白銀の風 アーク

第十二章

                     
第十九話 重い真実



「今夜はありがとうございました。それでは、次は婚約の儀に、お邪魔させていだきますわね」

にこやかにサリスが言った瞬間、その姿はポンテルスとともにふっと消えた。

突然過ぎてちょっと戸惑い、何もない空間を沙絵莉が見つめていたら、「あっという間に消えちゃったわねぇ」と亜由子が苦笑しながら言う。

沙絵莉も笑ってしまった。

眠っている陽奈を膝に抱えている俊彦も笑いを堪えている。

夕食が終わり、アークとジェライドが席を外している間に、サリスとポンテルスは突然現れたのだ。

応接間のドアをノックされて、訝しく思いつつドアを開けたらふたりがいて、沙絵莉は物凄くびっくりさせられた。

もちろん、そのときは、アークとジェライドは知っているものと思っていた。

なのに、陽奈と一緒にふたりのところに行ってみたら、彼らは何も知らなくて……

ポンテルスさんは、どうやら常人とはかなり考え方が違うようだ。

まあ、そういうことなんだろうな。

沙絵莉は自分でもよくわからない納得をし、アークに目を向けた。

すると沙絵莉の視線に気づいたのか、アークがこちらに向く。

話しかけようとしたら、ジェライドが立ち上がったので、沙絵莉は話すのを止めた。

「では私も、今宵はこれで休ませていただきます」

小さなジェライドが丁寧な口調で言い、ぺこんと頭を下げる。

そして俊彦に抱かれて眠りこけている陽奈を見る。

陽奈は眠たそうにしつつも、大人たちから寝るように言われるたび、嫌だ嫌だとごねていたのだが、結局、ジェライドと遊んでいるうちに寝てしまったのだ。

アークのお母さん、陽奈のことを凄く気に入ったみたいだった。

可愛い可愛いって連呼してたなぁ。

サリスさんって、やさしい眼差しをするひとなんだよね。
お母さんも、そんなサリスさんを見て、嬉しそうだったっけ。

娘の姑となるわけだから、このひとなら安心と、お母さん思ったんじゃないのかな?

「ジェラちゃん、とっても疲れてるみたいだけど、大丈夫? なんだったら、今夜は私と寝る」

心配そうな亜由子の言葉に、ジェライドが驚きに目を見開く。

「い、いえ……とっ、とんでもございません」

ジェライドは焦って首を横に振る。

「でも、夜中に具合が悪くなったらと思うと心配だわ。陽奈ちゃんの具合が悪いときは、いつもわたしと一緒に寝てるのよ」

そのやりとりに沙絵莉は隠れて笑った。

まったくお母さんってば、ジェライドさんが成人した男性だって理解してるはずなのに、小さくなったジェライドさんに対して、見た目のままの扱いをするんだから。

「ジェライドには私がついています」

アークがそう申し出るが、亜由子は安心できない顔をする。

「まあ、そうだけど……」

もおっ、お母さん、アークが信用できないといわんばかりだ。

「アユコ殿、ジェライドは寝る前に元の大きさに戻りますので……」

「あ、あら……」

残念そうな顔になった亜由子は、ジェライドに向く。

「そうなの?」

「はい。明日は婚約の儀です。朝から忙しくなりますので、小さいままではいられません」

「そんなの、アークさんに任せればいいじゃないの?」

亜由子がそう言った途端、ジェライドが「アユコ様!」と、小さな身体に不似合な、凄みのある声を出した。

亜由子は驚いたが、すぐにアークが間に割って入った。

「ジェライド!」

アークは鋭い声で呼びかける。

ジェライドは眉を寄せてアークを見る。

「わかりました」

ジェライドは答え、黙り込んだ。納得できていない顔だ。

「わたし……あの、なんか、ごめんなさいね」

ふたりの雰囲気に、亜由子が謝る。

「いえ、アユコ殿は何も」

「ううん。わたしは言ってはいけないことを言っちゃったんでしょう? それはわかったわ」

亜由子の言葉を聞き、黙っていたジェライドがためらいながら口を開く。

「アユコ様、私はアーク様と親しくさせていただいておりますが、本来アーク様に仕えし賢者なのです」

「仕えし賢者?」

「はい。明日の婚約の儀の準備を、聖なるアーク様にしていただくなど、あってはならないことなのです」

「つまり……立場が違うっていうこと? まさか、アークさんって、王族とか貴族なの?」

「いえ、王族でも貴族でもありません。アーク様は『聖なるひと』なのです」

『聖なるひと』……か。

その言葉って、わたしずっと聞き取れなかったんだけど、いまは聞き取れるのよね。

ほんと不思議だわ。聞き取れなかったときは、まったく耳に入って来なかったのに、どうしていまははっきり聞き取れるんだろう?

まあ、『聖なるひと』という意味は、よくわかんないんだけど……

「……なんのひと?」

亜由子が聞き返す。

どうやら、お母さん、最初の頃のわたしと同じみたい。『聖なるひと』という単語が、聞き取れないんだ。

「『聖なるひと』です」

ジェライドは、丁寧に言葉を繰り返すが……

「ごめんなさい。ジェラちゃんの言ってる言葉、どうしても聞き取れないのよ」

「お母さん」

「なあに、沙絵莉?」

「わたしも最初そうだったの。聞き取れないのは、その言葉が彼らの世界独自の言葉だからなんだと思うの。『聖なるひと』という言葉、わたしいまなら聞き取れるんだけど……前はぜんぜん聞き取れなかったのよ」

「はい? ……沙絵莉、あなた、いまなんて言ったの?」

「『聖なるひと』」

はっきり口にしたが、亜由子は戸惑ったように首を傾げる。

「沙絵莉ちゃん、僕にも、君が不思議な呪文を口にしているようにしか聞こえないよ」

「それが向こうの言葉なの? けど、沙絵莉、あなた、もう向こうの言葉がわかるの?」

「そんなことはないわよ」

そう言ったらアークが、「いえ。サエリはかなり話せるようになっているはずです」なんて言う。

「アーク? そんなこと」

沙絵莉は慌てて否定しようとしたが……アークが説明してくれる。

「前に説明しなかったかな? 首飾りは通訳の役目をするが、同時に脳を刺激し、自然と言葉を話せるようにもなる。君はもう、かなり言葉を修得しているはずだよ」

そんなこと、聞いたっけ? いや、いまはそんなことより……

「それって、首飾りがなくても話せるようになるってこと?」

「ああ。だが、種族よって言語が違ったりするし、向こうでは常に首飾りをしていたほうが便利だ。誰とでも会話できるからね」

「そうなの?」

無意識に首元の首飾りに触れようとした沙絵莉だが、首飾りは見えないし指にも触れない。

「首飾りなんてしてないじゃないの?」

亜由子が眉をひそめて指摘する。以前の自分を思い出し、沙絵莉は笑ってしまいそうになる。

「見えないようにしてあるの。ねっ、アーク」

「ええ、アユコ殿、そうなのですよ」

アークが頷いた瞬間、指に触れるものがあった。

「あら、まあっ!」

母が目を丸くして叫ぶ。

どうやらアークは、首飾りが見えるようにしてくれたらしい。

首元に目をやり、沙絵莉は首飾りを確認した。

「とっても綺麗な首飾りじゃないの。それにしても見えないようにできるとか……ほんと、あなたたちって、なんでもやれちゃうのねぇ」

亜由子は感心しているのか、呆れているのかわからないように言う。

アークはすぐに首飾りが見えないようにしてしまった。

「綺麗なのに、どうして見えなくしちゃうの?」

亜由子のその問いに答えたのはジェライドだった。

「アユコ様、我々の世界では、通訳の利器はとても高価なものなのです。見えるようにしていると、いささか危険ですので」

「危険? 危険って、どういうこと? まさか、悪者に狙われるとかってあるわけ? それって、あなたたちの国の治安が悪いってことじゃないの?」

「いえ、治安はいいですよ。加えて、アーク様たち『聖なるひと』には、私を含めた大賢者、さらに聖騎士も護衛につき、常に守りを固めております」

「な、なんか護衛とか物々しいわねぇ。アークさんって、王族でもなければ貴族でもないのでしょう?」

「はい。ですから、『聖なる人』なのです」

「……あの、『聖なるひと』については、わたしもよくわからないんだけど……『聖なるひと』って、なんなの?」

いまさらアークに質問してみたら、アークが困った顔をする。質問に答えてくれたのはジェライドだった。

「『聖なるひと』は『聖なるひと』です。ほかにたとえようがありません」

沙絵莉は首を捻ってしまったが、亜由子や俊彦も同じだった。

「なんか……申し訳ないけど、娘を嫁に出す相手の正体がはっきりしないって……ちょっと不安だわ」

亜由子が言うと、アークは驚いた反応をする。

今度もジェライドが、慌てて説明に回る。

「『聖なるひと』は、これ以上ないくらい高貴な存在です」

「高貴な? けどそれって、王族や貴族よりってことじゃないでしょう?」

「いえ、そうです」

ジェライドがきっぱり言う。

「ジェラちゃん、いくらなんでも王様より高貴ってないんじゃないの?」

「いえ。王には代わりが……」

説明しようとするジェライドの前にアークがさっと腕を伸ばして言葉を止めた。

「アーク様?」

「私が説明する」

そう言ったアークは、ジェライドに代わり説明を始めた。

「王と父は同等なのです。王は国を統治し、私の父は魔力を統治しているのです」

「魔力を統治?」

へーっ? アークのお父さんのゼノンさんって、凄腕の魔法使いだと思ってたんだけど……

そういえば、アークの家、物凄く大きくて立派だったわよね。

つまり、アークのお父さんは、あの世界でかなり偉いひとなわけ?

貫禄はそうとうあったから、意外じゃないか。

そんなことを色々と考えていたら、俊彦が慌てて割って入ってきた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。つまりアーク君は、王様くらい偉いひとの子どもってことかい?」

えっ?

「そっ、そうなの、アーク?」

「まあっ、もしそうなら、アークさんのお母さんのサリスさんは、王妃様クラスってことになっちゃうじゃないの。って……ええっ! さっ、沙絵莉!」

「なっ、何、お母さん?」

「何じゃないわよ! あんたも将来は、王妃様クラスになるってことになるじゃないの?」

「ええっ!」

沙絵莉はぎょっとしてしまい、アークとジェライドに目をやった。

「まっ、まさか……そんなことないわよね?」

口にしながら、顔がヒクヒクと引きつる。

アークは、沙絵莉の目を見つめ返してくるばかりで頷いてくれない。

沙絵莉の中の不安がむくむくと膨れ上がる。

「アークのお父様、魔力を統治してて、王様と同等って……ほんとなの?」

「……サエリ」

「なっ、何、アーク?」

「それが本当だと、何かが変わるのか?」

「えっ?」

「何かが変わるのか?」

アークが繰り返す。

その真剣な目に、沙絵莉は息を止めた。

アークのお父さんのゼノンさんが、王様と同等で……

将来アークがお父さんの後を継ぐようなことになったら、アークは王様と同等になっちゃって……

わたしはそんなひとの妻になるの?

不安に怯えている沙絵莉を、アークの真剣な目が見据えている。

わたし……

沙絵莉はごくりと唾を呑み込んだ。

わたし、アークが好きだ。

彼と一生一緒にいたい。

だからわたしはアークと結婚すると決めた。

彼がどんな立場のひとだか、はっきりわかっていなかったけど……アークはわざと隠していたわけではないと思う。

事実がいまになってわかったからって、怖気づいてわたしは結婚をやめるのか?

唇を噛んだ沙絵莉は、アークを見つめ返し、首を横に振った。

変わるわけない。

「ううん、何も変わらないわ」

「そうか、よかった」

アークの声には安堵がこもっていた。

ずっと息を詰めていたのか、アークはほっとしたように息を吐き出している。

何も変わらないと、アークに答えたばかりだけど……

王族と同等? マジで?

本当のところ、真実が重すぎて、沙絵莉は腰が抜けてその場にへたり込みそうだった。






   
inserted by FC2 system