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第十九話 重い真実
「今夜はありがとうございました。それでは、次は婚約の儀に、お邪魔させていだきますわね」
にこやかにサリスが言った瞬間、その姿はポンテルスとともにふっと消えた。
突然過ぎてちょっと戸惑い、何もない空間を沙絵莉が見つめていたら、「あっという間に消えちゃったわねぇ」と亜由子が苦笑しながら言う。
沙絵莉も笑ってしまった。
眠っている陽奈を膝に抱えている俊彦も笑いを堪えている。
夕食が終わり、アークとジェライドが席を外している間に、サリスとポンテルスは突然現れたのだ。
応接間のドアをノックされて、訝しく思いつつドアを開けたらふたりがいて、沙絵莉は物凄くびっくりさせられた。
もちろん、そのときは、アークとジェライドは知っているものと思っていた。
なのに、陽奈と一緒にふたりのところに行ってみたら、彼らは何も知らなくて……
ポンテルスさんは、どうやら常人とはかなり考え方が違うようだ。
まあ、そういうことなんだろうな。
沙絵莉は自分でもよくわからない納得をし、アークに目を向けた。
すると沙絵莉の視線に気づいたのか、アークがこちらに向く。
話しかけようとしたら、ジェライドが立ち上がったので、沙絵莉は話すのを止めた。
「では私も、今宵はこれで休ませていただきます」
小さなジェライドが丁寧な口調で言い、ぺこんと頭を下げる。
そして俊彦に抱かれて眠りこけている陽奈を見る。
陽奈は眠たそうにしつつも、大人たちから寝るように言われるたび、嫌だ嫌だとごねていたのだが、結局、ジェライドと遊んでいるうちに寝てしまったのだ。
アークのお母さん、陽奈のことを凄く気に入ったみたいだった。
可愛い可愛いって連呼してたなぁ。
サリスさんって、やさしい眼差しをするひとなんだよね。
お母さんも、そんなサリスさんを見て、嬉しそうだったっけ。
娘の姑となるわけだから、このひとなら安心と、お母さん思ったんじゃないのかな?
「ジェラちゃん、とっても疲れてるみたいだけど、大丈夫? なんだったら、今夜は私と寝る」
心配そうな亜由子の言葉に、ジェライドが驚きに目を見開く。
「い、いえ……とっ、とんでもございません」
ジェライドは焦って首を横に振る。
「でも、夜中に具合が悪くなったらと思うと心配だわ。陽奈ちゃんの具合が悪いときは、いつもわたしと一緒に寝てるのよ」
そのやりとりに沙絵莉は隠れて笑った。
まったくお母さんってば、ジェライドさんが成人した男性だって理解してるはずなのに、小さくなったジェライドさんに対して、見た目のままの扱いをするんだから。
「ジェライドには私がついています」
アークがそう申し出るが、亜由子は安心できない顔をする。
「まあ、そうだけど……」
もおっ、お母さん、アークが信用できないといわんばかりだ。
「アユコ殿、ジェライドは寝る前に元の大きさに戻りますので……」
「あ、あら……」
残念そうな顔になった亜由子は、ジェライドに向く。
「そうなの?」
「はい。明日は婚約の儀です。朝から忙しくなりますので、小さいままではいられません」
「そんなの、アークさんに任せればいいじゃないの?」
亜由子がそう言った途端、ジェライドが「アユコ様!」と、小さな身体に不似合な、凄みのある声を出した。
亜由子は驚いたが、すぐにアークが間に割って入った。
「ジェライド!」
アークは鋭い声で呼びかける。
ジェライドは眉を寄せてアークを見る。
「わかりました」
ジェライドは答え、黙り込んだ。納得できていない顔だ。
「わたし……あの、なんか、ごめんなさいね」
ふたりの雰囲気に、亜由子が謝る。
「いえ、アユコ殿は何も」
「ううん。わたしは言ってはいけないことを言っちゃったんでしょう? それはわかったわ」
亜由子の言葉を聞き、黙っていたジェライドがためらいながら口を開く。
「アユコ様、私はアーク様と親しくさせていただいておりますが、本来アーク様に仕えし賢者なのです」
「仕えし賢者?」
「はい。明日の婚約の儀の準備を、聖なるアーク様にしていただくなど、あってはならないことなのです」
「つまり……立場が違うっていうこと? まさか、アークさんって、王族とか貴族なの?」
「いえ、王族でも貴族でもありません。アーク様は『聖なるひと』なのです」
『聖なるひと』……か。
その言葉って、わたしずっと聞き取れなかったんだけど、いまは聞き取れるのよね。
ほんと不思議だわ。聞き取れなかったときは、まったく耳に入って来なかったのに、どうしていまははっきり聞き取れるんだろう?
まあ、『聖なるひと』という意味は、よくわかんないんだけど……
「……なんのひと?」
亜由子が聞き返す。
どうやら、お母さん、最初の頃のわたしと同じみたい。『聖なるひと』という単語が、聞き取れないんだ。
「『聖なるひと』です」
ジェライドは、丁寧に言葉を繰り返すが……
「ごめんなさい。ジェラちゃんの言ってる言葉、どうしても聞き取れないのよ」
「お母さん」
「なあに、沙絵莉?」
「わたしも最初そうだったの。聞き取れないのは、その言葉が彼らの世界独自の言葉だからなんだと思うの。『聖なるひと』という言葉、わたしいまなら聞き取れるんだけど……前はぜんぜん聞き取れなかったのよ」
「はい? ……沙絵莉、あなた、いまなんて言ったの?」
「『聖なるひと』」
はっきり口にしたが、亜由子は戸惑ったように首を傾げる。
「沙絵莉ちゃん、僕にも、君が不思議な呪文を口にしているようにしか聞こえないよ」
「それが向こうの言葉なの? けど、沙絵莉、あなた、もう向こうの言葉がわかるの?」
「そんなことはないわよ」
そう言ったらアークが、「いえ。サエリはかなり話せるようになっているはずです」なんて言う。
「アーク? そんなこと」
沙絵莉は慌てて否定しようとしたが……アークが説明してくれる。
「前に説明しなかったかな? 首飾りは通訳の役目をするが、同時に脳を刺激し、自然と言葉を話せるようにもなる。君はもう、かなり言葉を修得しているはずだよ」
そんなこと、聞いたっけ? いや、いまはそんなことより……
「それって、首飾りがなくても話せるようになるってこと?」
「ああ。だが、種族よって言語が違ったりするし、向こうでは常に首飾りをしていたほうが便利だ。誰とでも会話できるからね」
「そうなの?」
無意識に首元の首飾りに触れようとした沙絵莉だが、首飾りは見えないし指にも触れない。
「首飾りなんてしてないじゃないの?」
亜由子が眉をひそめて指摘する。以前の自分を思い出し、沙絵莉は笑ってしまいそうになる。
「見えないようにしてあるの。ねっ、アーク」
「ええ、アユコ殿、そうなのですよ」
アークが頷いた瞬間、指に触れるものがあった。
「あら、まあっ!」
母が目を丸くして叫ぶ。
どうやらアークは、首飾りが見えるようにしてくれたらしい。
首元に目をやり、沙絵莉は首飾りを確認した。
「とっても綺麗な首飾りじゃないの。それにしても見えないようにできるとか……ほんと、あなたたちって、なんでもやれちゃうのねぇ」
亜由子は感心しているのか、呆れているのかわからないように言う。
アークはすぐに首飾りが見えないようにしてしまった。
「綺麗なのに、どうして見えなくしちゃうの?」
亜由子のその問いに答えたのはジェライドだった。
「アユコ様、我々の世界では、通訳の利器はとても高価なものなのです。見えるようにしていると、いささか危険ですので」
「危険? 危険って、どういうこと? まさか、悪者に狙われるとかってあるわけ? それって、あなたたちの国の治安が悪いってことじゃないの?」
「いえ、治安はいいですよ。加えて、アーク様たち『聖なるひと』には、私を含めた大賢者、さらに聖騎士も護衛につき、常に守りを固めております」
「な、なんか護衛とか物々しいわねぇ。アークさんって、王族でもなければ貴族でもないのでしょう?」
「はい。ですから、『聖なる人』なのです」
「……あの、『聖なるひと』については、わたしもよくわからないんだけど……『聖なるひと』って、なんなの?」
いまさらアークに質問してみたら、アークが困った顔をする。質問に答えてくれたのはジェライドだった。
「『聖なるひと』は『聖なるひと』です。ほかにたとえようがありません」
沙絵莉は首を捻ってしまったが、亜由子や俊彦も同じだった。
「なんか……申し訳ないけど、娘を嫁に出す相手の正体がはっきりしないって……ちょっと不安だわ」
亜由子が言うと、アークは驚いた反応をする。
今度もジェライドが、慌てて説明に回る。
「『聖なるひと』は、これ以上ないくらい高貴な存在です」
「高貴な? けどそれって、王族や貴族よりってことじゃないでしょう?」
「いえ、そうです」
ジェライドがきっぱり言う。
「ジェラちゃん、いくらなんでも王様より高貴ってないんじゃないの?」
「いえ。王には代わりが……」
説明しようとするジェライドの前にアークがさっと腕を伸ばして言葉を止めた。
「アーク様?」
「私が説明する」
そう言ったアークは、ジェライドに代わり説明を始めた。
「王と父は同等なのです。王は国を統治し、私の父は魔力を統治しているのです」
「魔力を統治?」
へーっ? アークのお父さんのゼノンさんって、凄腕の魔法使いだと思ってたんだけど……
そういえば、アークの家、物凄く大きくて立派だったわよね。
つまり、アークのお父さんは、あの世界でかなり偉いひとなわけ?
貫禄はそうとうあったから、意外じゃないか。
そんなことを色々と考えていたら、俊彦が慌てて割って入ってきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。つまりアーク君は、王様くらい偉いひとの子どもってことかい?」
えっ?
「そっ、そうなの、アーク?」
「まあっ、もしそうなら、アークさんのお母さんのサリスさんは、王妃様クラスってことになっちゃうじゃないの。って……ええっ! さっ、沙絵莉!」
「なっ、何、お母さん?」
「何じゃないわよ! あんたも将来は、王妃様クラスになるってことになるじゃないの?」
「ええっ!」
沙絵莉はぎょっとしてしまい、アークとジェライドに目をやった。
「まっ、まさか……そんなことないわよね?」
口にしながら、顔がヒクヒクと引きつる。
アークは、沙絵莉の目を見つめ返してくるばかりで頷いてくれない。
沙絵莉の中の不安がむくむくと膨れ上がる。
「アークのお父様、魔力を統治してて、王様と同等って……ほんとなの?」
「……サエリ」
「なっ、何、アーク?」
「それが本当だと、何かが変わるのか?」
「えっ?」
「何かが変わるのか?」
アークが繰り返す。
その真剣な目に、沙絵莉は息を止めた。
アークのお父さんのゼノンさんが、王様と同等で……
将来アークがお父さんの後を継ぐようなことになったら、アークは王様と同等になっちゃって……
わたしはそんなひとの妻になるの?
不安に怯えている沙絵莉を、アークの真剣な目が見据えている。
わたし……
沙絵莉はごくりと唾を呑み込んだ。
わたし、アークが好きだ。
彼と一生一緒にいたい。
だからわたしはアークと結婚すると決めた。
彼がどんな立場のひとだか、はっきりわかっていなかったけど……アークはわざと隠していたわけではないと思う。
事実がいまになってわかったからって、怖気づいてわたしは結婚をやめるのか?
唇を噛んだ沙絵莉は、アークを見つめ返し、首を横に振った。
変わるわけない。
「ううん、何も変わらないわ」
「そうか、よかった」
アークの声には安堵がこもっていた。
ずっと息を詰めていたのか、アークはほっとしたように息を吐き出している。
何も変わらないと、アークに答えたばかりだけど……
王族と同等? マジで?
本当のところ、真実が重すぎて、沙絵莉は腰が抜けてその場にへたり込みそうだった。
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