白銀の風 アーク

第十三章

                     
第一話 いまさら舌を巻く



ふわりと意識が戻るように目覚めた沙絵莉は、ゆっくりと瞼を開いた。

目に入った天井を見つめ、ここがどこだか思い出す。

ここは岡本家のわたしの部屋だ。

うーん。目覚める直前まで、なんかおかしな夢を見ていた気がするんだけど……

そう思って記憶を探るが、掴めそうでつるんとかわされる。

ううっ、きっ、気になるなぁ?

眉を寄せていた沙絵莉は、ハッとした。

そ、そうだわ。
今日はアークの世界での婚約の儀式が行われるんだった。

思い出した瞬間から、鼓動が速まった。

婚約の儀式って、いったいどんな風にやるんだろう?

わたし、何も知らないけど、大丈夫なのかしら?

昨日聞いたところでは、和室の一室を使ってやるらしい。

ジェライドさんがひとりで準備するそうなんだけど……本当に手伝わなくていいのかな?

婚約する当の本人が手伝うというのは、やっぱりおかしいのか?

式はアークの世界でのしきたりにならい、十時ぴったりに行うらしい。

ところで、いま何時なの?

いまさら時間を確認し、まだ六時半なのを知ってほっとした沙絵莉は、肩から力を抜いた。

ベッドから出て、自分ひとりきりなのをちょっぴり残念に思う。

わたしの魔力が暴走する可能性があるというので、アークはわたしの側についていてくれたんだけど……

アークによると、それもかなり落ち着いてきたらしい。

とはいえ、暴走する可能性はゼロではないらしい。

自分では、まるきりわからないんだけど。

さて着替えようと、クローゼットから服を取り出していた沙絵莉は、そういえばと手に持った服を見つめる。

式のときって、どんな服を着ればいいのかしら?

婚約の儀式なんて、普通はしないもんだし……フォーマルなワンピースとかでいいのかな?

フォーマルな服ってそんなに持ってないけど……黒のワンピースじゃダメかな?

黒ってのは、色がよくなかったりするかな?

そうだ、お母さんに相談してみよう。

沙絵莉は適当に服を着込んで部屋を出た。

洗面所で顔を洗って台所のほうに向かおうとしたら、陽奈が廊下のところにいる。

「陽奈ちゃん、おはよう。今日は早いのね」

そう声をかけつつ、陽奈に歩み寄る。

「沙絵莉お姉ちゃん、おはよう」

「こんなところで、どうしたの?」

「……ジェラちゃん、出て来ないかなって……待ってるの」

陽奈はもじもじしながら言う。

ジェラちゃんか……

陽奈が立っているのは、ジェライドとアークが泊まっている部屋の前だ。

ふたりともまだ寝てると思うんだけど……

どちらにしろ、ジェライドさんはもう大きくなっているはずだ。

陽奈ちゃん、ジェラちゃんはもう帰ったって、誰からも聞いていないのかしら?

「陽奈ちゃん、亜由子ママは?」

「……キッチン?」

問いかけにたいして、問いかけが返ってきた。

どうやら陽奈は、起きてそのままここにやってきたらしい。

たぶんお母さんは、陽奈ちゃんが起きたことを知らないんだろうな。

こうなったら仕方がない。わたしから、ジェラちゃんはもういないってことを伝えるとしよう。

「あのね、陽奈ちゃん。ジェラちゃんは昨夜のうちにお家に戻ってしまったの。ここにいるのはお兄さんのジェライドさんだと思うわ」

沙絵莉の言葉を聞き、陽奈はしゅんと萎れてしまった。

そんな陽奈を見て、どうにも胸が疼く。

「でも、また来てくれるわよ。だから元気出して」

「う、うん」

元気づけてみたものの、陽奈の顔色は冴えない。

でも、どうしようもないものね。

そのとき、目の前の襖が静かに開いた。顔を出したのはアークだ。

「ああ、君らだったのか」

アークはふたりの顔を見て、笑みを浮かべる。

どうも彼はすでに起きていたらしい。服も着替えているし、寝起きの顔ではない。

こちらの世界の服を着ているアークはいつにもまして魅力的で、どうにもドキドキしてしまう。

「アーク、おはよう」

少々頬を染めつつ声をかける。

「おはよう」

「もう起きてたのね?」

「ああ」

「あ、あの、ジェラちゃんは?」

陽奈が、アークにおずおずと聞く。

「彼はもう帰ってしまったんだ。いまこちらにいるのはジェライドなんだよ」

アークの返事に陽奈はがっかりし、しょぼんとした風情で台所のほうに行ってしまった。

陽奈を見送り、アークを見上げたら、彼がこちらに向いた。

「ねぇ、アーク。ジェライドさんは?」

部屋の中に、ジェライドの姿は見当たらない。

「彼はすでに、婚約の儀の準備に取りかかっている」

「えっ、そうなの?」

婚約の儀式を行う部屋は、二階の空き部屋だ。静かだったから気づかなかった。

一階の部屋にぎっしり詰め込んでいた荷物は、魔法で移動させてるのかしら?

「アーク、覗きに行っちゃダメかしら? お手伝いとか、やっぱりさせてもらえない?」

「婚約の儀が行われるまでは、賢者以外入室禁止だそうだ」

やっぱりそうなんだ。

「ジェライドさんひとりで、なんとかなりそうなの?」

「心配いらない。おおっぴらには手伝えないんだが、私が補助をしている」

「そうなの?」

「ああ。荷物の移動は私がやっているんだ」

「よかった。それを聞いて安心したわ」

ほっとしたところで、儀式で着る服のことを思い出す。

「ねぇ、アーク。婚約の儀式って、どんな服を着ればいいのかしら?」

「用意してあるはずだ」

用意してある?

「それってアークの服がってことよね?」

「いや……君のものもあるんじゃないかと思う」

「わたしの服まで? お母様が用意してくださったってこと?」

「そうだろうと思う」

そうなんだ。なら、それを着させてもらえばいいのかな? けど、どんな服なんだろう?

異世界の服じゃ、想像がつかないなぁ。

そう思った沙絵莉の脳裏に、花の祭りで見た花の衣装をまとった女の子たちが浮かんだ。

あの花のドレス、着てみたいと思ったんだけど……あんなのだったら嬉しいな。

「もしかして、君は自分の服を着たいのかい? ならば、ジェライドにその旨を伝えるが」

考え込んでいる沙絵莉を見て、アークがそんなことを言う。

沙絵莉は慌てて手を横に振った。

「用意してくださってるとすれば、それを着させてもらうわ」

「いいのかい?」

沙絵莉は頷いた。

なんだか無性にわくわくしてきた。

服のデザインが気になるなぁ。アークの服も、どんなデザインなんだろう?

「ねぇアーク、あなたはどんな服を着るの?」

「まだ知らない。そのうちジェライドが……ああ、ちょっとすまない」

アークはそう言って、意識を余所に向けたようだった。

しばし一点を見つめていたアークだが、すぐに沙絵莉に向き直ってきた。

「どうしたの?」

「いや、ジェライドの手伝いをしただけだ」

そう聞いて、目を丸くしてしまう。

まさか、いまの行動で、荷物を移動させたというんだろうか?

「うん? サエリ、何がおかしいんだい?」

彼の凄さにいまさら舌を巻き、ついつい笑ってしまったら、訝しげにアークが尋ねてきた。

「なんでもないわ」

そう言いつつ、沙絵莉はアークの手を取り、両手で包み込んだ。

そんな彼女の胸には、もてあますほどにしあわせな思いが込み上げてくるのだった。






   
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