれたものなれば」
「えっ?」
ポンテルスがサリスに視線を向け、アークもサリスに目を向けた。
サリスはヒナを相手に、とても楽しそうにおしゃべりをしている。
「母の望んだもの?」
「そうですじゃ。我々大賢者は、聖賢者に仕えし者。聖賢者の奥方であられる、聖なるサリス様もまた同じ」
つまり、サリスがこちらに送りたいと望んだものだから、それらを全て送ったというのか?
ありえない。
「ポンテルス。それならば、ジェライドの身に負担なのだと母に説明してくれれば、母は諦めたに違いないのに」
つい、責めるよう言ってしまう。
ジェライドを犠牲にして送ったことを知ったら、サリスは自分をひどく責めるだろう。
「それを知れば、サリス様はどんなに必要なものであっても、ただのひとつも送ろうとはなさらなかったのではないですかの?」
その指摘に、アークは顔をしかめた。
「そ、それは……ですが、ほどほどにすれば……」
「ふーむ」
ポンテルスは、愚かな若輩者を見るような目で、アークを見つめてくる。
おかげでアークは、居心地が悪くなった。
ポンテルスは大賢者の立場で話をしている。
大賢者として、サリスの望みを叶えられるのであれば、叶えるだけのこと。そういうことなのだろう。
そして、それはジェライドも同じ考えなのに違いない。
つまり、送る必要のないどうでもいい荷を、こちらに送りつけてくるのに、自分の魔力が枯渇するほどに勝手に使われても、それを当然のこととして受け入れ、けして文句など言わない。
だが、アークにしてみれば苛立ってならない。
「アーク様のお気持ちもわからぬではないが……もう過ぎたこと」
「それですませたくはありませんね」
「では、アーク様はどうなさりたいのです?」
そう問い返され、返事に困る。
「サリス様は、こちらの世界であっても、我々の世界と変わりなく、婚約の儀を執り行いたいのでしょうからのお」
婚約の儀か……やはりやるんだよな?
指輪のことは、もう覚悟するよりない。
「さて、すぐにでも、婚約の儀を執り行う準備に取りかかりたく思いまするが……私はここに実在してはおりませぬゆえ、すべてジェライド殿が準備をすることになりますがの」
「ならば、私が手伝いますよ」
「それはなりませぬ」
厳しく禁じるように言われ、アークは眉を寄せる。
「ですが」
「これは賢者の仕事であれば……ジェライド殿も、けして賢者以外の助けをもらうようなことはなさいますまいのお」
自分には何もできないとわかり、アークは歯ぎしりした。
「アーク様、心配はいりませぬ。婚約の儀の準備は、魔力を使わずとも整えられますからの。ああ、そういえば……」
ポンテルスはふと何か思いついたと言うような呟きを漏らす。
「ポンテルス、どうしました?」
気になって問いかけたが、ポンテルスはアークから視線を逸らし、まるで独り言のように言葉を口にし始めた。
「わしの送ったあの荷を、綺麗に積み上げた者がいたようじゃが……その者は、またどこぞに荷を飛ばしたりはせぬだろうかの?」
アークは、故意に視線を逸らしているポンテルスを、じっと見つめた。
これはつまり、ポンテルスやジェライドの知らぬところでなら、自由に手伝えと言っているのだろうな。
まったく……回りくどいことを。
だが、それでもほっとした。
安堵して笑っていると、ポンテルスがこちらに向いた。
そして、ポンテルスらしからぬウインクをする。
アークは、思わず目を丸くした。
そんなアークを見て、ポンテルスは愉快そうに笑い出したのだった。
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